ムーンライトのレビュー・感想・評価
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見てて辛くなるのに、優しくて静かなラブストーリー
よく考えるとものすごいラブストーリーなんだけど、ラブストーリーによくある浮き足立った幸福感とか切なさとか悲しさが全然無くて、「あ、これラブストーリーだったんだ…」ってじわじわ分かってくるタイプのやつ。
色が鮮やかで目に残る。カラフルではないんだけど、視覚から強い日差しとか暑さが伝わってくる感じ。黒人の肌がとても美しく撮られていて、ハッとする。ラストで、夜の海辺に立つリトルの肩甲骨がグッと浮き出てた背中とか月光を浴びて青く光る肌とかね。すごいきれい。
でもそれだけじゃなく、そういうインパクトあるシーン以外の何気無い会話のシーンでも、黒く光る肌やくっきりした白目や彫りの深い顔が、素敵な造形として映し出されてる。
最初のシャロンの印象、若干イラっとするほど暗い。追いかけ回されて隠れて怯えてたところにいかにも怖そうなおじさんが入ってきたら、まぁ警戒するよなと思ったけど、それにしても喋らない。ずっと俯いてる。なんだこの愛想も明るさもない子供は…と思う。
でも、ストーリーを追っていくとなぜシャロンがそうなのか分かる。貧困地区で有色人種でゲイでシングルマザーでネグレクトでドラッグに囲まれてていじめ受けててって、何重苦なんだよ、みたいな状況で、シャロンはそれに耐えられるようなタイプの人間では無い。
なぜかわからないけどハードモードな人生を送らされて、出会うものすべてに怯えながら口を噤んで生きるしかない。リトルがユアンと海で泳ぐシーンで、水面が画面の半分を埋めている描写、見ていてすごく息が苦しくなるんだけど、たぶんシャロンの状況はあんな感じ。泳ぎ方を初めて教えてくれたユアンは、人生の渡り方を指し示した存在でもあるんだよな。大人になったブラックが売人になったの、ユアンの人生をなぞっているような側面も感じる。
まぁそのユアンもただのいい人じゃなくて、リトルの母親にヤクを売ってる張本人ってところが業が深い…って感じなんだけど。
シャロンとケヴィンが海辺で話すシーン、大好き。
海辺に出るまでの石造りの道、ぽっかり広い海が見えてて泣ける程きれいなんだ…。
「風を感じて泣きたくなる」っていうケヴィンに「泣くの?」って食い気味に聞き返すのとか、「泣きすぎて自分が水になりそう」って言っちゃうのとか、もう言葉の端々から相手への好意が静かに伝わってくる。淡々と半分友達を装うように話してるのに、セリフが絶妙にロマンチックで、ここほんとセンスが良すぎる。砂糖入れすぎないのが却って甘さを強調してるの、ずるい。
三章で、シャロンに似てる人を見かけて、その人が、長く会ってなかった好きな人との再会の歌をジュークボックスで流したのを聞いて、シャロンに電話するっていう流れも、さりげない語りのくせにめちゃくちゃロマンチックだよなぁ。
母親との関係性の描き方も良い。ユアンの台詞は後の章でも度々示唆になるんだけど、嫌いだけど、離れてるとこいしくなる、縁が切れない、そういう距離感。
薬やるわ男呼ぶわ育児放棄するわ怒鳴りつけるわ金はたかるわ、そのくせ都合の良い時だけ母親面してシャロンの行動を制限する、最低の母親だけど、半分眠りながらふと悲しそうに愛情を言葉にするシーンなんかを見ると、人間の弱さとジレンマを感じてしまう。愛情はあるのに、自分を律することが出来ない為に子供をないがしろにしてしまう。悪い親であることに変わりはないけど、気の毒で心をえぐられる。
息子と離れて、養護施設(?)で暮らすようになった後は、自分の行なってきたことを見据えるだけの冷静さが生まれてて、「愛してくれなくて構わない。でも、私は愛していることを覚えていて」と伝える。そんな重いこと言われるの、それはそれで辛いよなぁと思うので、やっぱりこの女自分勝手だなと思うけど、シャロンにとっては(子供のころには叶わなかった)愛情を示されることも重要な筈なので、まぁよかったのかなとも思う。自分の息子に「誰か母親みたいな人に相談してみたら」って、自罰と懺悔と後悔に塗れた言葉だよな。
