ムーンライトのレビュー・感想・評価
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人種、ジェンダー、マッチョ幻想
黒人差別を扱った作品は数多くあれど、黒人コミュニティのなかの男らしさを強要するようなジェンダー差別に切り込んだ作品は、滅多にない。弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く。差別の被害者たちもどこかで別の対象を差別している。
本作は、人種的マイノリティの中のさらにジェンダー的にマイノリティの主人公が受ける何重もの苦難を描きながら、美しい恋愛映画でもある。
黒人男性社会のなかのマッチョ幻想はかくも息苦しい。ゲイでひ弱な主人公は、大人になるとマッチョの鎧を着込み、「いかにも」な外見になっている。そうして鎧をまとっていなければ生きられないコミュニティなのだ。
そんな彼が鎧を脱げるのは愛する相手の前でのみ。金歯のグリルを外すシーンが象徴的だ。
人種差別だけではなく、同性愛差別、そして男性社会のマッチョ幻想の抑圧をも描き、愛することの素晴らしさを説く。人が寛容になるために必要なものはなんだろうか。
誰のもとにも優しく降り注ぐ、普遍性に満ちたラブストーリー
息が止まりそうなほど静かで美しい。オスカーを受賞したことを一旦忘れて、ニュートラルな心持ちでじっくりと味わいたくなる作品だ。
ドラッグ、過酷ないじめ、母親による育児放棄、同性愛といった、どれひとつ取っても重くのしかかってくるような題材を描きながらも、独自の色彩美と、月明かりに照らされ胸の中まで透き通っていくかような神秘的な趣が全ての存在を包み込んでいく。決して社会派ドラマなどではなく、これは自分の人生に影響を与えた様々な人たちに向けた純粋なるラブストーリーなのだ。そこにはもはやLGBTという言葉すら必要とすることはない。月明かりが誰のもとにも優しく降り注ぐように、観る人を分かつことのない普遍性がどこまでも広がっている。
登場人物は少ないが、誰もが印象的だった。彼らもまた、それぞれが月のように独自の輝きを放ち、様々な意味で主人公を照らす。人が歳を重ねて、成長していくことの意味を改めて教えられたような気がした。
抑制がもたらす興奮はかくも強烈なのか!?
マイアミの貧困地帯。何かにつけて仲間たちに虐められている少年、シャロンを匿ったドラッグディーラーのフアンは、決して、暴力には暴力で対抗しろとは言わない。思春期を迎えたシャロンは友達と連んでいきがったりせず、月夜の浜辺で"永遠の一瞬"に体を震わせる。今や逞しく成長した青年のシャロンは歯を金で固め、筋骨隆々のボディで自らをガードしているが、何が彼をそうさせたかは観客に想像させるのみ。等々、かつて見てきた黒人映画のルーティンをことごとくスルーし、ひたすら優しく、知的で、且つ、エモーショナルでエロティックな愛のストーリーとして全編を全うしている。抑制がもたらす興奮はかつも強烈なのか!?その余韻は未だ熱を帯びている。
圧巻
ヤク中の母と二人暮らし、いじめられっ子のシャロンは唯一の友達ケヴィンに友情以上の感情を持つようになり……みたいな映画
2分ぐらいある長回しを多用してドキュメンタリー的な雰囲気を出したり、ポスターに見られるようなネオン風の光がめちゃオシャレに入っていたり、音楽の入り方が心情にピッタリあっていたり、とにかく映画としての完成度が高くびびらされました
特に、自分の気持ちをBGMに代弁させるシーンはエモすぎて鳥肌立ちました また、演技力も素晴らしく、困難な環境で心を閉ざせども瞳にギラギラ野望が眠っているシャロンがばっちり表現できていて、感動しました
何より、このような卓越した映像表現で、マイノリティが奮闘するも失敗するが最後に希望が残るという救いのある脚本が、重いテーマを薄れさせることなく美しく描いていてよかったです
黒い肌に反射する色。
◯作品全体
本作を見始めたとき、「登場人物が黒人である必要性があるのか」という感想が浮かんだ。内気な性格、いじめ、身体的コンプレックス…人種に関わらず経験しうる出来事ではないか。アカデミー賞作品賞という肩書というのもあって、少し邪推してしまった。
