しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイスのレビュー・感想・評価
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ザンパノとジェルソミーナの関係を思い出した。
『人って自分と違う人間を嫌うの。』
『俺は皆んなが嫌いだ』
『向こうもよ』
『そうだな』
『でも、私は好き』
そして
『わたしが必要よ』
主人公が足が不自由なのを隠すために嘘を付く。
『新しい靴って歩きづらい。靴ずれしちゃって』
鶏を捕まえる時にヒールの部分が少しだけアップになって映る。この俳優さんは右側のヒールを削っていた。凄いです。
『お前は犬よりも手がかかる』
『いいえ。イヌよりはましよ』
映画は瞼の母になるのかと思いきや
『また、犬を飼えば』
『いや、お前がいる』
この会話のつながりが。
『家政婦を求む。掃除用具を持参する事』
このチラシが彼女達の一期一会を作り出す。だから、幸せなんだよ。
『幸せな時を絵に描くの』
ピーテル・ブリューゲルの描いた「雪中の狩人」になんとなく彼女の絵が似ている。
このモードさんの絵を目黒区のある内科医の待合室で見た記憶がある。
色が綺麗だ。
フェデリコ・フェリーニのザンパノとジェルソミーナの関係を思い出した。
一発だけだと思うが、人前で手を上げている。許せない行為だが、それをえを描き出す根拠の様に絵描いているので、許す事にする。
劇的ではないからこそ良い大人のロマンス
1930年代のカナダから始まる画家モード・ルイスの半生のドラマだが、内容は夫であるエベレットとの出会いから夫婦になるまでと、その後、ほとんどエベレットとのロマンス映画のようだ。
雑貨店まで10キロ、隣の家などどこにあるか見えない。エベレットの家には電気もない。そんな田舎の町に越してきたモードはリウマチのせいで誰からも厄介者扱いされている。
孤児院で育った魚売りのエベレットもまた、どこか町から浮いた存在のように見える。
そんな二人は出会うべくして出会ったように思える。回りの人間から少しだけはみ出した二人。
若者のような運命の恋や劇的な恋などは、この二人には存在しない。
愛の言葉を言ったり、抱き合ったりキスしたりしない二人の気持ちの距離は、歩くときの距離として表現されていて、なかなかニクい。
少し離れて歩くモード、すぐ隣を歩くモード、最後はエベレットの手押し車に乗るモード。
このように、全編を通して、モードの描く絵のような素朴な演出が本作の一番の魅力だろう。
エベレットは言った。俺が面倒をみて欲しいんだと。物質的には部屋の片付けをしたり食事の準備をしたりすることを指すだろうが、その本質は、粗野な自分と共に過ごしてくれる人ではなかったかと思う。
古くなったヨレヨレの靴下の、その片割れを求めて。
モードもまた、厄介者扱いされている自分を必要としてくれる人を求めていた。
愛よりも深い、強い繋がりのような、自分の居場所と言えるところを。
穴だらけの靴下の片割れを求めて。
綺麗な靴下、見栄えのいい靴下、新しい靴下を求めるような若者とはもう違う、自分に合う人を求める大人のロマンス作品で、ただ優しいとか、暖かいとかを越えた先にある、人のあり方や夫婦のあり方のような、美しさに溢れた良作でした。
モードが初めて必要とされた、家政婦の求人の貼り紙。それを大事に持ち続けていたことはとても自然なことだったと思う。
モードが亡くなり彼女の残された絵を売ることをやめたエベレット。モードが最初に売るのを嫌がった絵があったように、残された絵を売るのを嫌がったエベレットの姿は、残された求人の貼り紙と相まって、猛烈に涙を誘う。
二人が愛を育む中で男は愛を知り、女は自分のアートを世に示す。
人の愛し方を知らない頑固で孤独な男エベレットと、家族に捨てられた体にリウマチの障害を持つ女モード・ルイスが、家政婦という雇われの形からではあるが徐々に絆を深めていく。その中でモード・ルイスは二人で生活する小さな幸せを絵画という形に昇華させていく物語。
