「心がしんどい!w」マンチェスター・バイ・ザ・シー Dacrさんの映画レビュー(感想・評価)
心がしんどい!w
ケイシーアフレック演じる主人公のリーは、元々は陽気な性格であったが、ある日暖炉のチェックを怠ったことから家を火事にしてしまい、3人の子供を失ってしまう。そしてそのことが原因で妻とも離婚してしまう。そしてその当時、「100%夫のせいだ、夫が完全に悪い」と余裕のない妻はリーに罵声を浴びせたということと、消防の取り調べの際、「僕は家に帰れるんですか?」と自分が無罪であることに驚いていた様子から、リーは相当強い罪悪感をもっていたことがわかる。
その日を境に、リーは他人とオープンに関わることを辞め、悲観的な人間になってしまう。ここでこの悲観的な人間になる過程だが、現在→過去→現在→過去…といった具合で現在と過去をわざわざ行き来して回想する演出は、視聴者に強烈な印象を残す粋な技法だと思った。こうして我々は、「辛すぎる悲劇」と「強烈な印象技法」によりリーに共感・同情せざるを得ない状況になり、今までのリーの行動が理解できるようになる。
また、要所要所で挟まれるまるで時が止まっているかのような美しい海の映像、プラスでもマイナスでもないような不思議な曲が、リーの人生が止まっていることを連想させる。
そして「とても仲が良かった兄の死」、「甥の後見人になる」、「元妻が既に新しい男との子を妊娠している」など次々に辛いことが起こる。
おそらく「兄の死」の時点でリーは、完全に人生を諦めきってしまったのではないだろうか。それはバーで女に色目を使われても見向きもしなかったことから伺える。そして次に来るのが「兄の子の後見人になること」である。ここからがリーの転換点である。他人とオープンに接することを辞めたリーは、父親を失った甥っ子にも最低限の気遣いしかしない。なぜなら、甥は父親が死んでも女遊びなどに徹し、病んでるといった素振りがしばらく感じられなかったからである。しかし段々甥と接していくうちに、冷凍チキンを見るだけでパニックを起こすほど「甥も傷ついている」ということを認識するようになる。この時点でほんのわずかだけ甥に気をつかえるようになったリーだが、やはり過去の事件の罪悪感は晴れない。リーは過去のあの時点から人生が進むことはなく、つまりはリーにとっての家族は記憶上では元妻と死んだ子供達なのである。
そんな折、元妻から「妊娠した」という連絡がくる。この時のリーの心情を想像すると、とても耐えられない。「自分は過去の事件から逃れられないのに、元妻はもうそれを克服して自分とは全く関係のない奴を新しい家族にするのか」などと思ったことだろう。「世界でたった一人自分だけが過去のあの事件にとらわれている」、そう思ったことだろう。リーは電話に耐えられず元妻からの通話をすぐに切ってしまう。ここで再びドン底にたたき落とされたリー。私は「これ以上の悲劇があるか」と本当に心がしんどかった。。
そしてある日、リーは子供を連れた元妻に会う。
ここがこの映画の見どころ。
元妻は、「私の心はあの日から壊れた、あなたは悪くない、あなたを愛している」と、こう言った。
これを聞いたリーはきっと、「ああ、元妻も今もまだ引きずっているんだな、俺だけじゃないんだな」という安心を得、そして1番はリーと同じようにつらい経験をし、そこで始めてリーのことを考えられるようになった元妻から「責めて悪かった」と謝罪があったことを受け、罪悪感が少し拭われただろう。
この時のリーの動揺する様子がなんとも素晴らしい。
そして罪悪感が拭われたリーの行動も、少し変わってくる。特に甥と船に乗り、にこやかにしている様子はリーに同情しきっていた我々を救ってくれる。しかし、リーの人生を諦めたかのような下向きな覚悟は揺るがなかったかのように思う。それは、甥に「ここは辛過ぎる」と最後に言ったことから。元妻に許しを得たにも関わらず辛過ぎるというのは「前向きな希望がないわけではない」、「しかしあるとするなら再び元妻と家庭をもつこと」、「だがそれは不可能」と、クリアできない別の問題に結局直面してしまうからではないだろうか。だからといってなにもできず、「前向きな意思はあるがそれが実現できず結局下向きな人生を歩んでしまう」ならば、「最初から下向きな覚悟をしてボストンへ去ろう」と思ったのではないだろうか。「人生をやり直せるかも」と思うけど、それが実現できないことが分かってるから辛かったのではなかろうか。
寡黙なリーがどこまで考えていたのかは、わかりません。