「先へと進んだ」ジュラシック・ワールド 炎の王国 じぐべーたさんの映画レビュー(感想・評価)
先へと進んだ
個人的に、映画にたまに出てくる「登場人物が一時の感情の波に流されて愚かな決定をしてしまう展開」は大嫌いだし見ていて苛々してしまう。
だから今作のあの場面も最初は受け入れられなかった。
レビューを読んでいても同じ感想を持たれた方は少なくないように思う。
しかし、最後のマルコム博士のスピーチを聴いて考えが変わった。
あの決断はなくてはならないものだと、むしろあの展開を描くためにこのシリーズはあったのだと、そう思うようになった。
あの展開に納得できない方は彼のスピーチにもう一度よく耳を傾けてほしい、言いたいことはそれだけなのだけれど、あえてもう少し語らせて下さい。
注目すべきは、決断を下したのは“彼ら”ではなくて“彼女”であったことだ。すべてはこれに尽きる。
“当事者”である彼女が、まさに恐竜たちを代表する形で下した選択に対して、「責任は誰が取るんだ」などと批判するのは“部外者”である我々にはお門違いなことだ。
あえて言うなら責任は我々人間にあり、その結果が身に降りかかってきたに過ぎない。
このように、生命の尊厳を踏み躙ってはならないと、生命はどんなに抑圧されようとも新たな道を見つけるのだと、シリーズを通して語られ続けてきたテーマが一層はっきりとした形で我々に突き付けられたように思える。
今作では恐竜がひたすら痛めつけられてかわいそう、という感想も多いが、それも、このラストを盛り上げるための準備であったということだ(それにしてももう少しのびのび生き生きとした恐竜たちを見たかったというのは同感だが)。
さらに言うと、今作は傍観者であった観客を“ジュラシック・ワールド”へと引きずり込む役割を担っているようにも思う。
先ほど、「責任は誰が取るんだ」という感想にも触れたが、我々は誰かが責任を取ってくれること、そのようにして問題が解決されることを願っている。
しかし、それだけで全てが丸く収まる時代ではもはやない。
前作までのように(『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』の後半のように例外はあるが)、ある建物から逃げ出せれば、ある島から脱出できれば、それでもう安心・安全という訳ではない。悪い科学者や富豪が何人か恐竜に食われたから、めでたしめでたしとはならない。
遺伝子組換え、ゲノム編集、クローンやデザイナーベイビーをめぐる倫理的問題etc.
既に人類は恐竜を創り出す以上に神の領域に手を出してしまっている。
後戻りはできない。今はもうそんな時代なのだ。
我々は、主人公が危険な目に遭うのを安全な場所から眺めていることはもう許されない。
“恐竜”は今ここに放たれた。
共存か対立か。それともさらに別の道があるのか。
次作を期待して待ちたい。
「ようこそ“ジュラシック・ワールド”へ」