新感染 ファイナル・エクスプレス : 映画評論・批評
2017年8月22日更新
2017年9月1日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
ゾンビ映画の新境地へと観客を運ぶ、究極の特急サバイバルアクション
日本の映画宣伝は「ゾンビ映画」という売り文句を避ける傾向にある。ジャンルを明示して、客層が狭まるのを恐れるからだ。そこで「感染パニック」などと婉曲な言い回しで煙に巻き、不特定多数の興味をあおる。かつては「トランスフォーマー」シリーズもこうした顰みにならい「謎の生命体」と正体をボカされていたっけ。日本でトランスフォーマーを秘す意味不明さは置いといて。
どうあれ、とかく映画ファンに評判の悪いこの傾向には、自分も辛辣な態度をとってきた。しかし「新感染 ファイナル・エクスプレス」は、むしろそういった目隠し宣伝の正当性を証明しており、少し口惜しさを覚える。ゾンビパニックと鉄道サスペンス、そしてロードムービーを融合させた本作を「ゾンビ映画」という狭義に収めるのは確かにもったいない。この映画はまさに究極の特急サバイバルアクションとして、ジャンルの臨界点を易々と超えているのだから。
特急と言ったのは他でもない。物語は韓国の特急列車・KTX101号が主舞台だ。ソウル駅から釜山駅へと向かうこの長距離列車の中で、ウイルスに感染した人間がゾンビ化し、乗客たちは狂騒の渦に巻き込まれる。映画はそんな凶暴な怪物と乗客との、緊迫に満ちた死闘が繰り広げられていく。車内という限定空間、しかも停車駅にも大量のゾンビが待ち受け、下車を試みても阻まれてしまう。乗客は増え続けるヤツらと戦いながらも、列車はひたすら走り続けるしかないのだ。
このムチャをこねて固めたような展開を、肉厚な人間ドラマで納得させてしまうのが韓国映画だ。極限下に置かれた乗客どうしの軋轢が、事態をこれ以上ないほどに悪状況へと向かわせ、加えて主人公ソグ(コン・ユ)と娘スアンのエピソードが、観る者の感情の持って行きどころを「怖さ」だけに留めず拡げていく。仕事で家庭を顧みなかった父が、ゾンビとの戦いを通じて子との絆を取り戻す。そんな二人の末路もまた、ゾンビ映画という枠を超えた感動をもたらすのである。
また恐怖描写も、コリアンホラーの流儀にしたがい加虐的だ。人間めがけてゲリラ豪雨のようにダイブしてくる大量のゾンビや、車両にへばりついたゾンビが磁石につく砂鉄のようにつながり、列車をストップさせそうになるなど、それらは過去に山ほどあるこのジャンル作で、ついぞお目にかかったことがない。
飽和状態でオワコンの危険性ただようゾンビ映画。本作は、その革命を告げるホーンを鳴らしながら、まさに特急列車のごとく観る者をジャンルの新境地へと運ぶ。そんな全人類に薦めたい「ゾンビの車窓から」なのである。ソンビの車窓から……って、オレ自身が目隠し宣伝を非難できるセンスじゃないけど。
(尾﨑一男)
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