しかし、主人公・シャロンの理解者であるフアンのブルーと呼ばれたエピソードによって、本作の演出は黒人でないとできないと確信した。反射する肌とその色、という演出は必ずしも黒人である必要はないが、反射しづらい「黒」という色の肌によって、反射することの意味が強くなる。
本作において肌に反射する色は「他者からの影響」を意味する。フアンのエピソードも、他者である老婆から「青色だ」と指摘されなければフアンは気づけなかった。そして気づけたことにより、黒人というカテゴリとは異なる「ブルー」という個性に出会うことができた。肌に反射する色は、他者からの影響により違う自分に変える力を持っている。そして変化の説得力は反射しづらい黒色の肌にあるのだと思う。
シャロンは無口で、話すときも下を向く癖があるから尚更他者からの影響を受けない。黒人のコミュニティでありながらあだ名が「ブラック」なのは、普通の黒人よりもさらに反射させる色を持ちえないからかもしれない。そんなシャロンが初めて肌に反射させた色は青色だ。フアンと同じではあるが、意味合いとしてはネガティブな印象が強い。なぜなら母から「私を見るな」と怒鳴られながら呆然とするカットで反射した色が青だからだ。母が知らない男と入っていく強烈な赤色の寝室と対比として使われていた。
第二章では、居場所のないシャロンに反射する青色が印象的だった。駅のホームで反射する青色と下を向いたシャロンの表情から、街やコミュニティに入れない寂しさを感じる。海辺のシーンでは色を排除して、月の光とそれに当てられて光る肌が強調されていた。スポットライトのように注がれる真上からの光が、ケヴィンの隣にいるこの場所こそシャロンの居場所だと訴えかけてくる。もう一つ、光の反射が使われていたカットがあった。ケヴィンやテレルに殴られて、氷水で顔を洗ったシャロンのカットだ。こちらの光は鏡に乱反射していて、そして額からは赤い血が残っている。シャロンの怒りや悲しみが反射によってあふれ出た演出で、その後、テレルを椅子で殴ってしまう導火線のような役割だった。
幼少期から青年期のシャロンにとって他者からの影響は計り知れないもので、シャロンが口を閉じ、俯いていても他者や社会からシャロンへ向けられるものは抑えることができない。肌の色も、そして心も「ブラック」で閉ざしたシャロンに突き刺さる色たちが刺々しく映った。
第三章ではシャロンが失った居場所を再び獲得する物語になっている。ここまでの本編にシャロンの居場所はほとんど描かれず、自室にいるシャロンも意図的に映さないようにされていた。さらに街の名前が出てくることもなく、シャロンがどこにいて、どこに居場所があるのかわからなくない立ち位置だった。
大人になったシャロンは自分の車と家を持ち、アトランタの街で生活していることがわかる。母からの謝罪も優しく受け入れられる心も手に入れたが、独りぼっちだ。忘れたい過去の中にいるケヴィンを少しずつ過去から現在へ掘り起こすシャロンの目線や仕草は、理想の居場所を壊してしまうことを恐れているかのような、そんな印象を感じた。
第三章はあまり色を感じるシーンが少なかったが、ラストカットの青い月光と幼少期のシャロンを強調するためかもしれない。青色が示すネガティブに感じた「他人からの影響」が月の光としてシャロンに映る。ケヴィンがいる、という「他人からの影響」をポジティブなイメージの月の光と重ねたラストだ。
肌に反射する色はシャロンを攻撃するかのようにシャロンのままでは居させてくれなかったが、ラストにはシャロンを包み込むようにやさしく存在している。シャロンの内的な世界を鮮やかに、静謐なままに切り取った色の演出が素晴らしかった。
〇カメラワークとか
・テレルがケヴィンの相手を品定めするカットは、テレルの周りを動きながらテレルをフォローパン。カメラを引くとケヴィンの前にシャロンがいる、というトリッキーなカメラワークだった。ケヴィンが相手を探し始めた時点で作品を見ている我々は誰が標的になるかわかってしまうから、そのくだりは確かに不要だ。省略の巧さを感じる演出だった。
ともだち
ともだちがいない子供時代を過ごしていると些細なことで自分を受け入れてくれる相手に恋愛感情に似たものを抱くことはあると思う。
ともだちがいない子供は仲良くなっても、ともだちと言えない、夏目友人帳の中の言葉。
