アイリッシュマンのレビュー・感想・評価
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ハードボイルド×人間臭さの絶妙な融合
これから観ようと思っている方で以下に当てはまる方は鑑賞前に「ジミー・ホッファ」をwikipediaでざっとでいいので読むことをオススメします。
・好きなスコセッシ過去作があるから何となく今回も観たい
・デニーロ、パチーノ、ペシが好きだから何となく観たい
・けど今作の背景となるアメリカの歴史はあまり知らない
これ、私です。
計2回観たが、1回目は中盤あたりまでついていくのが大変だった。何故なら登場人物が多くて場面の切り替わりも頻繁なので「あれブルーノって誰だっけ?」「トニーはどいつだっけ?」てな感じでしばしば混乱をきたしたから。
改めてホッファやケネディ政権時代のアメリカ、キューバ危機やフィデルカストロなどざっくりwikiったら2回目は理解度が全然違った。そしてその背景となる時代を知れば知るほど作品の奥行きを感じられることでしょう。
とはいえ、1回目がつまらなかったかと言うとそうではない。何故なら三人のメインキャラが非常に濃くてしかも三者三様に魅力があるからだ。多少の知識不足は問題にせず彼等がその世界観へと引き込んでくれるだろう。
フランクは情に厚く仕事もできてペンキ塗りも淡々とこなす冷徹さも持っていると思えば家族のこととなると不器用なダメ親父なのが我々に親近感を湧かせる。
ラッセルは見た目は温和な可愛いおじいちゃんだがその実、裏社会を仕切るマフィアの大物と言うギャップが萌える。
ホッファは豪放磊落、大胆不敵、勇猛果敢で頑固一徹、少年誌の主人公にぴったりな派手なキャラクターは物語全体をも活気づけて止まない。
私が特に好きなのは、フランクが冷酷無比に仕事をこなしていく合間合間に、娘・ペギーとのエピソードを挟んで来るところだ。これが私のような歴史に疎い人間でも容易に引き込んでしまう要因だろう。このハードボイルドさと人間臭さの塩梅が絶妙。
見終えたあとはとても切ない気持ちになり、歳を重ねるごとにまた違った感想を抱かせてくれそうな良い作品だった。
裏社会から見た実録の米国戦後史
動画配信サービス・Netflixでの配信のみと諦めていましたが、配信前に日本国内の一部劇場での公開が決定し、ここ京都府のイオンシネマ京都桂川でもお昼と夜間の1日2回上映して下さっていて、とても助かりました。
イオンシネマ京都桂川様、今回もどうも有り難うございました。
監督はマーベル映画の批判発言で老いて尚お盛んなマーティン・スコセッシ。
スコセッシ組のロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテルといった名優たちが集結し、さらにはアル・パチーノが初参加。
個人的にはマフィアものの映画は苦手な分野であまり鑑賞した事も無いのですが、今作では、殺人のシーン自体はそれ程多くないので案外観易かったですね。むしろクルマの爆破シーンが多かったですね。
戦後の米国の裏社会に生きた無法者たちを描いた作品であり、実在の<アイリッシュマン>とも呼ばれる、いちトラック運転手であったフランク・シーランが、やがて殺し屋と身をやつしていく過程を、ロバート・デ・ニーロが演じ、彼の回想形式で物語は進行していきます。
ただ、正直、最初の方は数多くの登場人物の名前や相互関係が全く分かっていなかったので、イマイチな作品かなといった印象を持ちましたが、徐々に配役同士の相関関係がクリアになっていき、さらには、歴史上の有名な人物であるJFKの大統領選挙の際の集票マシンと化したり、ロバート・ケネディ司法長官に執拗に問い詰められている辺りから、裏社会から見た米国戦後史と交錯して、俄然面白くなり、その後も、キューバ危機やJFK暗殺事件、ウォータゲート事件、年金運用資金の横流しによるラスベガス開発などに関与し、虚実入り交じりながら様々な事件に登場人物が裏社会で絡んだ事が語られていくので、裏社会から見た米国戦後史に少しでも興味がある人にとっては凄く面白い作品になっていたかと思います。
その中でも、ヤマ場は、1975年の全米トラック運転手組合の委員長ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の失踪事件。