一章から三章までそれぞれ違う俳優さんがやってて、細くて小さくて目がくりっと大きな少年期、縦にひょろっと伸びていかにも繊細そうな青年期、目が鋭くて筋肉粒々の成人後と、もう容姿がてんでバラバラなので同一人物として結びつけるのに一瞬ためらうんだけど、ちょっとした仕草が同じなので見てるうちに馴染んでいくの、面白いなと思った。特に三章は若干ショッキングというか一周回って笑えるくらい変化が凄い。あんなに大人しげな男の子が超ムキムキでガラ悪いお兄さんになっちゃって、何がどうしたのって。
ユアンも子供の頃は小さかったって言ってたけど、まさか伏線だったとは…。
二章のラストで、ケヴィンに裏切られ、何かがキレたように顔つきや仕草が豹変したけど、振り返って改めてそのターニングポイントの強力さに驚かされる。
ケヴィンからしたら、自分の浅はかさがそこまでシャロンを変えてしまうなんて、重いだろうな。シャロンがドラッグを憎んでいるのを知ってるから尚更。
で、「俺に触れたのはお前だけだ」っていう台詞。あー!凄いラブストーリーっぽい台詞ー!そうだなー!少年時代からずっとシャロンはケヴィンを見てたものなー!これで二人がサラッと結ばれてサラッと終わるの、潔い。もうちょっと続きそうなのに、ここで終わる。余韻。
辛くて寂しいことの連続だったけど、ここからはちょっと変わるのかなとか、でもまた何かの切欠で裏切られるかもしれないなとか、色々なことを予感させる。
観た後、現実てまじつらいな…って憂鬱な気持ちになるんだけど、静かな映画なのに印象的なシーンが多く、凄く味わいがあって、好きだなぁと思う。
ピュアっ子の恋
月明かりの下、裸足で波打ち際を歩くような……終始そんな静かな印象の映画だった。
主人公のシャロンが、言葉ではなく目で語る子だったからかな。
引っ込み思案なリトル、草食男子そのものという印象のシャロンを経て筋骨隆々なブラックになっても、中身は変わらない。
寂しさにじっと耐え成長したら、すっかりヒネてしまってもおかしくないのに、謝罪する母親を許してあげる優しさを失わずにいてくれたシャロンが愛おしい。
そんな彼だからこそ、初恋の君とうまくいったらいいのになと素直に思えたのだと思う。
ただ、現実的に考えると、売人になってしまったシャロンとバツイチ子ありのケヴィンがすんなりハッピーエンドは難しいだろうな……
そんなことを思ってしまったせいで、鑑賞後は妙にしんみりしてしまった。
世間の評判ほど素晴らしい映画だとは正直思わなかったけれど、心地好い冷たさというか静かさみたいなものがじんわり染み込んでくるような、なんともいえない余韻の残るいい作品だったと思う。
シャロンの中に自分を見る。
シャロンの子供時代と高校時代と大人になってからを、それぞれ役者を代えて切り取った3章の物語です。
予告で車を運転していた歯が金色の男性が、まさかシャロンだと思っていなくて、びっくりした。
世界はシャロンに優しくなかった。
母はジャンキーで、学校ではいじめられる。
唯一優しくしてくれたフアンは、母に麻薬を売る売人。
友達はケヴィンだけ。
どうやら自分は男らしく見えていないらしく、オカマと呼ばれる。母にも言われる。自分ではどうなのかわからない。
ケヴィンが好き、ケヴィンに触れられるのは、切なくて、うれしい。ゲイなんだろうか。
言葉をたくさん持っているわけではなくて、ほとんど語らない、
寡黙でおびえた目をした繊細な男の子の佇まいが、様々なものを語る映画でした。
夜や海の色彩がうつくしく、切ない。とても詩的な映像でした。
3章の間の出来事は何も語られない。
フアンはどうして死んだのか。
母はいつ薬物リハビリを始めたのか。
