アイリッシュマンのレビュー・感想・評価
全166件中、101~120件目を表示
長いけど退屈しない!
昨日観てきました。
いや〜3時間半ですよ、3時間半!やっぱ長い!
トイレもってよかった笑
でもさすがスコセッシ監督にデニーロ様、飽きることはありません。
マフィアのボス役ジョー・ペシも上手かったなぁ。ただの小さいおじさんではない!
これ、実話なんです。
ケネディ時代、70年代頃からのアメリカの裏社会ですね。
マフィアが全て関係してます。
大統領まで決めちゃうんだから…その力は国を動かすレベルだったのですね。
この時代に生まれた女は無力だな…(語弊ありますが、すみません)いつも内助の功、出る幕ないです。
やっぱり戦争に行って地獄見てきた男たちにはかないませんね。
もともとチンピラでもなんでもなかった、トラックの運ちゃんだったデニーロがマフィアにリクルートされてから徐々にその才覚を発揮し、のし上がっていく様は実に見ものです。
映画とはかくも難しいもの
栄枯盛衰
映画をきちんと理解するためには、様々な知識が必要だ。歴史や民族、宗教等の社会的知識。映像やストーリーの解釈、過去の映画、VFX等の映画的知識。本作はその有無で評価が大きく変わる、映画玄人向け映画と感じた。
私は残念ながら知識が無く、本作を全く楽しめなかった。ただ長いだけ。退屈。なんか目が離せない、良質な映画とはわかる。でもなぜだろう。
例えばアメリカの歴史。準主人公であるジミーホッファ。彼の生涯と謎に包まれた最期を知っているか。ケネディとの確執を知っているか。
例えば映像技術。全く違和感の無い、若い主人公達。これがどれ程凄いことか。同役者が演じることにより、何に成功したのか。
例えば映像の意味。なぜドアを開けておくのか。なぜ緑の棺桶を選ぶのか。なぜ聖書なのか。なぜ魚なのか。なぜ50年代の音楽なのか。誰に、なぜ話しているのか。この映像は誰のもの?
歴史的背景を知らないと
日本人は歴史的背景を詳しく知らないので難しいですよね。
労働組合の資金とマフィアの関係とかが知識として備わっている事が前提として無いと中々分からないですよね。
でも 見応えの有る作品でした。
前夜から水分控えて臨みました。
大胆な見え方だけど繊細で丁寧
史実を元になぞられる為とても勉強になった。
ロバート・デ・ニーロ演じるフランク・シーランが感情を表に出さない人柄の為、
娘の為に激昂したり、ジミー・ホッファを殺害する前後、
そして終活をするラストに胸が軋んだ。
表題の通りで、Netflixだからこそ出来た映画かなと。
下手にショートカットされたり、二部作等にならずよかったです。
マフィアの視点からの戦後のアメリカ
とにかく長くて観終わった時の疲労感がけっこうありました
すごい豪華キャスト揃いのだんだんと歳を重ねていく名演
やっぱりロバート・デ・ニーロは好きな俳優さんだと改めて思いました
ロバート・デ・ニーロ演じるフランク、ただのトラック運転手からマフィアの殺し屋になっていく人生、お金と権力を掴んでいくけど、娘たちとは疎遠になり、それで良かったのだろうか
普通に家族とこじんまりとした幸せな人生を送っていった方が幸せなように思えます
それが孤独な老年になっての「ドアは少し開けといてくれ」の言葉に表れているように思いました
レジェンドだらけな満腹感
個人評価:3.8
闇社会で生きた男の半生をとても重厚に描く。
見終わった後は、まるで長い時間をかけて鉛でできた葉巻を吸い終わったような、ずっしりとした後味を残す。さすがレジェンド俳優達の生き様と、スコセッシの業である。
ゴッドファーザーのアルパチーノとデニーロの、スピンオフ的な共演も、ファン心をくすぐる夢のキャスティング。
歴史は塗り替えても己の過去は塗り替えられぬ
NETFLIXには加入してるけど。してるけど!
