アイリッシュマンのレビュー・感想・評価
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スコセッシ&デニーロがやり残してきたこと。
"アイリッシュマン"ことフランク・シーランが、闇社会に深く関わったどす黒い自分史を自ら語る形で物語は進んでいく。登場するのは、マフィアのドンとして恐れられたラッセル・バッファーノや、何かと物騒な噂が絶えなかった全米トラック運転組合の委員長、ジミー・ホッファ等、それだけで1本の実録犯罪ドラマができそうな連中ばかりだ。実際、ホッファはジャック・ニコルソン主演で映画化もされている。彼の死はいまだ謎に包まれているのだ。本作は、ホッファを殺したのはシーランだったと断定する他、第二次大戦後のアメリカ裏社会の構図を、シーランを通して検証する犯罪史にもなっているところが面白い。人はどのようにして悪に取り込まれ、それが常態化していくのか?そのプロセスを誇張することなく、平常の出来事のように描くリアリズムは、マーティン・スコセッシ&ロバート・デニーロのコンビがこれまでもやってきたこと。抑制され、計算し尽くされたタッチは老いてなお冴え渡っている。しかしながら、最新作の肝は、シーランが犯罪と引き換えに捨ててきた家族への後悔と、迫り来る死の恐怖と、人としての罪悪感に打ち震える"老境"の描写。デニーロが話していた「マーティ(スコセッシ)と自分がやり残してきたこと」とは、まさにそれなのだった。
マフィアのヒットマンから見た「アメリカ現代史」
マーティン・スコセッシはフランク・シーランの人生と、
ジミー・ホッファ殺害への関与の疑いについて
映画にすることに、長年興味を抱いていた。
映画「アイリッシュマン」の原作はチャールズ・ブラントの
ノンフィクション小説、
「I H ead You Paint Hous es」を原作としている。
出演者は全員実在した人物です。
映画の中で、シーランと仲間たちが「ペンキを塗る」とよく言っている。
これはシーランの父親が塗装業をしていたことに掛けていて、
「殺人により血が流れて、標的の家の壁が血で汚れる」
それがつまりペンキ塗りは殺人の暗喩である。
また題名の「アイリッシュマン」はシーランの父親がアイルランド系の
移民であることから。
映画は冒頭でシーランが車椅子で、老人ホームからはじまる。
そして若い頃からの回想をしてゆく手法だ。
フランク・シーランという男。
マフィアの汚れ仕事の実行役でこの映画の主人公ですが、
20代の第二次世界大戦でも、非常に残虐性を発揮していて、
戦時中に人間形成がされていたのかも知れない。
フランク・シーランを演じるロバート・デ・ニーロ。
もう1人は、全米トラック協会組合員100万人を率いる委員長
ジミー・ホッファを、アル・パチーノが演じている。
そしてシーランに汚れ仕事を命じるマフィアの親分ブファリーノ・ラッセルを、
ジョー・ペシが演じている。
デ・ニーロとアル・パチーノとジョー・ペシの3人はCGによるメイクで
若返らせているので、
30代や40代から50代の頃の3人に会えたような喜びがある。
パチーノ演じるホッファは、当時、大統領の次に人気があったそうだ。
たしかに本物の写真をみてもスマートで美しい。
組合員にとって給料を上げ、待遇を良くする男・・だからヒーローだ。
アル・パチーノの演説シーンは人を惹きつける。
組合員同様に観客も魅せられる。
しかし組合員の年金資金を勝手に流用したり、権力を持ちすぎると
弊害も出る。
そこで汚れ仕事をシーランが請け負う。
ホッファはシーランを気に入って組合支部を任せるほどの親友になる。
(そんな時期もあった・・ということだ)
大統領にケネディがなると弟のロバート・ケネディの目の敵にされて、
ホッファのロバートへの憎しみは画面を通しても痛いほど伝わってくる。
ジョン・F・ケネディの暗殺をテレビで見つめるホッファの微妙な表情。
(内心で何を思ったか?)