シャロンがレゲエ男子をぶちのめした後、ケヴィンはどうしたのか。
語ってほしかったような、いや、その省略が美しいような。
一見して、世界を十分に味わえたわけではないので、
また見たいと思います。
南部の発音は聞き取りづらいし、貧しさの実感もよくわからなく、あんなに荒んだ地域があるのかも知らない。
でも、自分の輪郭がつかみきれなくて、
生きるために嘘の鎧をまとわなくてはいけなかった
シャロンの孤独、
親に愛されない辛さ、
一時の思い出を抱きしめて孤独に生きる時間の長さ、
思いを伝える機会を得た時の、喜びと恐怖、
すごくよく知ってる気持ちがいっぱい詰まっていた。
ひとってそうだよねという、普遍性。
遠い世界に自分と同じように、苦しみもがきながら、
何かを得ようと生きている人がいるという実感に、
切なくなるいい映画です。
純度高いラブストーリー
シャロンの恋が泣きたくなるほど美しくて、何度も何度も観たい映画。
途中で何かをあきらめた彼が暴力による強さを選んだ時、痛々しくて悲しかった。
ドアに背を向けるな。
この教えをこんな風に役立てられるなんて、フアンも望んではいなかったはず。
生き残るために体から鍛え直すことになるまでにはどんな辛酸を嘗めたのか。
映画では語られていない。
でも本当は。
彼はなにも変わっていなかった。
好きだった人の電話ひとつで激しく動揺し、彼の声を言葉を噛みしめて携帯に口付けするように口もとに持っていく。大切そうに胸に置いて眠る。
そこで見た夢❗
シャロンはケヴィンをあんなにセクシーにみてたのにも驚いたし、内容的にはセクシャルな物はないのに反応するシャロンにはもっと驚いた。
この電話から夢までのシャロンに、
「あんたそこまで好きだったの?」
とびっくりした。
ケヴィンの方の気持ちは読めないけど、外見は大きく変わったシャロンを一目で気付いた。
また、曲ひとつでシャロンに逢いたくなった。その曲を聴かせると言っていたのにシャロンを前にすると聴かせるのをためらう。曲をかける時の様子でこれがケヴィンの告白なのかと思った。
人が幸せになるのはたったひとつでいい、満たされる瞬間だけで充分なのかもしれない。
でも、末長く続いてほしい。
夢物語だと思っても、願わずに居られない。
静かで穏やか。
あのすったもんだ授賞式!?にて作品賞に輝いた作品なのだが、
エ、これが?と思うほど静謐で穏やかな流れに驚いた。決して
一つの感性では語れないような作品。好き嫌いはありそうだし、
テーマは受け取り方で幾辺に流れてゆく感じはするが、LGBTに
加えてドラッグ、貧困、暴力、いじめが描かれていても優しく、
それこそ月光に照らされたような気分になる。日本映画も最近
同じようなテーマで描かれた作品があったが(生田斗真主演の)
あの静けさ穏やかさに近い。アート系になるだろうか、物語も
新味はなく訥々と場面が描かれて時代が変わる。同時に主人公
が目を見張るほど成長し(^^;最後のパートではあまりの変わり
ぶりにギョッとするが、なんのなんの、彼は全然変わってない。
昔から惚れていた大好きな男に逢いに行くのだ。ソワソワしな
がら、ドキドキしながら、その前に自分を苦しめた母親に面会
も果たす。この母親の「私みたいなクズになるんじゃないよ」と
いう台詞に泣けるが、シャロンまであの顔でシクシク泣き出す
という予想外の顛末で何とも優しい。それが〆まで続いていく…
(最近のアカデミー賞は毎年何かに偏りすぎている気がしますが)
ムーンライト
シャロンが苦労人だった。黒人のゲイという特殊な映画で今まで観たことの無いような異質な映画だったな。俺的にはそこまで受け付けなかったんだけどアカデミー賞取るぐらいなんだからやっぱり分かる人には分かる作品なのかな?って。ラストのBGMは波の音だけで話してる所がめちゃめちゃ心地よくて眠くなった。映画観てからポスター3人じゃん!なった。
ブラピが総監督はさすがだな!
