「吉永小百合の本格”汚れ役”。昭和VFXの気くばりが行き届いた映画」北の桜守 Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
吉永小百合の本格”汚れ役”。昭和VFXの気くばりが行き届いた映画
吉永小百合の120本目の出演作。かつての昭和スターには出演200本以上がザラにいるが、平成以降の映画製作ではそれを主要キャストで実現するのは至難の業。吉永小百合といえども平成以降は20本程度、100本近くが昭和作品である。それにしても現役俳優の中では別格中の別格である。
驚くべきは73歳(3月13日が誕生日)の単独主演。エンドロールに並ぶ、"製作・プロデューサー"にあたる人物が30人以上もいる!のは、いかに業界のお偉いさんたちに支えられているかが手に取るようにわかる。もちろんら共演者も日本映画の大俳優がズラリと揃う。
本作は「北の零年」(2005)、「北のカナリアたち」(2012)に続く、東映の"北のシリーズ"とされるが、ストーリーの相互関係はないので、3部作といわれてもピンとこない。いずれも"北海道を舞台にしている"ことと、あえて吉永小百合が"汚れ役"を演じるところに特徴がある。
汚れ役といっても、"絶対に恥部をさらさしてはならない"、そんな命題に守られた清純派の権化。演出や脚本で、その矛先が鈍るのか、それともそれを跳ね返すオーラなのか、やはり吉永小百合は吉永小百合である。
前2作と比べると本作はかなり踏み込んだ"汚れ役"ではある。終戦間際の1945年樺太から、困窮ゆえにヤミ米流通を手伝ったり、畑泥棒をしたり、子供を育て上げてからの無許可住宅での居座り、そして痴ほう症の役柄である。
終戦間際1945年の樺太で、暮らしていた江連(えづれ)家。突然のソ連軍の侵攻によって土地を追われてしまう。夫(阿部 寛)は出征し、妻の江蓮てつ(吉永小百合)は、2人の息子を連れて北海道の網走まで命からがらたどり着く。てつは夫が生きていると信じながらも息子を育て上げ、戦後を生き抜く。
1971年、てつの息子・修二郎(堺雅人)は日本初のコンビニを開店させる。そんなある日、修二郎のもとに役所から母親を保護してほしいと連絡が入る。
吉永お気に入りの阿部 寛が、出征した30代のダンナ役である。やはり吉永小百合が30代の妻を演じるのは痛々しい。しかし本作を観る世代には"同窓会メガネ"があるから大丈夫。"同窓会メガネ"は、何十年ぶりに集まっても、お互いが当時の感覚で打ち解けあえる空気に包まれる。他の世代からすると、キツネにつままれたような映画である。
独特なのは、戦後混乱期の回想シーンを劇中劇に置き換える演出である、映画の中でたびたび舞台劇シーンが挿入されるが、これが見事なアクセントとなっている。
映画の本編監督は滝田洋二郎(「おくりびと」ほか)だが、舞台演出は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ。日本人である(笑)。世代によってはナゴムレコードのインディーズバンド"有頂天"の"ケラ"といったほうがわかりやすいかも。ミュージシャンでありながら劇団も主宰するクリエイターだ。
当時の時代考証に、きめ細かく気を使っている。北海道で走っていた蒸気機関車C-5696の再現や、VFXを駆使した空襲シーン、昭和の街並みの再現など、「三丁目の夕日」以降の邦画では当たり前となったCGを駆使した映像はよくできている。当時の全日空機も出てくる。修二郎の自宅にあるアナログプレーヤーがLo-D(日立)製だったりもする。
また本作は日本初のコンビニ、"セイコーマート(Seicomart)"が創作モデルのひとつになっている。セイコーマートは、現在でも北海道ではセブンイレブンより店舗数が多く、コンビニでお弁当や惣菜販売を始めたのもセイコーマートが日本初である。このあたりも楽しめる。
(2018/3/10 /TOHOシネマズ上野/シネスコ)