印象的なシーンでは、トラックに代わって台頭して、
チカラをつけて来たタクシー運転手業界。
駐車されるイエローキャブが何百台も爆破されるシーン。
アメリカの黒歴史・・・驚くほど暴力的で声も出ない。
ホッファはシーランを気に入って労組支部を任せる程の親友だったが、
しかしホッファは1975年7月30日愛車を残して失踪する。
シーランがホッファを殺したと告白しているが、拉致した者がいて、
殺人の実行を行ったのか?
自白の信憑性も疑われるし、
アメリカ最大の「未解決事件」と呼ばれているが、謎が多い。
ホッファはアメリカ政府にとっても目障りな邪魔な存在だったと言う。
出る釘は打たれる!!
それにしてもフランク・シーラン。
あれ程の汚れ仕事(殺人)を侵しながら、最後は天命を全うして
老人ホームでなくなるとは!!
デ・ニーロの若造りも見所だったが、ラストの衰え果てた足腰の演技。
やり過ぎな程リアルで、やはり笑いを堪えた。
☆☆
製作費1億6千万ドルと言われる「アイリッシュマン」
マーティン・スコセッシ監督。
主演、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ。
210分の上映時間。3時間半です。
私がNetflixに入会した理由だったのに、やっと観ることが出来ました。
1億6千万ドルもの製作費を惜しげもなく供給したNetflix。
コロナ禍だったとはいえ凄い会社です。
スコセッシ監督は今年公開の作品が既に完成しているようです。
ディカプリオとのタッグ。デ・ニーロも出演。
老いを知りませんね。
楽しみです。
哀しきペンキ屋…
マフィア、ヒットマンも人間。彼らにも家族はいるし、友人もいる。飯も食えば、喜び、悲しみもするし、神だって信じる。家族に嫌われたくない。しかし、人を殺す。そこだけが一般市民と違う。友人であっても殺す。シーランやホッファなど実在の話、人物を全く知らないで見た。映画では失踪してしまったホッファを殺したのがシーランとなっているが真実はわからない。古きアメリカの闇の歴史が描かれている。いったい、政治家や警察含めて真の善人はいるのか?何と言っても、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシの渋味、迫力、醸し出す雰囲気が凄い。若返らせるCGにも驚くが、年齢に合わせた体の動かし方の変化なども見ていて面白い。友人であるホッファの暴走を止めることができなかったシーランの無念さ、ラスとの板挟み、殺しを告げられたときの諦念、そして静かに実行し、何事も無かったように戻ってくる。印象的なシーンだった。殺しておいて、ホッファの家族に励ます電話をしたことを後悔して止まない、どうして、ここまで非情になれるのか。それは自分の家族を悪い連中から守るため。そう言い聞かせて、生きてきた。しかし、肝心な家族は。。見舞いにも来ない、墓も棺桶も自分で買う。来るのは看護師と牧師だけ。哀しい晩年。何のために、誰のために命懸けで生き抜いてきたのか。。哀しき男の物語。
大作
歴史的な知識がないと映画の内容が理解出来ないという作品は多い。
事前にアメリカの歴史を知っておくとさらに理解が深まると思う。
逆にここから歴史を勉強するのもあり、か。恥ずかしながら。
長い作品だったが、まだまだ語り尽くせなのがアメリカの裏社会の歴史なんだろうと思う。
なぜデニーロがあそこまで信頼され、忠誠を誓ったのかよくわからないが。
娘と生涯決別したというのも人間くさくていい。
ギャング殺し屋秘録
Netflixで鑑賞(吹替)。
ギャングの大物、ラッセル・バファリーノの右腕として活躍した伝説の殺し屋「ジ・アイリッシュマン」ことフランク・シーランの実話を元にしたギャング映画大作にして、第二次大戦後の現代アメリカ裏面史を描く骨太作品でした。
マーティン・スコセッシ監督の作品は「ウルフ・オブ・ウォールストリート」しか観たことありませんでしたが、それまでのフィルモグラフィーの知識があったので、本作が監督の集大成的作品であると云うことは容易に想像がつきました。