この作品はもう劇場で観たくて堪らなかったので、鑑賞料より高い交通費を払って劇場鑑賞!
だってあぁた、監督マーティン・スコセッシ&出演デニーロ/パチーノ/ジョーペシ/カイテルという二度と見られないかもしれない超豪華布陣ですよ!
おまけにこの顔ぶれで第二次世界大戦後アメリカの巨大な闇のひとつ、ジミー・ホッファを題材としたギャング映画を撮るって言うんですよ!
そりゃもうヨダレが口から放射熱線状態ですよッ!(劇場に来ないで)
ジミー・ホッファという人物は日本ではそこまで知名度は高くないかと思うが(色んな映画でちょいちょい名前は出てくる)、本作にはホッファの他にも戦後アメリカ史における重要人物・事件が次々と登場する。
ネタバレ指定で書いてしまってもしようがないかもだが……鑑賞予定の方は
①ジミー・ホッファの経歴
②キューバ危機(特にピッグス湾事件)
③ジョン・F&ロバート・ケネディ(特にロバート)
くらいを軽く下調べしておくと非常に楽しめるかと。
...
本作は上映時間209分という相当な長尺。だが、そこはさすがスコセッシ監督。テンション爆発の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(180分)、静謐極まる『沈黙』(161分)と同じく、長尺を感じさせない恐ろしいほどのリズム感覚は驚異。(トイレにはめっちゃ行きたくなったが)眠気には全く襲われず、むしろどんどん銀幕に見入ってしまっているんである。
スコセッシ監督作を鑑賞していつも感じるのは、映画全体がまるで巨大な楽曲のように構築されているという感覚。
本作は主人公フランクを中心に3つのタイムラインを自在に行き来しつつ、更にそこに他キャラクターの挿話がアドリブのように挟み込まれる。これによって生み出される感覚は、“テンポが良い”≒“小気味良いリズムを刻み続ける”とはちょっとニュアンスが違っていて、言うなれば静と動のリズムがまるで複雑にうねる波のように伝わってくる感覚とでも言うか。
誤解を恐れず書くと、本作は終盤が長い。本作の最初の2.5時間は饒舌な音楽とパワフルな演出によって飛ぶように過ぎ去るが、そこから音楽も消え失せフランクが“減衰”してゆく残り1時間は長く重苦しい。だがそれは、この『アイリッシュマン』というひとつの“楽曲”を完成させる上で必要な長さであったと感じられるのである。
...
その楽曲を支えるのが、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシというアメリカ映画史を支え続けた名優達の共演。
もうね、1人出るだけで画がバシッと締まるようなパワフルな俳優が3人揃い踏みするとですね、画が締まり過ぎて破裂するんじゃないっかってくらいの物凄い密度と説得力の映像になりますよ、やっぱ。
労組組合の代表として絶大な権力を持ったジミー。演説シーンでのカリスマ性や、権力を振るう時の傲慢な表情も良いが、数少ない友人であるフランクと一対一で接する時の安堵しきった優しげな表情が、じわりじわりと泣けてくる。
大物マフィアのラッセルは、小さく物腰柔らかな好好爺で面倒見は良いし仁義もあるが、それでも彼はあくまで“組織”の人間。いざとなれば血も凍るような決断も下せる男だ。冷たいサラダをこさえながらフランクにジミー殺しを命じるシーンの非情さよ。
そして“家塗り職人”フランク。
ベトナム戦争で従軍していた時と同じく、忠実に機械的に自分の仕事をこなせば、家族を養えるだけの報酬を受け取れる。仲間や組織からの信頼も得られる。だから彼はただ淡々と仕事をこなす(論理的で鮮やかな“クレイジー・ジョー”殺しが凄い)。
だがジミーとの出会いそして彼の凋落をきっかけに、フランクが盲目的に信じ行ってきたことが彼の中で壊れてゆく。
主要3人の共演シーンはどれも物凄い見応えなのだが、なかでも3人の友情が終わりを迎える“最後通告”のシーンには胸が詰まった。ジミーを庇いたいのに立場上そうはいかないラッセルの苛立ちも分かるし、ジミーは自分の性分はどうしても曲げられないものだと自分で理解しているし、2人に板挟みになってその顔に深い深い皺を刻むフランクの苦渋の表情は未だに忘れ難い。
そしてジミー殺しの場面。
ジミーは自分の後頭部に銃弾が撃ち込まれる最期の瞬間まで、フランクのことを心から信頼していた。そもそもフランクがあの場にいなければ、ジミーはのこのこと自身の“処刑場”に馳せ参じはしなかったろう(それもラッセルの冷徹な読みだったのだと思う)。そんな風に自分を信じてくれた友の命が、乾いた銃声たった2つで絶たれるシーンの、あの悲しいくらいの軽さとあっけなさ。
...
