愛を綴る女のレビュー・感想・評価
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観る側の思い入れで補完出来たのが良かった
「愛とは何か」を知らずに生きてきた女性
ガブリエル
彼女のそれはほぼ妄想
愛のない結婚とお互い誓い合った筈の夫から
真実の愛とは何かを知らされる
流産の原因腎臓結石を治療するため行った
療養施設で知り合った男と心を通わせたかに
思えたが、間もなく施設を出ていった男は
死に、それと知らずに思いのたけを手紙に
綴り、返事を待ち続ける女
まとめて手紙が送り返されるが先方の
意図は不明
ガブリエルは男が転院する前結ばれたと信じ
(実際の相手は夫だった)
授かった子に、男との思い出のピアノ曲
「舟歌」を弾かせて心を慰める
ずっとカバンに封印して
男が座っていると信じて一緒に撮った
記念写真には彼女しか写っていなかった・・・
そんな妻の様子を言葉少なに見守る夫
ガブリエルが愛と信じていたものは
妄想であったと知った時
夫が語った一言が胸に沁みる
ガブリエルの表情のわずかな変化で
心が大きく動いたのがわかる
余計なナレーションが無かったので
観る側の思い入れで補完出来たのが良かった
女性目線で作られているような作品だが
男性が観るとまた、感慨深いものが
あるだろう
危うく、切なく、心に響くラブストーリー
しみじみ良い映画だと思った
【”君に生きていて欲しくって・・”夢見がちな女性を、大人の包容力で静かに見守り続けた男の、妻を愛する姿が心に沁みた作品。】
ー 今作は、観る側は後半まで、見事にミスリードされる。ー
・夢見がちな、若く美しいガブリエル(マリオン・コティヤール)は、最愛の男性との結婚を希望しながらも、不本意ながら両親が決めた正直者で、情の深いスペイン人労働者ジョゼ(アレックス・ブレンデミュール)の妻となる。
・ギクシャクした夫婦関係が続く中、ガブリエルは流産し、腎臓結石と診断され、アルプスの山麓の療養所で治療をする事に・・。
・そこには、インドシナ戦争で負傷したアンドレ・ソヴァージュ中尉(ルイ・ガレル)が居た。
ー ルイ・ガレルと出会ったら、そりゃ靡くよね・・。ー
□今作は、ここからの、夢見がちな、若く美しいガブリエルが経験する、美しくもエロティックなシーンが魅力的である。
そして、観る側は、完全にミスリードされていく・・。
<ガブリエルに男の子が生まれ、(ここでも、未だ見る側はミスリードされている)、成長した彼がアンドレ・ソヴァージュ中尉が愛した、チャイコフスキーの美しきピアノ曲”舟歌”を弾くシーン。
そして、ガブリエルが、アンドレ・ソヴァージュ中尉と一緒に撮った筈の写真に写っていた風景。
情の深いスペイン人労働者ジョゼの男としての器の大きさと、夢見勝ちな女性ガブリエルを演じた、マリオン・コティヤールの一途な思いと、エロティックな姿が印象的な作品である。>
愛に生きる2人
奔放な愛にひた走る妻ガブリエルと、そんな彼女を受容し支え続ける夫ジョゼ。2人とも形は違うが共に愛に生きている。初めはどろどろ不倫の映画かと先入観を持って見ていたが全然違った。
ジョゼの忍耐深い愛情の深さに感動。最後にジョゼの愛が報われたのも良かった。
タイトルなし
親に無理やり労働者と結婚させられ、絶対に愛さないと言われ、温泉療養地で、浮気され、実はその相手は死んでるのに、妻には伝えない。生きてほしかったからと。妻への深い愛を、寛大な愛がラストようやく報われる。
期待はずれでした
美しさと実力を兼ね備えたマリオン・コティヤール主演とあって、期待して鑑賞。
しかしエキセントリックなヒロインには感情移入できませんでした。
私たちの祖母や曾祖母が生きた時代は、結婚よりも恋愛の方が珍しかった時代です。結婚は誰でもできたけれど恋愛は憧れでもあった、現代とは異なる時代です。
だからヒロインが恋に恋して、恋に憧れ、心も身体も燃え上がるような熱い恋愛がしたいというのは想像できます。
でも劇中では、発情した頭のおかしい若い女、という印象しか伝わらないのが残念でした。
療養所で出会った若い男と恋に落ちたのも、彼にどのような魅力を感じ、お互いにどう惹かれ合ったのか、伝わってきませんでした。
ラストはすべてが彼女の幻想だったとわかり、ホラー映画を見るようでした。すべてを知りながら、夫はなぜ彼女を見捨てず見守ったのか。
ヒロインの一方的な愛とは対称的な、見返りを求めない愛として描かれていましたが、夫のこれは愛でしょうか。愛というより保護者的な感覚のように思えます。
映画は、ブルーが印象的に使われていましたが期待したほどの映像美はなく、マリオン・コティヤールは身のこなしがドタドタとして、おばさんっぽかったのが残念でした。フランス映画にありがちな恋愛至上主義、狂気の女的な描写は既視感があり、退屈でした。
しかし鑑賞後、調べてみると、この作品の原作はイタリアで、時代設定ももっと遡るのですね。あらすじを読んで俄然興味が湧きました。原作の方が奥行きがありそうです。機会を見つけて読んでみたいと思いました。
ラストの展開に驚き
夫ジョゼの寛大さに拍手
夫ジョゼの寛大さに拍手👏
まさかのアンドレが戻ってきたかと思えば、もう死んでたというラストの衝撃。
あれはガブリエルの妄想?夢、、?