そのまま誰にも心を開けず大人になっていくのもわかります。
問題のある親のことや黒人であること、同性愛という、辛さが加わって強くなっていったのかもしれません。
美しい月の光のようにさみしく沁みてくる映画でした。
自分には良さが分からなかった
アカデミー賞で高評価を受けたらしいが
自分には良さがわからない
主人公のシャロンはいじめられっ子の少年
唯一の友達はケヴィン
母親は薬の常習者
ある日、いじめっ子から逃げて、隠れているところ薬の売人と出会う
数年後
砂浜で話す主人公とケヴィン
2人はキスをし、その後ケヴィンはシャロンに対し行為に及ぶ
数年後、二人は再会する・・・・・
んだけど、
全く良さが伝わってこない
主人公も薬の売人になってるとか・・・・
ケヴィンとの一件以降、男とも女とも性行為をしてないとか・・・
3年後くらいにもう一度見ようと思うので
日記代わりの記録を残しておく
予想ほど重苦しくない
シティオブゴッドなどのように
貧困から抜け出せずアンタッチャブルに落ちていく
黒人少年の話、かと思っていた。
外れてはいないけれどそこが主題ではなかった。
あくまで愛に飢えながらも愛に不器用になってしまう人々の映画だった。
母親は息子に愛してると言いながら
薬でラリってると罵詈雑言を浴びせる。
唯一親切にしてくれる近所の大好きなおじさんは
少年に負い目の大きい生業である。
はたして自分は存在していいのだろうか?
さらに貧困社会においてナメられるのは=死に
近い意味合いを持つのであろうなかで、
少年はさらにマイノリティであると思春期に自覚する。
唯一心を許した相手も弱さ故に少年を傷つける。
そう、この映画に出てくるのは弱い人間たちなのだ。
強い人間であればどんな環境においても
確固とした姿を見せて少年を導けただろう。
しかし彼らは弱い。
流されてしまう。
そして「俺(あるいは私)のようにはなるな」と忠告する。
それが弱い人間の優しさなのだ。
己を棚に上げてこの子はそうならないでくれるはずだと
勝手に期待やプレッシャーを与える。
久しぶりに連絡してきた幼馴染みでもそうだ。
状況的には幸せであるはずなのに満たされないから連絡した。
でも少年がやってくると「なぜ来た?」
つまり寂しいけども少年には俺と違って
成功していてほしい、と
やはり勝手にそうでいてほしいイメージを抱いている。
少年は常にその期待に応えられず、
物悲しい瞳で俯く。
彼自身も弱い存在だからだ。
なんと切なく悲しく美しい映画なんだろうか。
それにしても、世代が違っても同じ目をした役者をよく
見つけたものだ。
アカデミー作品賞の発表が間違いでなかった方が…
私にはなかなか理解の及ばない同性愛と
覚醒剤売人の世界の物語だった。
そもそもが説明不足な演出に感じ、
特段の上手さも感じられることはなかった。
同性愛の経験があったとしても、
何故、シャロンはこれまで
異性との関係を持たないできたのか、
亡きフアンの妻との接点が
あったにも関わらず。
他にも、
フアンは殺害されたのだとは思うが
何故死因に触れないのか。
彼が子供のシャロンに目を付けたのは
切っ掛けは単なる偶然で、
仕事のために手懐けようとしたのだとは
思うのだが、それ以上に、
彼に己の生い立ち的符合性を見出したから
等の理由があったからなのか、
肝心なところに何かと説明が欠けている
ような印象で、
“1.リトル”からモヤモヤ感が支配する
鑑賞になってしまった。
また、総じて、シャロンの思索の変遷も
上手く描かれているようには
思えなかったし、
「自分の道は自分で決めろよ、
周りに決めさせるな」
とのフアンの教えにも関わらず、
フアンの場合は自省を込めての
言葉だったとしても、
シャロンの主体性の無い人生と、
結果、フアンと同じ覚醒剤の売人に
甘んじる展開と、
結果的に人生の恩師のようなそのフアンを
超えることの出来なかったシャロンに
どう共感すればよいのかも分からなかった。
アカデミー作品賞、
キネマ旬報ベストテン第9位と、
共に「ラ・ラ・ランド」を上廻る評価を得た
作品ではあるが、
(但し、読者選出では「ラ・ラ…」の第1位に
対し、「ムーン…」は第11位と逆転)
作品全体の作りは「ラ・ラ…」の方が
