アイリッシュマンのレビュー・感想・評価
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スコセッシ教授のアメリカ暗黒現代史講座
仁義を亡くして視認できない“苦行”を背負った一人の男
圧倒的名作だった。
傑作では到達不能の本気の名作映画だった。
アメリカの闇の歴史に関わっていた一人の男、フランク・シーラン、またの名を“アイリッシュマン”のドラマ。正直衝撃的な場面がいくつもいくつもやってきて、でもド派手に見せはせず、即物的に見せていく。強烈に刻むために、淡々と紡ぐ手腕。多分マーティン・スコセッシにしかできない表現だと思う。
一番はホッファの末路。精神的苦悩と迷いが溢れそうになっているのに、表情では決して見せないシーランの因果な才能。よりにもよって尊敬し、唯一の友を殺したのに、感情と身体と思考が切り離せない過酷な状態。あんなに見えない視認できない苦行ってのは初めて見た。デ・ニーロが凄いってのは勿論だけど、だけじゃない。スコセッシと負けず劣らず素晴らしかったパチーノ、ペシ!あの人たちが素晴らしいから、デ・ニーロも素晴らしかった。相乗という言葉が、これほど似合うの久々だった!
アメリカ史に疎い身なのにこれほど没頭させられるのは、とても嬉しい驚きだったし、何よりスッゴく幸せだった。Netflixの株を上げて、パラマウントは逆に下がった。少なくともボクはそういう認識だった。勿体ない!
本年度ベストなんかじゃ『アイリッシュマン』には足りない。それ以上の称号でないと、この映画は語れない!!!映画ファン、絶対見ろ!!!
すべてのマフィア映画へのレクイエム
長いけど退屈しない!
昨日観てきました。
いや〜3時間半ですよ、3時間半!やっぱ長い!
トイレもってよかった笑
でもさすがスコセッシ監督にデニーロ様、飽きることはありません。
マフィアのボス役ジョー・ペシも上手かったなぁ。ただの小さいおじさんではない!
これ、実話なんです。
ケネディ時代、70年代頃からのアメリカの裏社会ですね。
マフィアが全て関係してます。
大統領まで決めちゃうんだから…その力は国を動かすレベルだったのですね。
この時代に生まれた女は無力だな…(語弊ありますが、すみません)いつも内助の功、出る幕ないです。
やっぱり戦争に行って地獄見てきた男たちにはかないませんね。
もともとチンピラでもなんでもなかった、トラックの運ちゃんだったデニーロがマフィアにリクルートされてから徐々にその才覚を発揮し、のし上がっていく様は実に見ものです。
映画とはかくも難しいもの
栄枯盛衰
映画をきちんと理解するためには、様々な知識が必要だ。歴史や民族、宗教等の社会的知識。映像やストーリーの解釈、過去の映画、VFX等の映画的知識。本作はその有無で評価が大きく変わる、映画玄人向け映画と感じた。
私は残念ながら知識が無く、本作を全く楽しめなかった。ただ長いだけ。退屈。なんか目が離せない、良質な映画とはわかる。でもなぜだろう。
例えばアメリカの歴史。準主人公であるジミーホッファ。彼の生涯と謎に包まれた最期を知っているか。ケネディとの確執を知っているか。
例えば映像技術。全く違和感の無い、若い主人公達。これがどれ程凄いことか。同役者が演じることにより、何に成功したのか。
例えば映像の意味。なぜドアを開けておくのか。なぜ緑の棺桶を選ぶのか。なぜ聖書なのか。なぜ魚なのか。なぜ50年代の音楽なのか。誰に、なぜ話しているのか。この映像は誰のもの?
歴史的背景を知らないと
大胆な見え方だけど繊細で丁寧
史実を元になぞられる為とても勉強になった。
ロバート・デ・ニーロ演じるフランク・シーランが感情を表に出さない人柄の為、
娘の為に激昂したり、ジミー・ホッファを殺害する前後、
そして終活をするラストに胸が軋んだ。
表題の通りで、Netflixだからこそ出来た映画かなと。
下手にショートカットされたり、二部作等にならずよかったです。
マフィアの視点からの戦後のアメリカ
レジェンドだらけな満腹感
歴史は塗り替えても己の過去は塗り替えられぬ
NETFLIXには加入してるけど。してるけど!
この作品はもう劇場で観たくて堪らなかったので、鑑賞料より高い交通費を払って劇場鑑賞!
