マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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経験したことないので、確信は持てないが、あり得ない話。
経験したことないので、確信は持てないが、あり得ない話。
白人の中産階級が、突然訪れた不幸に翻弄され、身を滅ぼし、その後、少し、再生すると言う話。突然訪れた不幸以外、何一つ苦労することなく、自滅している。突然切れる様な性格の人物が、放置されたままで、ここまで持ち応えない思うが。彼に対する精神的ケアが確実に削られている。また、そもそも、突然切れる意味が全く理解できない。
マンチェスターって言うから、最初イギリスの話だと思っていた。白人社会の甘えを描いているのだろうか?
僕自身の経験から言って、年長の肉親(例えば、親)が死んだ事位で事態が大きく動くなんて事は無い。また、良く出来た善良な肉親ならば、こういった事態は予め予想して、対処していたと思う。余命までわかっていたのだから。だから、あり得ない話。
そもそも、刑事事件として、即刻無罪放免にはならないし、相手の女性からは民事で訴訟を受けるのが、現実だと思う。だから『便利屋やっている』なんて言う次元ではないはずだ。
自ら招いた不幸なのだから『子供が出来て良かったね』って思えないか?
どっち派ですか?
ニューイングランドの田舎町の過去ある男性の人生を淡々と描きます。
おそらく多くの人には話の盛り上がりもなくダラダラ続く印象なのでたいくつでしょう。
アレン選手のアニーホールみたように。
評論家がめんどくさいこと言いたがりそうな映画です。
この手の作品は大抵嫌いですが、これにはハマりました。
理由は上手く言えません。どうして赤より青が好きか説明できないのと同じように。
合う人には合う、けど皆に勧められる作品ではありません。
まあ、一時間半で十分ですけどね。
滑稽にさえ思うほどに
トラウマはこんなにも人を、周囲の目線を、そして人生を変えてしまう。
それは、滑稽にさえ思うほどに。
孤独感が漂うんだけど、作品自体にユーモアがあって、
あれは一体なんだったんだろう…と、何度も見たくなる興味深い映画だ。
おじさんも残ってよ、は思わず泣いた。
#孤独 #家族 #守るべきもの #PTG
乗り越えがたい悲しみの話
リーが抱えた悲しみと自責の念は、子どもをもつ親であれば想像に難くないことだと思う。
ああやって生きているだけでもしんどいだろうし、ましてや兄の子どもを毎日見ることになれば、嫌でも思い出してしまう。
きっと急逝した兄は、弟のリーに父親のやり直しをさせようとしたのではないか。
リーはそれを、彼なりのやり方でやり遂げようと努力している。
その努力の始まりとともに、物語はプッツリとエンディングを迎えた。
兄の葬儀を終え、甥のパトリックとのつながりを切ろうとしていない雑談の内容から、二人が肩を並べてボートで釣り糸を垂れるまでのラストシーンが美しい。
最後まで自分が犯してしまった過ちを「乗り越えられない」と言ったままであるにもかかわらず、微かな希望と許しの兆しが感じられる。
凍える海の風景は、本来なら暗く陰鬱に映るのだが、なぜか登場人物たちの悲しみを凍結して封じ込めようとする優しさを感じた。
ケイシー・アフレックは演技派然とした振る舞いがどうしても鼻について好きになれなかったのだが、本作で初めて感情移入して観ることができた。
グレッチェン・モルは自分にとってのセクシークイーンだが、アルコール依存に苦しみながら立ち直ろうとするパトリックの母役を、少ない出番で好演していた。
二度目の結婚相手を演じるマシュー・ブロデリックがチョイ役で出てきたときに、なんだか笑いがこみ上げてきたのはいただけなかったけれど。
観終わってわかるのは「これは兄の物語だ」ということ
上質のニューイングランドもの。
心が満たされた。
「変わり者で困った叔父さんと甥っ子」というテーマの映画は多い。
この映画では
・次男坊のリーと
・甥っ子のパトリックだ。
一族のヒエラルキーにおいては、年代こそ異なれど、この二者は下位対等だ。
心臓病で早世する兄ジョーは、遺していく弟と息子のために遺言書を記していく。
実に用意周到。=「リーとパトリックのふたりそれぞれが新しく生き始めるための道筋」=を設計図に夢見、