それはキャストからも明らか。ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシというスコセッシ作品の常連に加え、アル・パチーノも出演しているという豪華さ。レジェンド俳優ばかりのオールスターぶり…。あえてア〇ンジャーズとは書かないよ(笑)。
淡々として、ブラックなユーモアを交えながらも、どこか哀愁の漂う作風だと思いました。ギャングたちの駆け引き、入り乱れる思惑、野心渦巻く裏社会の人間模様は複雑怪奇にして、最後に彼らが得たものを考えると、虚しさを抱かざるを得ませんでした。栄枯盛衰、諸行無常の理…
面白かったのだが
面白かったのだが、長い、とも感じてしまうけれど、やはり見応えのある作品だったと思う。
ほんとにそんなに沢山殺してたら、バレるだろ、と内心思いつつも、なんだか観ていて面白い。
心に残る映画。
3時間半は一瞬
デニーロもアルパチーノも最高。
例のCGメイクも自分は全然気になりませんでした。
物語の肝になるのが、ラッセルとジミーの間で板挟みになるフランク。
パーティで二人の交渉決裂を遠目で見ることしかできない自分。最期ジミーの説得を試みるも上手くいかず、自分で引き金を引くことになるフランク。この展開は心を抉られます。
この映画が特異な点は逮捕後の没落劇。
獄中でのラッセルの老い、棺を値引きして買うシーン、最期まで分かり会えなかった娘、周りが死に自分だけ生き残ってしまった孤独と絶望をこれでもかと長尺で映している。
普通この手のシーンはラスト一瞬で済ませてしまいそうだが、スコセッシはこここそ描きたかったのだろうか。
長いと言う人もいるが、自分の体感は最期まで一瞬でした。
ギリギリ劇場で観られて良かった。
寝ちゃった…長かった…
こちらも大変楽しみにしていたのですが、年末年始の昼夜逆転生活を正すべく、前日21時から翌日21時まで起きっぱなしにして、翌日夜に確実に寝て、翌々日の朝に起きる計画を実行中の中、見に行きました。
か、前日21時から起きっぱなしの上で午前9時半から上映は…、チャレンジした私が悪いですね。
案の定寝ました。でも後であらすじを読んでみるとそんなに寝てもいなかったようです。
ただ、寝る前後のぼんやりタイムがありますから、作品への理解はやはり下がります。
まあギャング映画がとっても大好きというタイプではございませんし、スコセッシ作品は『沈黙』が初めてだったような私ですから、眠くなくてもあまりはまらなかったかもです。
パパデニーロは娘アンナパキンにずっと許してもらえなかった、ということです。まぁしゃーないで。
マフィア映画というより人間ドキュメンタリー
最初はマフィアの世界で起きるさまざまな駆け引きや事件がメインかなと思いつつ、
長いので途中休憩も挟みながら観ると(Netflixならでは)、
後半から少しこの映画の見方が変わる。
フランクが、マフィアとして生きその役割を全うしながらも、
晩年は、父親としての顔がのぞく。
そのときの、フランクの表情や一挙手一投足から目が離せなくなりました。
想像していたマフィア映画と違って、
1人の人生を見届けたような、ドキュメンタリーを観たような良い映画でした。
絆が作られ、壊れる物語
物語は、フランクの回想を基に、時系列を入れ替えながら進んでいく。
大まかには、以下の3パターンのシーンで進む。
①フランクがラッセル・ジミーと出会い、マフィアとして「仕事」をこなしていくシーン(1950年代~1970年代)
②フランクがラッセル達と共に、車でデトロイトに向かうシーン(1975年)
③老いたフランクが、誰かに向かって語るシーン(おそらく2000年頃)
④死を待つフランクが、病院で最後の時を過ごすシーン