感情移入を拒む映画
最初見終わった時、この映画をどう解釈すればいいのか、戸惑い混乱しました。しかし後から考えてみると、この映画は共感や感情移入する事を求めていないし、何か声高に主張するテーマがある訳でも無いのでは、と思えるようになりました。多くに困難を抱えた黒人少年の半生を淡々と描いていく。最初、手持ちのカメラで画面がぐらぐらと揺れるのに違和感を感じたのも、ドキュメンタリータッチを意識したのではないかと気付いたのです。物語の途中に起きたであろう主人公とその周りで起きた重大な出来事が、大きく省かれていますが、描かれていない事は意図して描かれていないのだし、観ている我々は立ち会えません。どのようにも解釈できますし、むしろ解釈する必要がないのかもしれません。この映画はあまり詮索しないで描かれたものを素直に見ろ、と言っているのでは。サスペンスではないので、ストーリーは重要ではなく、ひとつひとつの画面それぞれが発する緊張感と濃密なドラマを味わう映画なのだと思いました。
そう考えると、ところどころに深く感動するシーンが甦ってくるのですが、全体的には物足りなさが残るのも否めないところ、ただ最後のダイナーでのケヴィンとの再会するシーンは見ごたえがありました。
よかった
主人公に優しくしてくれるドラッグディーラー夫婦には子供がいなかったのだろうか、それで見知らぬ子供の主人公に優しかったのだと思うと他人事ではない気持ちになり、もしあのようにお腹を空かせている子どもがいたら優しくしてあげようと思った。
ヤク中のお母さんがひどくて悲しくなる。主人公は最初からゲイだったのだろうか、友達にオカマと言っていじめられていたから、友達は何かを嗅ぎ取っていたのかもしれない。何も知らずに見ていたので、いきなりのBL展開にびっくりして、気持ちが追いつかなかった。
主人公の気持ちによりそった丁寧な表現で、彼の幸福を願う気持ちになった。
暗い海のような人生も黒い肌も月は青く照らす
一部の通りでは麻薬売買が横行する、そんな黒人居住者が大半を占めるコミュニティ内で、居場所が見つけられない黒人少年Chironがアイデンティティを模索する物語です。
1) Little 2) Chiron 3) Blackと題される3部作構成で彼の成長を追うのですが、2)は本名、1)と3)はあだ名です。
Chironは、恩人Juanからも、幼馴染のKevinからも、"Who is you?"と問われ続けます。わざわざタイトルを付けて話を区切っているのは、名前すら定まらない彼のアイデンティティの不安定さを表しているのかなと思いました。
麻薬に溺れる母親に戸惑い、学校ではイジメられる毎日で、どう行動すればよいか決めかねているのか、1)2)までの彼は終始うつむいてぼ〜っとして見えます。カメラも彼の視線のように、時折ピントがズレます。それが2)の最後から目つきに変化が現れます。いじめっ子への復讐を決意した時から、3)で手下の売人に売り上げを確認する時まで、別人のような眼差しでした。
しかし暴言を吐くこともない、おとなしい1)2)のChironは完全に消えたのではなく、3)で母親の謝罪に涙を流し、好きなKevinの前では昔のシャイな瞳が戻ります。
1)で幼いChironはJuanに諭されます。"At some point you've got to decide who (you) wanna be... Can't let nobody make that decision for you."
