未来よ こんにちはのレビュー・感想・評価
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突き放されたような、魅入られたような
イザベルユペールの服装すべて、とても素敵だった。 家のインテリアも。 観る前、孤独な女性の話かと思っていたが、 夫に去られ、教え子と距離があいてもなお、 私には彼女が孤独とは思えなかった。 子や孫がいるから、ではなく、 彼女には確固たる自分と人生があり、 キャリアといえるworkがあり、それゆえに頼ってくれる人(生徒)もいる。 大切な人or情熱を持てる仕事or愛情を注げるもの どれかを持っていれば孤独ではないように思える 私自身が孤独にさいなまれ、ときに独りで涙する人生を送っているので、 孤独ってこんなもんじゃない、といじわるな視点で観ていたかも。 突き放された、というのはこんなんで孤独いうな、と感じたから。 とはいえ、猫アレルギーなのにパスカルを胸に抱いて声をころして泣くところはこちらも胸が締め付けられた。 孤独かどうかは他人がどうこういうことではない。 主観の問題だ。 母を施設に入れた後の夫との会話 「いつもの演技では?」「分かってる だからって餓死させるの?」 主人公にとって大切な人を大切にしてくれない夫との心の距離を感じ、切なかった。 大切といっても、主人公自身、母親に辟易してるところもあり、強めの言葉や態度で接するところはあったものの、「好きな場所だけどここを訪れるのは最後」な夫の実家と周りの景色を振り切って母のもとに駆けつけるのは「餓死させられない」からではなく「餓死させたくない」からだったろう 教室で彼女が読み上げた一節が沁みた 原典が知りたい。 「人は欲望があれば幸福でなくとも期待で生きられます /幸福がこなければ希望は伸び 幻想の魅力が情熱のかぎり続くのです/かくてその状態で充足し不安感が一種の歓びとなり現実を補い 現実以上の価値となります/何も望まぬ人は不幸です/所有する一切を失うと同じ 幸福を手に入れる前こそが幸福なのです」 言語化するのが不得手なので、魅せられたのはユペールのファッションだけではないのだけど、どう良かったか説明はできないのだが、私にとっては良い映画だった。
ルソーは社会契約論で人権宣言に影響を与えた。革命の生みの親
『もし、神々が市民なら、民主政を執るだろう。これほど、完全な政体は人間には適しない。』人間には民主政は無理かもしれない。
『歴史は確定した真理。ホロトーストも論争する余地はない。』
つまり、殺人も長い歴史の中で確定した真理。今更、殺人で論争する余地はない。しかし、『プラン75』なる映画を鑑賞して、その良し悪しを議論する必要性があると主張する者もいる。異様だと思わないか?この主人公の母も『プラン75』なのか?
女性は40歳過ぎたら、生ゴミと言う台詞が出て来るが、男は親元を離れた時から、生ゴミみたいなもの。僕自身の実体験で感じる。
哲学は政治と融合すべきだと思う。また、資本主義と言う波に流されない様にすべきだと思う。そして、真理を見極める哲学位は、個人的に身に付けなければと考える。何故なら、今起きている出来事が真理の逆ばかりのような気がするからだ。
さて、同調圧力なんかもってのほか、難しく哲学を論ずるのではなく、簡単な思考で良いから、自分で考える事が大事だと思う。未だに危機的な社会は停滞している。真理を自分の力で見極めていく。そうしないと、
『こんにちは』と言える未来が来ないかもしれない。
フランスのローカル線はディーゼルエンジンの気動車だ。原発で電気があり余っているのにどうして?
追伸 こんなバカ男早く分かれて、自立すべき、情けはいらない。もっとも、男と女の立場は逆だろうが。こんなバカ男に騙されないように。同じ事を何度も繰り返す。哲学者でも清掃員でもその日暮らしの老人でも、バカ男は一生懲りない。
ずっと続くと思っていた安定した人生が自尊心を傷つけられる形で崩れ始...
