否定と肯定のレビュー・感想・評価
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ユダヤ人迫害問題を現代的な文脈でとらえ直す姿勢は評価するが
ナチスドイツによる戦争犯罪とユダヤ人迫害の歴史は、欧米の映画で手を替え品を替え、多様な切り口でコンスタントに描かれ続けている。本作もそうした「ユダヤ物映画」の一本だが、単なる歴史の振り返りではなく、ポスト・トゥルースとフェイクニュースの現代に通じる“今ここにある問題”として提示したのがミソ。「訴えられた側に立証責任がある」英国の司法制度もどうかと思うが、主人公にとっての困難がドラマ性を高める要素になったのも確か。
米大手スタジオの多くがユダヤ系米国人によって創設されるなど、ユダヤ勢力からの影響が強い映画業界が、ユダヤ人が差別されてきた歴史の啓発と地位向上の道具として映画を活用してきたことは理解できる。一方で、イスラエルでユダヤ人がパレスチナ人を迫害している事実については、このような大金をかけたドラマ作品などで描かれることはほとんどなく、バランスを欠いているようにも思える。
自分の思うようにしか事実を見ない人間
自分の望むようにしか物事を見ず、事実も歪曲する人間。そういう人は判決も自分の思うようにしか見ないのだなと。
アンドリュー・スコット演じるアンソニーが魅力的だった。
デボラが終始感情的で、見ていてなかなか厳しい部分もあった。アメリカ人、女性、というステレオタイプがキャラクター設定になかっただろうか…
歴史修正主義者とどう向き合うか
未来世界のイスラエルや米国の歴史否定論者たちは、「ガザにおける虐殺など存在しなかった。ハマスのでっちあげだ。」というのだろうか。
朝鮮併合や日中戦争下での非人道的行為が学校教育のなかで次々と「消され」っていくなか、他山の石と捨てておけない今の日本の現実がある。
今と未来に生きるために、歴史に向き合う姿勢がつねに問われている。歴史家や科学者の言葉に全面的に依存するのではなく、一人ひとりが自らの「正義」に従って生きるために。
人間でいることの恥を感じるとともに、怒りに震える作品。
あからさまな裁判での人的資源の損失も、まだ健全な社会での出来事のように思えて…
被告のヒロインが余計なことをしなければ
必ず勝訴するであろう裁判が淡々と進む。
それだけに、
この先にどんなドンデン返しがあるのかと
思っていたら、
裁判長の思いがけない発言があったものの、
それでも何事も無くスルーして
勝訴のエンディングとなった。
真実と正義の追求についての映画
とのことだったが、
相手があからさまに単純系だったので、
テーマそのものが深まらなかった印象の作品
だった。
また、
ホロコーストの有無、
どの国にもいる都合の悪かった事への
否定論者の存在、
ヒロインの成長物語、
等々、テーマの重点を定め切れていない印象
もあった。
だから、ガス室跡を映すラストシーンも
今一つ、インパクトを持ち得なかった
ような気がする。
この裁判は実際にあったものだろうが、
そうだとしたら、法曹界の貴重な人材が、
こんな低次元の裁判に時間を取られている
のかと思うと、
人的資源の損失の象徴にも感じる。
それでも、
国会議員が大挙して靖国参拝する日本での
南京大虐殺の有無の裁判や、
大島渚を失った日本の映画界での
南京大虐殺を自戒する映画なんて
夢のまた夢だろうから、
こうした映画化が出来る欧米社会の方が、
まだ健全なような印象を受ける。
裁判は大変…
率直になぜ今更、ホロコーストがなかったという誰もが信じ難い、わかりきったことで裁判が起きるのか、また起こそうとするのかが、まず驚く実話ベースの話だった。しかもイギリスの法廷では訴えられた側がそれを証明しなけらばならないという不可解さ。法廷弁護士を演じ、原告を理詰めに責めるトム・ウィルキンソンは好演だった。自身もユダヤ系として自らの口で法廷で反論したい気持ちを抑え、弁護士の戦略により、他者に自分の信念を託すまでの葛藤を見事に演じたレイチェル・ワイズも適役だった。判決直前の判事の物言いにはおいおい!となったが、原告がかなりの差別主義者であったことで形勢がやや一方的になった点に若干映画としての盛り上がりに欠けた気もするが事実はどうだったのだろう。再び悲しみを与える可能性を排除し、被告含め迫害を受けた人々に断固として証言させなかった弁護側の戦略はまさにプロフェッショナルだし、裁判というものを考えさせるものだった。判決結果は一日前に弁護側だけに伝えるというのは初めて知ったし、映画では明らかにされてないが実際に被告には伝えなかったのだろうか。