繰り返される "Who is you?" の問いに、劇中その答えは会話により、名前であったり、職業であったり、近況であったりするのですが、Chironの結論は最後Kevinに向かって語られます。"I'm me, man. Ain't trying to be nothing else." どんな人になりたいかではなく、もともと自分は自分なんだと。
母親は上機嫌の時、Chironに対して "You're my only. I'm your only." と愛情を伝えるのですが、Chironも"You're the only one (who touched me)." とKevinに告白します。
環境の波に流され漂流するかのごとく、「自分がいないかのように」生きてきたChironですが、Kevinへの想いだけは変わらず確かなものだったのです。Kevinの隣にようやく安らぎの居場所を見つけられたのです。こんなひっそりとした幸せでも、Juanに海で抱えられた時のように、世界の中心 "in the middle of the world" に辿り着いたような思いなのかも知れません。
悪いと思っていても生活のために麻薬を売ることで、自分と同じように不幸な境遇の家庭を作り出している。そこに苦悩するJuanのその後を描くべきだったようにも思いますが、Juanのこの姿はきっとChiron/Blackの将来なのでしょう。
どっぷり黒人文化と台詞を堪能しました。あんな短髪や短いヒゲも、くしやブラシでとかすとは知らなかった(^^)。やっぱり絡まりやすいのかしら?
まぁアカデミー賞で注目されなければ、ミニシアター上映か、最悪日本には上陸しなかったかも知れません。"La La Land"の方が間違いなく大衆向けです。易々と?夢を叶えるハリウッドおとぎ話よりも、"Lion"の遠いインドの路上を彷徨う孤児達よりも、アメリカに未だ残る現実を直視していることで選ばれたのでしょうか。
苦くない
ほぼ黒人さんしか出ません。
LGBT絡みの話とは露ほども知らず(^^;
予告の断片的セリフに引き込まれて見に行ったわけだけど、
まあ、ちょっとあれなシーンはあるけど、
濃厚なシーンはありません。R15指定だし。
まあでも、見る前にLGBT関連だと分かってたら、
見に行ってないだろうなぁ(^^;
全体的にド派手な起承転結もありません。
最初から最後まで淡々と静かに流れて行く感じ。
眠たくなる人、いるかもw
状況説明臭いセリフや、くどいセリフ、
余分なセリフもほとんど廃して、
必要最小限のセリフで展開するというのは、
なかなかに見事です。
役者人がまた演技が巧い。
物語は主人公たちの特定の年齢をピックアップした感じで
三部構成的に展開するのだけど、
その各部をつなぐ説明も一切ないので、
いつの間にか、人物が死んでいることになって居たり、
職業に就いていたりするけど、
取り残された感を感じません。
なぜタイトルが「ムーンライト」なのか?
しいて言えば、最初に主人公に心を開くおっさんの、
昔語りの中で、出てくるのと、
映画の一番最後に、
月明かりの海で笑う子供時代の主人公の映像があるだけ。
月そのものの映像は一回もありませんw
きっと、主人公の人生が、強烈な太陽に照らされた
明るいモノではなく、
ぼんやりとしたモノだったということ。
あるいは、唯一、超親友という関係ではないけど、
気にかけてくれている友だちを表しているのか?
それにしても、黒人に向かって、ニガーって言ったら殺される
という話をよく聞くのだけど、
映画の中で頻繁にニガーって出てくるので、
どういう事なのだ?? って思ってしまった。
黒人同氏で親密な関係なら、使うことはあるのか?
