「ゼツミョーな間(ま)を見事に再現した、環境音と音楽」南瓜とマヨネーズ Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
ゼツミョーな間(ま)を見事に再現した、環境音と音楽
うーん、いい映画だ。原作のゼツミョーな間(ま)を見事に再現した、冨永昌敬監督の計算されつくされた技量に唸る。間(ま)があるのに無駄が一切ない。余分が削ぎ落とされたシンプルな作品である。
原作は、魚喃キリコ(なななん きりこ)の1998年のマンガ。
主人公ツチダ(臼田あさ美)は、プロのミュージシャンを目指す恋人せいいち(太賀)と暮らしている。せいいちは、スランプで仕事もせず、かといって音楽を書くわけでもなく、ツチダが生活を支えている。せいいちの夢のためなら、どんな苦労も惜しまないと思い込んでいる。
生活のためキャバクラで働きはじめたツチダは、客の要求を断りきれず、金銭だけの愛人関係になってしまうが、せいいちにバレてしまう。せいいちは心を入れ替えてがむしゃらにバイトの掛け持ちを始めるが、そんなときツチダはかつての恋人・ハギオ(オダギリジョー)と再会する。
"せいいちは大好きだけど、やっぱりハギオも愛している・・・男に尽くすことで自己満足してしまうツチダ。
20代後半女性のやるせない恋愛模様を、淡々と描いていく。原作が名作と言われるゆえんは、相手本位の恋愛関係において、"好き"とか"愛"とかを見失った迷子状態は、意外とありがちなのかも。女性読者に共感を生む。
原作は、少しの会話と主人公のモノローグが中心で、マンガは挿し絵のように進んでいく私小説っぽい作品なので、そのままでは日常風景と単調なナレーション映画になりそうで、まさに間抜けになる。
対して、冨永監督の練られたセリフ(脚本)、厳選されたシーンとカット構成によって浮き彫りにされるキャラクター描写。
特徴的なのは、シーンを埋め尽くす様々な音。何気なく見ていると気づかないが、あきらかに同録のはずなのに、明瞭なセリフと周辺の環境音が効果的に共存している。これこそ山本タカアキの音である(録音技師)。
そして、"やくしまるえつこ"作曲の映画音楽との高次元なコラボレーション。書き下ろしのエンディング曲が突き抜けて秀逸だ。この曲も当然、原作にあるわけがない要素だ。
音がツマっている、びっしり。だからエンドロールの"無音"がものすごいコントラストを得る。中心となる3人が生き生きと蘇り、原作が持つ、切ない空気感がそこにある。これは小品だけど逸品。
(2017/11/15 /新宿武蔵野館/シネスコ)