「ごめんなさい」アウトレイジ 最終章 ミハエルさんの映画レビュー(感想・評価)
ごめんなさい
僕の生涯ベスト映画3本に入るのが「ソナチネ」です。
公開前Yahooのインタビュー記事で監督自ら「雰囲気が似てしまった 」とのコメントがあり、
ソナチネのテイストがまた味わえるのであれば、観に行かねばと思い劇場に…。
正直、シリーズ前二作は好きでは無かったので、観賞はビデオ化してからで良いやと思ってたのですが、ソナチネ公開当時に好き過ぎて連続二回(当時は入れ替え制では無かったので)劇場で通算三回も観てしまった経緯からです。
死(破滅)の美学に魅入られた主人公を狂言回しにした、夢とも現実ともつかない世界観を唐突な暴力描写でアクセントをつける、僕の好きな北野映画は悲しい事に何処にもありませんでした。
今回の最終章は、実際の主人公は西田敏行演じる西野で、ビートたけし演じる大友は、無軌道に暴走する端役でしか無く、そこにソナチネで感じた主人公の村川の儚くも魅力のある存在感は微塵も無かった。
本来の主役である筈の大友の行動原理が理解不能で、トラブルで下っぱ一人殺されただけで、恩義のある張会長に多大な迷惑をかける行為を何故、自ら進んでするのか?
劇中、昔気質の筋を通す極道みたいな台詞で片付けられているが、あれでは状況に否応なく巻き込まれていくソナチネと全く違って、目先の事態に本能的に動く、只の狂人でしかない。
説明台詞と演者の顔芸だけで、裏社会の狡猾な騙し合いとかを売りにしているみたいだが、
説明台詞の排除、過度な演技禁止、何よりメジャーな役者を一切使わない(ソナチネの頃は大杉漣も寺島進も何者かも分からなかった)のが北野映画の特徴であり、魅力だったのに。
ソナチネと共通なのは、主人公が拳銃自殺するのがラストシーンなだけで、防波堤で釣りしているシーンなんて、雰囲気だけ似せたセルフパロディにしか見えなかった。
やはりもう役者ビートたけしは封印した方が良い
演技も滑舌も限界だと思う。