ずっと続くと思っていた安定した人生が自尊心を傷つけられる形で崩れ始め、孤独に苛まれる中年女性をイザベル・ユペールが演じている。
邦題からもわかるように映画のテーマは孤独からの再起といったところだが、あからさまな変化を描かないところがフランス映画らしい。
ナタリーの安定した人生は情熱を捨て去ることの代償だったかもしれないが、それに気づいたところで情熱など簡単に取り戻せるものでもない。
それでも孤独を受け止め、新たな生活になじんでいくさまに不思議な穏やかさがある。
おデブの黒猫パンドラが印象的だ。
アルプスのふもとで一夜の冒険に出てナタリーを心配させるが、朝方無事に帰ってきた彼女はナタリーにネズミのお土産まで持ち帰る。本能が目覚めたのだ。
「箱を開けることで様々な不幸が放出されるが、底には希望が残る」というパンドラの箱の物語がベースにあることは明らかで、パンドラはナタリー自身のメタファーに使われているのだろう。
終盤、孤独を癒してくれていたパンドラをナタリーが手放すことを最初は不思議にも思ったが、パンドラ=ナタリーと考えればそれも必然。本能に目覚め自然の中自由に生きるパンドラが、自身を解き放つナタリーと重なる。
穏やかなラストと音楽が胸に小さな感動を引き起こし心地よく見終えたのだが、監督が30代の女性と知って少し引っかかるものを感じてしまった。
50代後半を年寄り扱いしすぎじゃないでしょうか。ま、ただのひがみだけども。。
監督がそれなりのお歳になったら、きっとナタリーにもう一花咲かせたくなるんじゃないか、そんな風に思ってしまった。
幸福を手に入れる前こそ、幸福なのです
映画「未来よ こんにちは」(ミア・ハンセン=ラブ監督)から。
主人公は、パリの高校で哲学を教えている女性、ナタリー。
「子どもたちは独立、夫が離れ、母が死んで・・
やっと自由を取り戻した」と自分の置かれた現状を分析し、
「初めての完全なる自由、すばらしいわ」と呟く。
しかし、生き方があまりに哲学的で、観ていて息苦しいのは、
「凛として生きる」を実践してきたからだろうか。
その生き方に、教え子が反論するシーンがある。
「思想と行動を一致させねば・・」と。
「先生とは違う。価値を変えるほどの行動はせず、
生き方を変えるほどの思想も持たない、(先生とは・・)」
「具体的に?」と、まだ気付かない先生に、彼は言い返す。
「デモや請願をすれば政治参加した気になって、
良心を痛めず暮らせる。
人生は欲望があれば、幸福でなくても期待で生きられます」と。
そして最後に「幸福を手に入れる前こそ、幸福なのです」
なんだか哲学的だなぁ、と思いながらも、若き女性監督は
「未来を信じて生きる女性の姿」を描きたかったんだよなぁ。
温かいぬくもりを抱きながら
母の期待のままに学位を取り哲学の教師となった女性。
歳を重ねるうちに夫はいつの間にか心が離れていた事実を突然に突きつけられ、介護をして来た母もこの世を去り… まるで人生の整理整頓が一度期にきてしまったかのような状況に主人公は戸惑いながら、時にはむせび泣きながら、しかし淡々と行きて行く。
今まで期待に応えようとしてきた、対象である母という軸を無くした時、自分自身とは?と考えさせられるものなのだろう。
しかし、常に哲学を持ちしこうしながら前を向く主人公に悲壮感はない。何かに依存したりすることもなく、非常に好感を持てた。
温もりを感じつつもあっさり整理整頓されてしまう意外な家族もいるけれど(笑
理性的な判断なのでしょうね。アレルギーだから。
ラスト、アンチェインド・メロディーが流れる中、その抱きしめる愛おしいもののずっしりとした重さ暖かさを感じ、少し涙が出た。
映画とは関係のないところで大変に残念なのが、予告やキャッチコピー。 主人公は孤高の女性だが、おひとりさまするシーンはあまりない。むしろ教え子たちや家族とよい距離で関わり続けている。 おひとりさまとはけして悪い言葉ではないが、 夫と別れ自立した前向きな姿勢の女性=おひとりさま はちょっと違うかと。 それと、「自分のために花を買う」とポスターにあるが⁇花はどれも人から贈られていたような…ヽ(´o`;
なんだかそこだけが気になったが、 イザベルユペールの美しさと、フランスの風景、整理された本棚にテーブルに花束のある家。
