「あなたはどこまで嘘つきを許せる?」セールスマン 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
あなたはどこまで嘘つきを許せる?
イランを代表するアスガー・ファルハディの監督作品である。
筆者がこの監督の作品を観るのは『別離』『ある過去の行方』に続いて3作品目に当たる。
率直に言って3作の中では一番面白くなかった。中盤は眠くすらある。
『別離』は人間性を深く掘り下げるために登場人物の証言が二転三転して何が事実なのかわからない羅生門エフェクトを駆使したサスペンス仕立ての作品になっていてかなり面白かった。
この監督の作品を3作観て、筆者はファルハディは日本ではあまり受け入れられないだろうと思う。
彼の作品では嘘が人間関係の重要な要素となるが、正直であることや誠実さに価値を見いだす日本社会では登場人物たちは時にただの嘘つきに映ってしまうと思うからだ。
また日本人は世界的に見ても面子よりも上記2つを重視するので、本作品自体の過程や結末はほぼたどらない。
日本では本作の物語自体が成立しない。
物語は至極単純である。
妻を暴行致傷した相手を夫が探し出して復讐する物語である。
夫が初めに目星を付ける男の義理の父が真犯人なのだが、まあこの男が実に情けない。
なんとか言い繕って犯人ではないと言い張るし、犯人だと判明した後も家族にだけは伝えないでくれと惨めに夫に懇願する。
恐らくだが、この時点で日本人の大多数が身勝手なこの男に嫌悪感を募らせていく。
極度のストレスと気が動転したからか死にかける犯人だが、なんとか蘇生する。
夫は彼の家族(妻・娘・義理の息子)と自分の妻を呼んで全員が一堂に会したところで真実を告げようとするが、世間体もあるし、男のあまりの情けなさに同情したのか妻は男を許そうとする。
妻から「真実を告げたら私たち2人の関係も終わると思って」と言われ泣く泣く男を許すことにする夫だが、最後は我慢できずに男の頬に強烈な平手打ちを浴びせる。
そしたらまた男の病状が悪化、倒れて意識のない男の周りで泣き叫ぶ男の家族たち、結局この男がどうなったのかは本作では明かされない。
さてここまで書いてきて思うが、実に犯人の男は笑ってしまうほどの情けなさっぷりである。
潔さのかけらもないし、かといって開き直れるほどの悪党でもない。
日本ではこの犯人は役不足だし、日本人の夫婦であればこの男を容赦しない気がする。
妻はなぜ許しちゃうの?と思う人は多いだろうし、最後に男がたとえ死んでも当然と感じる人も多いだろう。
かつて日本で幼女を性的暴行した上に殺した日系ペルー人が家族ぐるみで「悪魔のしわざ」だと言い張っていた事例を思い出す。
特定の宗教を信じていないのになぜ日本人は高潔なのかと中東をはじめ世界中の人々が思う理由はこの映画を観ているとよくわかる。
映画の登場人物たちは人間臭いとも言えるし、逆に日本人の潔癖さは異常とも思える。
ただ人間自体を嘘をつくものだと認めている社会は人の過ちに対して寛大な面もあるが、日本は人の過ちに対して容赦のない側面がある。
筆者はこの映画を観て日本と他国の嘘に対する捉え方の違いを見せられたように感じた。
ニューヨーク・タイムズが本作を「衝撃のラストシーン」と紹介しているが、男が死んでいるなら「自業自得」である。
ただそれによって夫婦の関係が壊れたならある意味「衝撃」ではある。
また監督のファルハディは急激に近代化するイランの不安と苛立ちを本作で表現しているとインタビューで答えている。
世界中どこを見回しても昨今の急激な社会の変化に追いついているのかよくわからないし、みな口を開けば同じようなことを言っている。
だからこそ最近筆者は「変わらない」ことから来るポジティブなものを提示する作品がもっと必要ではないかと感じている。
本作の引用にもなっているアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』を登場人物たちが役者として演じているが、イランの事情で裸のシーンでも女性はコートを着て演じるシーンがある。
それが後の性的暴行への伏線になっているところは良くできている。
もちろん本編では暴行シーンどころか女性の裸は一切出てこないし、妻がほぼ暴行されていることは確定しているのに、言葉でも匂わせるに留まっている。
これはイスラム指導省から制約を受けているからに他ならないが、前述した実際には裸ではないことに役者仲間が思わず笑ってしまうシーンは言外に同省に抗議しているのかもしれない。
ただ、描かないことで見せるのも1つの味にはなっているので一概にどちらがいいとも言えないのが厄介だ。
また出演している俳優たちの演技も掛け値なしに上手い。
本作は2017年のアカデミー賞外国語賞も授賞している。
イランを含む7カ国の入国禁止令にトランプがサインしたことに抗議してファルハディと主演女優のタラネ・アリドゥスティが同賞の授賞式をボイコットした経緯があるらしいが、リベラル傾向の強いハリウッドが政治的な理由から授賞させただけに思えてなんとも滑稽だ。