マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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想像を絶する悲しみ 276-10
罪を背負い、心を閉ざした男の話
心が壊れた人間は周りに分かってもらおうとしなくなる しかし他人をわかろうとすることで自分が自分をわかっていき1歩を踏み出せるようになるのではないだろうか
どこか自分と似たところのある感情的な甥っ子に振り回されたこと、元嫁さんに許されたことでリーは少し止まった時間を動かし始めた…のかな?
どのようにして陽気な男はあんなに陰気になったのか。それがわかる過程は非常にスリリング。
全編にわたってかかっているゆっくりで、悲しげで、しかしどこか前向きな気もする音楽が不思議な感覚。
自分と周囲の温度差から生まれるギャップ。そこから生まれるユーモアにクスッとしてしまった。
ケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズ2人の名演が光る。
(映像 3 脚本 5 演出 3 音楽 4 配役 5)×4=80
乗り越えるだけが前進じゃない
友達も多く陽気なリーがある事件を境に生きる気力を失い何にも興味がなくただ生きているだけの抜け殻のようになる。仕事はするが愛想もなく評判が悪い。
3人の子供を自分の不注意による火事で亡くすという、映画の表現でいうと「想像を絶する経験」の中で彼の心は壊れてしまっている。そんな時に兄が死に、その息子の後見人となる。
彼は最終的な場面でも、完全に心が癒えるわけでも生活が元に戻るわけでも悲しみを乗り越えられるわけでもないのだが、少しずつ、でも確実に彼の心は前進してきたかに思えるのがラストである。元奥さんも事件の日から心が壊れ、それを彼に罵声を浴びせることで、なんとか一本の細い糸レベルのギリギリ精神を保てていたのだろう。その奥さんから謝罪をされそして許されたことで前に進めるようになったのかもしれない。しかし自分を自分で許させない気持ちは完全には癒えない。一方で、甥のためにも生きようと努力し始める。そこから前向きな思考になったのか、彼は変わっていく。他の大人と少しは世間話が続けられるくらいはなっているので、彼は変わったというのがラストのシーンの意味である。
そして、彼の甥をボストンに呼ぶ時に1部屋欲しいと言った時にはいっそ晴れやかな笑顔になっている。そして、未来についての話をしている。これは大きな前進だ。完全に心が癒されることはない。でも人は前進することはできるのだ。最後に甥のパトリックと釣りをしているシーンは見てる側の心も救われる気持ちになる。
主役のケイシーアフレックがアカデミー賞で主演男優賞取れたのも納得。彼は、悪ふざけが過ぎて映画界から干されていたところに友人のマット・デイモンにこの役をもらっている(彼が主演する予定だった)。そして、見事カムバックしたわけで、まさにこの映画の主人公とも重なる。正直、マット・デイモンでこの映画のテイストは無理だろうから、ケイシーで正解だった気がする。
この映画は、内容においても俳優においてもカムバックする男の物語という面白い作品でもある。大傑作。
ちなみに、この映画では号泣してしまった。号泣する場面があるわけでもないのだけど。リーが兄の葬式で元奥さんと再開したシーンと、2度目に道端で再開したシーンだ。後者はまだしも前者はなんでもないシーンでもあるが、この映画の魔力だろうか。
乗り越えれなくても生きなければ
主人公のリーの悲しみがはかりしれません。
奥さんも子供の事、主人公を責めた罪悪感を一生抱えて生きていくのでしょうがそれでも前を向いています。
甥っ子も父を亡くし母や(主に婚約者)にも拒絶されて傷ついていますが、友達や彼女、アイスホッケーやバンドをする事で悲しみを乗り越えようとしてました
でもリーは?
