北の桜守のレビュー・感想・評価
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「衝撃のラスト」って多分あの踊りやろなあ。 映画の最初で、あああの...
「衝撃のラスト」って多分あの踊りやろなあ。
映画の最初で、あああのソ連に撃沈された帰還船で長男が死んだて分かってたしなあ。
「衝撃のラスト」に堺雅人や佐藤浩市が入ってのうて良かった。
壮大な贖罪
壮大な贖罪の物語において役者陣の演技が怪物じみていて映画が重厚で特別なものになっていました。
音楽の入れどころや舞台パートの秀逸さ、映像美、そして何よりキャラクターが魅力的。出てくる人全員がいい人なのはいい邦画の典型だと思います。
お母さんにはずきゅんと来ます
母として生きた女の物語
自分が母親のせいか こういう作品はやばいです
作品の作りがどうだとか こうだとかではなく
私も一人のお母さんとして 彼女と映画の中を歩んでました
堺雅人の妻の気持ち 堺雅人の母親の気持ち
どちらも経験している私にとっては
どちらもわかって
さらに夫雅人の気持ちが痛いほどわかりました
そして彼の母の思う気持ち
自分が子育てをして
初めてわかる息子の気持ちという感じです
お嫁さんは気持ち悪い 変と思ってしまうのでしょうね
と姑にいつかなる私は思ってしまいまし
夫をなくし 子を亡くし 自分を責め
生きていた母親が いったい何人いるのでしょうか?
子どもは親より先に死んではいけない
生きてくれているだけでありがたい
そう感じさせてくれる映画でした
涙が溢れて 溢れて
たまらない作品でした
過酷な時代の話
第二次世界大戦中の話
ソ連が日本に攻めてきて、てつと子供らが網走へ避難し、旦那の帰りを待つ。
その次男の修二郎がアメリカへ渡り、修行をし、やがてホットドッグ店の社長となり、日本で店舗を広げていく。
修二郎が久しぶりに網走を訪ねると年老いたてつがいた。
てつの住む住宅が取り壊されることになるので、修二郎の家で居候することになるが、嫁のまりが心地よく思わなく‥。
戦争の悲惨さと修二郎の母に対する深い優しさが伝わった作品であった。
吉永小百合の多歳
吉永小百合と阿部寛が夫婦、どちらが若いのか老けてる?のか驚いた、流石にちょっと無理があった。
舞台を取り入れたり変わった演出があったり、コンビニだったりイメージとだいぶちがってアクティブ!
泣いた… 「ちはやふる」より泣いてしまった…滝田監督演出もれなく号...
泣いた…
「ちはやふる」より泣いてしまった…滝田監督演出もれなく号泣してしまう。なんでや。
吉永小百合の女優魂がとんでもなくて震える。美しくて凛々しくて強い母の姿に涙。
幸せとゆう言葉を噛み締めて話す台詞が突き刺さりました。良かった…。
国民的女優で犠牲・ギャップ~国民栄誉賞もらえば~
「北の桜守」40点。
もう無理です。「昭和」をひきずるのは。
もう30年も経っています。流れの早い「映画界」では無理です。
「北の三部作(勝手に「東映」が銘打っているんでしょう)」全てがダメでした。全ての脚本の「那須真知子」がダメなんでしょう。
「三部作」だけではなく彼女の出演する作品の多くは、
人の世の「不幸(多くが「戦争」)」・「困難(欲望ゆえに罪を犯される)」・「貧しさ(恵まれていない環境)」の中で、
さらに「厳しい自然・時代条件」の中で、
「虐げられた人々(戦争犠牲者・罪を犯された人・ワケあって偏見を受け差別される人々・社会の下層の人々)」を取り上げ、
「ひたむきに」・「頑張って」・「決して落ちぶれず」・「情がわかり(特に親子の情)」・「(結果的に)くじけず強く」生きていく様子を描き、
多くが「肯定的な」・「決して非難されることのない」結果に落ち着きます。
+「お涙頂戴」的です。
結局=「昭和そのもの」なんです。
つまり=「文科省推薦」的作品ばかりです。
+いつも「キレイキレイ」な「アイドル(「120本」を全てを観たわけではありませんが。恐らく。この年齢になってもやっているんですから)」です。
つまり=「国民的女優」なんです。
したがって、どうしても「記念碑的」な作品になります。
「協力」=「稚内市」「網走市」「ニトリ(社長が「北海道」出身)」「伊藤園(お茶のシーンありました)」他の2つも何らかの関係が?
