エル ELLEのレビュー・感想・評価
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男なんて災厄したもたらさぬ動物。
この映画では、登場人物の誰もがセックスに振り回されている。イザベル・ユペール扮する主人公ミシェルにいたっては、レイプ被害者であると同時に親友の夫とも妻のいるご近所さんとも関係を持ち放題の性豪で、精神的には親友の女性と同性愛的な繋がりもあるという貪欲レディである。
ただイザベルは男たちと違い、純粋にセックスそのものを楽しんでいるだけで、相手への所有欲をこれっぽっちも持ち合わせていない。このドライさがイザベルの強さであり、それゆえに男たちを余計に燃え上がらせてしまうトラブルホイホイにもなっている。
気がつけば、セックスに自分のエゴを持ち込む男どもは、結局は女たちに災厄しかもたらさない。女性同士の連帯が痛快ですらあるラストに、男性側の一員として「なんだかごめんなさい」謝りたくなってしまうのは、ヴァーホーヴェンの男女観ゆえだと考えて構わないものだろうか。
バーホーベン大復活!
世の中と同様、映画界も何かと表現の枠が狭まり、昔みたいに何でも描ける時代ではなくなってきた。特にバーホーベンのような才能は生きにくい時代なのだろうと・・・。ところがどうだ。この鬼才が今、重厚さとエキセントリックさの狭間を自在に行き来しながら、こんなにも奇妙でゾワゾワする一作を作り上げてしまうなんて。おそらく彼にとっても生涯最高の賞賛を獲得している本作は、自宅で暴漢に襲われ被害者となったヒロインの内面と記憶を掘り下げ、観客に思いがけない過去を突きつけてくる。このミステリアスな語り口が本当にクセになる。たまらない。何よりもイザベル・ユペールというミューズを獲得することで、このあまりに不可解な闇を持つキャラクターが見事に息づき、そこに仄かなコミカルさを付与するという離れ業が成立している。これは神の仕業が、それとも悪魔の戯れか。バーホーベンが産み落としたキャリア最高の怪作に心から拍手を送りたい。
イザベル・ユペール、最高のキャスティング
彼女のファンなら、この映画は絶対に見逃せない。過激な描写も若干含まれるので苦手な人は仕方ないが、イザベル・ユペールの美しさ、強さ、知性が存分に発揮されている。
主人公がレイプされると聞き、ポール・バーホーベン監督の過去作「氷の微笑」や「ショーガール」を思い浮かべて、今回もエロティックなシーンがありそうと予想する男性観客には、「過剰な期待は禁物」と釘を刺しておきたい。もちろん、そういうシーンがまったくないわけではないが、男性向けのサービス映像?にはなっていない。あくまでも、社会通念に縛られないヒロインが自分の欲求や目的のために行動し、さまざまな“行為”を愉しむのだ。広義のフェミニズムと呼べるだろうが、従来のフェミニズムの型にもはまらないユニークさに唖然としたあと、喝采を送りたくなるはずだ。
見終わると自分が解放された気分になれるかも。
レイプされたことを平気で友達とのディナーテーブルの上に上げ、レイプ犯に目星を付け、自らの方法で単独捜査を始めるばかりか、怪しい相手と恐怖を超えた遊戯を楽しむ女。彼女は全く被害者然としていない。なになに然としていないのは、妻の親友と不倫する夫や、やりたい放題の恋人に付き従うひ弱な息子や、夫の蛮行を相手のせいにする信仰深い妻も同様。みんな表向き与えられたポジジョンを放棄しているかのよう。あちこちで崩壊したモラルと、そもそも、モラルなんてあってないようなものだという監督、ヴァーホーヴェンの企みが、異常を異常と感じさせないユペールのフラットな演技によって具現化された映画の、なんと痛快なことか!?無理する必要などない。でも、見終わると自分が少しだけ解放された気分になれるかも知れないリアル・ファンタジー映画だ。
ヴァーホーヴェン監督の先進性の表れなの?