人を拒絶し、小さい窓しか無い暗いワンルームに暮らし趣味も持たず1日を淡々と生きていました
リーは 許されたいわけでも励まされたい訳でもなくただ過去の傷を抱えてそのまま生きていくのでしょうか
余りに主人公だけ救われず重い話だと見るのが辛かったですが、最後に甥っ子と無言で釣りをするシーンで見てるこっちは少し救われた気がしました。
乗り越えられなくてもいい
隠し包丁がその味を染み込ませる
料理に例えるなら、薄味の精進料理か?いや、じっくり噛みしめてみると、山椒がピリリと効いていたり、隠し包丁が施されているなど細部に趣向が凝らされた手の込んだ懐石料理であることに気づかされる。
心の傷とその再生を描く映画は数あれど、この作品はその傷を抉る訳でもなければ、あからさまな慰めを与える訳でもない。私たちは日常を過ごす。消したい過去や、やるせない傷があっても、日常生活の中では平静を装い生きていくしかない。しかし、本当に深い心の傷は癒えないし、隠しきれない。だから、ほんの些細なことでそのバランスはいとも簡単に崩れてしまう。人間とは何と不器用な生き物なのかとつくづく考えさせられる。
それでも日常は平然と過ぎていく。その中には人との関わりがあり、会話があり、生活がある。とりわけ、甥っ子とのコンビネーションが生み出す絶妙なユーモアは物語に可笑しみを与え、じわじわと見えない心の傷に染み込み、ほんの少しだけその痛みを忘れさせてくれる。
けれども、その過去と向き合わなければならないときがくる。前妻と再会する後半は本作屈指のクライマックス。心の傷は消えることはない。時間が経っても癒えることはない。それでも、私たちは生きていく。その時に必要なものは多分、劇的なことでも、大きな変化でもない。その傷があることを認めつつ、一歩前に進むことなのだ。
タイトルなし
それでも生きていかねばならない
破滅と再生の物語
許されるまでの時間
あるワンシーンがとても素晴らしく、そこだけで見る価値あり。
この映画の主人公リーの辛さは計り知れないですよね。
自分を責め続けこの世から去りたいという感情になる気持ちも解る気もします。
あなたの印象に残った部分はここでしょうか?
別れた妻と彼の亡くなったお兄さんの葬儀の前に再会し、奥さんは涙ながらに許しを請うた。
心閉ざしていたリーにとってあの言葉は戸惑いやら少しの喜び、
複雑な思いでなにも言う事が出来なかったのでしょう。
奥さんは何故許す言葉をだせたのでしょうか。それは今の彼女が幸せだからだと思います。
あの時は自分を責めるというより、子供を失った辛さと怒りで夫を傷つけて傷つけて自分も苦しむ、
それしかこの状況から逃れられなかったのではないかしら。
時が過ぎそして考える、彼の幸を、新たに授かった赤子をより一層大切に育てよう、希望を見出せたからね。
その後の彼にも変化がありましたね。喧嘩をしてジョ―ジの奥さんにキズの手当てをしてもらい思わず彼女の優しさに触れ、涙した、
本来の彼を取り戻した感ありでしたよ。(父を失った甥のパトリックの肩に手を置いたり、両手で抱いたり)
許すと許される言う行為はその後の人生を豊かにしていくのですねー。
最後の場面子供を失った伯父と父を失くした甥が無言で海で釣りをするシーンよかった。
ジョーはこうなる事を願ってリーに後見人を依頼したのでは?愛情豊かなジョー 請う有りたいです。
挿入の音楽もいい!良い映画でした。
自分だったら、乗り越えることができるだろうか?
観終わった時、まずそのことが頭に浮かんできた。とても無理だと思う。私だったら、マンチェスターに来ることすらできなかったかもしれない。そう考えると、リーは強い人だなぁと思った。だって、時に暴力的になることがあっても、精神的におかしくなったりしないで、ひっそりと生きているじゃないか。すごいよ! 映画を観る前、あらすじを読んで想像していた話と少し違った。リーが、マンチェスターに住んでいない理由は想像通りだったが、よりもっと悲惨な出来事が起こっていた。私は、甥っ子パトリックとの仲がうまくいかなくて、悩む話かと思っていたが、そうではなかった。リー自身の話なのだ。彼が過去の悲惨な出来事といかに向き合っていくのかという物語なのだ。いろいろうまくやっているパトリックを支えながら、過去と苦闘しているリーを私は心から応援していた。マンチェスターに残るのか、ボストンへ帰るのか、最後までドキドキしながら観ていた。リーが出した結論を私は暖かく見守りたいと思う。
壊れた心は
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