と思ったわけだが、
家に帰ってwikiで調べたら、
「"Hi, Brother"(「やあ、兄弟」)のように、親近感をあらわす表現として、黒人が同じ黒人を呼ぶのに用いる場合である。とりわけ若者が多く使う。ただし教養のある黒人の中にはこの語の由来から、このような用法に反対する向きもある。」
とあった。なるほど。で、そのwikiの続きで、
「黒人同士が使用していたため愛称であると勘違いした韓国人女性が黒人女性上司に対してこの言葉を使用して解雇された」
と有ったので、勘違いしては
やっぱり大変なことになるのだなと(^^;
黒人の近くで、飲食するときは、それが苦くても
「にがぁ!」とは絶対言わないようにw
観客は2人だけだったけれど
アカデミー賞の作品賞を受賞してくれたおかげでド田舎のシネコンでも上映してくれたのはラッキー。
常に何かしらブルーのものが画面のどこかにある映画。その意味は映画の中でも語られる。なるほど。
愛を知らずに育った黒人少年が、初めて精神的にも肉体的にも満たされる愛を得たと思ったら、残酷な出来事で別れがくる。
成人して大きく人生を変えても、初恋を成就させるというハッピーエンドなのが救い。この映画の主人公ほどの純愛を知らないとしたら、かなり詰まらない人生なんだと思う。
テンポが、、
人一人、困難な状況の中でひっそりとただ確かに生きてきた人生を描くにはこのくらいのスピード感が良いのかもしれない。
テンポ遅いなぁと思いつつ、章編成により一気にすっ飛ばされる。
ただ個人的にはちょっと耐えられないテンポ感でした、、眠くなってしまった。
登場人物の演技は素晴らしかったです。
いやはやこんな映画も沁み渡るような人生を歩みたいものです。
映像は綺麗だが物語はごく平凡
黒人コミュニティ、ドラッグ、同性愛、家族の機能不全などをテーマとしているが、どれも中途半端で掘りが浅く、「現代社会の諸問題をとりあえず詰め込んでそれっぽく仕上げてみた」感が否めない。
この程度のテーマであれば10年前のドラマ『ザ・ワイヤー』にすべて含まれているし、あちらのほうがキャラクターの描き込みやリアリティ、細部へのこだわりなどの点でずっと優れていた。他にも例えば家族の機能不全なら『プレシャス』、同性愛なら『ブロークバック・マウンテン』などの良作があり、それらに比べるとこの映画はどの角度から見ても中途半端で見応えがなかった。
うーん?
ララランドが好きというわけでもありませんし、ベクトルが違いすぎて比べられるものではありませんが、それでも、正直そこまで良いとは思いません。
なんでしょうね、人種とLGBTQ(これもどんどん長くなるな)を持ち上げないと、差別主義者扱いでもされるんですかね?映画とは全く関係ないところで、現在のアメリカを象徴している気がします。
アカデミー賞受賞なんて、無理やり持ち上げなければフラットに見ることができたんですけどね。残念です。
鑑賞後にフライヤーの意味がわかった
ストーリー性が浅く感情移入出来ないまま終わってしまいました。
ケヴィンに寄せる想いとかもっと深く描いても良かったのではないかと…。
ただケヴィンが働いているお店で再開してからのシーンはとても良かったです。
成人期のシャロンはフアンの風貌とそっくりになっていました。憧れていたのかな。
いじめられていた時代にあの危険地帯に逃げ込まなければフアン夫婦に出会えていなかった。彼にとっての心の支えになっていたのだと思います。
アカデミー賞のことはあまり良く分かりませんが私はラ・ラ・ランドの方が納得がいきます。
TOHOシネマズ新宿にて観賞
青色のカラーリングが目を惹く。演技も演出も不足無し。
第ニ幕が熱い展開だっただけに、物語の収拾に終始する第三幕が惜しい。気持ちは観ているこっちも痛いほど、甘いほど分かるんだから、ジュークボックスの場面で切り上げても良かった。
唯一の友人の存在が
周りの友人達からは苛められ、家庭でも愛情を与えられない黒人の男の子。唯一の心を許せる友達に対する友情を越えた想い。人を愛することが悩みになる。大人になり、立派な体格になっても心の穴は埋まらない。愛情は欲しい時に与えられないと、ずっと後まで寂しく過ごすことになってしまう。最後は心が通じ合い幸せを感じさせた。瞳がとても綺麗でした。
上目遣いが印象的
特に心揺さぶる何かが見つけられなくて残念。
子供の頃のシャロン、うつむきながらの上目遣いがやたら印象的。
売人のフアンがやけに良い人すぎて面白かったけど、まあ愛情持って構いたくなる気持ちもわかるかな
10代のシャロンは全身からいかにもいじめられっ子の空気感が漂っていて痛々しい。
ケヴィンを意識する葛藤も描かれてるけど、描写が薄くてちょっと感情移入はしづらい。
浜辺のシーンは綺麗なんだけど唐突感がすごい。
ドレッド頭にイスで殴りかかるのはいじめられっ子の爆発を静かに描いていて良かった。
大人シャロン、いきなりムッキムキで金歯が光っててその変貌にびっくりする。
自分の道は自分で選べ ってフアンに言われた結果がこれか…とちょっとガッカリしてしまった。
まあ自由に選べる境遇でないことはわかってるし色々事情があるんだろうけども。
最終的にケヴィンと仲直り、というか結ばれるのかな?