必ずいつかふたりがその孤独な道行きを接近させ、ふたつの孤児を出会わせる日を、ジョーは願っていた。
兄は助走路を遺して逝ったのだ。
長男らしい終活なんだなー、これがね。
それはただひとつのジョーの望み
「弱い弟と、まだ保護者の必要な息子の幸せのために」、なんですよ。
物語は
無理強いされた「新米後見人」のリーと、リーに懐かない甥の“二人三脚”。
自分亡きあとをプロデュースした長兄のたっての「願い」が、いつか必ず叶うとの確信通りに、兄の祈りはリーとパトリックの海辺の姿に実をむすぶわけで。
弟リーは
墓地をさまよい、仕事中にはマグロ漁船で父親を亡くした老人の独り言を聞き、火事で死んだ子らの写真と霊安室の兄を見つめる。
失火を苦しみ続けていたリー。
死者と生者がマンチェスターの街で、防波堤で、そして海で、静かに心通わせるラストは沁みる。
画面上はわりと早めに舞台の袖に引っ込む兄のジョーなのだが、
ボストンの海辺を照らす春の日差しを見れば、エンディングでその兄ちゃんの存在の大きさにいつしか圧倒されて、ふたりの釣りびとが可愛らしく小さく見えて仕方なかった。
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【ひとの人生は 伏線の種まき】
・火事のあと、半地下の、がらんとしたワンルームでふさぎ込むリーのために、無理やり「人間らしい生活を」とソファーを買い与えた兄ちゃんでした。
あのお節介が、後年、(父親も母親も失った)甥っ子のパトリックのための長椅子になって、美しく復活する。
・自らに死の刑罰を与えんとした銃器も、新しい役割を与えられて、今度はボートのエンジンとなって新生・復活をする。
「伏線」がこうしてひとつひとつ拾われていくごとに、僕たちの人生についても思いは及ぶ ―
僕らの生きている全ての一瞬一瞬、そのひとこまひとこまが、誰かの優しさの遺言・伏線の回収であったこと。そして思い出の蘇りであったことを、エンディングで鑑賞者の私たちは知ります。
そして水平線の先を眺めれば、いま生きている僕らの人生も、きっといつか誰かの幸せとして現れるためのまた伏線になっているのだと
それがはっきりと分かった。
兄ジョーによって蒔かれた愛情の種は、蒔いたひとの上にではなく、その命のめぶきを必要とする誰かの上に、時を隔てていつか緑の若葉として宿りましたね。
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付記
【制作者たちの出自と傾向について】
マット・デイモンは、
「グッドウィルハンティング」の脚本と出演を手掛けたが、本作ではプロデューサーのひとりとして制作に加わっている。マット・デイモンは去って行った者や死者を活かす映画の造作に長けている。
アフレック兄弟も、今回のプロデューサーのマット・デイモンも、米国の東部=マサチューセッツ州生まれだ。
「メッセージ・イン・ア・ボトル」のレビューでも触れたけれど、
まさにこの土地の風土と、そこに暮らす住民のアッパーソサエティ・スピリットあっての作風。
ロナーガン監督も例外ではない。東部NY の出。
“ By the sea ”と言っても、ヤンキーの住む西部ロサンゼルスの海端ではこうはいかないだろう。
理知的で精神の独立性を重んじる移民の地、ニューイングランドであればこその、ハイクラス・ムービーであることは確か。
チャントのような静謐な二重唱が流れ、クリスマスのメサイヤから数曲。
そして弟リーにエンジンがかかってボブ・ディランへとつむぐ。
回想シーンの挿入で、ここまで無理なく違和感なく編集をやってのける手腕とセンスにも、唸った。
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本作品の鑑賞者が“長男”か“次男”かで、この映画への心の琴線の触れ所は変わるのだろう。
パトリックはうちの長男坊にそっくり。
(あとベサニー医師には萌えた♡)。
「弟と甥の物語」かと思いきや、実はこれは「長男の物語」なのだと、僕は長男なので思った次第。
・
参列できなかった叔父の葬儀の日に、DVDにて鑑賞。
譲り葉の落ちて林の春日かな
happier end
監督がこの映画をhappier endと表現していた。安易にハッピーエンドにしたくなかったらしい。
私自身もとても良い結末だと思った。
ケイシーはこの作品で初めて主演男優賞を取ったが、それに値する演技だったと思う。