二人で撮った写真もまさかとは思ったが、椅子にはアンドレはおらずガブリエル一人のみ。
最後は少しミステリアス。
アンドレの生前、ジョゼがガブリエルのお見舞いに来たときジョゼは偶然にもアンドレと言葉を交わしていた。
それを最後にガブリエルが知る。
なんで教えてくれなかったの?
君に生きてほしかった-ー
この一言って凄く重い。
ジョゼの寛大さに拍手。
本当に愛していないとこんな言葉言えないし、ここまで妻のことを受け入れることはできないだろう。
ある日ガブリエルが退院後ジョゼに告白した時も、相手は誰か知っていたのかと後から思うとますます寛大さが際立つ。
それを知った上でガブリエルに尽くしてきたのは本当に凄いと思う。
ガブリエルのお母さんも良い旦那様を紹介したものだ。
原作を読んでみたくなった。
走るマリオン・コティヤール
1950年代の南フランスの質素な田舎町に暮らす激情型のヒロインは、時々発作的に腹痛が起こり、母親に仮病ではと疑われている。激しすぎる愛情のために求める人から愛を得られず、その性格と健康を心配した親に身近な男性と結婚させられる。実は腹痛は腎臓結石で、温泉療法のために半年間入院した病院で、魅力的な男性と出会って、恋に落ちる。
マリオン・コティヤールがどんな表情、どんな髪型でも、絶対に美しい。最後はまさかのミステリー。夫の心が凡人程度の寛容さであれば、息子の晴れ舞台にリヨンのアパートへは行かせてくれなかっただろうし、行かなければ真実に気付けなかったのだから、この夫の人間性が全てだ。
演技はみな素晴らしい〜〜
景色や画面も文句なく美しいけど、
思いが強すぎて一種の妄想の中に生きるヒロインへの
男の一途な愛に観ているこちらは戸惑ってしまう。
女性監督の、これは願望を形にしてしまった映画なのか??
どうしようもないダメの男の出て来る映画なら沢山あるし
こっちも観ていて「こんな男いるよね〜」と鼻で笑えるのだけど
ここまで一途に女を愛する男はやはり現実感がないし
女にとって一種の理想的な男を
女性監督が撮った作品だと思うと若干冷める〜〜
これでは、いつも自分の願望を映像化してしまう
ウッディー・アレンを笑えない。
でも俳優の皆さんは全て流石の演技!
そこだけは全面的に大絶賛!!
ただ主題が、私には合わなかっただけ〜〜
★もう一度観るなら?「もういい」
こんな愛もあったんです
マリオン最高
文学と音楽が思ったほど絡まない
映画の中で「ラ・シオタの出身云々」の台詞。聞き覚えのある地名だと思ったら、リュミエール兄弟が初めて上映した「列車の到着」のラ・シオタではないか。
チャイコフスキーの「舟歌」がカーラジオから流れる時に、エミール・ギレリスという演奏家の実名が出てくる。クラシック音楽を使用する際に演奏家の名前をはっきりさせることは珍しい。
原題は「結石」という、何とも色気もへったくれもないもの。この邦題には配給元の苦労が滲む。
主人公の文学・音楽への情熱が、物語の展開にしっかりと絡めば素晴らしかっただろう。
残念なことに、療養所を出てからの彼女の手紙はストーカーの怨み言の域を出ていない。もっと幽霊の心の琴線に触れるものでなければ、彼との再会を観客が想像するには至らない。
女盛りから、少し老いの入った中年まで、マリオン・コティヤールの存在感がかろうじて映画を文芸「的」なものにしている。
意外な結末
やっぱりコティヤール。
夢幻の愛は無限
愛することにも愛されることにも全力を尽くす女。しかしそれは「愛」というよりも「情欲」といった方が近いかもしれないと思う。激しい程に愛を求めて情熱的なまでに愛されることを望んでいるような。結婚前にあった教師への一方的な愛の押しつけも、ヒロインの性愛への激しさを感じさせる一幕だった。そんな女性が、愛のない結婚をし、闘病先の施設で本当の愛と出会う・・・なんて書き方をすれば、不倫の物語だとかメロドラマなどとカテゴライズしそうになる。しかし、この映画は最後の最後に本当の愛を描く。愛のない結婚をした夫が最後に明かす真実こそが、愛であることを指し示す。それが分かった瞬間、この映画のすべてのフラストレーションが解放されて消えてなくなった。そして最後に残ったのは夫の愛の奥深さで、全てを知った上で妻の「愛」の炎を決して吹き消さなかったその姿に、とても胸を打たれた。