上質な時間を味わえる映画だ。 もう一度観たいな。
孤独=自由
孤独ということは言い換えれば自由である。人は考え方一つで幸にも不幸にもなる。そして、どんな人生でも生きる希望を持つことが重要。淡々とした内容で面白さや感動は無いが奥深い作品。 2017-83
対象喪失と自由と…
個人的には、意外と面白かった。夫との離婚、子供の独立、母の死と、「対象喪失」でありながら、自由」。主人公が女性哲学高校教師であり、ジャン・ジャック・ルソーやパスカル、アラン、ブーバーなどの名前が次々と出てくる。いつでも、どこでも、本を開く。ボブ・ディランのアイドルだったというウディ・ガスリーの「マイ・ダディ・フライズ・ア・シップ・イン・ザ・スカイ」、フリート・ウッズの「アンチェインド・メロディ」などの挿入歌が心に残った。
想像すること
幸福を手に入れる前、つまり夢を見ている状態の想像と創造ができると、人生は満たされるのだということを作品中で話していましたが、凄く分かります。 孤独も死も嫌味嫌われることですが、やってみると案外楽だったり、苦しくないかもしれませんね。女性は若くないと価値がなくなると若い頃に思っていましたが、40歳を過ぎたら、若い頃よりなんか楽しくて楽になった気がします。 ネガティヴなことも、あくまで個人的な想像と考え方に過ぎないのです。だから、私にとって哲学は人生に必須なんです。 人間は必ず老いて死ぬのですから。
女性は強い
離婚され、母が亡くなりというようなことが重なっても、なんとか乗り越え表面上は淡々と生きていくという強さは、女性の方が持っているのかも。そんなことを考えさせてくれた作品でした。 あと、哲学や政治が身近にあるように描かれているのも、日本の風土と違う点かなぁと感じた。
哲学の素養がいる
ユペールさま目当てで。
面白くみられたのですが、雰囲気もすきだったのですが、
哲学的素養がもう少しあれば、理解も深まったんではなかろうか、
という点が残念です。自分がね。
なので、映画の言いたいことはあまりわからなかったかもしれないという気持ちです。
全体としては、中高年になってあれよあれよとおひとり様になってしまったナタリーを憐れむような描き方ではなく、
それを潔く受け入れ、一人でちゃんと生き続けてゆく姿を
描いてくれたのがうれしかったです。
私がこれから向かっていく未来が、ナタリーのようになったらいいなと思いました。
あと、猫のパンドラがかわいかったです。
もう世界中で猫愛があふれてますな、最近は。
ナタリーママが癖の強い人でした。
高校の哲学教師、っていうのが、日本のいわゆる高校教師よりか、大学の教員レベルの知識がある感じに見えて、
日本とフランスの教育の違いを見ました。
日本の学校教育は躾と受験対策と部活に重きがあり、
フランスは高等教育を受けるための予科って感じなんですね、
きっと。
イザベル・ユペール可愛い
イザベル・ユペール可愛いよね。いつも思う。歩き方がちょっと変なんだけど、わざとかな。
作品は「ここだ」っていう場面で哲学書からの引用が朗読されたりすんの。訳解んないんだけど、なんかまあいいなあと思うよ。
「なんか決定的なことが起きたんだな」って場面は描写しないのね。でも前後で解って、監督うまいなと思ったよ。
フランス映画らしいフランス映画で訳解んないんだよね。でも意外に解った気もすんの。
イザベル・ユペールが出てて哲学的なことが語られてるから、それで満足したよ。
現代社会を見事に反映と認めつつも・・・
やたら哲学の記号がたくさん出てきて、終始眉間にしわを寄せながら見ていた。それら哲学的要素はそれほど重要じゃないだろうし、把握できなくとも理解はできると思いつつも、あまりにも多いし、たぶんある程度分かっていないと楽しめないかも。 感情表現であろう1ショットの場面がことごとく理解できなかった。どんな感情なのか自分には全く伝わってこなかった。だから尚更楽しめなかったし、普通の人生を生きる女性の姿をのぞき見させられているような作品だった。平々凡々を感じさせるイザベル・ユペールの凄さは感じるけれども、自分はいったい何でこの作品を見ているのかという疑問を抱いてしまったわけで、その答えも見いだせず、非常に退屈な作品に感じてしまった。
フランスの高校の自由な雰囲気を感じられた。 芝生で寝転んで自由に意...
