グレイテスト・ショーマンのレビュー・感想・評価
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よさがわからずじまい。
何でこんなに面白くないのか映画鑑賞しながら考えてしまった映画です。笑
初っ端から、なんでこんな適当に作ってるのかな?後半に沢山詰め込みたいことあるからか?後半から盛り上がるそういうパターンもあるし、まぁまぁ、気にせず観よう!と、観ていたものの、
いっこうに面白くならず、、え??、、こんなことってあるの?
あんなに評判いい映画だったのに、まさかの話題作りだけ? レビュー評価もよかったのに?
すごく期待していたのに、
感性と合わなかったようで、とても残念でした。楽しみにとっておいたのに。。
唯一の盛り上がりシーンは、主題歌を
演者たちが歌い出すところだけでした。
そのせっかくの前後の繋げ方、感情の盛り上がり方をもう少し濃くして欲しかったです。
心理描写、動機づけが足りていない気がします。誰もが観て面白い映画を作る人ってすごいんだなと思いました。
追記
私の評価をみて、映画わかってない人ですね的なコメント書かれている方がいらっしゃいますが、、(笑)こちらの作品を満点評価されている方ですね。きっと、大好きな作品だったのでしょうが、ほんと、その方には申し訳ないですが、、
映画をわかっていないですか。。それこそナンセンスなコメントだと思ってしまうんですよね。見る人によっては素晴らしかったり、見る人によってはいまいちだったりするのは当然のことだからです。あらゆる芸術にあてはまることですが、人それぞれの、その時々の感性がありますので。本音レビューをする場所で自分の素直に出た気持ちをおさえて周りと合わせてまぁまぁよかったです(笑)というつもりはありません。
いわんとしたいことがわかっていても、やはり、表現の仕方でぼんやりしたように感じてしまったのですから仕方のないことだと思います。
毎週のように映画鑑賞をしている映画好きの友人たちで集まってみましたが、一同そろって残念ムード。。私達の感性には合わなかっただけ。というだけの話です。
ザ・エンターテインメント!
歌ダンスが良ければそれでよし
大好きなミュージカル作品です。映画館でも自宅でも何度も観てます。
生の舞台ではなく映像となるとカメラ演出の影響力が大きいと思うのですが、そこの出来がとてもしっかりしている&センスが王道向けに垢抜けていて、画面越しでも臨場感があります。
また、最初は舞台設定に対して曲があまりに現代的で違和感がありましたが、曲を好きになってしまったらそんなことは関係なくなりました。
この曲しかないと思えるまでリピートさせ、引き込む力がこの作品にはあります。
歌が得意な俳優ばかりではないですが、ザック・エフロンは流石です。
彼の歌声が流れるとバチッとはまり、作品のクオリティが一段と上がる感じがします。
ゼンデイヤとのカップルで歌う場面が一番好きです。
ゼンデイヤは奇抜なピンクカツラを被りますが、なぜかそれが最高に似合っていて可愛いんです。変な髪型のはずなのに被ってる時方が可愛い…スタイルも二次元的で、舞台衣装だとリアルセーラームーンのよう。あのスタイルで自らアクションして歌って踊れて、それだけで目に楽しいです。
また他にもヒゲの女性、小人症の男性、台詞すらないアルビノの双子など脇役キャラたちもそれぞれ個性的に輝いていて、ちゃんと歌ダンスにも参加してくれるので飽きません。
歌ダンスには星5をつけたいのですが、全体を通した一本の映画と考えて星4にしました。
主人公P.T.バーナムの家庭内いざこざ等は取ってつけた感がある割に長尺ですし中だるみかなと。
彼の人生がテーマですから話の起伏を考えると必要なのでしょうし、些末な問題ですけどね。
畸形、見世物、ポリコレ
変わった人たちをあつめてショーをやった──とは、現代のポリティカルコレクトネスをふまえた言い方であり、これをバーナムの時代に即して、ダイレクトに言えば、畸形をあつめて見世物をやった、のであって、トッドブラウニングのフリークス(1932)とグレイテストショーマンは表裏である。と思う。
いつからか、その境目にはっきりした記憶はないが、世の中のさまざまなものの呼称が、変わった。
スチュワーデスがキャビンアテンダントになった。
看護婦が看護しになった。
孤児院という言い方があったが、養護施設になった。
いま、おもいつくものが、あまりなくて適切な羅列ができないが、いつの間にか、昔の呼び名ができなくなったモノは、たくさんある──と思う。
老齢の父を病院につれて行くと、父は大声で「おおい、かんごふさん、ちょっと」などと、呼びかけたりすることがある。
わたしは、一応「かんごしだよ、か・ん・ご・し」と訂正を入れるが、高齢者のことばづかいを、ほんきで是正したい、と思っているわけではない。
イーストウッドの運び屋にこんなシーンがあった。
Earlがあるとき路上でパンクして立ち往生している車輌をみつける。