一言で言ってよい作品だった。自分はどうも『孤独で頑固な男』キャラが好きだし、アートが関わる作品には自分もアートに興味があるためどうしても手に取りたくなる。01:28あたりのモード・ルイスの自分の創作姿勢の述懐(描きたいように描くだけ、鉛筆が目の前にあれば満足、深くは望まない)も勉強になる。
妻と接する中で徐々にユーモラスさを持っていくエヴェレット、夫との慎ましい生活の中で自分の中から素敵な世界を表現する力を発揮しそれが世間に広まっていく過程が醍醐味。この作品のように人の感情や『人が変わっていく』様子が丁寧に描かれた作品はあまりないと思う。
エンタメとしてのこの作品の欠点は、この作品にキャッチーなエンタメ要素が無い事。ドキュメンタリー的に平凡に慎ましく生きた個人の伝記を真摯に伝える作品であるのだから当然な傾向だと思う。どうすればいいかと考えると夫意外ももっと外見の良い役者を揃えて二人と外部の人間の葛藤のやりとりをより劇的なやりとりにして家も最初は汚くとも最後はとてもきれいで豪華な家にしたり最後のザマー感をより充実させたりすればより受けると思うが書いてて虚しくなった。堅実でテーマ性のある作品はどうしても売れないしつまらない部分があるのはしょうがないと思う。それをどうすれば本質に抵触せずに面白くするかが創作をする人間がもつべき肝なのだと思うが。
もう一つは、エヴェレットの今を作る原因の手がかりを何も描写していない事。材料がなかったのかもしれないし、フォーカスをモード・ルイスに絞ったからかもしれないが、どうして彼は頑固で孤独に生きているのだろうと気になった。
その他として、調べてみるとサリー・ホーキンスはシェイプ・オブ・ウォーター(2017)の主演女優だった。しあわせの絵の具が2016年公開なので身体障害の表現によりどうしても少し老けて見えるところがあって少しびっくりした。サリー・ホーキンスの顔立ちについてそれ以外の作品でもなんとなく既視感があるような気がして調べてみるとロッキーのエイドリアンに似てるというのがわかった(個人的感想)。役のあり方も今作と少しにてるかも。
しあわせの絵の具と愛を描いた映画
純粋が故に手のかかるモードと、根はとても優しいけれど愛情表現が下手なエベレットが心を通わせてゆく素敵なラブストーリー。
難しい役どころだったと思いますが、サリー・ホーキンスとイーサン・ホークのふたりの演技がスゴく良かったです。
切なくも温かい物語です。
極貧だが上を望まず不平も吐かない自然な生き様に胸が震える
電気も引いてないカナダの片田舎。モード・ルイスは不自由な体だが兄に住む家を売られ、叔母に預けられているが死産した経験を持つ。魚の行商を営むエベレット・ルイスの求人掲示板に応じ、家を飛び出したルイスは彼の家政婦として働くことになったが、孤児のルイスは人の使い方が分からずおろおろするばかり。
「ベッドは1つしかないから雑魚寝をしろ」と共同生活が始まる。しかし彼女は人の噂なんか全然気にしないむしろ面白がる性格で、暇を見ては壁や板切れに絵の具を塗りつけて花や人の絵を描いて行く。
極貧だが上を望まず不平も吐かない自然な生き様に胸が震える。
絵の好きな人はプラス1星付けるだろう。
お互いに欠落してしまっている性格を受け入れ認め合うには多くの時間が必要なのだろう。
どことなく埃っぽい風景。絵にすれば樹々たちの清々しさが観る者の心を存分に癒してくれるだろうに。しかし映画の出だしでは淀んだ川に投げ込まれた子猫のような気分にさせられてしまった。
モード・ルイスという画家を知らなかった。
物語が進んでいくうちにイーサン・ホークはどんな声や目線で彼女の言葉にできぬ哀しみを受け入れるのだろうか・・・そんなことばかり、気になって仕方なかった。演技者としてのセリフや立居振舞に関心を寄せていた。ところが、モードに怒りをぶつけてしまったシーン辺りから、そんな演技への興味はなくなってしまった。そして、僕はいつのまにかこの映画のエンドロールが流れる直前のシーンはどんな形で流されるのだろう?そんな興味でいっぱいになってしまった。