このホッファの右腕であり、さらに、裏社会のボス、ラッセル・バッファリーノ(ジョー・ペシ)からも目をかけられている<アイリッシュマン>ことフランク・シーランの、その綱渡り状態、板挟み状態が見どころでもありました。
そのマフィア稼業ゆえに家族からも白い目で見られ、孤独な老後を送る男の悲哀も描かれ、胸に迫るものがありました。
ただ出演者がみな高齢のせいか、会話のシーンがかなりを占めて、アクション自体は少なめ。
スコセッシ監督の得意とされるマフィア映画でしたが、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ共に若かりし頃から晩年までをメイクやCG技術で演じ切り、特にデ・ニーロの顔を若返らすなど技術の進歩のほどには驚かされました。
丁寧に人生を俯瞰するためなのか、それとも上映時間に制約のない配信作品だからか、なかなかの長尺作品ですが、構成にややメリハリが欠けると思われるところもあり、本編3時間29分に予告編を加えて、正味約4時間近くのイッキ見上映は、映画の内容的には面白かったのですが、正直長くて、かなりしんどかったですね。
実際に、インターミッションなどのトイレ休憩も一切ないので、上映中に中座してトイレに立つ観客もかなり多かった事からすれば、途中休憩の時間を作って欲しかったのが正直なところでした。
私は、幸いにして、EDロール最後まで、どうにか膀胱も保ってくれましたが、予告編を削るか或いは途中休憩を挟むかどちらかで少しでも鑑賞時間を短くする努力を図って、対応して欲しかったですね。約4時間近くも中座も出来ないのはちょっと辛かったですね。
私的な評価としましては、
豪華名優そろい踏みに胸が高まる映画でしたし、マフィアの裏社会から見た米国戦後史という着眼点が面白く、ましてや実録のノンフィクションとの事で、歴史上の有名な人物や事件の背後関係も描かれている点で、米国戦後史に興味のある私にはドンピシャで面白い映画でした。
従いまして、満点評価であってもおかしくないくらいの傑作でしたが、但しながら、上映時間が長過ぎる点でかなりしんどい思いをしたのも確かでしたので、その点を星半分(0.5点)マイナスさせて頂き、五つ星評価的には、ほぼ満点の四つ星半の★★★★☆(4.5点)の評価とさせて頂きました。
※尚、Netflix配信作品の今作は限定上映でもあることから、パンフレットに類する物は製作・販売されていないのですが、映画雑誌・映画秘宝の最新号(女優のんさんが表紙の2020年1月号)に、『アイリッシュマン』究極攻略&Netflix実録殺人映画大全といった特集記事が載っていますので、ぜひ参考書籍として購入されれば、より今作の理解が深まるかとも思います。
何故だか・・・
マーベル発言で老いて尚お盛んなスコセッシの新作、名優達の共演となればNetflixではなく劇場で観るのが筋ってもんでしょ。
200分を超える上映時間に多少身震いしつつもオープニングの長回しから、"あぁ映画観てる・・・"と没入感全開だ。
正直最初は登場人物の名前や相互関係がさっぱりなので、頭の中が混乱しつつも徐々にそれらがクリアになると映画の長さなど何処吹く風、ストーリーが面白く名優の演技も熱くるしいくらいだ。
そしてアメリカの歴史の裏側、政治とマフィア、低所得層の利権争いがもうウンザリ・・・いや、これでもかと思うほど見せつけられる。
あぁ、映画、映画ってこういろいろ考えらせられて楽しむもんだよなぁ。
しかしこういった映画は、映画を軽く楽しみたい人違には全く無縁なんだろうなぁとしみじみしてしまう。
そしてまだ分からないのだが観てる時はずっと面白かったのに、何故だかこの映画、あまり記憶に残らない。もう一回見たいかと思えば、そうでもない。なんだろね、この感覚。
何となくゴッドファーザーに似た音楽、あっさり目のカメラワーク。そうかこの映画にはゴッドファーザーやワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカにあったような重厚感や哀愁、目に焼き付く名場面が足りないのか(もしくは感じなかった)。
タランティーノのワンス~ハリウッドの方を見終わった感覚に近いと言うか。
で星は3.5
ようやく見分けがついたデ・ニーロとパチーノ
『ゴッドファーザーⅡ』、『ヒート』、『ボーダー』に続いて4作目の共演となる二人。映画のネタともなった区別がつかない件もこの作品では違いがよーくわかる。黒子だけではなかった。キレたときの声質、落ち着き度が全く違っていたのだ。アル・パチーノは79歳になってるにもかかわらず、キレるときはキレる!全米トラック協会での演説なども凄い迫力だった。