最近は女性の自立とか、そういったものをテーマにした作品が多くなった。
そんな中、ポール・ヴァーホーヴェン監督は昔からジェンダーレスな作品を手掛けてきたように思う。性差のない未来、強い女性、自立した女性など。
ヴァーホーヴェン監督は脚本を書かないので、たまたまそういった内容が含まれる作品を監督してきただけかもしれないし、プロデューサーがヴァーホーヴェンなら求めるものが撮れると踏んで起用しているのかもしれないし、その辺はわからない。
もしかしたらヴァーホーヴェン監督が過剰に強い女性が好みで、その性癖が出てしまっているだけかもしれない。
そういった意味ではヴァーホーヴェン監督の性癖がだだ漏れしている本作。屈しない強い女性を描いた。
レイプ被害にあっていながら平静を装い何事もなかったかのように振る舞う主人公ミシェル。
声を上げることも出来ず泣き寝入り。したように始めこそ見えるが、だだ耐えるだけで苦しみ続けるような、そんな前世紀の遺物みたいな展開にはなっていかない。
いつものように息子と接し、仕事も普段と同じようにこなす。ことあるごとに頭をよぎる事件の恐怖に襲われながらも、頼らず屈せず闘おうとするが、強すぎる意思は「危険な女性」へと変わってしまう。
ミシェルが何を考えているのか分かりにくいので、人によっては男を求めているだけに見えてしまう可能性もあると思う。この辺はヴァーホーヴェン監督が失敗したとみていいんじゃないかな。
ラスト付近のフラッシュバックから考えると、もしかしたら男を求める気持ちと断罪したい気持ちの間で揺れる姿を描きたかった可能性もあるかなと思うけど、それはちょっと高度すぎて理解が追い付かない。
凄い昔からジェンダーレスを描いてきたヴァーホーヴェン監督は、つまり先進的なわけで、本作もまた先進的すぎて自分のような程度では理解できないだけかもなと思ってみたり。
サスペンスとして普通に楽しめたのは確かだけど、主演のイザベル・ユペールに興味がないしヴァーホーヴェン監督に対してもあまり興味がないので、そこまで乗れなかった。
変態
イザベル・ユペールしか出来ないよね〜〜
本当にこの役、イザベル・ユペールしか出来ないよね〜〜
もともと役に挑む姿勢がいつもチャレンジングな女優さんだしね〜
平静を装いながら、変態チックな出来事の全て飲み込むこの役は
アメリカ的倫理観の女優さんには難しいかも〜。
演技の上手い下手だけではなく、イザベル・ユペールが
育って来た欧州文化の「懐の深さの差」だと思う。
女性を力ずくでレイプする様なバカな相手さえ
最後は飲み込んでしまう!
単純な復讐よりもさらに強烈なこの一撃!
そして社会に対する彼女の凜とした生き方!
被害者だから落ち込んでなきゃいけないのか?
加害者の娘だから隠れて生きなきゃいけないのか?
「世間様」という言葉がある様に
とかく世間体を気にする今の日本では
彼女の生き方は眩しすぎるかもしれない。
でも、自分の生き方は自分で決めて何が悪いのだ!!
自分のお金と足で立っているのなら怯む理由などどこにもないはず。
ポール・バーホーベンの映画は実は「ロボコップ」しか観ていないが
その中の所々に漂う、女性への目線、
女性に幻想を抱いていないと言うのか
女性を1人の人格として冷静に描く監督の姿勢を信じて観に行った。
その監督がラストに用意した結末の気持ち良さったら!!
ああ、監督を信じて良かった!と思わせてくれた。
大人の女性同士で、ビールでも飲みながら観てほしい。
そして改めて「男ってほんとにバカやろ〜〜」と
あざ笑ってください(笑)
こんな社会に誰がしたいのか?
これがinclusive Societyの行き着くところなのか?自由は重要だが個人主義、自由主義を突き詰めるとこうなってしまうのだろうか?エゴイストや変態など、誰1人モラルが無い。感情移入出来る登場人物が1人もいない。
一種の変態映画とも
前情報ではヒロインが犯人に復讐する話ということだったので
鮮やかな復讐劇を期待していたのだが、
予想したものとは違った。
性犯罪の場面が何度か出てくるのは観ていてキツイものがある。
被害者の行動としては全く理解ができない。
ただ成長過程で父親の犯罪があったために、
なにか歪んでしまったのだろうと感じられる程度。
なぜそんな行動に出ているのかの説明を
彼女の口から聞くことはない。
そこで受け付けない、意味がわからない、と感じると
あまりこの映画は面白くないと思う。
個人的には良識もあって冷静な女性と思っていた友人が
実はこういう面があるのだと、もし知る側の立場になったら
ぞっとするのだろうと想像した。
それに信仰心篤くて清廉な人かと思った隣人の妻も実は怖い女だったと知れる
一言が怖かった。
しかし自分の夫と不倫していた女と
長年友人だったとはいえ
同居しようよ、とライトに言ってる感覚は