そう、どんな人間にも怒りは訪れる。でも、怒りは自分自身に盛る毒薬に他ならない。
この世のすべては変わり続けている。今、怒りを発せられたとしても笑顔を忘れたわけではないのだ。心身の病も自然の摂理と受け止め受け入れ「それは、仕方のないことなのだ。」と笑いながらうなずく瞬間がいかに大切なのかを思い知らされてしまった。
些細な、退屈きわまる同じことを繰り返す日々。いや、そうじゃないんだよ。窓の外はいつもいっも変化に充ち溢れている訳で、その変化を心耳や心眼で丁寧に感じ取ることが大切なのだ。
生きていくと言うことは汚れていくことなんだから、汚れるのが嫌であれば死ぬしかないのだ。
仕合せを実感する瞬間は誰にでもある。
しっかりと目を見開き心を静めてジッとしていないと感じ取れないよ。
実際のご夫婦の姿と映画の内容(少々DV気味、時代が時代なので許されるの?)に違和感
夫婦の愛の物語として感動をよぶ作品とのことなんだけど。。。
主人公のモードは家政婦として雇われたい一心で、「病気ではない」(リウマチでは?)「人の5倍働く」(実際は指示がないと働けなかったり、基本絵をかいてエベレットがいない間楽しく過ごしている)とか適当な嘘をついてエベレットの家に入り込む。エベレットは忙しいから家政婦を雇ったはずなのに、余計忙しくなってて、イライラするのもまあ仕方ないかと思ってしまった。
すぐに上目遣いで人に媚びを売ろうとするし、相手に拒絶されるとキレて叫ぶところも気になった。
エベレットはエベレットで気に食わないとモードを殴るし、突然興奮して襲ってくるし(結婚を求められると逃げる)いいの?これで?寡黙で素敵な男性像にはとても見えなかった。
終始イライラの香りが漂う映画で、役者さんの演技はとても素晴らしいと思うものの、こんなに荒っぽい夫婦の愛から、あんなに可愛らしくて幸せな香りのする素敵な作品が生れるものかと疑問に思ってしまった。
あとで調べたら、夫婦の記録がほぼないので夫婦のやり取りとか監督が「こうだったのであろう」と想像の元作られたお話とのことだった。(監督へのインタビュー記事より)
WIKIによるとモードは親から愛されて育った少女で結婚前から絵を売っていたようだ。結婚後も絵を描く事をエベレットに薦められていたようだ。だから家事もエベレットがやっていたみたい。(エベレットはモードの絵のファンだった?)
子供を産んだ経験の記録はいろいろ探したけど見つからなかった。これも監督の想像?
実際のモードの絵も、夫婦の写真も暖かで素敵なものだけに、映画に違和感を感じたし、これが夫婦の愛と感動する人が多いことにも少し悲しみを感じた。時代が時代だから殴ったり家畜のように命令しても夫婦の愛でいいの?(愛しててもそれはちょっとと感じない人が多いことが寂しかった。)
エンドロールで流れるエベレットはとても優しい雰囲気のおじいさんで、モードはおちゃめな雰囲気のおばあさんだった。あんな優しい絵をたくさん自由に描けるのは暖かな夫婦の関係があったからだと思った。
こういうしあわせっていい
主演の2人がとてもよかった。
2人の住むカナダの港町のおうちもとてもいい。
カナダで1番有名だという画家のモード・ルイスがモデル。
重度のリウマチを抱えて、親戚の叔母の家で暮らすも煙たがられて、兄は借金を返すために実家を売ってしまう。モードは自分で家政婦の仕事を見つけて入り込む。
孤児院で育った不器用な男が、最初はそれはまぁモードに対してひどい仕打ち。モードはモードでワールド全開なので、めげずに部屋の壁に絵を描いていく。不思議ちゃんだけど憎めない女と、口は悪いけど根は優しい男。
モード役のサリーは素朴派の絵画を習ったそうで、とてもかわいい絵柄。
不器用な2人が、だんだんと打ち解けていく様がいい。押し付けがましくなくて、画や言葉で見せていく、良作。
旦那の出会った当時の粗暴さであったりがけっこう引いたんだけど、純粋...
