「中身はダイジェスト的だが、想い出の中のいるアンを呼び起こしてくれた。」赤毛のアン 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
中身はダイジェスト的だが、想い出の中のいるアンを呼び起こしてくれた。
私が愛して已まない愛読書「赤毛のアン」の幾度目かの映画化作品。「映画化」と言っても、どうやら本国では「テレビ映画」として製作されたようで(実際、コマーシャルが入ったと思われる暗転が随所にある)注釈が必要だが、「赤毛のアン」というだけで観ない選択肢は無かったし、日本公開が発表されてからずっと楽しみにしていた作品だった。
ヒロインのエラ・バレンタインはあまりにも可愛らしくって、公開前のポスターなどを見ても、容姿にコンプレックスを持った少女アンを演じるにはちょっと可愛すぎるのでは?と思ったものの、実際にスクリーンに映し出される彼女の姿、というか演技を見ていたら、あぁやっぱりアンだ!という感じがして、まったく違和感はなかった。喜劇を演じている時のリース・ウィザースプーンのように、瞬間ごと感情ごとにコロコロと表情と声色を変える様子は、確かにアンのイメージを彷彿とさせるし、また彼女の演技の度量を見るようでなかなか有意義だった。
内容自体は、あれだけの内容を含んだ長編小説をまとめるには、ダイジェストのように見えても仕方ない、とは言え、あまりにもダイジェスト化されてしまったような感が否めないのが少々残念なところで、随所に「原作を知っている前提」を思わせる部分があって、「原作を読んでない人は、この意味を理解できるだろうか?」と不安になるようなところもあったのは確か。そういう意味では非常に不安定な作品ではあったのだが、次第に、なんだかこの映画自体が、私たちの想い出の中にある「赤毛のアン」なのかもしれないというような気がしてきて・・・。それはつまり、アンを愛する私のような人間がふと日常の中でアンのことを思い出す時、まるでこの映画のように断片的かつ不意にそれは突如として表れ、ふっと過ぎ去っていき、そしてまたこの映画を観ながら、かつて「赤毛のアン」を手に取ってわくわくしながら読んだあの時の自分の想い出を振り返ってしまうような・・・。そんな「わたしの思い出の中のアン」がこの映画にはいるような気がして、映画自体にというよりも、そんな思い出になんだか感慨入ってしまいそうになった。
「赤毛のアン」を短く要約するに、オリジナルストーリーや原作からの省略も多くあり、必ずしも原作に忠実というわけにはいかないが、でもアンを愛する人を裏切るような作品では決してないということは断言できると思う。
ただ、赤毛のアンで最も感動的で、本当の主題となる物語は、この映画の後に描かれているのだよ、ということだけは記しておきたい。