優れていた印象だ。
もっとも、私の中では、
こんな風になれば良かったね的な
「ラ・ラ…」よりも、
同じミュージカルで似た設定の、
現在の“家族”を大切に、
過去を振り切る男性の想いが感動的な
「シェルブールの雨傘」の
上を行くものでは無かったのだが。
幾重にも
重なる苦境
人種差別 ゲイ 貧困 無茶苦茶な母親
そんななかにあって、麻薬ディーラーのファンは、シャロンをいたわる。
おそらく、要素は違えど、苦労した少年時代がったのだろう。
3部構成にしていることで、その年代ごとの主人公シャロンの苦悩が、浮かび上がっていた。
むずいな〜
主人公の目がずっとなまめかしい。少年期思春期青年期それぞれの俳優が同じ表情、空気感を保っているのがすごい。
もうそろそろこの映画を理解できるようになったかな、と5年ぶりにみたけど、やっぱりまだ良さわからない。主人公から語られる言葉が少なくて、会話も受動的、何考えてるのか分からない。説明が少ないところが私には難しいのかも。ただその人の周りを撮っている、各々の感受性に委ねる美しさの余地みたいなのを重視してしているのかも。
フアンやケヴィンや母から与えられる愛の形の違い、それを受け取るシャロン自身の変化が、もったりとした空気感で描かれていた。
月の光
黒人じゃなくても成立する物語だと思う。どこの国でも作れるし、同じように受け止められるんじゃないかな。こういう静かでゆったりした描写は、本来かなり好みなのだが、なんだろう、何かが足りないのかな。なぜか、あまり刺さらなかった。ちょっと表面をさーっと撫でてるみたいな、サラサラ感? 美しいシーンはいろいろあったけど、心に刻まれるまでには至らなかった。まあ、その時の気分や体調とかもあるかもしれないので、別の日に観たら違う感想かも。
BS TBSの放送を録画で鑑賞。
いじめられっこの顛末
トレヴァンテローズ扮するシャロンは、子供の頃リトルと呼ばれていて学校帰りにいじめられていた。母親はジャンキーで、シャロンにもお金をたかっていた。
こんな環境ではたまらんだろうな。どんな世界でもイジメはあるが、家の中でも安心出来ないのはまいるよね。結局悪事に手を染めて何ともならなくなるよな。
毒親といじめ差別の中で性的マイノリティの一人間が人と触れ合い成長する
薬中のシングルマザーを持つ繊細だが気高い精神性を持った男の話。
作品全体からなにかを伝えようとする力を強く感じる作品だった。
母親やいじめっ子からストレスを溜め込んでいくシャロンがいつ爆発するか緊張感を感じながら見ていた。しかし彼には少ない理解者がおり、その人たちのの触れ合いや思い出を得て彼は彼の父親のような存在だったフアンと同じ薬の売人として生きることとなる。黒人が多数派の社会を映像で見たことが無かったため、そこは新鮮だった。
美しいフライヤー 月に照らされるその3つの時代の顔
1人の黒人少年の成長を3つの時代にわけ、彼の目線から覗く人間社会。
○注意○ネタバレです
⚫︎少年期 リトル
母親はリトルに対し抑圧的で愛情にはムラがある。
生活のためだけではなく薬にも手を染め身を売ることも厭わない。親としてその身勝手さはこどもの自信を育てるはずもない。安らぎがない暮らしの中、常におどおどしているリトルは学校でからかわれ執拗なないじめを受けているのだ。
しかし、はけ口を見出すこともできない性格と年齢と環境ではただただ耐えることに慣れるしかない。
現実の嫌なことをかきけすのはバスタブにためる水の音。
母が男と居る2階をみあげる切ない姿がかわいそうで仕方ない。
ストレスと孤独感は本人も知らないうちに、その小さな身体を埋めつくそうとしている。
救えるのは愛だとしても、そこにそれはない。
しかしリトルの母の行動も社会問題である人種差別や貧困などの悪循環が生み出したもののかけら。
断ち切れなければ、代々、子の世代に影響していくという悲しい現実と手立ての難しさを世界はとうに知っている。
そんなリトルとある日偶然に出会い、助けたのがフアンとテレサ。ふたりは真心をもってリトルに接してくれる唯一の大人となるのだ。家に居場所のない思いをするとき自然とリトルは彼らを頼るようになる。
そして同級生ケビン。
