「黒人じゃなくても全女性に響く戦いの物語。」ドリーム だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
黒人じゃなくても全女性に響く戦いの物語。
黒人で女。1960年代のアメリカにおいては決して生きやすくなかったであろう人々が、自らを認めさせた物語です。
人種差別と性差別の2重ハンデを、自らの才と言動で克服した英雄譚ですから、とってもスカッとします。
明るく軽やかに事をなしえたように描かれているため、エンターテインメントとしても優秀という点で、より受けがよいという寸法ですね。
本国アメリカではラ・ラ・ランドよりもヒットしたとか、ファレル・ウィリアムズによる60年代調のオリジナルスコアがいいとか、キャサリンはまだご存命であるとか、聞けば聞くほど気になる要素が目白押しです。
主役のキャサリンを演じた役者さんは知らない人でしたが、ドロシーを演じたオクタヴィア・スペンサーは、『help』でむかつく雇い主に作ったパイにう○こを入れて逆襲したメイド役がかっこよかった彼女でしたし、メアリーを演じた方はムーンライトに出てた、シャロンが懐いた麻薬ディーラー(この人はキャサリンの夫になった軍人役で出てた)の奥さん役の人で、知ってる顔だったので入りやすかったです。
メアリーとキャサリンは常に濃く口紅を引いていて、よく似合っていました。衣装も華やかで、常にハイヒールな彼女たちにうっとりもしましたが、あんなヒールで800m先のトイレにまでかけこまないかんというのは、面白いシーンではありましたが、なんつうヒドイ扱いかと憤慨しました。
キャサリンの上司の本部長役が、どっかでみたなー誰やっけ?と思っていたら、なんとケビン・コスナー。久しぶりすぎて全然分りませんでした。すごく久しぶりにみたなぁと思いました。
また、東コンピューター部の白人管理職をやっていたキルステン・ダンストもよかったです。
宇宙飛行士との交信が一時途絶えて、計画失敗か?という辺りの引っ張りは、ちょっとうっとうしいと思いました。
もうキャサリンが万事解決でええやんけと思いましたが、ま、皆さんに楽しんでもらおうとおもったら、仕方がないのかなーと。
あと、本部長がかっこよく書かれすぎと思いました。
それと、字幕が前後の文脈と、俳優のリアクションとちょっとニュアンス違うくない?って思ったシーンが幾つかありました。
英語聞き取れてないので、あれですが、家で予告を見て、やはり予告と字幕がちがうね、予告の字幕のほうがしっくりくるねって思いました。
まあ、そんな引っかかりは瑣末なことです。
キャサリン、ドロシー、メアリーの3人が、差別を潜り抜け自分を認めさせる過程が肝です。
ドロシーは黒人が集められた西コンピューターセンターの実質管理職だけど、会社の扱いは管理職ではありません。昇格させて欲しいと直訴しますが、取り合ってもらえません。
メアリーは新しく配属になった部署で、エンジニアを目指せよとユダヤ人の上司に励まされてエンジニアを希望しますが、白人向け高校での受講がないとの理由で却下されます。
キャサリンはめちゃくちゃ優秀な数学者なのですが、コンピューターとして配属された新しい部署で、人種差別と女性差別にさらされて四面楚歌状態です。
そんな状況を、彼女らは正攻法で克服します。
ドロシーはIBMにコンピューターたちの仕事が奪われる未来を踏まえて、独学でコンピューターマシンの勉強をして、ついにはIBM担当の管理職になります。
メアリーは訴訟を起こし、判事を名演説で説き伏せて白人向け高校の受講を勝ち得えます。そして夫をも改心させます。
キャサリンは勢いからですが、トイレが近くにないし、コーヒーポットは空のまま区別されるし、服装規定も差別的でむかつくってことを本部長と部員の前で咆哮します。
それと並行して仕事では成果をあげ、女は入れないという会議に入れてもらえるよう声を上げ、中に入っては大活躍し、その能力の高さを無視できないように発揮し続けることで、やりたいことをできるようになっていきます。
意地悪に意地悪で返すようなことはしません。正攻法で、尊厳をもって、自分が正しいと思うことをやり続けます。その姿の神々しさ、美しさ。
また、軽やかに描かれてはいるけれども、実際にはもっとひどい扱いをうけ、もっともっと傷ついて苦しんで、戦っていたのではないかと想像しました。
結構泣いてる方がいましたが、私は泣きませんでした。泣きそうになったシーン(ミッチェルがドロシーではなくミセスヴォーンと呼んだシーン)がありましたが、我慢しました。
それは面白くなかった、感動しなかった、という事ではありません。
映画を観て感動して泣く、というのは、いい気分になった、気持ちよくなったということも含むので、この映画での戦いを気持ちよさのツールとして消費したくないと思ったからです。
女を低能だとみくびる男の言動、人種分離政策を当たり前だ・自然なことだとする白人の言動に、一箇所一箇所強く怒りを覚えながら観ました。
キャサリンは結構すぐに軍人(むかつきすぎて名前覚えてない)を許していましたが、初対面で思いっきり女を馬鹿にした事を私は許しません。
キャサリンより明らかに無能なのに、黒人で女だからものすごーーーーーく見くびって意地悪をするポールを私は許しません。
女が男の仕事であるエンジニアを目指すとかやめとけってゆうメアリーの夫(最後には応援してますが)を、私は許しません。
ドロシーを昇格させず、常に高圧的にふるまうミッチェル(最後には昇格させましたが)を、私は許しません。
2010年代でも依然として残る人種差別・性差別に対抗するために、沸いた怒りを感動で薄めたくないと思うからです。
もちろんどう受け止めるかは個人の自由なので、単純に気持ちよくなることもアリです。おそらくこの映画は単純に気持ちよくもなれるように、マイルドにハッピーにつくっているので。
でも、フェミニズムよりぎすぎすしてなくてよい、明るく朗らかだからフェミニズムより優れているっていう評価のされ方がむかつくので、噛み付いてしまいました。
この映画に感動したならば、あなたもフェミニストのはしくれなんですよ。そこんとこわかってる?って思います。