歴史を動かすような“仕事”をこなし続けたフランク。
だがどれだけ大きな仕事をこなしても、その職を退けば組織で得た信頼など何にもならないし、かつての仲間達も次々に自分の人生から消えてゆく。
一方、自分を心から信じてくれた男を裏切った後悔の念と、愛する娘から注がれる愛情ではなく恐怖の眼差しは、決して消えない。どんな汚れ仕事も正確無比にこなしてきたフランクが、娘の「なぜ?」というたった一言に狼狽える姿が悲しい。
先ほど本作を楽曲と例えたが、ラッセルがジミー殺しを命じる辺りから、それまで饒舌に流れていた音楽も一気にフェードアウトする。それはまるでフランク達自身の人生がフェードアウトしていく様を表しているかのよう。
チームスター台頭、キューバ危機、JFK暗殺など、戦後アメリカ史を揺るがす事件の巨大な歯車として暗躍し続けた3人の男たち。
だが、ジミーはその死を確かめられることすらなく消え失せ、ラッセルは小さく小さく車椅子に縮こまったまま消え失せ、そしてフランクも、心を許せる誰かに看取られることなく、この世から消え失せようとしている。
どれほどに歴史を動かした“老兵”であろうと、いつしか歴史の闇に埋もれて忘れ去られ、やがては自分自身の人生にすら忘れ去られて消えてゆく。なんという無常か。
最後、生前のジミーと同じく「扉を少し開けておいてくれ」とフランクは頼んだ。
敵だらけだったジミーは、『扉の向こうに自分を守ってくれる奴がいてくれる』という安心を感じたまま眠りたかったんだろうか。
そしてフランクがジミーと同じ頼みを口にしたのは、友を裏切ったことへの後悔や悼みの念からだろうか。それとも、自分もまだ扉の向こうの世界の誰かと繋がってるはずだと信じなければ、安心したまま独りでは眠れなかったんだろうか。
歴史に名を残すよりも、最期の眠りにつく時、誰かが隣にいてくれること。自分自身にとってそちらの方がずっと価値ある人生なのかもしれない。巨大な歴史の闇を描きながらも、そんなミニマムな悲しみに収束する傑作サーガ(大河)。
<2019.11.23鑑賞>
.
.
.
.