旦那の出会った当時の粗暴さであったりがけっこう引いたんだけど、純粋な愛情物語ってとらえられるものなんでしょうか。私はこれ制作者がこうあってほしいっていう理想をすごく反映してる物語な気がする。見る人によってこの夫婦の捉え方ってずいぶん変わると思うし、私は悲しい話に思えました。
言わずとも聞こえる『愛している』
障害のある彼女は手がかかると身内から疎まれて
街に出れば馬鹿にされニワトリ以下だと罵られる
自立したい、皆と同じように生きたい
多くは望まない好きな絵を描いていたい
欲張らないモードの心には
窓から見える景色には命が見える
しかも輝いて見える
心が豊かな人の感性だから
人を惹きつける絵が描けるのだと思います
絵が売れても有名になっても
絵の具と愛をくれた夫がいれば
彼女は幸せなのだと思いました
夫になる前は、手をあげてしまったり
ひどく罵ったりしてしまいますが
彼女と過ごす中で徐々に成長があり
最終的には最高の妻だと伝えれるほど
心が豊かになっていて観ていて温かかったです
落書きを許したり
網戸をつけたり
絵を売らなかったり
家事を変わったり
兄を冷たくあしらったり
娘を探したり
全てが彼なりの『愛している』だと思います
ラストシーンの病室での
『私はずっと愛されていた』は
《ちゃんと聞こえていましたよ》
という意味だと思います
また新婚した際に2人が
コットンの白だ、カナリア色だと
お互いを慎ましく褒めあったのも
微笑ましい素敵なシーンでした
ベッドサイドにあった未完成だった女性の絵が
夫婦2人の絵として完成されていてグッときました
モードが亡くなっても落書きだらけのお家はあって
そこに一緒に居てくれるような、
あったかい遺産だなと思いました
生きているとどうしてもお金が大事
お金の余裕が心の余裕だと思ってしまいますが
心の豊かさの重要性を教えてくれるいい作品でした。
観て良かった。
パディントンの素敵なお母さんっていうイメージしかなかったんですがサリー・ホーキンスの演技がすばらしかったです。
シェイプオブウォーター気になってきました、、
素敵な映画
大切なパートナーと出会えた時、人は幸せと感じるのかもしれない。
暗めな色合いの映像なのに、二人のやり取りがとても暖かくて全く違う視え方がした。
イーサンホークの無骨な優しさがかっこよかった。
サリーホーキンスの表情も素敵だった。
しみじみ泣けました
カナダの国民的な画家で、こんな生涯を送っていた女性がいたとは知らなかった。
持病があって親戚の中で厄介者扱いを受ける中、自分で道を切り開いて行ったこと、成功しても変わらないライフスタイルを続けたこと、意地悪な叔母を赦したこと、亡くなる前に後に残るご主人に犬を飼うように勧めたこと、などなど感動のエピソードがいっぱい。
主演のサリー・ホーキンスさんの脚、本当にお悪いのかと思ってしまうくらいの演技で素晴らしかった。ご主人のイーサン・ホーク氏もとても渋くて良かった。
カナダとアイルランドの合作。メジャーどころでは出ない味わい。ノヴァスコシアの景色も風趣を添える良作だった。
途中からボロ泣きし続けた自宅鑑賞の日曜日。
アカン。こりゃアカン。なんで、こんなに泣かすんや、呪わしい。と、途中でタオルを取りに行きましたがな。遠慮なくボロボロ行けるんは、おうちで一人で観てるからでしょうね。
ドアを開ければ全てが見渡せる小さな家。階段で成長する名前も判らない植物。壁を飛び回る大きな蝶々。寒々とした風景の中、細い二本のワダチを残す手押し車で進む、二人だけの道。
娘を遠くから眺めるだけしかできない哀しさと、それを受け止めてくれる人。あなたが全てだと言える人が隣にいる幸せ。
宝物は、「誰にも好かれない者同士」を引き合わせてくれた、30年前の求人広告。
もう駄目です。これは駄目です。サリー・ホーキンス、イーサン・ホークともに、絶演の中の絶演。
良かった。ものすごく!