「特別協力」=「JR東日本」「JR北海道」
「協賛」=「ANA(勿論、飛行機映りました。せこいですが旅費は全てタダ?)」
「宣伝協力」=「宝酒造(お酒)」「LAWSON(「ローチケ」でチケット販売)」
「製作委員会」=「東映(社長があの「アカデミー賞」主催者「岡田裕介(「東映」の元社長の息子で、過去に彼女と共演)」「TV朝日系列(「北海道TV」も入っています)」「朝日新聞社(いかにも好きそう)」「北海道新聞社(オール「北海道」です。後でわかりました「北海度と命名150周年記念」と!)」「博報堂(「電通」があれですので)」などです。
何故こんなに多いんでしょう?また掲示しているんでしょう?
そして、「監督」が最近では「行定勲」「堤幸彦」「滝田洋二郎」「成島出」「阪本順次」「山田洋次」「大林宣彦」「市川崑」(過去にも一杯)と有名監督(食い散らし、多くの「条件・しばり」の中で苦しめて、結果的にその監督らしさを奪った?)ばかりです。
そして、どの作品に於いても「キャスト」の豪華さを言うまでもありません。
選ばれた「スタッフ」も一流でしょう。
どうしてこんなことが可能なんでしょうか?
「記念碑的」「文科省推薦」「国民的女優」だからです。
つまり、「国」「圧倒的多数の国民」によって製作されているのです。「国の花・象徴」である「桜」が散りばめられているのを観てもわかります。
で、作品そのものは「む~ん」でも、彼女の全盛期や支持してくれた人が多い時は良かったんです。
でも今は?ガラガラです。
観衆は圧倒的に「高齢者」です。涙を流されている方もおられます。それはそれでいいんです。昔を懐かしんでおられるんでしょうか。
しかし時が移るのは、「エンターテインメント」「映画」の世界は速いです。次々と時代を先取りして「新しいもの」を産み出していきます。「昭和」が終わって「30年」も経っています。そろそろ…。
「若い人(高齢者以外の全盛期を知らない人)はついて来ていないのでは?「温故知新」もいいですが。昔を懐かしむのもいいですが。それなら別の名優でいいのでは?
多くの「ひと・もの(お金)・こと」が「犠牲」になっています。
もう「引退」されて、静かに「余生」を送られ、死後「国民栄誉賞」を受けられたらいかがでしょう?大変失礼ながら。「映画界」への功績は凄いんですから。
もし作品が素晴らしいものであっても、同じことを言いたいです。
ただ「キレイキレイ」の「アイドル」を脱皮(? 今更?)して、映画の途中まで展開していた「汚れ役(老いぼれていく役や捨てられる役など)」を演じられるのであれば(ラストの舞台のシーンでそれも…)、「観に行こう」という気が起こるかも知れませんが。他の往年の女優のように。もう演じませんね?
さらに多くの(?)レビューに書かれているように、舞台のシーンの必然性です。監督はインタビューで答えています。「実写として描けば具体的悲惨しか伝わらない。抽象化することで心象風景がわかりやすくなる」と。
ここに大きな「ギャップ」が存在します。
私たち多くの(全国津々浦々の)観衆は、「舞台」を鑑賞する機会が実際に(TVなどは別にして)ほとんどありません。舞台の「抽象化」だの、「特色・魅力」など理解していません。突然に「舞台シーン(これまた有名な「ケラリーノ・サンドロヴィッチ」演出。ついでに主題歌が「小椋佳」)」が映されても戸惑うだけです。
「心象風景」?「舞台」など多くの「エンターテインメント」に触れている「都会」の「通(?)」の「映画人」と、「観客」の間に大きな「ギャップ」が存在することをわかっていません。
この「ギャップ」が「国民的女優」にも言えるのではないでしょうか。
恐らく「吉永小百合」は「スゴイ人」なんでしょう?性格が良くて(「堺雅人」が「謙虚でストイック」と絶賛)、才能があり美しく知的で、「ひたむきに」役に取り組む、まさしく前述の「国民的女優」と呼ばれるのにふさわしい「魅力たっぷり」の人なんでしょう?「何十年にひとり」の逸材なんでしょう?「大スター」なんでしょう?
でも全てに「?」が付きます。
何故なら今の彼女しか知らない世代の観客には、それほどには思えないからです。ガラガラが証明しています。私個人としては演技がうまいとも、美しいとも思えません。
もし多くの「映画人」のように実際に会ったら?「間接的」には一杯見ています。それらしくは感じます。でも「直接会ったがゆえに感じる魅力」についてはわかりません。「スター」と呼ばれる人とは比較にならないほど、会った人たちは魅了されるんでしょう。だからこそこれだけ多くの「映画界・エンターテインメント界」の人々がついてくるんでしょう。
魅了された「映画人・エンターテインメント人」と、その巨大な「+α」がない人との「ギャップ」は、特別な存在の彼女と他の「スター」との違いが顕著過ぎる分、「ファン」でない限りはわかりません。残念ながら。
わかりにくいですか?