個人的にマフィアものの映画は苦手な分野だったのですが、殺人のシーンはそれほど多くない今作はとても見やすかったりしました。むしろ会話劇が中心となり、無駄な会話なんてのがタランティーノっぽい気もするのですが、数々のギャング映画のオマージュも隠されているらしいです。まぁ、スコセッシ流と言ってしまえばそれだけなんですけどね。
スコセッシ監督はもともとシチリア系イタリア移民の家に生まれ、マフィアの支配する移民社会に育ったために、マフィア映画が多い。アル・パチーノもシチリア系移民の子、デ・ニーロもイタリア系の血を受け継いでいるという共通点。ちなみにラッセル役のジョー・ペシもイタリア系だ。
ストーリーとしても実在した人物を扱っているし、ジョン・F・ケネディ暗殺や弟のロバート・ケネディについても事実かわからないけどクローズアップしていた。トラック協会の組合と政治家との関わりや、大きな組織票となっていることを描く社会派面もあるのです。ジミー・ホッファは有名人すぎるのに対して、フランクは目立たずに暗殺をもこなす陰の実行犯。ちょっとしたことでキレてしまう、ラテン系の血が騒ぐといった様子や、それに対する地味に状況を判断して権力の構図を見極める能力。もう、一般人が立ち入ることが出来ないほどのマフィアのコミュニティが恐ろしいまでに描かれていました。復讐劇という点では『ギャング・オブ・ニューヨーク』の方が面白かったですけど。
音楽にも造詣が深いスコセッシ。自身でもジャズやロックのドキュメンタリーを撮っているのですが、この映画では50年代から60年代の音楽が満載。後半の転機となるところで流れていた「スリープ・ウォーク」が心情も表現していてとても良かった。
ただ、3時間超えやっぱり長い。フランクが1人残ったところからはカットしても差し支えなかった気もする。娘のペギーとの関係を描きたかったのもわかるのですが・・・。『アビゲイター』でもそうだったのですが、途中からお尻が痛くてたまりませんでした。ちなみに途中退席したカップルが1組。
人間は欲まみれで泥臭く生きていく
三時間半の長丁場だが、映画を観て長尺の必然性を納得した。どのシーンも全部必要なシーンで、無駄なシーンなどひとつもない。しかし物語は波乱万丈だ。削りに削った結果の三時間半だと思う。
大局的に言えば男たちの権力闘争であり、互いの肚の探り合いである。ロバート・デ・ニーロ演じる主人公フランク・シーランには、相手の言葉の端々に垣間見える本音を感じ取る鋭い感性がある。加えて「ペンキ屋」としての類稀な知識と行動力。これらを武器にフランクは、権力闘争をする男たちの間を乗り切っていく。それは一瞬でも気を抜いたら奈落に落ちてしまう厳粛な綱渡りでもある。
女たちは男たちの権力闘争を理解し安っぽい倫理観など捨て去って、清濁併せ呑みつつ男たちの稼ぐ金で贅沢をし、子供を育てる。思えば人類の歴史は戦争の歴史である。人殺しの大義名分の裏には私利私欲がある。そんなことは百も承知で男たちを受け入れ、したたかに生きてきた女たちの存在が人類を存続させてきた。
それがいいことなのかどうなのか、そんなことはどうでもいい。人間は欲まみれで泥臭く生きていくものだ。スコセッシがそう主張しているかのようである。そしてそれが本作品の世界観そのものだ。利己主義と保身と自己正当化が人間の本質なのだと冷徹に言い放っているかのようである。
出演者は大御所が揃っていて凡庸な演技は皆無である。スクリーンには常に緊張感が漂い、一瞬も目を離すことが出来ない。中でもアル・パチーノが特によかった。演じたジミー・ホッファは、常に裏の意味を持たせる会話をする登場人物たちの中にあって、ひとりだけ天真爛漫、子供がそのまま大人になったような人物である。表裏がないから絶大な人気を得ている。フランクもこの人物が大好きだ。
しかし自由奔放な精神は権力者にとって邪魔でしかない。フランクにはとても苦しい選択が待ち受けている。その時のデ・ニーロの淡々とした表情が凄い。苦しくて悲しくてやりきれない筈なのに、ただ黙々と運命を受け入れる。
タイトルは「アイリッシュマン」であり「アイリッシュパーソン」ではない。男は破壊と創造を求めるのに対し、女は融和と存続を求める。本作品は男の物語でなければならなかったのだ。
彼が守りたかったものは何だろうか?