映画の冒頭はある病院から始まり、すぐに①②③のシーンが順不同に描写されていく。これはいつの時代なんだろうと考えながら観る中で、フランクはラッセルとジミーの頼みを受けて仕事をこなし、彼らと「ファミリー」になっていく。一方で、妻と娘達との食事シーンに笑顔はなく、娘がいたずらされると過剰に報復するフランクから、家族の絆は消えていく。
フランク自身は、自分は妻と娘を愛し愛されており、再婚しても娘は愛してくれていると考えている(少なくとも①②では)が、これが結末に繋がっていく。
ケネディ大統領就任、キューバ危機、ケネディ暗殺を経て、ジミーは「ビートルズよりも人気だった」絶頂から転げ落ちていく。加えて、フランクの「ファミリー」同士であるジミーとラッセルの争いは修復不能なレベルに達し、ラッセルはジミーの始末を決意する。フランクはジミーの「ファミリー」として説得を試みるも失敗し、③のシーンがジミー暗殺へ繋がっていく。
フランクは「ファミリー」のラッセルのために、もう一人の「ファミリー」であるジミーを始末する。ここが副題の"I Know You Painted House"に繋がり、フランクはジミーを始末(Paint House)することで、フランク自身の家族(House)を汚すことになってしまう。
物語は③のシーン以後の、フランクのファミリーが次々と逮捕・死亡する様を淡々と描写し、加えてフランクと娘達に合った埋めがたい溝を容赦なく描く。
全てを失ったフランクは、誰のファミリーでもなく、ただのアイルランド人(アイリッシュマン)として生涯を終えることが示唆され、物語は終わる。
けつ痛い
まずは、観終わって思う事は
ケツが痛い!
首痛い、疲れた!観た!!達成感!!
そんな感じ。
でも中身は濃厚で、観ていて飽きはなかった。
序盤の真っ白な状態から、
施設入植中な状態まで描いていて
どの様に人はあの世界に足をつっこんでいくのかが
よく分かった。
序盤の下りに合流するシーン
そこかいとは思いましたが、、、
またそこからも長い長い。
ホッファをやる時のフランクはどんな心境だったのか。
そもそもホッファ頑固すぎて驚いたけど。
救いたかった感じはとても伝わった。
一つ疑問なのは、
なぜホッファの息子があの仕事を引き受けたのか。
魚のくだりはなんだったのか
3人の演技に引き込まれる
ロバート・デ・ニーロ
アル・パチーノ
ジョー・ペシ
この3人が裏社会を生きる様を描いている
アル・パチーノは今でも目力強いし
デニーロも今でも健在だ
やはりやくざは似合う
ペシもくしゃっとした顔の奥に凄みを見せる
3時間の大作だが見応えがあった
これは長時間だからこそ しっかりと丁寧に描けたのだろう
彼らの晩年もああ盛者必衰!
3人のやくざに引き込まれた3時間だった
長い
あんまり長くてちょっとウトウトした。CGで若返っていると聞いていたけど、それほど派手に若返らせてはいない。体形や動作はやっぱり老人にしか見えなかった。大傑作を期待して見た分、それほどではなかった。娘がデ・ニーロに冷たすぎてつらい。
ロード回顧ムービー!!!???
古き良き、回顧ロードムービー。
ソフトマフィア映画かな??
みんな死んで終わり。(笑)
ガンでバンバンとあっさりと。
ロードムービーで回顧しながら。
昔話てきな、懐かしい、ロングロードーサクサク、死にまくり映画。
この手の映画はなかなかわかりにくいけれど。
個人的には、ここから、現代版というか。
VFXやアクションシーンをあっさりとそして派手に、コメディー感も入れて。
ロングなのに笑わせて、ガンガンすっきりさせてほしいと思ってしまう今日この頃。
俳優さんとかはやっぱり渋いし、実写としてはいい感じ、これに、CGやアニメーションを取り入れて。
スピーディーに、ファンタジーに、めちゃくちゃに。ガンガンと、サクサクとやってほしい。(笑)
伝統とイノベーションの融合ですな。(笑)(笑)
まあネットフレックスなので、過去にリスペクトよりなのはわからなくはないのですが。(笑)
まあ、長い。
若干冗長。
まあそんなかんじです。
アイリッシュマンinデトロイト???!!