フランスの高校の自由な雰囲気を感じられた。 芝生で寝転んで自由に意見を言ったり、その場から電話一本で急に教師がいなくなったり。 映画全体としては、人生こういうこともあるのだろうな、とは思った。主人公の事をすごく好きにも嫌いにもならなかった。
寂しいなあ
着ているものやインテリアはオリーブ少女のようにオシャレ。取り乱さない誇り高き態度も立派、だけど友達がいないのは寂しいなあとおもった。
子どもが父親を呼び出して「浮気してるでしょ」と迫るのはフランスっぽいなとおもった。
つまんないけど面白かった
孤独をテーマにしているような宣伝文句ですが、テーマは喪失とその回復だと感じました。その回復プロセスが淡々と日常生活を続けて行くといった、真をついたものであったので、なかなかビックリしました。
いろんな切り口のある映画ですが、個人的に注目したのは猫のパンドラとの関係。
ナタリーは猫アレルギーと言っておりながらすぐに猫との愛着関係を形成し、猫なしの人生はありえなくなる。夫と母を喪失した直後のナタリーは明らかに猫を心の支えにしていた。
そんなナタリーが1年後に猫を手放す。しかも晴れ晴れした表情で。ここがこの映画で一番凄いと感じたポイントです。しかもファビアンの部屋を気に入ったと思われるパンドラの意志を尊重して、である。
1年経ってそこまで必要としていなかった側面もあるだろうが、愛着あるペットを、ペットの気持ちを尊重するが故に手放せたのは、ひとえにナタリーが専門にしている哲学が影響していると思われる。ここで描かれる哲学とは小難しいものではなく、人権を尊重する思想のことだ。
それができた理由は、フランスだからなのか、ナタリーだからなのかはわからない。しかし、身近な存在に対して猫であろうが尊重する姿勢こそが、この作品に通底している軸だろう。ナタリーがキツい喪失体験後も淡々と生活を送る事ができたのも、他ならぬ自分を尊重してたからではなかろうか。
一方で、ナタリーは過剰なまでに理性で情動を抑えている人のように見えて、息苦しさを覚えたのも事実。頭でっかちで、無理して突っ張って生きているように思えた。つまり、どっかウソついて生きている。『未来』という原題も、なんだかね。ナタリーは過去を振り返らないから、大地に根ざさずにスタスタと未来に上滑っているだけに思えてしまう。無意識では過去を振り返ってウジウジしたいんじゃないの?
ナタリーみたいに生きると、情動と情動のぶつかり合いのガチンコ勝負ができないんじゃないかな、なんて感じました。浮気した旦那も、ナタリーに対して人間としての手応えの無さを感じていたのでは、とか勘繰ったりして。
ナタリーを通じて描かれているであろう哲学について。人権尊重の姿勢は確かに素晴らしい。一方で、理性の優位を高らかに謳うバランスの悪さも浮き彫りにされているな、と感じました。
ファビアンのコミューン主義も鼻についたし、登場人物たちにはまったくと言って良いほど共鳴できません。なので、映画を観ていた時は正直クソつまんねぇと思ってました。
しかし、実際の所は些細な場面からあれこれ考察することができる大変豊かで魅力ある映画だったと言えます。何度も反芻して楽しめるため、リアルタイムで観ていた時よりも観た後の方が面白かった。
観た時はつまんなくても、結果的に面白いと言える映画もあるんだな、映画は奥の深い文化だな、としみじみ思った次第であります。
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