だってあぁた、監督マーティン・スコセッシ&出演デニーロ/パチーノ/ジョーペシ/カイテルという二度と見られないかもしれない超豪華布陣ですよ!
おまけにこの顔ぶれで第二次世界大戦後アメリカの巨大な闇のひとつ、ジミー・ホッファを題材としたギャング映画を撮るって言うんですよ!
そりゃもうヨダレが口から放射熱線状態ですよッ!(劇場に来ないで)
ジミー・ホッファという人物は日本ではそこまで知名度は高くないかと思うが(色んな映画でちょいちょい名前は出てくる)、本作にはホッファの他にも戦後アメリカ史における重要人物・事件が次々と登場する。
ネタバレ指定で書いてしまってもしようがないかもだが……鑑賞予定の方は
①ジミー・ホッファの経歴
②キューバ危機(特にピッグス湾事件)
③ジョン・F&ロバート・ケネディ(特にロバート)
くらいを軽く下調べしておくと非常に楽しめるかと。
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本作は上映時間209分という相当な長尺。だが、そこはさすがスコセッシ監督。テンション爆発の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(180分)、静謐極まる『沈黙』(161分)と同じく、長尺を感じさせない恐ろしいほどのリズム感覚は驚異。(トイレにはめっちゃ行きたくなったが)眠気には全く襲われず、むしろどんどん銀幕に見入ってしまっているんである。
スコセッシ監督作を鑑賞していつも感じるのは、映画全体がまるで巨大な楽曲のように構築されているという感覚。
本作は主人公フランクを中心に3つのタイムラインを自在に行き来しつつ、更にそこに他キャラクターの挿話がアドリブのように挟み込まれる。これによって生み出される感覚は、“テンポが良い”≒“小気味良いリズムを刻み続ける”とはちょっとニュアンスが違っていて、言うなれば静と動のリズムがまるで複雑にうねる波のように伝わってくる感覚とでも言うか。
誤解を恐れず書くと、本作は終盤が長い。本作の最初の2.5時間は饒舌な音楽とパワフルな演出によって飛ぶように過ぎ去るが、そこから音楽も消え失せフランクが“減衰”してゆく残り1時間は長く重苦しい。だがそれは、この『アイリッシュマン』というひとつの“楽曲”を完成させる上で必要な長さであったと感じられるのである。
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その楽曲を支えるのが、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシというアメリカ映画史を支え続けた名優達の共演。
もうね、1人出るだけで画がバシッと締まるようなパワフルな俳優が3人揃い踏みするとですね、画が締まり過ぎて破裂するんじゃないっかってくらいの物凄い密度と説得力の映像になりますよ、やっぱ。
労組組合の代表として絶大な権力を持ったジミー。演説シーンでのカリスマ性や、権力を振るう時の傲慢な表情も良いが、数少ない友人であるフランクと一対一で接する時の安堵しきった優しげな表情が、じわりじわりと泣けてくる。
大物マフィアのラッセルは、小さく物腰柔らかな好好爺で面倒見は良いし仁義もあるが、それでも彼はあくまで“組織”の人間。いざとなれば血も凍るような決断も下せる男だ。冷たいサラダをこさえながらフランクにジミー殺しを命じるシーンの非情さよ。
そして“家塗り職人”フランク。
ベトナム戦争で従軍していた時と同じく、忠実に機械的に自分の仕事をこなせば、家族を養えるだけの報酬を受け取れる。仲間や組織からの信頼も得られる。だから彼はただ淡々と仕事をこなす(論理的で鮮やかな“クレイジー・ジョー”殺しが凄い)。
だがジミーとの出会いそして彼の凋落をきっかけに、フランクが盲目的に信じ行ってきたことが彼の中で壊れてゆく。
主要3人の共演シーンはどれも物凄い見応えなのだが、なかでも3人の友情が終わりを迎える“最後通告”のシーンには胸が詰まった。ジミーを庇いたいのに立場上そうはいかないラッセルの苛立ちも分かるし、ジミーは自分の性分はどうしても曲げられないものだと自分で理解しているし、2人に板挟みになってその顔に深い深い皺を刻むフランクの苦渋の表情は未だに忘れ難い。
そしてジミー殺しの場面。
