セールスマンのレビュー・感想・評価
全66件中、21~40件目を表示
あなたはどこまで嘘つきを許せる?
イランを代表するアスガー・ファルハディの監督作品である。
筆者がこの監督の作品を観るのは『別離』『ある過去の行方』に続いて3作品目に当たる。
率直に言って3作の中では一番面白くなかった。中盤は眠くすらある。
『別離』は人間性を深く掘り下げるために登場人物の証言が二転三転して何が事実なのかわからない羅生門エフェクトを駆使したサスペンス仕立ての作品になっていてかなり面白かった。
この監督の作品を3作観て、筆者はファルハディは日本ではあまり受け入れられないだろうと思う。
彼の作品では嘘が人間関係の重要な要素となるが、正直であることや誠実さに価値を見いだす日本社会では登場人物たちは時にただの嘘つきに映ってしまうと思うからだ。
また日本人は世界的に見ても面子よりも上記2つを重視するので、本作品自体の過程や結末はほぼたどらない。
日本では本作の物語自体が成立しない。
物語は至極単純である。
妻を暴行致傷した相手を夫が探し出して復讐する物語である。
夫が初めに目星を付ける男の義理の父が真犯人なのだが、まあこの男が実に情けない。
なんとか言い繕って犯人ではないと言い張るし、犯人だと判明した後も家族にだけは伝えないでくれと惨めに夫に懇願する。
恐らくだが、この時点で日本人の大多数が身勝手なこの男に嫌悪感を募らせていく。
極度のストレスと気が動転したからか死にかける犯人だが、なんとか蘇生する。
夫は彼の家族(妻・娘・義理の息子)と自分の妻を呼んで全員が一堂に会したところで真実を告げようとするが、世間体もあるし、男のあまりの情けなさに同情したのか妻は男を許そうとする。
妻から「真実を告げたら私たち2人の関係も終わると思って」と言われ泣く泣く男を許すことにする夫だが、最後は我慢できずに男の頬に強烈な平手打ちを浴びせる。
そしたらまた男の病状が悪化、倒れて意識のない男の周りで泣き叫ぶ男の家族たち、結局この男がどうなったのかは本作では明かされない。
さてここまで書いてきて思うが、実に犯人の男は笑ってしまうほどの情けなさっぷりである。
潔さのかけらもないし、かといって開き直れるほどの悪党でもない。
日本ではこの犯人は役不足だし、日本人の夫婦であればこの男を容赦しない気がする。
妻はなぜ許しちゃうの?と思う人は多いだろうし、最後に男がたとえ死んでも当然と感じる人も多いだろう。
かつて日本で幼女を性的暴行した上に殺した日系ペルー人が家族ぐるみで「悪魔のしわざ」だと言い張っていた事例を思い出す。
特定の宗教を信じていないのになぜ日本人は高潔なのかと中東をはじめ世界中の人々が思う理由はこの映画を観ているとよくわかる。
映画の登場人物たちは人間臭いとも言えるし、逆に日本人の潔癖さは異常とも思える。
ただ人間自体を嘘をつくものだと認めている社会は人の過ちに対して寛大な面もあるが、日本は人の過ちに対して容赦のない側面がある。
筆者はこの映画を観て日本と他国の嘘に対する捉え方の違いを見せられたように感じた。
ニューヨーク・タイムズが本作を「衝撃のラストシーン」と紹介しているが、男が死んでいるなら「自業自得」である。
ただそれによって夫婦の関係が壊れたならある意味「衝撃」ではある。
また監督のファルハディは急激に近代化するイランの不安と苛立ちを本作で表現しているとインタビューで答えている。
世界中どこを見回しても昨今の急激な社会の変化に追いついているのかよくわからないし、みな口を開けば同じようなことを言っている。
だからこそ最近筆者は「変わらない」ことから来るポジティブなものを提示する作品がもっと必要ではないかと感じている。
本作の引用にもなっているアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』を登場人物たちが役者として演じているが、イランの事情で裸のシーンでも女性はコートを着て演じるシーンがある。