長い余談:
スコセッシの例の話題について。
面倒なのであまり細かくは書かないが……特定のコンテンツを名指しして槍玉に上げたのはとても褒められないものの……『アイリッシュマン』を観た今、スコセッシの“例の不満”は、売れる映画しか作(ら)れなくなった米映画界全体に向けたものだったのだろうと改めて思う。
『アイリッシュマン』はいまや数少ない大河映画で、残念ながら全世界で数億ドルを稼げるようなエンタメ映画では、恐らく無い。だが本作には興収などでは測れない価値がある。米国そして映画人達の歴史をひとつの作品として構成してみせた本作は、楽曲・絵画・文章・演劇では表現不能な、まさしく『映画』と呼称する外に無い味わいがある。
豊富な資金があるとはいえ、劇場公開を前提としないNetflixの元で映画を撮ることは、スコセッシのような“映画家”にとって忸怩たる想いがあったに違いない(そこも僕が劇場で本作を観たかった大きな理由のひとつ)。
1990年、邦画界から冷遇されていた黒澤明がスピルバーグ等の出資で実現させた作品『夢』。そこに画家ゴッホ役として友情出演していたスコセッシを思い出した。ここに来て彼の境遇が、当時の黒澤監督とダブって見えた。
それは無論、僕もド派手で楽しく爽快感のある映画は大好きだ。親しみがいがあり共感できるキャラクターが登場する映画は大好きだ。きっと誰だって、それが映画好きになったきっかけなのだし。
だけどそれだけでは――それだけを求めては、『夢』『乱』のような心の臓に深く刻まれるような映画は産み出されなかったとも強く思う。『アイリッシュマン』も然り。頑なな生き方は悲しかろうと共感されざろうと、それはそれで国の歴史であり、人の歴史。映画として描くべき人の姿だと思う訳で。
最初に書いた通りスコセッシの例の発言を100%肯定はしないが、エンタメであれアートであれ、どちらの種類の映画も全力で作り手が取り組めるように制作会社の方々には舵取りをしていただけると嬉しいです。理想論だろうけどね。
長いけど、飽きません。
予備知識なしに観ましたが飽きませんねえ。。
物語に引き込まれます。
演者が素晴らしいのもともかく、ストーリーも次はどうなるか?というワクワク感が
あり、あっという間に時間が過ぎました。
ほんとにNetflix、入ろうかなあ、、って思いました。
お勧めします!
スコセッシマフィア映画集大成
監督の集大成映画と言えそうな3時間半。マフィアの話というよりアメリカ裏歴史をも描いた大作。長いがそこはスコセッシ監督、見事な語り口で飽きさせない。
デニーロの語りによる導入から、連射の如く繰り出されるバイオレントなエピソード・絶妙な音楽の使い方・贅沢な俳優布陣、もうクラクラするほどたまらんです。最新技術により幅広い年代を演じているものスゴイ(違和感なかった)
スコセッシ組に参加したアルパチーノは濃いキャラを演じて負けてなかったですね。デニーロとがっぷり組んで演じるシーンも多数で見応えあり。始終困り顔のデニーロはもはや名人芸の域に。
後半1時間が今までのスコセッシマフィア映画にはない展開。宗教観もチラリと見せて。老いてゆく姿をしっかり描くのは今の監督の心境が現れているのかもしれぬ、などと思ったり。
とにかく贅沢な作りで、これが配信会社で作られるのも時代という感じがしました。
体感二時間くらいな三時間半
Netflexプレゼンツなスコセッシの今作は、贅沢にスターを大集合させ、濃厚なストーリーだが、夢中になるので気がつくと終わっている。よくあの俳優たちを揃えたな、と思うが、実質2本ぐらい映画を見ているに近いので、2倍くらい豪華でもいいのかも。
かなりの情報量だが混乱もなく、テンポも早く、数えなかったがかなりの量の赤ペンキが飛ぶ。容赦がない。編集の妙なのか、スタイリッシュさと合理性を兼ね備えたストーリーテリングだった。
興味深かったのは、ヒットマンだったフランクをロバート・デ・ニーロが演じ、当時を告白するのだが、説得力があり、なぜか見ていると自分が納得してしまったことだった。脚本がすごいのか演出がすごいのか演技がすごいのかその全てなのか。