長い。(笑)
長い。(笑)
長い。(笑)
アクションが古い。
コメディーがない。(笑)
ゴッドファーザーを彷彿しまして。
うーーん。
個人的にはいまいちですな。(笑)
おすすめはしないです。(笑)
大胆な見え方だけど繊細で丁寧
史実を元になぞられる為とても勉強になった。
ロバート・デ・ニーロ演じるフランク・シーランが感情を表に出さない人柄の為、
娘の為に激昂したり、ジミー・ホッファを殺害する前後、
そして終活をするラストに胸が軋んだ。
表題の通りで、Netflixだからこそ出来た映画かなと。
下手にショートカットされたり、二部作等にならずよかったです。
歴史は塗り替えても己の過去は塗り替えられぬ
NETFLIXには加入してるけど。してるけど!
この作品はもう劇場で観たくて堪らなかったので、鑑賞料より高い交通費を払って劇場鑑賞!
だってあぁた、監督マーティン・スコセッシ&出演デニーロ/パチーノ/ジョーペシ/カイテルという二度と見られないかもしれない超豪華布陣ですよ!
おまけにこの顔ぶれで第二次世界大戦後アメリカの巨大な闇のひとつ、ジミー・ホッファを題材としたギャング映画を撮るって言うんですよ!
そりゃもうヨダレが口から放射熱線状態ですよッ!(劇場に来ないで)
ジミー・ホッファという人物は日本ではそこまで知名度は高くないかと思うが(色んな映画でちょいちょい名前は出てくる)、本作にはホッファの他にも戦後アメリカ史における重要人物・事件が次々と登場する。
ネタバレ指定で書いてしまってもしようがないかもだが……鑑賞予定の方は
①ジミー・ホッファの経歴
②キューバ危機(特にピッグス湾事件)
③ジョン・F&ロバート・ケネディ(特にロバート)
くらいを軽く下調べしておくと非常に楽しめるかと。
...
本作は上映時間209分という相当な長尺。だが、そこはさすがスコセッシ監督。テンション爆発の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(180分)、静謐極まる『沈黙』(161分)と同じく、長尺を感じさせない恐ろしいほどのリズム感覚は驚異。(トイレにはめっちゃ行きたくなったが)眠気には全く襲われず、むしろどんどん銀幕に見入ってしまっているんである。
スコセッシ監督作を鑑賞していつも感じるのは、映画全体がまるで巨大な楽曲のように構築されているという感覚。
本作は主人公フランクを中心に3つのタイムラインを自在に行き来しつつ、更にそこに他キャラクターの挿話がアドリブのように挟み込まれる。これによって生み出される感覚は、“テンポが良い”≒“小気味良いリズムを刻み続ける”とはちょっとニュアンスが違っていて、言うなれば静と動のリズムがまるで複雑にうねる波のように伝わってくる感覚とでも言うか。
誤解を恐れず書くと、本作は終盤が長い。本作の最初の2.5時間は饒舌な音楽とパワフルな演出によって飛ぶように過ぎ去るが、そこから音楽も消え失せフランクが“減衰”してゆく残り1時間は長く重苦しい。だがそれは、この『アイリッシュマン』というひとつの“楽曲”を完成させる上で必要な長さであったと感じられるのである。
...