主人公がなぜこんなに暗くなったのか、回想を所々に交えながら説明している。
時系列が分からなくなりそうだが、主人公が幸せそうかどうかで判別がついた。
基本重い雰囲気の中進むが、日常に起こりそうなちょっと笑えるシーンがちょくちょく挟まれていて、現実味があって面白かった。
その中でも一番好きなのが、兄の葬式の後のご飯会?で、ジョージに食べ物いるか聞かれているシーン。
逆の泣いたシーンは、現在のケイシーが唯一泣くシーンか、ミシェルウィリアムズとの会話シーン。
好きすぎて次の日に2回目を見てしまった。
当初の予定ではマット・デイモンが主演、監督、脚本担当する予定だったらしいが、ケイシーに主演を譲って大正解だと感じた。
マット・デイモンがこの主人公だと悲壮感があまり表現できなさそう。
マット・デイモンはディレクターとして、脚本を現監督に任せることが1番の仕事だったと語っていた。
私のベスト10映画になった。
後悔を内に秘めて、淡々と生活する。
そうする事でしか、自我を保てない程の、悲しく辛過ぎる過去。裁いてすらもらえない『背負う』という現実。いっその事、、、と何度思った事だろうか。
自ら他人との関係性を最低限に断ちつつ、敢えて興味も持たず、必然的に自暴自棄に。
兄ジョーの死を切っ掛けに歯車は動き出す。歯車は望まずとも強制的に動いていくが、そこには兄への愛情と尊敬が垣間見える。
物語の展開は海辺の田舎らしくゆったりと。だが、その緩やかな時が、尚更に厳しく。現在に『適度な過去』を挟む事で厚みを表現。この秀逸な脚本が、登場人物達を見事に演出。
口数少なく、不器用で難しいリー役を、ケイシー・アフレックが見事に好演。徐々に甥のパトリックにも気遣い出来る程、時間がリーを優しく包んでいくが、悲しい。
元妻ランディの言葉に救われるも癒えない。ミシェル・ウィリアムズの悲しい演技に涙。余りに深いその傷を思わず吐露するリーに、ただただ観る者は心を締め付けられる。
『娯楽』ではない、圧倒的な『作品』。観る事で言葉に出来ない何かが生まれる。ケイシーの演技にどっぷり魅入って欲しい。
乗り越えられない
男兄弟っていいなあと、ラストはただそれを思った。
ふと沸き起こるフラストレーションを
暴力で昇華させようとしてしまう、そうするしか生きていけない。
乗り越えられないし、乗り越えたくもない、むしろ乗り越えるべきと思っていない自分の過去。
甥っ子との言葉の応酬は
字幕を読む暇もない。
心も 修復不可能なほど 再起不能なほど
傷つくのだ。
精神を病むという事が逃げに見えるほど真摯に自分を責める生き方は選んでそうしているわけでもなく、
その原因となった彼の元の性格、、友人がいっぱいいる男気のある男とセットになっているのだと思う。
自分の人生の言い訳は するつもりもなく 思いつきもしない。
ダメなものはダメで 嘘や言葉でカバーしたりしない男。
甘い言葉は撒き散らさず、
理性など 持っている分量だけでよいと思っている。
愛を行動で示そうとアクセサリーや花を買う男にしか価値を見出せないと思われている女たちだって、
こういう男に一発でKOされてしまうのだよ、と逆に男たちに教えてあげたい。
元妻(ブルーバレンタインの人だったね)が彼に向かって泣きながら謝罪するけれど、
法的罪にも問われず妻からも責められなかったら、その方がもっとつらい。
とは言え、彼女の言葉がずっと彼の脳裏でリフレインし続けているのもまた間違いない。
そしてそれは彼自身が受ける真っ当な責め だと思っている。
今はまだ16で、ヤル事しか考えてなさそうに見える男の子もきっと 父のように 叔父のように 海の男になっていくのだと思われる。
口先と脳みそが繋がっている男より
ハートと脳みそが繋がっている男がいい。
(と思いつつもほんとは両方にちゃんと繋がってないと、生活してる中で不具合が多くなって面倒であるというのも事実だったりする)
乗り越えられない
どうしても乗り越えられない。
そんな苦悩を口にしてしまう主人公リー。
最初は奥さんの方を心配してしまったけど、十字架が重かったのはむしろ旦那さんの方だったか。
最後に友人の奥さんに弱音を初めて吐くシーンでは、泣けてしまった。
ヨットの上での止まらない、パトリックとの楽しげなおしゃべりも、その後の悲劇を知ったなら涙が出てしまうだろう。
勝手にパトリックとリーは実は親子だったりして、とか想像してしまったが、そんなひねりはなかったね。