それが後の性的暴行への伏線になっているところは良くできている。
もちろん本編では暴行シーンどころか女性の裸は一切出てこないし、妻がほぼ暴行されていることは確定しているのに、言葉でも匂わせるに留まっている。
これはイスラム指導省から制約を受けているからに他ならないが、前述した実際には裸ではないことに役者仲間が思わず笑ってしまうシーンは言外に同省に抗議しているのかもしれない。
ただ、描かないことで見せるのも1つの味にはなっているので一概にどちらがいいとも言えないのが厄介だ。
また出演している俳優たちの演技も掛け値なしに上手い。
本作は2017年のアカデミー賞外国語賞も授賞している。
イランを含む7カ国の入国禁止令にトランプがサインしたことに抗議してファルハディと主演女優のタラネ・アリドゥスティが同賞の授賞式をボイコットした経緯があるらしいが、リベラル傾向の強いハリウッドが政治的な理由から授賞させただけに思えてなんとも滑稽だ。
何やってもいい方向へは行かなそう。
アーサーミラーの戯曲セールスマンを知ってると、多分もっと理解は深まったと思うのだけど、残念ながら知らないので、感服には至らず。
映画セールスマンを観る数週間前に同じ監督の「別離」を見ていましてね。なるほど同じ人が撮ってるなあと思いました。
どうやってもうまくいきそうにないあたりがね、うん。「別離」のほうが私にとってわからない題材が含まれてないので理解できた気も強かったです。
セールスマンもいい映画だと思いますが。
妻を襲った犯人は、元住人の娼婦の客だった60代らしき無力な男でさ、家族に言うぞという脅しにほぼショック死(実際には言ってないけど)しちゃうし、夫婦仲は回復しそうにもないという、誰も幸せにならなかったという結末。
主人公夫婦の夫役の人が、別離では無職で暴力的な方の夫役だった人で、今作でのインテリ系もはまっていて当たり前でしょうが、役者の演技力というものを感じました。
妻が警察に通報するのを拒む理由が私にはよくわからなかったです。
何れにせよ、次回作も見られるといいなーとおもいました。
筋書き通りにはいかない二つの芝居
初の千葉劇場での鑑賞。前席の頭が邪魔にはならず、かといって目の高さとスクリーンが合わない席もほとんどない。なかなかの環境。
さて、映画のことだが、主人公たち夫婦が引っ越す前のアパートの間取りがなんとも不自然というか、不思議である。
リビング?と思われる広めの部屋にはガラス窓の付いた壁に仕切られた部分があり、カメラがそのガラス越しに被写体をとらえるカットが何度も現れる。
オフィスなどによく見られる仕切りとは異なり、これは本来なら外壁に空いているはずの「窓」が家の中にあるような印象を与える。
この不可思議な空間設計は、終盤に妻を襲った男性を問い詰めるシークエンスにおいて舞台装置としての機能を果たすことになる。
やっとのことで真犯人を突き止めた夫は、その罪状を関係者たちの前で明らかにしようとする。これは、謂わば夫が演出する芝居である。ただし、この芝居では、出演者は観客を兼ねることになる。
主役の犯人をアパートに軟禁して、あとは観客兼出演者の家族が揃えば、この芝居は幕開きのはずであった。しかし、いままさに幕が開けようとするその時に、不測の事態が発生。芝居は夫の意図したものとは全く異なる筋書きに変わっていく。
それはまるで、妻の遭遇した悲劇によって、夫婦が参加する同人演劇の「セールスマンの死」が筋書き通りの舞台とはならなくなってしまったことと同じようである。
精神的な痛手を負った妻が、「セールスマンの死」の芝居の途中で舞台を降りる。
持病の発作により、妻を襲った老人は家族を前にした告白を強要される前に生死の境をさまよい始める。
こうして二つの芝居は、当初の筋書きを書き換えていくのだ。
筋書きが変わっていくこの流れに逆らう夫の姿が、自我に固執した印象を観客に与える。それは本来なら一番大切にしようとしていたものを失っていく瞬間でもある。
予告の予想と だいぶ違った。 ちょっと期待してたんだけどね〜 確認...