黒人の若いカップルだった。旦那はスマホを高くかかげて、タイヤ交換の方法をネットで調べよう──としていた。Earlは「negroのタイヤを交換するなんてね」と言うのだが、女性がちょっとだけ怪訝になって「いまニグロは使わないよ」とやんわり忠言する。
Earlには蔑称の意図はなかった。女性も差別されたと思わなかったから「おじいさん、その言葉はいまは使わないんだよ」と訂正したわけである。
わたしたちがポリティカルコレクトネスに与するのは、その古い呼称によって、個人もしくは団体が、怒ったり、悲しんだりする──と予測されるからだ。
たとえば、昭和初期の求人には、ふつうに容姿端麗・委細面談と書かれていた。
いまは、たとえ容姿端麗なひとしか採用しなくても、容姿端麗という言葉で、それを条件化することはできない。
ポリティカルコレクトネスはひとを平等に呼ぶようになったが、むかしと比べて、ひとは博愛になったわけではない。すこしズルくなったのである。
バーナムが「畸形をあつめて見世物をやった」と言ってしまえば、現代の放送コードを超えてしまう。
映画は、社会からつまはじきにされていた人たちを、現代的なダイバーシティの俎上へ乗せている。
よって、かなり脚色されているはずである。黒人が奴隷売買されている時代であり、バーナムは、もっと山っ気な興行師だったであろうし、差別を打開しようと企図していたわけでもないだろう。
とはいえエンターテインメントにするための単純化/モダン化であり、バーナムの来歴/人物にせまろうとしている話ではない。
これを美化と見てしまうのは醒めすぎであろうと思う。
興行のあいだに、演者との間に絆が生まれたのは、真実だったにちがいない。
映画は、たんに人と身体的な違いを持っていること──だけでなく、人が抱えているなんらかの負い目にたいして、広汎に作用する。
人がなんらかの抑圧/差別をこうむっているとき、それに拮抗したい気持ちと、わたしなんか死んでしまえばいいという気持ちが、葛藤しているもの──ではなかろうか。
その琴線へ触れる良心がグレイテストショーマンには、あった。
だけど、それはアメリカなリベラルだと思う。
日本の学校では、人と違うことをおそれるな──とは教えない。
その意味で、閉塞した日本での大ヒットは頷けた。
さいしょに感じたのは、いささかとうが立っていること。
ジャックマンもウィリアムズも壮年である。
中堅というより、かんぜんにベテランで、冒頭の少年少女が、青年期を飛ばして、いきなり壮年になる。
この装丁のミュージカルなら、20代がやっていい。
むしろふたりでよかったが、ちょっとした違和はあった。
人生の山と谷が、ジェットコースター的に展開する。
ものすごい省略をする映画だと思う。
そのことが退屈させない躍動を与えているが、スピードを落とさず、ドラマ部が空虚化しない人材を配置する必要があった。──ゆえのベテラン起用だと思った。
ところで、世のなかには、This is meこれが私です、とか、私はそれを気にしない、と言って出るだけでは、解決しない差別がある。
たとえば、ふとっているひとが、私は肥満を気にしないわ──と主張して、放胆にふるまってみたりする──なんてことが、業界ではよくある。
個人的には「なんだかなあ」と思ったりする。
わたしは肥満を中傷も差別もしないが、肥満にたいする中傷や差別にあらがってみることが、みずからの存在証明だと矜持するのは、些末すぎる。
芸能人でなければ、そんなことには、なんの価値もない。
おそらく、ほんとの差別とは、芸能人のSNSのコメントにならぶようなものではない。と思う。
15歳のDorothy CountsがHarry Harding High Schoolに登校する写真をご覧になったことがあるだろうか。「私はあなたのニグロではない」(2016)で、それを見た。一連の写真はこの世でもっともおそろしいイメージだ。
憎悪と罵倒の群衆のなかで、かのじょは文字通りの孤立無援、文字通りの四面楚歌だった。
Dorothy Countsは、これが私、私は気にしない──と言って、それを打開することはできなかった。
人と違うことはいい。
だけど芸能人がやるような自己肯定を、一般人がやると、たんに無秩序なだけになる、ことがある。
グレイテストショーマンを見て勇気づけられるのは素晴らしい。が、健常な現代人が、抑圧を感じるとき、なんらかの差別をこうむっているのか、自分が勝手だからなのか、慎重に振り返ってみても手遅れにはならない。
おとなになるとたいくつな冷静さがそなわってしまうが、これを受け取れないほどひねくれていはいない。大衆に寄り添う、高揚する、いい映画だった。
最高傑作。
グレイテスト・ショーマン
わくわくする
CD買いました
まさしくグレイテスト
私はミュージカルは元々見ない人なのだが周りの人に勧められて内容も分からぬまま見に行った。
きっと歌って踊って終わりなんだろうな、、そんな気持ちだった。
ストーリーが始まり急に歌が始まった!