日本人にはまず無いだろう。
等身大の彼女
強い女性、自立した女性、そんな言葉もいまや死語になりつつある。これらの言葉は男社会においての女性は弱いもの、女は男に依存して生きているものという考えが前提だったからだ。
バーフォーベンが描く女性は強い女性ではなく、自らの欲望にただ忠実なだけの女性だ。
「氷の微笑」、「ショウガール」、「ブラックブック」で描かれた主人公たちは常に自らの欲望に素直に忠実に生きた女性たちだった。そして本作の主人公ミシェルも同じく。当然強くて自立してる人間は自らの欲望に忠実だ。
ミシェルが白昼自宅でレイプされるというショッキングなシーンから始まる本作。しかし、その後彼女は特に動揺している様子もなく、平然と寿司の出前をとり、息子と普通に食事をする。
警察に被害を届けず、食事会ではさらっとレイプされた事実を話す。
彼女は年齢を重ねた大人の女性だから少々のことには動じないのだろう、あるいは本編で描かれる彼女の奔放な性生活を見せられ、そもそもレイプに対してショックを感じないのだろうと観客に思わせるつくりになっている。
けして被害者然としてない彼女を見るとレイプという行為も本作品の中ではさほど異常な行為でないようにさえ思えてくる。
実際、彼女はレイプ犯の正体を知ってからもさらに相手を誘うようなことをしている。しかしこれら本作で描かれる事象はすべて逆説的にとらえることができる。
レイプにあった被害者はもっと精神的に落ち込んでるはずだ、冷静でいるのはおかしい。被害者は奔放な性生活を普段から営んでいて倫理的に問題がある人物だ、などと、これらは本来であればレイプという裁かれるべき犯罪が現代社会ではなかなか罪に問われない理由となるものばかりだ。
明らかにレイプ犯が加害者であるにもかかわらず、被害者のほうに問題あるかのような言説が常に横行して本来裁かれるべき者が裁かれない例が世界中あることへの批判ととらえることができるのではないか。
勿論、ジャーナリストレイプもみ消し事件があった日本も例外ではない。
そう考えると本作がいかに深い作品であることがわかる。確かに本作では性的倒錯者であるレイプ犯が描かれ、そして主人公も幼少期のトラウマが今の人格形成に影響してるのではと観客に思わせるよう仕向けられている。しかしたとえ主人公が性的倒錯者であってもレイプは犯罪なのだ。それを被害者側の事情によってぼかされている現代社会への皮肉をこめた作品なのだと理解できる。
勿論、本作はそれだけではない。主人公の奔放な生き方、にもかかわらず同じく欲望に忠実に生きる母への自分勝手ともいえる不平不満、ダメ息子への思い、犯罪を犯した敬虔なクリスチャンの父との軋轢など様々な主人公の心情が描かれ、それと同時進行する真犯人にせまるサスペンスフルな展開と、娯楽作品としても抜け目ない作品となっている。
本作は当時、劇場鑑賞してレビューをなかなか書けなかった。それから様々な解説などを読み、自分なりに何度か本作を見て自分の中で咀嚼しやっと納得したうえで今回書き上げることができた。白状すると映画評論家町山氏の解説にかなり引っ張られた感はある。
にしても、これだけ一つの作品に様々な要素を含んだ作品はなかなかお目にはかかれない。それだけに自分なりに受け止めるにはかなり時間を要したわけだけど。
ちなみにミシェルに自分の旦那を寝取られたアンナは最後は旦那よりミシェルを選んだ。彼女も自分の欲望に忠実な女性だったわけだ。
レイプ犯の妻である敬虔なクリスチャンを演じていた女優さんはこの後、同じくバーフォーベンの「ベネデッタ」で主演を務めることになるけど、この頃から決まってたのかな。
ただ自分の欲望に忠実に生きる女性ミシェル。元旦那の車のバンパーを壊しても涼しい顔、親友の夫と寝ていたかと思えば、その彼女との肉体関係もあった。元旦那の新しい彼女に嫉妬して嫌がらせしたり、自分は好きに性生活を楽しみながら自分の母親の生きざまにはあからさまな嫌悪感をあらわす。
一見自分勝手に見える彼女の生きざまは見ていて気持ちがいいくらい清々しい。
自分の欲望のままに生きる女性がバーフォーベン作品の特徴。歴史的に抑圧されてきたからこそ、その人権が開放される様は描きがいがあるのだろう。そういう作品に観客も多くのカタルシスを感じることができる。
変態三羽烏。
貪欲かつドライな女性の物語
ミレニアムみたいな展開かと思った。
タイトルなし
見終わった後、登場人物誰にも共感できない謎の映画。凶悪犯の娘として育った影響からか、警察を信用せず、暴行後にも平然と暮らし、犯人は隣人と突き止め、ラストは息子が殺す。隣人の妻は知っていながら、平然と暮らし、一方では信仰心が厚い。フランス人だから?モラルがどこなんだろうという映画
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