圧倒的多数の「スター」とは圧倒的多数の観客は会えません。「番宣」や「SNS」で「素顔」が覗けても。だから「120本」ものある意味「異常な数の作品」を作ってもらえる彼女だからこその「ギャップ」です。
以上、長々と、誠に「エラそう」に申しました。
「神をけなすな!」というクレームも受けますので。
言い換えれば、このままでは
彼女も「国民・昭和という時代」の「犠牲」とも言えます🍀
TV放映で十分です
多くの方が「吉永小百合を観るだけの映画」と仰る通り
あれもこれもと主役以外の設定なりエピソードも断片的に全部描いてしまったことで、桜守の部分がぼやけてしまい、最終的に何を伝えたかったのか観終えた余韻の残らない作品でした。
特に演劇で表現する箇所があり、ラストも演劇とは酷い。
なんで映画観に来てるのにスクリーンで演劇みないといけないのか。劇をみるなら劇場いきますから映画を見せて欲しい。
予算削減の苦肉の策なんだろうかと興ざめでした。
TVドラマ2時間スペシャルのレベルなので映画館へ足を運ぶほどの作品ではないですね
意外とハードコア
勤務先の社長からチケットもらったので鑑賞。『おくりびと』の次が『釣りキチ三平』⁉︎でおなじみ滝田洋二郎監督最新作。樺太からの引き揚げ者一家の戦中、戦後、そして認知症の話。公開規模からあなどっていたが中々のハードコア描写が続き、胸を刺される。ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出による「舞台」という表現で差し込まれるエピソード攻めていて好き。ラストシーンには、泣いた。
全体的には良かった
恥ずかしながら、初吉永小百合主演映画でしたが、とても面白かったです。こういうストーリーも好きで、ただ不幸や苦悩の連続で、見てて体に力が入って疲れましたね(笑)。やはり引き込まれる演技、良かったです。舞台劇の挿入は違和感ありつつ、試みはいいと思います。しかし物語から引き離される感は否めませんね。あと気になった点は、、邦画によくある、この役この俳優じゃなくてもよくない?ってやつ。中村雅俊や鶴瓶・・いらない。。
いい映画だった
素直に見てよかったって思った。
残酷なシーンを舞台劇で緩和させて、ストーリーに集中できました。変わった手法だけど、違和感は特になかったです。
強いて言えばマリさんのキャラがあまり定まってないなぁって感じた。まぁ、普通にいい人とワガママな人が混在してるのかな?
吉永小百合 ただそれだけ
吉永小百合さんの映画を観るのは生まれてから初めての世代です。
ストーリーは淡々としていますが、画面にこの人が出るだけでパーっと華やかになる不思議。
この人の過去の作品が観たくなりました。
ストーリーよりも女優の方が強い
吉永小百合さんの美しさに引き込まれました
良かった。
良かった。
なんだか、初めの方から涙がほろほろでした。
こうするしかなかった時代。そうすることでしか生き延びることの出来なかった時代。
そんな時代にそんな場所に生きた家族のお話しです。
全てが上手く上手に解決していくようなお話しではなくて、思い通りには行かないことの方が多い現実により近いストーリーでした。
そんな思い通りには行かない中でも最後には、それぞれがそれぞれの背負ってきたものを初めておろして、小さな幸せを噛みしめている。
そんなラストシーンが印象的で、すごく良かった。
☆☆☆ いっそのこと劇シネで上映してはいかがでしょう。 上映が始ま...
☆☆☆
いっそのこと劇シネで上映してはいかがでしょう。
上映が始まり暫くすると、いきなり舞台場面になり狐に化かされた様な気分になる。
咄嗟に「嗚呼!これは、実は舞台劇でした!」とゆう内容なのだろう…と思ったものの。あれ?違うのかい!
以後、この舞台劇は終盤に1度現れるだけ。
う〜ん!何となく意欲的な試みとして取り入れているのであろうけれども。この舞台劇の方が(尺が短い事も有って)本編よりも面白く観れてしまい。結果的には、中途半端に浮き上がってしまっている気がする。
内容自体は、極めて日本映画らしい内容で。そんなに悪いとは思わないのですが。
じゃあ〜面白いのか?と問われると…と言った作品。
主演の吉永小百合は、現在72歳との事だが。いつまで経っても本当に若い。
でも若さと演技とはまた別の話ですけどね。
来年の日本アカデミー賞取っちゃうんだろうなあ〜。組織…ゴホン! 日本にはサユリストが多いからね〜。
息子役の堺雅人ですが。年々演技のパターンに引き出しが無くなって来てないですかね?