ホロコースト否定派は惨敗したと言いたいだけの映画
1)作品の背景
ドイツではナチスへの賛美をはじめ、ナチス式敬礼やシンボルを提示することさえ刑法で禁じられ、ヒットラーの「我が闘争」は長らく出版禁止されていた。
このように臭いものに蓋をすることで、民族差別やホロコーストがなくなるかは大いに疑問であり、それはドイツ内のネオナチ運動の頻発などの報道からも伺われるところだ。
それ以外の欧米諸国では当然ながら表現の自由が重視されるから、歴史見直し論者の活動する余地があり、中には「ホロコーストがなかった」と主張する作家さえ現れてきた。本作はその作家の著述を批判した歴史学者が、作家から名誉棄損の民事訴訟を提起され、その訴訟の経緯を描いたものである。
2)歴史見直しの意義
ドイツの場合、ホロコーストの責任をすべてナチスに押し付けて、一般国民は犠牲者であるというフィクションを導くために「歴史を掘り起こすな」と言っていると思われる。
しかし、例えば南京大虐殺という史料の存在しない事件や、朝鮮人従軍慰安婦の強制連行などという架空の物語を国際的に固定化させ、それについて日本に「歴史を掘り返すな」などと言われてはたまったものではない。
その視点からは、歴史は不断に見直されるべきであり、その政治的立場の如何を問うものではないと考える。ただ、見直しは史料等の事実に基づいて行われるべきであり、そこに虚偽、捏造があってはならない。だから相互批判という表現の自由が不可欠となる。本作もそのような法制度の上で成立している。
3)ホロコースト否定論の描き方
2)で述べた観点からは、映画ではまず法制度のあらましと争点、訴訟当事者のなすべきことを概説すべきだろうが、まずこの点が不十分である。原告による証拠捏造の立証責任が被告側にあることくらいはわかるが、そもそも争点自体が明確化されないから、全体として当事者双方が何をすればいいのかわからない。したがって、どうすれば被告に有利で、どうすれば不利になるか、皆目わからないままに映画が進行する。
当事者の主張は、はじめはアウシュビッツの建築構造から見たホロコースト否定論、次はナチス幹部の通信記録からみた証拠捏造論、最後は原告の差別言論に対する糾弾で、これではホロコースト否定論の十分な根拠や、それを突き崩す論理も何もわからない。争点もへったくれもなく、ただ原告が勝つか被告が勝つか、映画の結論を待つしかないのである。
時間が足りなかったのか? いや、レイチェル・ワイズ演じる被告女性の日常生活とか自己主張したがる鬱陶しい性癖、被告弁護団の論争など、さほど重要でないシーンを延々と描いているではないか。それをカットすれば、当事者双方の主張を十分説明する時間はあっただろうに。
それを踏まえると、やや陰謀史観めいてくるが、この映画は争点を詳しく描きたくなかったのではないかとの疑念さえ湧いてくる。
4)評価
映画製作の真相はわからない。しかし、出来上がったのは、訴訟モノとしてはひどくレベルの低い代物だとしかいえない。
法制度の説明不足、曖昧な争点と曖昧な当事者の主張、意味不明な判事の職権質問…要は、ホロコースト否定派は惨敗したと言いたいだけの映画ではないか、と言ったら言い過ぎだろうか。役者がいいだけに、何とも残念な作品だった。
5)補足
後日、NHK-BS「ダークサイド・ミステリー~世紀の歴史裁判」でこの事件を取り上げているのを見たところ、訴訟の内容が映画よりよほどわかりやすく描かれていたので笑ってしまった。それによると、事件の全体像は次の通りである。
①被告は著書において、原告が「ヒトラーを擁護するために歴史資料を加工し、ホロコーストの事実を歪曲した」と批判した。
②それに対し、原告は名誉棄損であると提訴した。
③当時の英国法制度によると、被告が「自分の言論の正当性」を立証しなければならない。具体的には、次の事実を原告の著書や講演の発言と、その基になる史料を調べ上げて立証する必要がある。
〇原告がヒトラーの熱烈な崇拝者であること
〇そのため史料の捻じ曲げ、歪曲が行われたこと
④審理において被告側は、③を具体化させた争点として次の諸点を挙げ、これらを立証すると表明したこと。
〇ヒトラーはユダヤ人虐殺を命じず、虐殺を止めようとしたのか?