パトリックを演じた子も、若いけど実力のある俳優さん。ルーカス君、要チェックである。
2人の関係の微妙な変化に引き込まれ、一気に観てしまった。
本当に淡々としていたが、良い作品だと思った。
マンチェスター・バイ・ザ・シーって、アメリカなんだ。エセックスとか、なんだかイギリスの話かと思ったけど、ボストンだしなぁ、と。混乱してしまったわ。
孤独、寛容、無関心、愛
東海岸のやや閉鎖的な海辺の街の、生活音、バックグラウンドに聞こえる話し声、波の音風の音雨の音が、この辺りの風景とうまく混じり合いとてもよい。さらに音楽が非常に過剰で素晴らしい。
過去の事件や様々な人間関係が少しずつ明らかになり、リーという孤独な男のことが少しずつわかってくる。自分を許さすことがない、終わりのない、出口のない自責の念自己嫌悪無為そして人にも自分への関心や寛容や愛を求めることを一切しない。
それでもジョージや周りの人達は反感や戸惑いもあるが寛容とか慈愛もある。東海岸独特のある種ストイックな風景街並みと、登場人物たちの、それぞれの不安イライラいつ燃え上がるかわからないような鬱屈した感情があり、また、そこには、みんなで支えあって生きようとする欺瞞ではないコミュニティも感じる。葬儀の後、アイスクリーム代をねだるパトリック。叔父より世渡り上手っぽいがまだまだ子どもで、叔父がつけた段取りに子どもとして安心して自分の未来を託す。アルコールやドラッグやネグレクトの問題なども小さな会話や情景で感じる。システムの中での精一杯の自己嫌悪、罪悪感、同意や共感や反感や理由のない不安、愛と寛容などをじわじわとチクチクと感じたよい作品。なんといってもニューイングランドは素晴らしいところだ。
癒えることのない傷を抱えながらも生きていく
心を閉ざした男が兄の死によって、かつて住んでいた地を訪れる。そこで、兄の息子と生活を送ることになり、過去の悲劇と向き合うことになる…
所々、絶妙なタイミングで過去の映像が流れることで、陽気だった主人公リーに一体何が起きたのか?なぜ行き場のない怒りを抱え、何か悲しそうに見えるのか?興味を引き立てる構成になっていると感じた。
そして、主人公のリーを演じたケイシーアフレックの明と暗の演技の対比に脱帽した。ベンアフレックの弟ぐらいの印象しかなかったが、人生の落伍者を演じさせたら間違いないのかなと思った。
そして、マンチェスターの静かな波が印象的。初めはリーの心情と同じように、悲しく、冷たい印象を感じた。しかし、終盤では変わった。心に負った傷は全てが癒えるわけではないが、甥や元妻との交流を通して、一歩を踏み出そうと変わったリーをそっと送り出すような印象になった。
本作は明快なメッセージが表示されたり、結末があるわけではないが、登場人物が織りなしたドラマは心に深く染み渡っていった。見て良かった❗️
止まない雨もあるって物語
とても辛い事があって、それは乗り越えられる類いのものではない主人公。
物語でいうところのハッピーエンドなんてなくて、終始溜め息が洩れる。
映画としての品質の高さはわかるのだけど、また観たいかというと正直しんどい。
脚本がもっと良ければ(いいのだろうけどセリフが少なめ)印象に残ったかな。
タイトルなし
全編通して、マンチェスターの雪景色、海、寒空の色が余計に寂しさを感じる。自分の火の不始末で子供を殺してしまい、それが原因で妻とも別れ、生きる希望を失った男が、唯一の味方であった兄の死後、甥の管財人に指名されたため、再びマンチェスターの地に戻り、生活するが、やはり当時の記憶に苛まされる。しかし、甥や元妻との謝罪の話から徐々に、少しずつではあるが、人との交流を持つようになる。結局ラスト乗り越えられないのかと思う一方、絶望から、僅かではあるが、生きる希望を見出し始めたというところで終わる。完全ハッピーエンドで終わらないところがリアリティがあり、秀作。何よりも甥の管財人になったり、良き理解者である友人の支えが素晴らしい。
ハッピーエンドな映画じゃないけど後味よい
ハッピーエンドではないけど、後味良いというかなんだか清々しささえもを感じられました。乗り越えられないトラウマがあってもよい、そんな映画です。
音楽や景色も素敵です。
暖炉には気を付けましょう。
主演のケイシー・アフレックが素晴らしかった