ジミーは自分の後頭部に銃弾が撃ち込まれる最期の瞬間まで、フランクのことを心から信頼していた。そもそもフランクがあの場にいなければ、ジミーはのこのこと自身の“処刑場”に馳せ参じはしなかったろう(それもラッセルの冷徹な読みだったのだと思う)。そんな風に自分を信じてくれた友の命が、乾いた銃声たった2つで絶たれるシーンの、あの悲しいくらいの軽さとあっけなさ。
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歴史を動かすような“仕事”をこなし続けたフランク。
だがどれだけ大きな仕事をこなしても、その職を退けば組織で得た信頼など何にもならないし、かつての仲間達も次々に自分の人生から消えてゆく。
一方、自分を心から信じてくれた男を裏切った後悔の念と、愛する娘から注がれる愛情ではなく恐怖の眼差しは、決して消えない。どんな汚れ仕事も正確無比にこなしてきたフランクが、娘の「なぜ?」というたった一言に狼狽える姿が悲しい。
先ほど本作を楽曲と例えたが、ラッセルがジミー殺しを命じる辺りから、それまで饒舌に流れていた音楽も一気にフェードアウトする。それはまるでフランク達自身の人生がフェードアウトしていく様を表しているかのよう。
チームスター台頭、キューバ危機、JFK暗殺など、戦後アメリカ史を揺るがす事件の巨大な歯車として暗躍し続けた3人の男たち。
だが、ジミーはその死を確かめられることすらなく消え失せ、ラッセルは小さく小さく車椅子に縮こまったまま消え失せ、そしてフランクも、心を許せる誰かに看取られることなく、この世から消え失せようとしている。
どれほどに歴史を動かした“老兵”であろうと、いつしか歴史の闇に埋もれて忘れ去られ、やがては自分自身の人生にすら忘れ去られて消えてゆく。なんという無常か。
最後、生前のジミーと同じく「扉を少し開けておいてくれ」とフランクは頼んだ。
敵だらけだったジミーは、『扉の向こうに自分を守ってくれる奴がいてくれる』という安心を感じたまま眠りたかったんだろうか。
そしてフランクがジミーと同じ頼みを口にしたのは、友を裏切ったことへの後悔や悼みの念からだろうか。それとも、自分もまだ扉の向こうの世界の誰かと繋がってるはずだと信じなければ、安心したまま独りでは眠れなかったんだろうか。
歴史に名を残すよりも、最期の眠りにつく時、誰かが隣にいてくれること。自分自身にとってそちらの方がずっと価値ある人生なのかもしれない。巨大な歴史の闇を描きながらも、そんなミニマムな悲しみに収束する傑作サーガ(大河)。
<2019.11.23鑑賞>
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長い余談:
スコセッシの例の話題について。
面倒なのであまり細かくは書かないが……特定のコンテンツを名指しして槍玉に上げたのはとても褒められないものの……『アイリッシュマン』を観た今、スコセッシの“例の不満”は、売れる映画しか作(ら)れなくなった米映画界全体に向けたものだったのだろうと改めて思う。
『アイリッシュマン』はいまや数少ない大河映画で、残念ながら全世界で数億ドルを稼げるようなエンタメ映画では、恐らく無い。だが本作には興収などでは測れない価値がある。米国そして映画人達の歴史をひとつの作品として構成してみせた本作は、楽曲・絵画・文章・演劇では表現不能な、まさしく『映画』と呼称する外に無い味わいがある。
豊富な資金があるとはいえ、劇場公開を前提としないNetflixの元で映画を撮ることは、スコセッシのような“映画家”にとって忸怩たる想いがあったに違いない(そこも僕が劇場で本作を観たかった大きな理由のひとつ)。
1990年、邦画界から冷遇されていた黒澤明がスピルバーグ等の出資で実現させた作品『夢』。そこに画家ゴッホ役として友情出演していたスコセッシを思い出した。ここに来て彼の境遇が、当時の黒澤監督とダブって見えた。
それは無論、僕もド派手で楽しく爽快感のある映画は大好きだ。親しみがいがあり共感できるキャラクターが登場する映画は大好きだ。きっと誰だって、それが映画好きになったきっかけなのだし。
だけどそれだけでは――それだけを求めては、『夢』『乱』のような心の臓に深く刻まれるような映画は産み出されなかったとも強く思う。『アイリッシュマン』も然り。頑なな生き方は悲しかろうと共感されざろうと、それはそれで国の歴史であり、人の歴史。映画として描くべき人の姿だと思う訳で。
最初に書いた通りスコセッシの例の発言を100%肯定はしないが、エンタメであれアートであれ、どちらの種類の映画も全力で作り手が取り組めるように制作会社の方々には舵取りをしていただけると嬉しいです。理想論だろうけどね。