スコセッシといえば最近ブラックバスター系映画に対する批判で話題になっていたが、資金繰りが難しいとか映画館のスクリーン確保が難しいとか、想像は易いので批判の理由はわからなくない。でも例えば個人的にはこの映画をIMAXで見たいとは思わない。かといってアート系単館っぽくもない。ミドルサイズのスクリーンがいいんだろうなぁと思うが、3時間半だと他の映画なら二回上映できるのでやはり難しいと思う。そうするとNETFLEXという比較的自由のきく提供元はそんなに間違ってもいない気がする。
ハードボイルド×人間臭さの絶妙な融合
これから観ようと思っている方で以下に当てはまる方は鑑賞前に「ジミー・ホッファ」をwikipediaでざっとでいいので読むことをオススメします。
・好きなスコセッシ過去作があるから何となく今回も観たい
・デニーロ、パチーノ、ペシが好きだから何となく観たい
・けど今作の背景となるアメリカの歴史はあまり知らない
これ、私です。
計2回観たが、1回目は中盤あたりまでついていくのが大変だった。何故なら登場人物が多くて場面の切り替わりも頻繁なので「あれブルーノって誰だっけ?」「トニーはどいつだっけ?」てな感じでしばしば混乱をきたしたから。
改めてホッファやケネディ政権時代のアメリカ、キューバ危機やフィデルカストロなどざっくりwikiったら2回目は理解度が全然違った。そしてその背景となる時代を知れば知るほど作品の奥行きを感じられることでしょう。
とはいえ、1回目がつまらなかったかと言うとそうではない。何故なら三人のメインキャラが非常に濃くてしかも三者三様に魅力があるからだ。多少の知識不足は問題にせず彼等がその世界観へと引き込んでくれるだろう。
フランクは情に厚く仕事もできてペンキ塗りも淡々とこなす冷徹さも持っていると思えば家族のこととなると不器用なダメ親父なのが我々に親近感を湧かせる。
ラッセルは見た目は温和な可愛いおじいちゃんだがその実、裏社会を仕切るマフィアの大物と言うギャップが萌える。
ホッファは豪放磊落、大胆不敵、勇猛果敢で頑固一徹、少年誌の主人公にぴったりな派手なキャラクターは物語全体をも活気づけて止まない。
私が特に好きなのは、フランクが冷酷無比に仕事をこなしていく合間合間に、娘・ペギーとのエピソードを挟んで来るところだ。これが私のような歴史に疎い人間でも容易に引き込んでしまう要因だろう。このハードボイルドさと人間臭さの塩梅が絶妙。
見終えたあとはとても切ない気持ちになり、歳を重ねるごとにまた違った感想を抱かせてくれそうな良い作品だった。
裏社会から見た実録の米国戦後史
動画配信サービス・Netflixでの配信のみと諦めていましたが、配信前に日本国内の一部劇場での公開が決定し、ここ京都府のイオンシネマ京都桂川でもお昼と夜間の1日2回上映して下さっていて、とても助かりました。
イオンシネマ京都桂川様、今回もどうも有り難うございました。
監督はマーベル映画の批判発言で老いて尚お盛んなマーティン・スコセッシ。
スコセッシ組のロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテルといった名優たちが集結し、さらにはアル・パチーノが初参加。
個人的にはマフィアものの映画は苦手な分野であまり鑑賞した事も無いのですが、今作では、殺人のシーン自体はそれ程多くないので案外観易かったですね。むしろクルマの爆破シーンが多かったですね。
戦後の米国の裏社会に生きた無法者たちを描いた作品であり、実在の<アイリッシュマン>とも呼ばれる、いちトラック運転手であったフランク・シーランが、やがて殺し屋と身をやつしていく過程を、ロバート・デ・ニーロが演じ、彼の回想形式で物語は進行していきます。
ただ、正直、最初の方は数多くの登場人物の名前や相互関係が全く分かっていなかったので、イマイチな作品かなといった印象を持ちましたが、徐々に配役同士の相関関係がクリアになっていき、さらには、歴史上の有名な人物であるJFKの大統領選挙の際の集票マシンと化したり、ロバート・ケネディ司法長官に執拗に問い詰められている辺りから、裏社会から見た米国戦後史と交錯して、俄然面白くなり、その後も、キューバ危機やJFK暗殺事件、ウォータゲート事件、年金運用資金の横流しによるラスベガス開発などに関与し、虚実入り交じりながら様々な事件に登場人物が裏社会で絡んだ事が語られていくので、裏社会から見た米国戦後史に少しでも興味がある人にとっては凄く面白い作品になっていたかと思います。
