北の桜守のレビュー・感想・評価
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吉永さんの映画
桜守はとってつけた様なネタだった。
「お母様!ただ今帰りました。」とか少しお上品な家族映画が多いと感じる吉永作品。
まぁ、小百合ファンの層がそのポジションだからだろうが。
北シリーズ、撮影は毎度の事の様に綺麗です。
吉永小百合への甘やかし度はMAXです。
映画構造的には面白い試みをしている。
実際の映像と舞台とのクロス演出、もう一つ過去と未来である。
前者は面白い試みなのだが、「この理由は?」と疑問に思う。後々何か賞狙いの演出にしか思えなくなった。
後者は戦時中と高度成長期。高度成長期の場面が考えが古臭い様な設定だ。このネタをどっから引っ張って来た?風。
そこに母親の面影を演出したいらしいが、お母さんの匂いがあまり感じない。
そもそも吉永小百合に昭和の母さん役は無理。
京塚昌子や山岡久乃には到底追いつけない様なおにぎりの握り方には唖然とした。
桜守も取ってつけた様なネタだし。
1番思ったのは、俳優潰しの映画だなと。
他俳優、堺雅人や篠原涼子など魅力的な部分が出てこないんですよね。脚本のせいで。
北のシリーズで1番面白く無かったです。はい。
日本映画界の小百合守
吉永小百合120本目の映画出演作。
戦中戦後、北の大地を生き抜いた母と息子の物語。
監督は『おくりびと』の滝田洋二郎。
堺雅人、篠原涼子、阿部寛、佐藤浩市ら日本映画界を代表する主役級がズラリ。
『北の零年』『北のカナリアたち』に続く“北の三部作”と位置付けられる、その最終章。
…と、本作、話題性のある側面だけは幾らでも持ち上げる事が出来る。
が、作品そのものは…。
『北の零年』は壮大な開拓物語としてそれなりに見応えあった。
『北のカナリアたち』は若い役者たちとのアンサンブルとミステリー要素でこちらもそれなりに見応えあった。
それだけに本作は、その話題性以外取り柄の無い、凡作としか言い様がない。
毎度の事ながらの、吉永小百合の吉永小百合による吉永小百合の為のTHE吉永小百合映画。
冒頭、無理のある若作りメイクで、阿部寛が夫で、中学生くらいの子供。
もうここだけで、吉永小百合の為に企画され、吉永小百合をまたもやちやほやする為に作られたようなもの。
一応今回、ボケという老いの役柄設定もあるにはある。
しかしそれによって尚更明るみに出てしまった、演技力の無さ!
『わが母の記』の故・樹木希林と比べてみよ! いや、そもそも肩を並べようとするのが失礼なくらい足下にも及ばない。
それにしても今作は、いつも以上に吉永小百合の演技の不味さが気になった。
悲しみのウルウル表情なんて見てるこっちが痛ましくなる。ボケが進み、鏡の自分と話したり、桜の木を愛でながら語り掛けるシーンは、別の意味で怪演!
吉永小百合は紛れもなく日本映画界の大女優にして名女優だ。
でも、いつまで自分を寵愛してくれる作品だけに出演し続けるつもりなのか。
贔屓も時代錯誤も甚だしい。
中盤、息子がさすがに母の扱いに困り態度に出してしまうシーンがあるが、何だかそれが、吉永小百合という大女優を重宝しながらも扱いに困る日本映画界そのもののような気がしてならなかった。
別に吉永小百合だけに否がある訳ではない。
本作は他にも、難点・不満点・微妙な点が挙げたらキリがない。
幾つか挙げていくと…
超豪華キャスト共演だが、皆、本来の実力を発揮してるとは言い難い。
堺雅人も何だか演技も台詞回しもあの役みたい。母の元を離れ渡米してホットドッグ日本店第一号の社長として成功した彼の元に昔のいじめっこが金を借りに現れて“やられたらやり返す”シーンなんてまさにそう。また『その夜の侍』のような凄みのある濃密な名演を見たい。
今年3本の映画に出演の篠原涼子だが、その実力を拝めるのは、やはり期待の『人魚の眠る家』でだろう。
阿部寛は最初と最後だけ。佐藤浩市や岸部一徳らも引き立て役にしか過ぎない。
話は過去と現在が交錯して展開。
過去シーンは、北の大地で寒さと飢えに苦しみ、時に闇商売を手伝い、乗っていた船が魚雷で沈没し長男を亡くす…という壮絶なもの。
しかし何故だろう、あまり辛さが伝わって来ないんだな。悲劇と感動を盛り上げる為の材料。
現在シーンは、ビジネスマンとして成功した息子が母と再会し、また一緒に暮らし始めるが…。
離れていた15年の歳月が母と息子の間に溝を作ってしまったが、再び一緒に過ごす内に、共に歩んできた苦楽を思い出す。思い出の地を巡る旅に出る…。
母と息子の絆物語としては感動的なのかもしれないが、途中から仕事を放り出し。
ただのマザコン男の話…?