普段はアパート4棟を担当する便利屋さんで、客の対応は良かったり悪かったり、ちょっとでも高圧的な言葉を聞こうものならすぐキレてしまうキャラ。そんなその日暮らし的な生活の中、突然の兄の訃報を受け取り、病院へ駆けつける。
兄ジョー(カイル・チャンドラー)は数年前に心臓病により余命5~10年という宣告を受けていたことから、驚きや悲しみよりも葬儀やら後処理の対応策に追われてしまう。ジョーの妻は離婚していて、遺族となったのは息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)だけ。そのパトリックを連れまわすかのように、死後処理を行うのだが、遺言にはパトリックの後見人にリーが指名されていた。
パトリックには自分と一緒にボストンまで来るよう説得するものの、パトリックは友人や恋人がいるため断られてしまう。それなら逆に故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに引っ越してこいなどと言われるが、リーにはその場所での辛い過去があったのだ。それは自分が原因で引き起こした火災により幼き子3人を亡くしたこと。喪失感と罪悪感から警察署内で自殺を図ろうとする姿には胸が詰まりそうになるくらい重くなってきました。
サスペンスならば周りの人間が次々といなくなるのはよくありますが、こうした真面目な作品での喪失感は堪えがたい。孤独に打ちひしがれて他人にも当たり、何とか目的を持って生きていくために甥っ子と共に暮そうと努力する。痛いほど伝わってくるものの・・・
ジョーもリーも妻とは別れている点とか、経緯は想像はできるものの物足りなさを感じてしまいました。長い尺ということもあり、主人公リーの内的再生だけでエンディングまで引っ張るのは辛いものがある。もう一つ終盤に波乱か、意外な回想録とかを映し出してくれれば・・・
【2017年8月映画館にて】
生きなきゃなんない
ケイシーアフレックに感じるのは覇気のなさである。そんな役柄が多いし、兄と比べているところもある。不真面目で、だらしなく、向日性に欠けている。眠そうな目をして、消え入りそうなハスキーヴォイスでボソボソ話す。特徴的なのは間違いないが、概して親しまなかった。
しかしこの映画を見てケイシーアフレックの身上と、人々がその演技をほめる訳が理解できた。完全なはまり役だったと思う。
まず、いつものケーシーアフレックが出てくる。覇気がなく、動作も重く、投げやり。仕事で顧客と言い争う。バーで飲むと喧嘩を売る。会話が虚ろで、つねに心ここにあらず。いつものケイシーアフレック──に輪をかけて、生気がない。
映画は、過去と現在が交錯する。
かつてのリー(ケイシーアフレック)は、とても快活だった。
中途で、リーが背負うことになった悲劇が描写される。それは恐ろしい過失で、彼の無気力と無軌道が、いっぺんに納得できる。
そこから映画は、弾幕のように悲愴が降ってくる。
罪の意識を背負って生きるリー。
I cant beat it.
そのどうしようもなさが、彼と観るわたしたちの処理能力を超え、ただひたすらどうしようもない。
不幸が重なって、兄ジョーを心臓発作で失う。
リーはジョーの息子=甥のパトリックの後見人となる。
兄の埋葬までの行程が映画の主筋。
遺品のボートが、パトリックとリーを仲介する。
パトリックは16歳。たくさんの友人に囲まれ、彼女が二人。アイスホッケーをやり、バンドもやる。青春を謳歌し、生気に満ちている。
失うものは何もないリーにとって、パトリックは相反する立場として存在する。しかし、二人には、どこかに通い合うものがある。
パトリックはリーに人生のつらさや喪失や呵責を見る。
リーはパトリックに、この世に繋ぎとめる何かを見る。それが何かわからないが、生きているなら、生きなければならない。なんとしても、やっていかなければならない。その哀感がケイシーアフレックの表情と背中にあふれる。
一般にマンチェスターといえばイギリスだが、アメリカにはマンチェスターなる地名が幾つもあるそうだ。ただしこの海辺の街は単にマンチェスターではなく、Manchester-by-the-Sea、一つづりで地名、とのことである。
きれいな海辺の街だが、Manchester-by-the-Seaから連想される叙情へは一ミリも落とさない。街も海も、何も癒してくれないし、誰も見守ってやしない。ただそこに泰然とある。お涙頂戴の極北をいくシビアなドラマだった。
全302件中、21~40件目を表示