ラストでFBI捜査官が、主人公に問う。
「みんな死んだ。誰のために秘密を守っているんだ?」と。
彼は何を守りたかったのだろうか?
国を守るため、第2次大戦で戦った。
家族を守るため、収入を増やしたくて、コソ泥を始めた。
(「グッドフェローズ」にも、ギャングがトラック運転手に賄賂を渡して積荷を頂くシーンがあった)
「副業」として、クリーニング屋を吹っ飛ばそうとしたら、親分(Hカイテル)が出資してる会社だと実行直前に判明。そうなれば、自分が生き残るために、依頼主を消すしかない。
それから「殺し」を請け負うようになる‥
本作は、マフィアもの、ではあるが、「ゴットファーザー」「グッドフェローズ」他のマフィアものとは違う。それは、「主人公が下っ端」ということ。
下っ端は言い過ぎか。「主体性が無い」というか「サラリーマンっぽい」というかな。
だから、「殺し」を請け負っても、特に自分の意思はなく、淡々の「仕事」をこなしていく。まるで「日常業務」かのように。
それは、その「日常業務」をこなすことが「家族を守る」ことになるから。
本作は「アメリカの戦後史」という面もある。
トラック労組、ホッファ、Rケネディ、JFK、キューバ、ラスベガス開発‥
特にホッファの人気は現代日本人から見れば驚き。ただの労組のリーダーでしょ。
(「グッドフェローズ」でも、羽振りが良いことの言い訳として「労組幹部だ」と嘘をつくシーンがある。ソ連(労働者の天国!)と冷戦中で、「最強の資本主義国」であるアメリカで、労組が巨大な権力を握っている、というのは皮肉ではないだろうか)
単なる「人気」に留まらず、自分を避けている娘が、ホッファのことは大好きで慕っている、ということが本作の肝でもある。
家族を守るために、汚い仕事を請け負い、刑務所まで行ったのに、
その家族は徹底的に自分を嫌い続けている。その悲哀が泣かせる。
仕事漬けのサラリーマンの父親が、家族から疎まれる、という日本中の家庭で見られる光景と、この「アイリッシュマン」がダブって見えてしまった。
(そこまでしたのに、若い介護職員はホッファが誰だか知らない、という現実まで見せつけられる。)
だからこそ、ラストシーンでは、自室の扉を開けて、外の音が聞こえるようにした。何も言わないが、それだけ孤独だ、ということ。
派手さは無い作品ではあるが、主人公たちの演技を見るだけでも価値がある映画。
惜しむべくは、主演俳優たちが年寄りすぎ。動きにキレがない。
彼らが俳優として最もアブラがのっていた頃、20年前頃かなあ。
その頃に本作が作られていれば‥と思うが、その頃は原作自体が無いし、CG技術も無いし、本作に資金を出そう、というNetflixもない、という無い物ねだりだな。
次は原作を読んで見よう。それでまた本作を見てみよう。
Bullet Painting
正直、もっと期待してた。スコセッシ、デ・ニーロ、アル・パチーノの顔ぶれなのに。
見慣れた、見飽きた、見尽くした感はあるマフィアワールドだけれど、決して退屈って訳じゃ無く。でも、深く心に滲みるって言う訳でも無く。だからと言って中途半端でも無く。ちょっと不思議な映画でした。
組合貴族の「暴力装置化」したマフィアでヒットマンを含む何でも屋をこなすデ・ニーロ。食肉を横流ししながら無罪を勝ち取った弁護士と組合への驚嘆がキッカケだとしても。戦地で簡単に捕虜を殺害して来た来歴があったとしても。ヒットマンへの転落だったり、娘のココロが離れていく様だったりは、じっくり描写して欲しかった気もするけれど。劇場版1本の尺には収まらんか。と言うか、無理やりに劇場版にしてないだろうか、って言う気もしました。