彼はリトルが自分らしく話しができる唯一の友だち。いじめられてるときもさりげなくフォローしてくれる存在だ。
彼ら3人がいなければ、リトルはどうなっていただろうと思う。
そう、人生は誰といつ関わるかだ。
2.青年期 シャロン
相変わらずの母、いじめがエスカレートする学校生活。
彼の性格や身体的特徴、家庭環境、母への噂、母への不信など、思春期に重なるほど悩みは募っていたはずだ。
父のように励ましてくれたフアンの死後も母のようにテレサは見守ってくれて、シャロンの心の安まる相手だ。
ネグレクト的な母だが、リトルがシャロンになつくことには嫉妬心も湧き感情的にシャロンにあたりちらす。テレサにもらった小遣いさえ巻き上げるあきれた母だがどうにもできない。
やるせなさと悲哀でいっぱいのシャロンの心はフアンに言われたあのことばのおかげでぎりぎりの均衡を保っていたのではないか。
「自分の人生を他人に決めさせるな。」
母に閉ざされたリトルのドア。
それを自分でこじあけれるように、生き方を教えたフアン。人を信用せず口数すくなくおびえた上目使いの幼いリトルに自身のかつての姿を重ね、息子のように心配していたのだ。
鬱屈したリトルの成長期にその出会いと存在の重みははかり知れない。
ある晩の浜辺。
シャロンと並び語り合うケビン。
ふと2人が秘めてた感情が月に照らされ露呈される時がきた。しかし束の間の幸せは、ケビンがいじめっ子の権力に負けシャロンを裏切り、傷ついたシャロンが暴れ補導され離ればなれになる運命だった。
3.成人期 ブラック
時は過ぎる。
シャロンがこの間、どう生きていたかは観るものの想像で繋いでいく。
線の細い気弱そうな青年は
恩人フアンとおなじく薬の売人になってあらわれる。
彼がシャロン?と思うほど、すっかりイメージを変えた彼はブラックと呼ばれ、派手な車に乗り、いかにもないでたちに金歯を光らせている。鍛えたあげた身体はひ弱な少年期青年期の彼を捨て去ったのか。生きるために纏う鎧でかためあげた姿は、あの頃の味方、フアンの風貌とそっくりだ。
ブラックに、ひさしぶりに会いたいと母から留守電が入る。とれる電話をとらないブラック。母を許せないブラックのわだかまり度がわかる。そんな折、夜明けにケビンからも電話がありブラックは動揺しつつ故郷に行く気になる。
久々の母はブラックに
「愛が必要なとき、与えなかったから。」と謝る。
母はわかっていた。わかっていてもできなかったということを訣別の状態で聞かされブラックの頬に涙が落ちる。怒りもあったはずが、罪を認めてもらえたことは嬉しかったのだろう。震える母の煙草に火をつけてやり「もういい。」と抱き寄せる。
少年リトルの頃からのやさしさがまだそこにあった。
そのあと、道中の彼は少し肩の荷をおろしたようにみえた。夕暮れの海で黒人のこどもたちが楽しそうにはしゃぐ映像が象徴的に重なる。
ブラックはケビンに会う為、仕事場の飲食店に向かっている。シャツを着替え、髪をとかすブラックのしぐさにケビンに対する配慮を感じる。一方、変わり果てた風貌のブラックをみてケビンは驚きを隠さず、しかも薬の売人をしていると知りショックを受けている。だが話をしてみれば心の中に変わりはない。ケビンはジュークボックスで恋人の帰りを喜ぶ唄を流す。あの日以来、一途にケビンを思っていたブラックと結婚後子供をもうけたがすでに家族とは別れて暮らしているケビンのブラックへの気持ちがまたここで交わった。
ケビンはあの浜辺の近くに住んでいた。
繰り返すさざなみの音は記憶はよみがえらせただろう。ようやく安堵に包まれ寄り添えた2人。
ラストシーン、
月灯に照らされる波打ち際、振り返るリトル。
今、素直に愛を求めるブラックは
どんなに強がろうがこのリトルと何ら変わらないことを傍のケビンが誰よりも知っている。
人の物差しに惑わされることなく、自分の心をみつめて。
愛をもってすべてに向き合って。
人種も貧困も薬もいじめも性的マイノリティも…
みんな、みんな
いいわるいを簡単に決めつけちゃいけないよ。
ぼくは知っているよ。
決めつけられるものなんてなにもないんだ。
無言のリトルのおだやかな笑み。
語りかけてくるのはそんなことだろうか。
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