〇ガス室で大量虐殺は行われていないのか?
〇史料の捻じ曲げは反ユダヤ主義思想によるものか?
映画はほぼこの争点に沿って展開しているが、それだけ争点の説明不足が際立つ。
例えば、ヒムラ―の通話記録のうち、「ユダヤ人を死亡なしで移送のこと」とある誤訳問題が取り上げられている。これは上の「ヒトラーがユダヤ人虐殺を止めようとしたのか」という争点につながる重要な問題なのだが、それが何一つ説明されていないから、何故こんな通話のことを論争しているのか、皆目分からないのである。
また、最後の裁判長の質問は、上記④の「史料の捻じ曲げは反ユダヤ主義思想によるものか?」という争点に関するものだが、「心底信じ込んでいれば、反ユダヤ主義による捻じ曲げとは言えないのではないか」と因果関係を否定する主張は無理筋としか言いようがなく、映画の上で無意味に気を持たせようとしただけではないか。現に、上記TV番組では、これにまったく触れていない。
上の事実を確認してから、この映画の欠点が余計明白になった気がする。申し訳ないが、この映画は「駄作」の一言に尽きる。
人を信じることの難しさと素晴らしさ
史実に基づいたホロコーストの裁判の物語。
とても見応えある作品!裁判で勝つには、弁護団のように、感情的にならず、作戦をたてて、傷つくことが分かっている人は証人にしない、など勉強になった。
感情的な主人公が弁護団を信じていく過程も良かったし、最後の会見も良かった。
一方の原告は、敗訴しても自分の主張を曲げない懲りない男だった。
悪役俳優はつらそう
法廷ものは好きでよく見る。(なんせ自分でチケット買って初めて観たのが『死刑台のメロディ』。)
当たり前に思えることでも、それを証明するのは案外難しい。逆に、言いくるめたり、恫喝したり、貶めたりという「手法」が、法廷でも罷り通る(作品の中で、アービングが生存者を尋問するビデオの場面)。主人公の弁護団のプロ意識に学ぶべき点は多い。
だから?
で?と思った。
ドラマとしては観れる内容だが、どう共感し感想を持ったら良いのかよくわからない作品。
ホロコーストそのものの否定を主張する原告。。その主張をディスって名誉毀損?で訴えられた被告。。原告の歴史認識の間違いを指摘していく裁判。。原告は信念においてその「間違い」を信じているのであり「嘘」を付いているわけではない、という裁判長の指摘を最大の争点に。。しかし勝訴。
だから?あたりまえだろ。。
なんか宇宙人とか超常現象を盲信する人を相手にしているようなもので、論争にゴールがなく埒があかない。違う世界の人なんだから何言ってもダメ。最後のテレビ出演の様子がまさにそう。大月教授とオカルトのだれかみたいな言い争い笑
世紀の茶番劇をもったいぶって描いている。その目の付け所はユニークである。
まじでタメにならないのに、タメになりそうなつくりにしてるのが草
他人事ではないテーマ
こういう「否定論者」のような主張をする人、日本にもいるよなと思いながら見た。「自称・被害者がそれをネタにして稼いでる」と主張するところまで一緒。日本だと、女性の近現代史研究者がネトウヨから訴えられる、みたいになるのだろうか。
「両論あると人々に思わせるのが否定論者の狙い」という主人公の言葉に「ほんと、それなー!」と思います。
何を持って否定なのか。
歴史家 デボラ・エスター・リプシュタット 原作 『否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い』。
ホロコーストの事実はなかったとの見解を示す否定論者と肯定論者との争いを描くいた実話。
肯定論者たちは、ナチスによる大量虐殺の存在を裁判で証明するべく、その事実証明に翻弄することになる。
因果関係とか証明とか、裁判で使用される言葉の意味を理解するのに苦しむが、逆に否定論者のあまりの説得力のなさに、否定とは何を持って否定なのかをもっと追求してほしかった。
フェイクニュース全盛の時代に
人は結局自分の信じたいものしか信じない。
しかし、歴史は事実の積み重ねであって、人によって「真実」は違っても「事実」は1つだけ。こういう信念が貫かれた映画だったように思う。
南京大虐殺とかと一緒に語られることが多いのかな?