その中でも、ヤマ場は、1975年の全米トラック運転手組合の委員長ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の失踪事件。
このホッファの右腕であり、さらに、裏社会のボス、ラッセル・バッファリーノ(ジョー・ペシ)からも目をかけられている<アイリッシュマン>ことフランク・シーランの、その綱渡り状態、板挟み状態が見どころでもありました。
そのマフィア稼業ゆえに家族からも白い目で見られ、孤独な老後を送る男の悲哀も描かれ、胸に迫るものがありました。
ただ出演者がみな高齢のせいか、会話のシーンがかなりを占めて、アクション自体は少なめ。
スコセッシ監督の得意とされるマフィア映画でしたが、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ共に若かりし頃から晩年までをメイクやCG技術で演じ切り、特にデ・ニーロの顔を若返らすなど技術の進歩のほどには驚かされました。
丁寧に人生を俯瞰するためなのか、それとも上映時間に制約のない配信作品だからか、なかなかの長尺作品ですが、構成にややメリハリが欠けると思われるところもあり、本編3時間29分に予告編を加えて、正味約4時間近くのイッキ見上映は、映画の内容的には面白かったのですが、正直長くて、かなりしんどかったですね。
実際に、インターミッションなどのトイレ休憩も一切ないので、上映中に中座してトイレに立つ観客もかなり多かった事からすれば、途中休憩の時間を作って欲しかったのが正直なところでした。
私は、幸いにして、EDロール最後まで、どうにか膀胱も保ってくれましたが、予告編を削るか或いは途中休憩を挟むかどちらかで少しでも鑑賞時間を短くする努力を図って、対応して欲しかったですね。約4時間近くも中座も出来ないのはちょっと辛かったですね。
私的な評価としましては、
豪華名優そろい踏みに胸が高まる映画でしたし、マフィアの裏社会から見た米国戦後史という着眼点が面白く、ましてや実録のノンフィクションとの事で、歴史上の有名な人物や事件の背後関係も描かれている点で、米国戦後史に興味のある私にはドンピシャで面白い映画でした。
従いまして、満点評価であってもおかしくないくらいの傑作でしたが、但しながら、上映時間が長過ぎる点でかなりしんどい思いをしたのも確かでしたので、その点を星半分(0.5点)マイナスさせて頂き、五つ星評価的には、ほぼ満点の四つ星半の★★★★☆(4.5点)の評価とさせて頂きました。
※尚、Netflix配信作品の今作は限定上映でもあることから、パンフレットに類する物は製作・販売されていないのですが、映画雑誌・映画秘宝の最新号(女優のんさんが表紙の2020年1月号)に、『アイリッシュマン』究極攻略&Netflix実録殺人映画大全といった特集記事が載っていますので、ぜひ参考書籍として購入されれば、より今作の理解が深まるかとも思います。
何故だか・・・
マーベル発言で老いて尚お盛んなスコセッシの新作、名優達の共演となればNetflixではなく劇場で観るのが筋ってもんでしょ。
200分を超える上映時間に多少身震いしつつもオープニングの長回しから、"あぁ映画観てる・・・"と没入感全開だ。
正直最初は登場人物の名前や相互関係がさっぱりなので、頭の中が混乱しつつも徐々にそれらがクリアになると映画の長さなど何処吹く風、ストーリーが面白く名優の演技も熱くるしいくらいだ。
そしてアメリカの歴史の裏側、政治とマフィア、低所得層の利権争いがもうウンザリ・・・いや、これでもかと思うほど見せつけられる。
あぁ、映画、映画ってこういろいろ考えらせられて楽しむもんだよなぁ。
しかしこういった映画は、映画を軽く楽しみたい人違には全く無縁なんだろうなぁとしみじみしてしまう。
そしてまだ分からないのだが観てる時はずっと面白かったのに、何故だかこの映画、あまり記憶に残らない。もう一回見たいかと思えば、そうでもない。なんだろね、この感覚。