私の鼓動は高鳴った!
なんだこの良い曲は、、引き込まれる!
そしてどんどんストーリーは面白いくらい早く進んでいった。
あっという間に2時間がたちEND
もう頭から曲が離れない。
速攻全曲ダウンロード。
ミュージカル映画でもしかしたら1番好きな映画になったかもしれない!
なんと言ってもダンスと歌がほんと飽きない!全部良すぎた!ストーリーも前向きで最高だった!
見たあと幸せな気分になれた!
これは是非テレビではなく映画館で見て欲しい!
ありがとう!素敵なペテン師!
This is meの曲が好き
誰かと思えば、レミゼラブルの主演俳優と、ハイスクールミュージカル、ヘアスプレーの男の子!
グレイテストショーマンって実在した方の半生を描いたミュージカル映画なんですね。
どちらかというとサーカスに出演してる方達の視点で見てみたいなっておもいました。
This is meの楽曲使われていたところが、一番好きです。自分は自分でいいっていう肯定って難しいと思うんですけどこの曲を聞くと勇気が湧いてきました。
言ってしまうとそこ以外は面白くなく私の心に響きませんでした。
なんか変だなって思って見直したら、序盤には本人達が歌いながら表現しているんじゃなくて、バックで歌が流れているだけの部分があり、ミュージカルっぽくないなって感じました。
私の中のミュージカル映画は、心の声も全て俳優達が歌いながらお芝居していることだったので、そこの部分に違和感がありました。
最高のサーカスミュージカル映画。 この映画で気持ち動かされたぐらい...
人の感性の違いにびっくり!
主題歌「This is me」が最高。感動。大好き!
醜さ、コンプレックス、障害、差別、マイノリティな孤独、
様々な苦しみを抱えて、それでもみな必死で生きて、自分の居場所をさがしてる。
主人公は「いい人」じゃない。金儲けのために人を利用するし、プライドを守るために平気で人を差別する。利己的なヤツだ。
でも、世間のみなが「醜い」と見下したものたちの中に、「唯一無二の美しさ」を見いだした時の気持ちは、本当だったのだと信じたい。
傷つけたり傷つけられたりしながら、それでも、居場所の無いはみだしものたちは、よりそって生きてきた。仲間になった。
どんなことがあっても、私は負けない、顔を上げて生きていく、
決意のこもった歌声「This is me」を、ずっと心に焼きつけて、
私もこの歌を歌いつづけて、生きていきたい。
人から見下される悔しさを知っている人なら、誰もが楽しめる傑作。
貧乏な仕立屋の息子として生まれ、上流階級のお嬢様と身分違いの恋をした男。そしてこの男の人といっしょに生き抜こうと決意した素晴らしいお嬢様。
この二人がこの映画の主人公です。
あふれんばかりのアイディアを持ち、成功への階段を駆け上るバーナム。
しかしその成功とは裏腹に、たとえ大金持ちになっても、たとえ英国国王に謁見できる身分までになっても、スノップな人たちからの蔑(さげす)みの視線から片時も逃れることができない、その哀しみ、苦しみこそが、陰のテーマです。
力のあるミュージカル仕立てで、音楽も素晴らしく、ヒュー・ジャックマンのカッコ良い踊りやしぐさにシビレっぱなし。
ストーリーも極貧からの成功物語ではあるのですが、「人から見下されること」とは何かというテーマが幾重にも折り重なり、おそらく真の上流階級以外の人なら誰もが心の中に抱えているはずの心の古傷の痛みを、そっと、そっと、しかし絶え間なく刺激し続けて、それがストーリー上の絶妙なスパイスとなり、数々のセリフがなおさら輝きを放っている、そんな一品でした。
約束は守ったよ。25年間待たせたけど……というセリフには、思わずグッと来るものがありました。
恋人や親しい友達と観に行く価値がある作品だと思います。
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