「本を読む。ただそれだけのことが洗練されたミステリー。」ノクターナル・アニマルズ 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
本を読む。ただそれだけのことが洗練されたミステリー。
「シングルマン」以来のトム・フォード監督第2作目。「シングルマン」は私の中ではその年のベストとして君臨し、未だにあの物憂げで悲しい程美しかった映画のことを思ったりするほど大好きな作品だった。そして第2作目となった「ノークターナル・アニマルズ」を見ても、やはりトム・フォードの美意識がきらめいていて、実に美しい映画だった。何しろトム・フォードだ。都会的な洗練された美意識が映画にも投影されて、それは西テキサスという、アメリカでも特に田舎の奥地を写し撮ってさえ、トム・フォードの演出がかかると都会的な質感がベールのように覆いかぶさる。そしてその洗練が「シングルマン」では中年の男の孤独とリンクし、今回の作品ではミステリーやサスペンスとリンクした。ファッション・デザイナーが映画の監督をするというと、ファッション誌的な華美を連想しがちだが(ジェナ・マローンの着用した衣装と「REVENGE」の美術品には若干そういう気配もあるものの)、トム・フォードは自身の美学を完全に映画的に応用しており、それがストーリーが併せ持つミステリーを呼応させる効果を生んだ。原作の小説もストーリーの大筋は同じようにエドワードの書いた小説とスーザンの現在と回想が同時進行で描かれる手法で映画と変わらないが、原作にはこの映画のような都会的な質感やソフィスティケートされた雅馴といったものは必ずしもあるわけではなく、いわばこの映画オリジナルなもので、おそらくはトム・フォードが付与したものなのだろうと思われる。映像を見ているだけでドラマティックだし、映画美術をみているだけでサスペンスフル。映画が瀟洒であればあるほど、どこかミステリアスでスリリングさを増していく相乗効果。改めて、ファッション・デザイナーとしての才能だけでない、映画監督としての才能を再確認する作品だった。
本を読み、思い出を振り返る。ただそれだけのことがこんなにもミステリーになるなんて。スーザンはただ、本を一冊読んだだけだ。それ以外のことは何もしていない。しかし、彼女の中にはあらゆる感情が沸き起こってくる。エドワードは、かつて小説家志望であることを打ち明けた相手に、ようやく完成した処女作を批評してもらいたかっただけかもしれない。そしてエドワードがしたことは、ただ小説を彼女に送り付けたそれだけだった。しかしスーザンは、彼の書いた小説を読みながら、彼の真意や他意を読もうとしてしまう。小説の登場人物、トニーはエドワードかもしれない。ローラはスーザンかもしれない。小説は愛かも知れない。いや憎しみかも知れない。いやそんなことはない。トニーはエドワードではないし、ローラはスーザンでもない。小説は愛でも憎しみでもないただのフィクションかもしれない。しかし本を読むという行為は、その物語を生きることであり、否が応でも自分自身と重なっていく。まして別れた夫が書いたものなら尚更。本と現実と記憶がどんどん混同されて眩暈のように巡っていくスーザンと共に、観客もこれは回想録なのか?スーザンへのメッセージなのか?それは愛の告白なのか、復讐なのか・・・?と、惑わされて行く。ミステリーとは、起こる出来事のことではなく、内面に沸き起こるもののことを言うのだろうと、この作品を観て思った。ミステリアスなことが起こり、ハラハラすることが起こるからサスペンスなのではない。自分自身の内面が、惑い、憂い、そして見えぬものを見ようとし、見てもないものを見たように思ったりすることが、ミステリーでありサスペンスなのだなぁということを強く感じた。それこそ、ただ本を読むというだけの行為でさえ。映画を見るというだけの行為でさえ。
そしてエドワードが書いたとされる劇中劇がまた息もつかせない内容で吸引力が高い。原作の小説でも、彼の小説の部分は読み始めると止まらなく魔力を持っていた。物語は悲劇の一途を辿り、正直不快でしかない。きっとスーザンも同じ気持ちだったろうと思う。それでもスーザンが心乱しながらもページをめくらずにいられない気持ちがよくわかるような物語が映画の中を並走し、それが現在のスーザンと過去のスーザンとフィクションの世界のスーザンとを絡ませていく。ここでアイラ・フィッシャーの起用は完全に確信犯。回想ではないけれど他人ではない人物を演じさせるのに、アイミー・アダムスとアイラ・フィッシャーを重ねるのはあまりにも絶妙過ぎてちょっとしたギャグみたいなもの。でも彼女ら二人を共演させる上でこれ以上ベストなやり方は見つからない。
ラブストーリーであり、ミステリーであり、心理サスペンスであり、心理ドラマでもあるこの作品。謎を残して終わるエンディングは、余韻となって良かったような、あらゆる解釈が取れるような、いや解釈の取りようがなくて不服なような・・・という感じがして、少し物足らない部分も残る。最後の約束は何だったのか?エドワードの本意は?そしてあの小説の真意は?とスーザンと同じ気持ちになったまま映画は終わる。ミステリアスな終わり方で好きだと思う反面、自分の解釈を取るにはもう少しヒントが欲しいような、そんな気持ちにさせられたものの、都会的な大人のミステリーを味わう洗練された作品で、やはり私はトム・フォードを好きだと思った。