スコセッシにしては、ちょっとPOPな感じの演出も、俺的には違和感もあり。軽くおバカに話を運びながらも、グサグサ刺して来るタランティーノって、地味に凄いんだと思ったりしました。
人は、歳をとらないと時間の速さに気付かない
アメリカの黒歴史
3時間半のアメリカ裏社会大河ドラマ
Netflix配信のみと諦めていたが、まさかの我が県での1館1日1上映だけだが歓喜した。
40年代から現代までの裏社会をマフィアの殺し屋フランク"アイリッシュマン"の視点で描いている。突然激昂する短気な一面もあるが基本的には寡黙で不器用なほど素直な性格だ。
コツコツ汚れ仕事をこなすうちに州を束ねるボスに気に入られ、あのホッファにも信頼され組合幹部に抜擢される。殺し屋を続けながら。
末娘ペギー(子供の頃の子役が可愛い)には彼の正体を見破られて、ボスやその仲間には懐かなかった。唯一懐いたのがホッファだった。そのホッファを殺した事も彼女には気づかれていた。娘たちが巣立ち、老人ホームに入ったフランクとは遂に死ぬまで会うことがなかった。
意外と辛くなかった3時間半だった。
アメリカの戦後史をマフィアの視点で
3時間30分も耐えられるか? 最近こんなに長い映画みたことないぞ ...
やっぱ、映画は映画館で観たい(^^)
アップリンク渋谷という、とっても小さな小屋で、マーティン・スコセッシの「アイリッシュマン」を観る。Netflixが配給権を買ってしまったし、東京国際映画祭の特別公開はあっという間に売り切れちゃったので😱、映画館で観られない😢、とおもっていたら、こじんまりと期間限定公開したので、3時間半の長尺が気になりながらも鑑賞。
さすがにスコセッシで、映画文法的にもよく出来ており、見応えあるのだが、意外と地味な作り。二十世紀の実在の人物の映画なので、あまり飛んだり跳ねたりできないとは思うが。
欠点はやはり長すぎること。特に終わりのほう。映画館でなく、ネット配信なので、上映時間の縛りが甘くなっちゃったんだろう🤔
ロバート・デ・ニーロはいつもながら抑制効いた演技で達者なのだが、やっぱり、アル・パチーノはいくつになっても、ある意味老けない、筋の通った役者だなあ、と思う。
この2人(+ジョー・ペシ)の絡み合いを観るだけでも、2000円の価値あり。ネット公開じゃ勿体ないなあ、やっぱ。⭐︎4つ。
扉を開けておいてくれ
イオンシネマ様有難うございます‼️
老いたスコセッシ。
人はだれしも年老いていくものですが、この作品を観たときは愕然としました。スコセッシ、完全にヤキが回っています。登場人物の動作が緩慢で、会話のみで話が進行していきます。年を取った監督の多くに見られる悪弊です。年を取った俳優が身の丈に合った年相応の役どころに収まっていればいいのですが、デニーロにしてもアル・パシーノにしても若作りして若干、痛々しいところがあります。自動車が次々に爆破されていきますが、一人ひとり殺していくことが、若干、面倒くさくなったのか、スコセッシ、まとめて処理していきます。そこには殺していく側の心の揺れなどは読み取れません。全体的になんだか、肩透かしを食らったような気分です。上映自体がとても長く、また、登場人物がやたらと多く、字幕でプロフィールが紹介されてもとても把握しきれませんでした。あれもこれも、と話しを広げ過ぎたきらいがあります。デニーロはともかく、アル・パシーノには十分に演技するだけのスペースが与えられていないようにも思えました。
この監督に於いては本作品を遺作とすることなく、立派な死に花を咲かせて欲しいものです。
なにはともあれ上映してくれた、あつぎのえいがかん kiki に感謝。
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