良かったと思うし幸せになってほしいけど、なぜか特に心に訴えかけるようなものがなかったな…
印象的なシーンや美しいカットは多いんだけどストーリーとして入ってこなかった。
カメラが前半よく回り揺れるので少し酔ったのであまり集中できなかったのかも。
思ったよりアーティスティックで分かりにくかった。
ブルーベースの映像はすごく綺麗。
今の時代
'70年代から映画を見てますが、ベストムーヴィーズの一つ。
今回、ラ・ラ・ランドと賞を競いましたが、全く異なるタイプの映画だから甲乙つけるのは難しいと思いました。けれども個人的一票なら「ムーンライト」。
シャロンを三人の俳優さんが演じていますが、よくinsideを出してまして快挙です。しかし大人になったシャロンが麻薬売買に手を染めてしまったのには悲しすぎました。アメリカの貧困層、また家庭環境は幾ら本人が良い資質を持っていたとしてもやはり逃れられないのかと。
かつてブロークバックマウンテンという良い映画ありましたね。賞は取れませんでしたが。この映画が取れたという事は時代も変わったと感じました。
あの街から出てNYとかに行き一旗揚げようなんて、お金もないシャロンは考えつくこともなく、いじめに耐えながら悶々と日々を過ごす、やるせないです。
見ている側は、子供の頃いじめにあっても街から離れる事もできず、母親も理解なんかできなく自分の事ばかり、そんな時代があった人なら、自分を重ねて見ているのでしょう。
時代をよく反映してますし、又、心の深い所にふれる、とても素晴らしい映画でした。
拠りどころがないということ
この作品,The Color Purple へのオマージュだろうか?
社会の底辺に位置する地域。
そこに住んでいる ということが、すでに人生の選択肢なく日々いのちをつなぐことしか考えない荒んだ人生を意味する。
そのやるせなさ、いらだたしさが、さらに集団の中の弱い者へのいじめの原動力になる。
最下層社会で虐げられる者。
ひと昔前なら、それは女性であったのだろう。
が、女性は強くなった、というよりも 連帯する力を持ち自らが弱い存在ではないことに目覚めた。
The Color Purple はそんな作品だった。
でも、この作品の少年はもっと寄る辺ない。
愛し守ってくれるはずの母も自分のことしか考えられない。自分が何者かもわからないまま、ただ暴力に屈しないことだけを覚えていく。
彼が自ら育て上げた力は、実はひ弱で脆い。
でも、どうしたらいいのか?
全くわからないままに、ただ一度優しくしてくれた友達にすがる。
今年のオスカー作品賞。
確かに 政治的な配慮、そしてブラピがプロデューサーという背景あっての受賞だろう。
あまりの痛々しさに涙したが、全くわからなかったという方に「母性くすぐられたか?」と。
ああそうですか?
日本人だから? 米国文化を理解してないから?
ああいった社会の底辺を描くものは理解できない?
なるほど、これでは、Fences も Hidden Figures も公開してもワリに合わないとなってしまうわけだ。
そして、その想像力の欠如が、マッチョで知性の低い政治を支えているのかもしれない。
十代の主人公を演じた役者の鬱屈と怒りを充満させた表情が凄まじかった。
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