妻の愛はただの夢幻だった。確かにすべてをなげうって逃げ出したいほどの愛だったし、見えないものを見てしまうほどに思い詰めた愛だったのも疑いようのない愛だと思う。その後17年間秘め続け忘れられずに思い続けた愛も、もちろん真実の愛だったんだと思う。けれども、その背後で別の男を17年胸に抱きかかえながら、それでも17年間見て見ぬふりを続けた夫の愛の深さとでは、もはや比較にはならなかった。この映画を観た後で、愛とは何か?と問われたら、間違いなく夫の妻に対する深い情愛こそがそれだと答えるだろうと思う。夢幻の愛は、それが幻であるがゆえに壊れることなく永遠に続けることが出来る。けれども現実の愛に永遠などは不可能で、忍耐と努力なくしては在り得ない。だからこそ、17年間、自分以外を思う妻を愛し続けた夫の姿に、深く感動させられた。
そしてそういった一組の夫婦間の対立するような愛の形を描くのに、見事に巧みな物語の構成になっていて、真実がじわりじわりと静かに紐解かれていく様子がとても心地よかった。マリオン・コティヤール演じるヒロインの不倫の恋が主題のラブストーリーならそれは凡庸なメロドラマだっただろうが、この映画はその先になる真の愛を提示して見せ切ったところに好感を抱いたし、至上の愛を描いた秀作に感動した。
この映画のヒロインは、間違った行いを多々繰り返すし、激しさと狂気を持った難しい人物だ。それを演じるのは簡単なことではないし、まして彼女に共感や好意を見出させるのは至難の業かもしれない。ともすれば「身勝手な女」に見えてもおかしくない女性だからだ。しかしマリオン・コティヤールはちゃんと彼女の心情を深いところで理解して、彼女がどういう心の動きで次の行動に映るのかが手に取るように伝わってくる。だから、決して共感できそうもないことでも、彼女の気持ちが痛いほどに分かる。巧い女優って、こういう演技をする人のことを言うんだよなと改めて思わされた。
きみに生きてほしくて
隣席の年配の奥さんが旦那さんに向かって、あなたは電源を切るからいけないのよ、私はいつもマナーモード、これだとかかってきたのが分かるでしょ、と注意していた。上映中に何度も奥さんのスマホのバイブレータが鳴って、周囲の注目を浴びていた。旦那さんは気づかないふりをしているようだった。
キリストの父ヨセフは、新訳聖書ではマリヤの夫として精霊のお告げを受けて子供にイエスと名付ける役割が与えられてはいるものの、聖書の中でもキリスト教全体としてもあまり脚光を浴びている存在とは言い難い。
この作品の夫のジョゼ(スペイン語でホセと呼ばれていた)も、暗い映像に加えて正面からスポットを当てられることもなく、とても地味な存在だ。ジョゼはという名前はヘブライ語のヨセフによく似ていることもあって、二人の生き方が重なって見えた。
マリオン・コティヤールは現代フランスを代表する名女優だが、必要なシーンのためには身体を張る演技も辞さない。その辺りの思い切りのよさは、情熱を大事にするフランス文化の精神性に由来すると言ってよさそうだ。この人の映画は今年だけでも4本観た。
たかが世界の終わり
マリアンヌ
アサシン・クリード
それに本作品
いずれの作品もキャラクターがまったく違っているのに、何の違和感もなく見事に演じ分ける。まさにカメレオン女優としてのポテンシャルを遺憾なく発揮していると言ってよさそうだ。
本作では性欲の塊のような極めて情熱的な女性が歳を重ねて人生の真実に気づいていく過程を、屡々噴出する狂気の発露を加えつつ、静かに演じていく。嫉妬もあり、諦めと絶望もある。さらに妄想や幻覚さえも織り混ぜながら、女の人生をこれでもかとばかりさらけ出す。
そんなマリオン・コティヤールの素晴らしい演技が浮かび上がらせるのが、夫ジョゼの存在だ。聖母マリアを支えたヨセフのように、愛に生きる奔放な妻を無償で支え続ける。
プロット、シーン、そして主演女優の演技と、三拍子揃った見事な作品である。
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