仕事の方も売り上げ伸びず。母ばかり気に掛けて、妻との関係もぎくしゃく。
だけど最後は、親子愛も夫婦愛も仕事も全ていい方向に。
この手の邦画あるあるの、安直な感動締め括り。
そして色々言われている、時折挿入される、謎の舞台演出。
登場人物の心情や物語の展開を斬新に表した演出なのだろうが…、一体何なの、アレ。
しかもその舞台演出、結局最初と最後の方だけ。なら、ずっと劇中劇のままでいいじゃん。何の為の舞台演出…? エンディングは舞台演出で桜吹雪の中、合唱。
まあ、劇中劇も決して面白味があるとは言えず。
とにかく、平凡退屈。
大女優を配し、古き良きいい日本映画を作ろうとしたが、それが全て残念な結果になってしまった典型例。
それでも本作は、大手映画会社の、名監督&豪華キャスト、これぞ感動的な邦画とでも言うべき、吉永小百合映画。
今回も日本アカデミー賞ノミネートは100%間違いない。おそらく、全部門でノミネートされるだろう。
こんなのが、『カメラを止めるな!』『孤狼の血』『万引き家族』ら意欲作と並ぶかと思うと…。
日本映画界と日本アカデミーの小百合守。
残念ながら正直言って駄作
北の桜守
泣ける部分とドン引きの両方
まず最初、キャストの年齢的な違和感が大きすぎてドン引き。
戦争中、引き揚げ時、敗戦後の苦労の描写より、吉永小百合を如何に美しく仕上げるかに重きが置かれていることに興ざめ。
そして時折挿入される舞台劇風の演出が、テツの具体性を欠いた記憶を表現したものだとしても、映画の中に入り込めず鼻白む。
登山家でも重装備でチャレンジするような岩肌丸だしの山に、軽装で辿りつけた場面では、ファンタジーなのだと気づきました。
とは言うものの後半、まんまとハマり号泣。
懐かしい昭和の風景や人との関わり方にもキュンとしました。
高齢者をターゲットとしたアイドル映画ビジネスですが、両親は喜ぶだろうから、連れて行きたいなと思いました。
北海道へのロケ地効果は残念ながら大きくなさそうですが、少しでも効果があることを願います。
いい加減辞めてください。出るのも作るのも
正直キツイです、吉永小百合さんが国民的女優と謳われているが、昭和回顧も甚だしい。東映は吉永小百合さんの映画を作り続けていて、アカデミーにも必ず入っていて、大昔に大もうけをしたのも知っていますが、彼女で主演で、相手役が子どもより若い俳優使って…
吐き気を催します。映画は、文化的ではありますが、昭和的ではありません、若い人が映画離れしている起因の一つが昭和回顧映画があるのではないでしょうか?僕は何時も思います、昭和のあの時代が良かった、あの考え方が良かった、昭和のスター、昭和の名画…
昭和という名の謎の美学。いい映画はいい映画だし、いつの時代にも残る。作品だけでなく、俳優もそう、テーマが普遍的でメーセージがあれば時代は関係ないんです、それを推し述べて、昭和のテイストそのままを(吉永小百合)使用して回顧するのは如何なものでしょうか?
古い映画が悪いとか、ではありません。吉永小百合さんを使った昭和回顧が嫌なんです。昔から嫌いなんです、昭和。
そういう人たちもいることを理解して欲しいです東映の社長さん
サユリスト
最近の吉永小百合に与えられる役柄は「戦争未亡人」的なものが多い気がします。年齢的にはその辺を十分に演じられて良いはずなのですが、奇跡的に変わらぬ美しさとアイドル顔からは戦争で夫を失った悲しみや、老人の醜悪さが表現しづらい。この辺りが彼女が120本もの映画に出演しながら、未だに「名優」という枠に入れない所以ではないでしょうか?