その楽曲を支えるのが、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシというアメリカ映画史を支え続けた名優達の共演。
もうね、1人出るだけで画がバシッと締まるようなパワフルな俳優が3人揃い踏みするとですね、画が締まり過ぎて破裂するんじゃないっかってくらいの物凄い密度と説得力の映像になりますよ、やっぱ。
労組組合の代表として絶大な権力を持ったジミー。演説シーンでのカリスマ性や、権力を振るう時の傲慢な表情も良いが、数少ない友人であるフランクと一対一で接する時の安堵しきった優しげな表情が、じわりじわりと泣けてくる。
大物マフィアのラッセルは、小さく物腰柔らかな好好爺で面倒見は良いし仁義もあるが、それでも彼はあくまで“組織”の人間。いざとなれば血も凍るような決断も下せる男だ。冷たいサラダをこさえながらフランクにジミー殺しを命じるシーンの非情さよ。
そして“家塗り職人”フランク。
ベトナム戦争で従軍していた時と同じく、忠実に機械的に自分の仕事をこなせば、家族を養えるだけの報酬を受け取れる。仲間や組織からの信頼も得られる。だから彼はただ淡々と仕事をこなす(論理的で鮮やかな“クレイジー・ジョー”殺しが凄い)。
だがジミーとの出会いそして彼の凋落をきっかけに、フランクが盲目的に信じ行ってきたことが彼の中で壊れてゆく。
主要3人の共演シーンはどれも物凄い見応えなのだが、なかでも3人の友情が終わりを迎える“最後通告”のシーンには胸が詰まった。ジミーを庇いたいのに立場上そうはいかないラッセルの苛立ちも分かるし、ジミーは自分の性分はどうしても曲げられないものだと自分で理解しているし、2人に板挟みになってその顔に深い深い皺を刻むフランクの苦渋の表情は未だに忘れ難い。
そしてジミー殺しの場面。
ジミーは自分の後頭部に銃弾が撃ち込まれる最期の瞬間まで、フランクのことを心から信頼していた。そもそもフランクがあの場にいなければ、ジミーはのこのこと自身の“処刑場”に馳せ参じはしなかったろう(それもラッセルの冷徹な読みだったのだと思う)。そんな風に自分を信じてくれた友の命が、乾いた銃声たった2つで絶たれるシーンの、あの悲しいくらいの軽さとあっけなさ。
...
歴史を動かすような“仕事”をこなし続けたフランク。
だがどれだけ大きな仕事をこなしても、その職を退けば組織で得た信頼など何にもならないし、かつての仲間達も次々に自分の人生から消えてゆく。
一方、自分を心から信じてくれた男を裏切った後悔の念と、愛する娘から注がれる愛情ではなく恐怖の眼差しは、決して消えない。どんな汚れ仕事も正確無比にこなしてきたフランクが、娘の「なぜ?」というたった一言に狼狽える姿が悲しい。
先ほど本作を楽曲と例えたが、ラッセルがジミー殺しを命じる辺りから、それまで饒舌に流れていた音楽も一気にフェードアウトする。それはまるでフランク達自身の人生がフェードアウトしていく様を表しているかのよう。
チームスター台頭、キューバ危機、JFK暗殺など、戦後アメリカ史を揺るがす事件の巨大な歯車として暗躍し続けた3人の男たち。
だが、ジミーはその死を確かめられることすらなく消え失せ、ラッセルは小さく小さく車椅子に縮こまったまま消え失せ、そしてフランクも、心を許せる誰かに看取られることなく、この世から消え失せようとしている。
どれほどに歴史を動かした“老兵”であろうと、いつしか歴史の闇に埋もれて忘れ去られ、やがては自分自身の人生にすら忘れ去られて消えてゆく。なんという無常か。
最後、生前のジミーと同じく「扉を少し開けておいてくれ」とフランクは頼んだ。
敵だらけだったジミーは、『扉の向こうに自分を守ってくれる奴がいてくれる』という安心を感じたまま眠りたかったんだろうか。
そしてフランクがジミーと同じ頼みを口にしたのは、友を裏切ったことへの後悔や悼みの念からだろうか。それとも、自分もまだ扉の向こうの世界の誰かと繋がってるはずだと信じなければ、安心したまま独りでは眠れなかったんだろうか。