この息子のキャラクターが、作品の出来を決める位に大事だと思えたのですが。観ていて全く感情移入が出来ず、全体の印象を悪くしてしまっている様に感じました。
極めて日本映画らしい日本映画と言いましたが。特に貶している訳ではありません。
元々その様な日本映画を観て来ている訳で。嫌いなのでは決して無いと言わせて貰いたい。
でも、人気の有る俳優に乗っかった様な。おんぶに抱っこした企画は、出来る事ならばあまり観たくは無いのが個人的な希望。
演出や撮影・美術面等は(時々入るCGはイマイチでしたが)なかなか頑張ってはいましたが。
じゃあ!この作品から何か新しいモノが生まれるのか?と言えば、それは無いだろう…と思ってしまうので。
※ 余談
1945年にセルフタイマー式のカメラが有るのか?と思いググったものの、詳しい事は分からず。
しかし、裕福とも思えない生活で。当時にセルフタイマー式のカメラを持っている事自体が、ちょっと信じられなかったのですが…。
1971年に24時間営業のコンビニが有ったのか?…と、こちらもググってみる。
日本のコンビニ第1号店は諸説有り、その内の1店は北海道で1971年らしい。
でも、当時に24時間営業のお店自体が有ったとは到底思え無いのだけれど…。
因みに、セブンイレブンが登場するのは1974年。
朝7時〜夜11の営業形態は当時としては異例中の異例で、世間を驚かせた程だったのだから。
2018年3月10日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザ/スクリーン8
割と良かったと思う
母の付き添いで。
でも思ってたより良かった。役者が勢揃いって感じ。
トラックの荷台で悔し涙流しながらおにぎり食べてるシーンがすごくぐっときた。
ただ、阿部寛が夫で佐藤浩市が再婚してたかもしれない相手という設定が年齢がわかってるだけに無理だろ〜と突っ込みたくなる。
堺雅人は学生服着て子役してないのにさ。
「老い」は誰しもとはいえ。。。
吉永小百合120本目の出演映画。年代的には彼女より相当若い滝田洋二郎監督作品。
「北の零年」(行定勲監督)「北のカナリアたち」(阪本順治監督)に続く「北の三部作」とくくるらしいが、それなら那須真知子の名前をフィーチャーすべきではないか。
これはまったくの個人的な意見であるが、吉永小百合にはいつも凛としていてほしい。年齢的には認知症が出てきてもおかしくはないとは思うが、吉永小百合に「老い」は似合わない。
てつ(吉永小百合)の行動が少しおかしくなり、修二郎(堺雅人)の妻 真理(篠原涼子)が病院で診てもらったら、と提案すると修二郎が「失礼なことを言うな」と叱るシーンがある。
1971年の設定なのでそれが当たり前の反応だとは思うが、少し気になった。
物語の進行につれて、時々舞台で表現するところがある。これは微妙なさじ加減で、もっと若い役者が中心の話なら、斬新、ということでかたづくと思うが、この構えのしっかりした映画でされると、戸惑いが大きい。僕は嫌いではないが。
キテレツな映画といってもいいと思うが、「吉永小百合主演」と「滝田洋二郎の斬新」は本来相入れないものだと思う。
吉永小百合は日々鍛えていると思うが、よく走り、よく泳ぎと、かなり過酷な撮影を乗り切ったようで、その女優魂には頭が下がる。
泣きました。
70代の母と連れ立って見に行きました。この歳(40代)となり、今まで目を背けて来た戦中戦後の話を見ておくべきだと思ったからです。
何しろ、私は『戦争を知らない子供たち』を知らない子供達世代なもので、(本当に知らずに、今回これを書くに当たりググってってみて、初めて歌のタイトルだと知りました)。あとは堺雅人さんのファンなもので・・・。
映画自体はとても良かったと思います。途中に織り込まれる舞台には若干違和感を覚えましたが、舞台は好きなので、それはそれと思いながら見ていました。吉永小百合さんの映画はこれまでに1本しか見たことがなく(玄海つれづれ節)あまり先入観無く見られました。
極寒の世界での余りに辛い生活に、身に詰まされる思いがしました。夫の帰りを信じて、待ち続ける芯の強さ。真似できません。最後のシーンで彼女の思いが報われたので、良かったと涙しました。
厳寒の地での撮影は本当に大変だっただろうと思いました。俳優さんて本当にスゴイですね。
吉永小百合は吉永小百合・・・
吉永小百合ファンにとっては
最高傑作!ってかんじなのでしょうか。
まわりのご年配の方は上映中も少し笑い声が聞こえたり、
小さく「わッ」と声を出して驚いたり、
とリアクションが多々ありましたが
はたからみると、「?」です。
演技も滑舌も吉永小百合は吉永小百合。
吉永小百合の140本目?主演記念で作った映画を
ただみせられているという感じでした。
演劇の演出の意図もよくわからず。
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