長いけど、飽きません。
スコセッシマフィア映画集大成
監督の集大成映画と言えそうな3時間半。マフィアの話というよりアメリカ裏歴史をも描いた大作。長いがそこはスコセッシ監督、見事な語り口で飽きさせない。
デニーロの語りによる導入から、連射の如く繰り出されるバイオレントなエピソード・絶妙な音楽の使い方・贅沢な俳優布陣、もうクラクラするほどたまらんです。最新技術により幅広い年代を演じているものスゴイ(違和感なかった)
スコセッシ組に参加したアルパチーノは濃いキャラを演じて負けてなかったですね。デニーロとがっぷり組んで演じるシーンも多数で見応えあり。始終困り顔のデニーロはもはや名人芸の域に。
後半1時間が今までのスコセッシマフィア映画にはない展開。宗教観もチラリと見せて。老いてゆく姿をしっかり描くのは今の監督の心境が現れているのかもしれぬ、などと思ったり。
とにかく贅沢な作りで、これが配信会社で作られるのも時代という感じがしました。
体感二時間くらいな三時間半
Netflexプレゼンツなスコセッシの今作は、贅沢にスターを大集合させ、濃厚なストーリーだが、夢中になるので気がつくと終わっている。よくあの俳優たちを揃えたな、と思うが、実質2本ぐらい映画を見ているに近いので、2倍くらい豪華でもいいのかも。
かなりの情報量だが混乱もなく、テンポも早く、数えなかったがかなりの量の赤ペンキが飛ぶ。容赦がない。編集の妙なのか、スタイリッシュさと合理性を兼ね備えたストーリーテリングだった。
興味深かったのは、ヒットマンだったフランクをロバート・デ・ニーロが演じ、当時を告白するのだが、説得力があり、なぜか見ていると自分が納得してしまったことだった。脚本がすごいのか演出がすごいのか演技がすごいのかその全てなのか。
スコセッシといえば最近ブラックバスター系映画に対する批判で話題になっていたが、資金繰りが難しいとか映画館のスクリーン確保が難しいとか、想像は易いので批判の理由はわからなくない。でも例えば個人的にはこの映画をIMAXで見たいとは思わない。かといってアート系単館っぽくもない。ミドルサイズのスクリーンがいいんだろうなぁと思うが、3時間半だと他の映画なら二回上映できるのでやはり難しいと思う。そうするとNETFLEXという比較的自由のきく提供元はそんなに間違ってもいない気がする。
ハードボイルド×人間臭さの絶妙な融合
これから観ようと思っている方で以下に当てはまる方は鑑賞前に「ジミー・ホッファ」をwikipediaでざっとでいいので読むことをオススメします。
・好きなスコセッシ過去作があるから何となく今回も観たい
・デニーロ、パチーノ、ペシが好きだから何となく観たい
・けど今作の背景となるアメリカの歴史はあまり知らない
これ、私です。
計2回観たが、1回目は中盤あたりまでついていくのが大変だった。何故なら登場人物が多くて場面の切り替わりも頻繁なので「あれブルーノって誰だっけ?」「トニーはどいつだっけ?」てな感じでしばしば混乱をきたしたから。
改めてホッファやケネディ政権時代のアメリカ、キューバ危機やフィデルカストロなどざっくりwikiったら2回目は理解度が全然違った。そしてその背景となる時代を知れば知るほど作品の奥行きを感じられることでしょう。
とはいえ、1回目がつまらなかったかと言うとそうではない。何故なら三人のメインキャラが非常に濃くてしかも三者三様に魅力があるからだ。多少の知識不足は問題にせず彼等がその世界観へと引き込んでくれるだろう。
フランクは情に厚く仕事もできてペンキ塗りも淡々とこなす冷徹さも持っていると思えば家族のこととなると不器用なダメ親父なのが我々に親近感を湧かせる。
ラッセルは見た目は温和な可愛いおじいちゃんだがその実、裏社会を仕切るマフィアの大物と言うギャップが萌える。
ホッファは豪放磊落、大胆不敵、勇猛果敢で頑固一徹、少年誌の主人公にぴったりな派手なキャラクターは物語全体をも活気づけて止まない。
私が特に好きなのは、フランクが冷酷無比に仕事をこなしていく合間合間に、娘・ペギーとのエピソードを挟んで来るところだ。これが私のような歴史に疎い人間でも容易に引き込んでしまう要因だろう。このハードボイルドさと人間臭さの塩梅が絶妙。
見終えたあとはとても切ない気持ちになり、歳を重ねるごとにまた違った感想を抱かせてくれそうな良い作品だった。
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