何となくゴッドファーザーに似た音楽、あっさり目のカメラワーク。そうかこの映画にはゴッドファーザーやワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカにあったような重厚感や哀愁、目に焼き付く名場面が足りないのか(もしくは感じなかった)。
タランティーノのワンス~ハリウッドの方を見終わった感覚に近いと言うか。
で星は3.5
ONCE UPON A TIME IN…
あの映画でデニーロは友に裏切られた主人公を演じてました。他の仲間を皆消してデニーロに罪をなすりつけて権力者となった友は許しをデニーロに請います。デニーロは答えます。「昔友達がいた。良い友達だった….でも死んだんだ」と。友はその後清掃車に身を投げます。
この映画でのデニーロは友を裏切った主人公です。その恥を墓場まで持っていかなければならない裏社会の掟。神に懺悔することすらできない。煉獄とはこのことだと思います。ボスは、「やり過ぎたかな」と呟いて教会に行き、さっさと居なくなってしまいます。娘は主人公のした裏切りを決して許しません。攻め続けます。世間は過去の失踪事件などとっくに忘れてます。
孤独なデニーロ、最後神父が部屋を出て行く時、ドアを少し開けておいて欲しいと願います。
私は、ゴッドファーザーのラスト、ドアがピシャリと閉まるあのシーンを思い出しました。非情の裏社会と日常を分けへだてるドア。
「俺は決して非情な心だけで、あなたを手にかけた訳ではないんだよ…」というサインに見えました。
ゴッドファーザーの閉まるドアの先にいたのは、アルパチーノでした。決してあなたを忘れた訳でも憎かった訳ではないんだよ…と。
ようやく見分けがついたデ・ニーロとパチーノ
『ゴッドファーザーⅡ』、『ヒート』、『ボーダー』に続いて4作目の共演となる二人。映画のネタともなった区別がつかない件もこの作品では違いがよーくわかる。黒子だけではなかった。キレたときの声質、落ち着き度が全く違っていたのだ。アル・パチーノは79歳になってるにもかかわらず、キレるときはキレる!全米トラック協会での演説なども凄い迫力だった。
個人的にマフィアものの映画は苦手な分野だったのですが、殺人のシーンはそれほど多くない今作はとても見やすかったりしました。むしろ会話劇が中心となり、無駄な会話なんてのがタランティーノっぽい気もするのですが、数々のギャング映画のオマージュも隠されているらしいです。まぁ、スコセッシ流と言ってしまえばそれだけなんですけどね。
スコセッシ監督はもともとシチリア系イタリア移民の家に生まれ、マフィアの支配する移民社会に育ったために、マフィア映画が多い。アル・パチーノもシチリア系移民の子、デ・ニーロもイタリア系の血を受け継いでいるという共通点。ちなみにラッセル役のジョー・ペシもイタリア系だ。
ストーリーとしても実在した人物を扱っているし、ジョン・F・ケネディ暗殺や弟のロバート・ケネディについても事実かわからないけどクローズアップしていた。トラック協会の組合と政治家との関わりや、大きな組織票となっていることを描く社会派面もあるのです。ジミー・ホッファは有名人すぎるのに対して、フランクは目立たずに暗殺をもこなす陰の実行犯。ちょっとしたことでキレてしまう、ラテン系の血が騒ぐといった様子や、それに対する地味に状況を判断して権力の構図を見極める能力。もう、一般人が立ち入ることが出来ないほどのマフィアのコミュニティが恐ろしいまでに描かれていました。復讐劇という点では『ギャング・オブ・ニューヨーク』の方が面白かったですけど。
音楽にも造詣が深いスコセッシ。自身でもジャズやロックのドキュメンタリーを撮っているのですが、この映画では50年代から60年代の音楽が満載。後半の転機となるところで流れていた「スリープ・ウォーク」が心情も表現していてとても良かった。
ただ、3時間超えやっぱり長い。フランクが1人残ったところからはカットしても差し支えなかった気もする。娘のペギーとの関係を描きたかったのもわかるのですが・・・。『アビゲイター』でもそうだったのですが、途中からお尻が痛くてたまりませんでした。ちなみに途中退席したカップルが1組。
全166件中、101~120件目を表示