予告の予想と
だいぶ違った。
ちょっと期待してたんだけどね〜
確認もせず
ドア開けとくなんて
日本でも危ないよ...
なんか
色々もどかしくて...
もっと
サスペンスかと思いきや
犯人ヨボヨボの
ジジィなんかぁ〜い(笑)
まだ嫁婿犯人の方が納得⁇
しかし
慌てたとはいえ
ベット脇に靴下?
クッションの下に
解約済みの携帯とトラックの鍵
お金とコンちゃんまで
各場所に置き忘れて
ジジィが部屋に入ってすぐ
シャワー室に入り
襲ってすぐ逃げたのなら
見つからなかったのでは?
ホントは
何が起こったのでしょうね?
ドッキリテクスチャー
生の破綻、死の連帯。
キャラクターの生活の中での音。
役者の表情が巧みだった。
ただ本筋から外れるが、寂しいからという身勝手な理由で押し入り暴行事件の疑いがある部屋に知人の子を預かる神経が理解出来ない。
昼は側に、夜は離れて。
のしかかる感謝、交わらぬ視線。
徹頭徹尾すれ違い、誰も彼もが身勝手である。
監督が批判するトランプ大統領も授賞式をボイコットする彼自身も、ケイシー・アフレックのセクハラも拍手を拒むブリー・ラーソンも。
本年度のアカデミー賞は、薄っぺらな主義に満ち溢れていた。
数学的構成
脚本、映像が緻密な描写で、ララランドの時にも感じた数学的構成の印象をうけました。急ピッチに近代化するイランだが、名と恥などの因習に縛られ、様々のスレ違いにより自爆していく心理面を、戯曲セールスマンの死に重ねて描写されていきます。2時間があっという間でした。イランというお国柄、アーサーミラーの戯曲セールスマンの死の内容を知らないで観ると面白さを理解できないかも知れない内容です。色んな人間のよいところ、悪いところが描かれているので、一人の立場からではなく解釈されていくのが悲劇をうみだします。ラストは考えさせられます。この監督の他の作品が観たくなりました。
別離
いつか二人で観たイランのあの映画、終わり方が好きじゃないと言ってたね。
久しぶりに心臓に悪い映画を堪能しました。
主要人物みんなの厭らしさというか、みんなに対して観てる側がイラつく仕様(?)になっているのが凄い。
実際みんな好い人でもなければ悪い人でもないのが凄くきつい。
とりあえずスカッとする瞬間のない映画でした。
いい意味で。
71
人生の無常、小津の映画のよう…
この映画についての基本的知識は、例によってほとんどなし。
中東のどこかの国の映画だとはわかっていた。なぜ見ようと思ったのか。劇場のチケットが7月末までだったので、何か1本見ておかないといけない、というくらいの理由だった。
アカデミー賞外国語映画賞受賞というのも、頭の片隅にはあったが、見に行った段階では覚えていなかった。
舞台はイラン…。この国の現状についての知識がないとちょっと感情が入りづらい気もした。
妻がひょんなきっかけで暴行され、その復讐をしようとうする高校教師の夫の行動がアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を演じる市民劇団(この夫妻も参加している)の稽古と本番の時間進行ともに重層的に描かれていく。
「ここってどこなんだろ…、どこの国なんだろ…」との思いが見始めからついて回った。
イラン? テヘラン? 女性はこんなに顔を出してて大丈夫なのか…。ぼろいマンション暮らしだけど、みんな車は持ってるんだ、携帯電話も普及している…などという生活水準への疑問もちらついていたが、終盤、夫が暴行犯を突き止めてから話も引き締まり、「悲劇的」なエンデイングにいろいろ考えさせられた。
パンフレットを買って、開いてみたら、監督のアスガー・ファルハディが1972年生まれ、と若いのに驚いた。
いや、評者の僕が年取りすぎなだけで、若くもないんだが。