事実として、南京を日本軍が攻めたのは事実。しかし、虐殺があったかは事実ではない。人による「真実」が異なる。
仮に犠牲者が1000人でも大虐殺と言う人がいるなら、その人にとっては「大虐殺」が真実なんだろう。しかし、事実として何人の方が亡くなったのか?それははっきりさせておく必要がある。
解釈を後の世代の人たちが出来るような、正しい材料を整えておけば良い。
この映画の裁判プロセスも、そういう試みの1つなんだろう。
結構楽しめました。
否定論者は世にはばかる
証拠や証言はあって歴史的にも存在が認められていることに対して否定したい人々は常にいる。
彼らが幅をきかせてしまえば、世の中から真実が奪われる。
これはユダヤ人だけではなく、世界、日本でも起きていることだ。歴史修正主義者に対してのカウンターパンチとなりうる本作は、映画としてというよりは事実として知っておきたい。
重要な裁判なのでしょうが、映画にする程でしょうか?
ホロコーストを否定した学者との法廷闘争の物語。
実話をもとにした映画。欧米では有名な裁判なのでしょうが、私は良く知りませんでした。スピルバーグが裁判に寄付したことがニュースになった記憶がありますが、そのレベルです。
もし敗訴していれば大変なことになるのはわかりますが、映画にする程ドラマ性がある話でもないように感じました。主人公がひとりでヒステリックになっているだけ、と言う感じです。極東の島国いる私と欧米の方々では感じ方が違うのかもしれませんね。
正確さ
想像した内容とは全然違って、とても分かりやすくて、ホロコーストの話ではあるが、悪に対する真摯な戦いの話であった。見ることを躊躇していたが、見てよかったと思える、また、このような裁判が行われたことを知らなかったこともあって、悪意の嘘が蔓延する今こそ、皆が見るべき映画と思った。
悪意の嘘には、映画のタイトルにあるように、結局肯定ではなく、denialでしか対抗できないという皮肉なこともある。愚かしい嘘ほど、一部の、もしくは大勢の人々の心を麻痺させ、蔓延する。嘘を発信する人がどうにもならない下劣な人でも世の中は信じる人がいるというこの現実。正しい正論だけでは太刀打ちできないのがこの世の常だなーと気を引きしめる。
アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件実話ネタ
イギリスの法廷モノ
クイーンズ出身のリップシュタッドは赤毛の女傑ながら勝つために沈黙が仕事
弁護団というか弁護士の区分けも独特
ワインとたばこ
ロンドン名物の雨
歴史的事実認定を裁判所が認定?
しかも名誉毀損裁判で
アウシュビッツでロケ
一瞬だけあの小さな窓に映る虐殺描写
被害者を守る弁護団
癒やしではなく勝訴の為の戦略
内なる良心にだけ従ってきた人間が良心を他人に託す覚悟、難しさ
否定論者と討論してはならない。
本人映像無し
その後テロップもなし
【現代社会でも同様の事が世界のあちこちで起こっている恐ろしさを想起してしまう作品。フェイクニュースが氾濫する今、改めて観るべき作品でもある。】
原題:DENIAL 否定
この映画が実際の2000年のロンドン法廷対決に基づいているという点で、まず震撼する。
「ホロコーストはなかった」と主張するデヴィッド・アーヴィングなるイギリスの歴史家を演じるティモシー・スポールの姿が怖い。
アーヴィングの否定の背景に、差別意識があるのは劇中の彼の日常生活の中で発せられる言葉からも明らかである。
同様の事は、2019年の日本でも「言論の自由」(しかし、多くは言論の自由の意味を履き違えている)を盾にして、幾らでも存在する。
私は学生時代、ジュリストを小脇に抱えていたが、この作品を観るまで、(恥ずかしながら)英国の司法制度の仕組みを知らなかった。この作品では、その点についても詳しく語られ、とても興味深く魅入った。
又、ホロコースト学者リップシュタットを演じたレイチェル・ワイズ始め、 トム・ウイルキンソン ジャック・ロウデンといった英国俳優達の演技も見事である。
フェイクニュースが氾濫する現代社会に強いメッセージを発信する社会派映画の秀作だと思う。
<2017年12月8日 劇場にて鑑賞>
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