歴史に名を残すよりも、最期の眠りにつく時、誰かが隣にいてくれること。自分自身にとってそちらの方がずっと価値ある人生なのかもしれない。巨大な歴史の闇を描きながらも、そんなミニマムな悲しみに収束する傑作サーガ(大河)。
<2019.11.23鑑賞>
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長い余談:
スコセッシの例の話題について。
面倒なのであまり細かくは書かないが……特定のコンテンツを名指しして槍玉に上げたのはとても褒められないものの……『アイリッシュマン』を観た今、スコセッシの“例の不満”は、売れる映画しか作(ら)れなくなった米映画界全体に向けたものだったのだろうと改めて思う。
『アイリッシュマン』はいまや数少ない大河映画で、残念ながら全世界で数億ドルを稼げるようなエンタメ映画では、恐らく無い。だが本作には興収などでは測れない価値がある。米国そして映画人達の歴史をひとつの作品として構成してみせた本作は、楽曲・絵画・文章・演劇では表現不能な、まさしく『映画』と呼称する外に無い味わいがある。
豊富な資金があるとはいえ、劇場公開を前提としないNetflixの元で映画を撮ることは、スコセッシのような“映画家”にとって忸怩たる想いがあったに違いない(そこも僕が劇場で本作を観たかった大きな理由のひとつ)。
1990年、邦画界から冷遇されていた黒澤明がスピルバーグ等の出資で実現させた作品『夢』。そこに画家ゴッホ役として友情出演していたスコセッシを思い出した。ここに来て彼の境遇が、当時の黒澤監督とダブって見えた。
それは無論、僕もド派手で楽しく爽快感のある映画は大好きだ。親しみがいがあり共感できるキャラクターが登場する映画は大好きだ。きっと誰だって、それが映画好きになったきっかけなのだし。
だけどそれだけでは――それだけを求めては、『夢』『乱』のような心の臓に深く刻まれるような映画は産み出されなかったとも強く思う。『アイリッシュマン』も然り。頑なな生き方は悲しかろうと共感されざろうと、それはそれで国の歴史であり、人の歴史。映画として描くべき人の姿だと思う訳で。
最初に書いた通りスコセッシの例の発言を100%肯定はしないが、エンタメであれアートであれ、どちらの種類の映画も全力で作り手が取り組めるように制作会社の方々には舵取りをしていただけると嬉しいです。理想論だろうけどね。
ONCE UPON A TIME IN…
あの映画でデニーロは友に裏切られた主人公を演じてました。他の仲間を皆消してデニーロに罪をなすりつけて権力者となった友は許しをデニーロに請います。デニーロは答えます。「昔友達がいた。良い友達だった….でも死んだんだ」と。友はその後清掃車に身を投げます。
この映画でのデニーロは友を裏切った主人公です。その恥を墓場まで持っていかなければならない裏社会の掟。神に懺悔することすらできない。煉獄とはこのことだと思います。ボスは、「やり過ぎたかな」と呟いて教会に行き、さっさと居なくなってしまいます。娘は主人公のした裏切りを決して許しません。攻め続けます。世間は過去の失踪事件などとっくに忘れてます。
孤独なデニーロ、最後神父が部屋を出て行く時、ドアを少し開けておいて欲しいと願います。
私は、ゴッドファーザーのラスト、ドアがピシャリと閉まるあのシーンを思い出しました。非情の裏社会と日常を分けへだてるドア。
「俺は決して非情な心だけで、あなたを手にかけた訳ではないんだよ…」というサインに見えました。
ゴッドファーザーの閉まるドアの先にいたのは、アルパチーノでした。決してあなたを忘れた訳でも憎かった訳ではないんだよ…と。
Netflixで4日後にはみれるのに、知らずに見てしまった。3時間...
Netflixで4日後にはみれるのに、知らずに見てしまった。3時間は長い。この映画は、背景とかwikipediaで調べながら家で見る方が、面白い映画だわ。最初のコマーシャルのアクエリアスの方が涙腺がうるんだわ。
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