シニア料金と同じ¥1100の価格設定や吉永小百合を主演に添えて、熟年層を中心に観客動員数を増やそうとする姿勢に、明らかに作品に対する自信のなさを感じてしまいます。
日本映画界もいつまでも72歳の吉永小百合等に全てを背負わしてる様では酷であるし、行き詰まりを感じてしまいます。
私はサユリストではありませんが、観客が求める吉永小百合はもっと明るく溌剌とした姿なのではないでしょうか
深い愛を感じました。
てつの人生は人のためばかりのことで生きてきたのに、可哀想に思いました。
でも、最後にずっと耐えてきたことがやっと報われたところにグッと来ました。
舞台のシーンは賛否両極端に分かれてますが、私はこれで良かったのではと思います。
妻、母、そして女
吉永小百合はその精神性そのものが訴えかけてくる稀有な女優である。そこにいるだけで周囲に熱を与え、気持ちを変えさせる。オードリー・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンなど、大女優と呼ばれる人たちに共通の特性である。
吉永小百合の映画はいつも何かをしでかす道化者がいて、愛すべきそのキャラクターを温かく見守る吉永小百合というのがお決まりの構図になっているが、本作では、吉永小百合演じる主人公テツの気持ちが中心になって作品が展開する。
金儲け主義に凝り固まってしまった息子の精神が、崩壊していく母親の精神と寄り添うことで再び人の愛情を取り戻すのが物語の主眼である。
いつもと勝手の違う設定だが、流石に大女優は、次々に落ちていく記憶と思いもしないときに甦る記憶との間で、喜びと悲しみと淋しさと愛しさが洪水のように押し寄せる様子を見事に演じ切る。妻としての喜び、母としての息子たちへの愛情と責任感、そして女としての人生のすべてがひとりの女性の中で混沌としている様子が伝わり、そのありようが観客に迫ってくる。
戦後をこんな風に生きたひとりの無名の女性がいた。求めず、奢らず、決して怒らず、夫を愛し、夫の残した桜を愛し、息子たちを愛する。自分のことはいつも後回しだ。こういう精神性が世の中に存在しているということだけで、ホッとするし癒される。
吉永小百合がこの映画を全国を宣伝して回った理由は、今だけ、カネだけ、自分だけという現代人に、どうしてもこの映画を見てもらいたかったからだと思う。その気持ちに共感する。
演技力と演出力
流石の吉永小百合。流石の堺雅人。
何で戦争なんかって当たり前に思う事をまた改めて何故?と戦争に対して疑問と吐きどころのない怒りを持った。
愛する人と最期だと思って告げる別れもそれはそれで身が千切れるほど辛いのだろう。
登場人物が全員、幸せになってほしい。
愛とか平和とかそういう形の無いものの話をするのは凄く嫌いだけどこの映画はそんな人間の心にも届く。過激な心情表現も恐れずにやってのけるから刺さる。
愛する人と普通に生活出来ることが本当の幸せだなんて、今時歌詞にもないような臭い事もこの映画では鬱陶しくなく届けてくれる。
演出の一つ一つも初めは「 なんでこう描く?」と思っても全て回収して納得させる所は流石滝田監督。
阿部寛も流石で、どう見ても小百合ちゃんと
夫婦だった。何なら年上だった。
なんと言っても、堺雅人。
毎回毎回、どんな演技でも想像を超えてくるし
ほんとにかっこいい人。
いつもの雅人さんスマイルも色々な感情があって、
役本人すら気づいていない成長も全部汲み取って一番の理解者になる雅人さん本当大好きです。
今回、雅人さんが修二郎という男をどう解釈したのかは全く分からないし分からなくても良いけど、少しふくよかにした事は分かった。優しいイメージだったりするとふくよかにする気がする。
一種の中毒化してきてる雅人さんの体型変化も楽しみの一つになってます。
久し振りに涙を流した。好きな映画上位に食い込みました。
「ぼけ」も悪くなぁ
吉永小百合作品だと思った
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