今日は邦画2本の予定でしたが、なんか気が進まなくてキャンセル。自宅鑑賞3本に切り替えて良かった。自宅鑑賞は、基本、感想文は書かないんですが、これは、どうしても書きたくなりました。
いい映画を観た
暗い始まりだったけど、ふたりの愛が育まれるのと同時にこの映画の良さがこちらの心にもじわじわと染み込んできて、最後は深い愛に深く感動する自分がいた。
運命の人、って、さがして見つけるものじゃないのかもしれない
目の前の人と誠実に思いやりをもって向き合っていたら、愛が生まれ、それを大事に育んでいく、昔は愛とか結婚ってそういうものだったのかもしれない
モードの絵がどれも温かくて、それは愛されていたこと、愛する人がそばにいる幸せが絵から滲みでているのだなと思った。
イーサンホークはええ感じに歳をかさねたなぁ。
モードが乗ってる手押し車をエベレットが押して歩くところがとてもすき。
お前は最高の女房。
『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』鑑賞。
*主演*
サリー・ホーキンス
イーサン・ホーク
*感想*
僕は、モード・ルイスさんのことを存知なかったのですが、この作品を見てから物凄く興味を持ちました。
前半は、個人的には不快感しかなかったです。邪魔者扱いされ、帰る場所もなく、孤独だった彼女が、孤児院育ちのエベレットの元で家政婦として働くようになる。
イーサン・ホークが演じるエベレットの第一印象は、めちゃめちゃ感じが悪いです。(^^;
オレ様感があって、見てて不愉快。まぁ~自分の家だし、仕方ないかw
彼女が絵を売るようになってからお互いがギクシャクして、何度か喧嘩をする時もあります。
しかし、物語が進むにつれ、次第にモードを認めるようになってから、持病を抱える彼女を一生懸命に必死で支える所がめちゃめちゃカッコ良かった。
「お前は最高の女房。」
このエベレットの台詞がガツーンと来ます。
男性の僕でもかっけぇ~って思いましたw
そして、感動しました。
サリー・ホーキンスとイーサン・ホークの演技力が素晴らしかったです!
エンドロール直前にご本人が登場しました。
絵がとても可愛かったです。(^^)
私の2020年最高の映画です。 始まって数分で「これは絶対に好きな...
私の2020年最高の映画です。
始まって数分で「これは絶対に好きなやつ!」とわかり、それからは「終わらないで」と願いながら観て、最後にしゃくりあげるほど涙が止まらなくなりました。
これは「人を愛すること」についての映画です。
孤児院を出て、友人も作らず魚や薪を売りながら寡黙に暮らす男性と、手足が不自由な上に借金まみれの兄のおかげで実家もなくし、叔母の家で肩身狭く暮らす女性。そんな二人が出会うことで始まる物語。
全然器用じゃない、いろんなことができない、持たない二人が出会って、唯一の伴侶を大切にしたからこそ、得がたい幸せを手に入れたんです。モードを追い出した叔母が、晩年に「家族の中で、あなただけが幸せを手に入れた」と話すのには考えさせられます。
インテリアは、もうスタイルとかではなく、本物のシャビーです(笑)。
シャビーは古ぼけた、とか、着古した、という意味ですが、モードが初めて入ったエベレットの家は全体的にグレーで、埃っぽくて、オンボロです。
でもそれが味になってる、といいましょうか、いくらボロボロでもインテリア好きにはそれで十分。色あせた壁の飾り棚のブルーとか、カントリースタイルのプレスバックキッチンチェアとか、三角屋根のお家とか、もう宝の宝庫に見えます。
でも家の中で見つけたグリーンのペンキで、モードは色あせたブルーの飾り棚を最初に塗り替えます。エベレットに怒られて、壁に木を描きます。目を背けながらしめた鶏の絵を壁に描きます。そんなふうに家が少しずつカラフルに、やさしいモチーフにあふれていく中で、二人の関係もカラフルになっていくんです。
二人の対象的な演技がすばらしい。何度でも観たい、けど何度でも泣いてしまうな。本当はこんなに愛せる人が見つかって幸せな人生だったね、と喜ぶ話なんだけど、最後はやはり泣いてしまう。すばらしい映画でした。amazon prime やってて、よかった。
少しでいい、ってことを教えてくれる。
「絵筆があればいい。あと窓が好き」。
モードとエベレットの二人三脚の半生は、見る先々から筋書きが判ってしまうほどまっすぐで、素朴で、単純。
ストーリーも伏線も判っているのに こんなに魂にじんわり沁みて熱いものがこみ上げるのは何故なんだろう?
思ったよ、
僕らが思っている以上に、実は僕たちの人生も美しいのだ、って。
弱さや欠けよりも、(つい自分の弱さに目が囚われてしまうけれど)、自分の人生は、この世界の中で、そしてこの季節の中で、本当は美しく生きておれていたんだと、
そう教えてもらえた。
・・・・・・・・・・・・・
DVD特典のスタッフの述懐は、珠玉。
脚本、監督、役者が作り出した奇跡です。
イーサン・ホークもサリー・ホーキンスも、彼ら役者の真摯な学びの姿勢はたいしたものだ。
'60年代風のフォーク調のサウンドトラックも余韻たっぷりでした。
誰か、大切な友だちに紹介したい一品です。
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