なかなか、人生の苦さをうまく表現した、印象に残る1本である。
人間の感情
後味の悪い犯罪が起きて、その被害者夫妻があっちに振られ、こっちに振られ、観てるこっちも一緒に振られて、そういう感情が良く描かれてんの。
「で、なんなのさ?」という問に対する答は多分なくて、ひたすら振られていく感じ。
意味深い作品
やるせなくて何とも言えない結末。夫と妻、それぞれの言い分も良くわかる。しかし実際に傷を負ったのは妻の方なので、妻の気持ちを理解してやるべき。憎悪よりも愛を選んだ夫の決断はあれで良かったと思う。
そして、この作品は人の良心や善悪の判断を問う内容であると感じた。単なる犯人探しだけのサスペンス映画ではない。例えば、防御の無い女性に遭遇した時に果たして理性は保てるのか?今回は性犯罪を題材にしているが、それだけでなく広い視野で考えるべき。かなり意味深い作品。
2017-94
終始イライラ
何で警察行かんの?奥さんの気持ちがよくわからん。結局、レイプされたの?殴られただけ?なんかシャッキリしない人物の行動にイライラしっぱなしだった。社会情勢とかなんとか日本人にはよくわからん。
過去作を知る人も必見
監督の過去作では、まだ小さい子供がいるのに離婚やら再婚やらで、意図せず巻き込んでしまう演出は見ていてつらいですが、私はそういう演出にめっぽう弱いのですが、今作でもその演出は健在!
闖入者が置いていった金で、飯を食ってると分かったときのエマッドのあの表情!重すぎる空気!巻き込まれてしまった、よその子!
私が期待していたファルハディー節!子供が大人の事情に全力で巻き込まれる演出がそこにはあったのです!
濃密な心理サスペンスと言いながら、やっぱり裏切らない、さすがファルハディー節だぜ!フーッ!(不謹慎)
うーむ
家は手に入ったが一緒に住む人を失ってしまった
というのが
セールスマンの死 という演劇らしい
今までの関係が個人に分断されていく
そんな演劇を演じるのが主人公の夫婦
彼らの目の前で
老夫婦はお互いをかけがえのないものといいつつ
最後まで秘密をもったまま死別する。
見た目は理想的に見えるけど
今の私たちには
もう戻れない世界のようにも見える。
メイクすることや
舞台のセットや照明などを操作する。
そういうことがいちいち皮肉っぽく感じられる。
なるほどね。と唸る。
でも
何か明るい兆しというのも垣間見せて欲しいところではある。
妻が暴行にあって夫がとった行動
セールスマンとは、国語教師の主人公が趣味(か、副業?)で参加している演劇で演じる役だ。
これが劇中劇として本編に絡んでくるかと言えば、そうでもない。
ただ、主人公夫婦の心理の移り変わりに、練習風景や本番の舞台、楽屋裏、劇団員たちが微妙に関わってくる。
イランの国民性も社会的背景もよくは知らないが、あれが中流階級の姿なのだろう。
オープニングのタイトルバックの映像は芸術的だった。
ストーリーは淡々と進んでいった印象だったが、加害者が判明してから意外な展開を迎える。
被害を受けた妻の心理的な閉塞感はよく解らないが、加害者である老人を見てからの夫を制止しようとする気持ちは理解できる。
妻は何かを隠しているのではないかと疑ったが、そうではなかった(のだろう)。
しかし、老人と妻の間で本当は何が起きたのか、まだ判然とはしていない気がする。
老人の妻と家族は、老人の所業は知らぬままなのだろう。
しかし、主人公夫婦はこの後どのように事件を乗り越えていくのだろうか。
破綻の結末しか想像できないのだが。
役者たちは皆達者な演技を魅せている。
ほとんどが狭い空間で、カメラは役者たちに接近している。
町で加害者の車を捜す、追うシーンでさえ、ほぼカメラは車中にある。
そんな中で、夫と加害者老人を見つめる妻が、少し遠い立ち位置だったのが印象的だった。
全66件中、21~40件目を表示