「筋書き通りにはいかない二つの芝居」セールスマン よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
筋書き通りにはいかない二つの芝居
初の千葉劇場での鑑賞。前席の頭が邪魔にはならず、かといって目の高さとスクリーンが合わない席もほとんどない。なかなかの環境。
さて、映画のことだが、主人公たち夫婦が引っ越す前のアパートの間取りがなんとも不自然というか、不思議である。
リビング?と思われる広めの部屋にはガラス窓の付いた壁に仕切られた部分があり、カメラがそのガラス越しに被写体をとらえるカットが何度も現れる。
オフィスなどによく見られる仕切りとは異なり、これは本来なら外壁に空いているはずの「窓」が家の中にあるような印象を与える。
この不可思議な空間設計は、終盤に妻を襲った男性を問い詰めるシークエンスにおいて舞台装置としての機能を果たすことになる。
やっとのことで真犯人を突き止めた夫は、その罪状を関係者たちの前で明らかにしようとする。これは、謂わば夫が演出する芝居である。ただし、この芝居では、出演者は観客を兼ねることになる。
主役の犯人をアパートに軟禁して、あとは観客兼出演者の家族が揃えば、この芝居は幕開きのはずであった。しかし、いままさに幕が開けようとするその時に、不測の事態が発生。芝居は夫の意図したものとは全く異なる筋書きに変わっていく。
それはまるで、妻の遭遇した悲劇によって、夫婦が参加する同人演劇の「セールスマンの死」が筋書き通りの舞台とはならなくなってしまったことと同じようである。
精神的な痛手を負った妻が、「セールスマンの死」の芝居の途中で舞台を降りる。
持病の発作により、妻を襲った老人は家族を前にした告白を強要される前に生死の境をさまよい始める。
こうして二つの芝居は、当初の筋書きを書き換えていくのだ。
筋書きが変わっていくこの流れに逆らう夫の姿が、自我に固執した印象を観客に与える。それは本来なら一番大切にしようとしていたものを失っていく瞬間でもある。