ジャッキー ファーストレディ 最後の使命のレビュー・感想・評価
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期待はずれ
アカデミー主演女優賞有力候補だったし、楽しみにして観たが、引き込まれることなく、終始眠かった。
ケネディ暗殺から、3週間後のインタビューまでの話で、要はジャッキーがいかに強い女性かということ。そりゃそうでしょうなぁ、大統領の妻になるような人だもの。意外ではないよね。
確かにナタリー・ポートマンの演技はすごかったかも。超アップが多く、唾の音がしたりして、それが良いんだか確信がないが、まぁそうだとして、それだけでは面白くないということがハッキリする映画だった。
また、サスペンスでもないのに人を不安にする不協和音のような音楽も、同じ女優+ダーレン・アロノフスキー製作の「ブラック・スワン」を連想させ、その力を借りているような気がした。
ファーストレディのラストショー
JFKのファーストレディのジャッキーをナタリーポートマンが美しく気品を持って演じていた。映画は、暗殺後のホワイトハウスを放り出されるのを見越し2人の子供達を守るため夫の英雄伝説を作り上げる。そして身を守るために大富豪のオナシスと結婚していくのだ!
強く賢く、だけど儚い女性の人生の一片が、静かに淡々と描かれていまし...
強く賢く、だけど儚い女性の人生の一片が、静かに淡々と描かれていました。
歴史を知らない日本人の私には理解しきれない所も多かったけど、それでも伝わって来るものがありました。
ナタリーポートマンの眼差しが美しく哀しかった。
ナタリー・ポートマン 熱演の賜物
ファーストレディから平民へ
突然の環境激変に対する
戸惑いと不安からの
精神衰弱の物語と捉えました。
任期半ばで銃弾に倒れ
成果も上げられなかった
ケネディ大統領を国葬で送り
その棺の傍らに寄り添う姿は
自らが確かにいた地位を
国民に知らしめるかのように
足掻いているように見えました。
情緒不安定な
それでいて燐としたファーストレディの姿は
すでにそれは
ナタリー・ポートマンではありませんでした。
一見の価値あり
ケネディ暗殺から壮大な葬儀までを回想形式で描いています。記録映像も巧みに織り込まれています。
ホワイトハウスの内部描写が詳細で、権力の去来を見つめるこの家が主人公かと思わせます。
しかし、最後にはやはり、ケネディ一家の物語に落ち着きます。ケネディ役はそっくり!この華やかな一家も、存命するのはキャロライン前大使のみ。
「女には二種類ある。この世で権力を求める者と、ベッドの上で権力を求める者。私はどちらの道を探せばいいの?」 ジャッキーの台詞です。
その後のファーストレディたちはジャッキーコンプレックスに悩みますが、ケネディ夫婦や弟ロバートは、リンカーンコンプレックスだった様子です。
タイトルは、彼女がもはやファーストレディではないことを示します。
ナタリーポートマンの演技は過剰だが、一見の価値あり。
何となく、ふわっとレベルで、とりあえずジャッキーを知る
ジャッキーと言えばチェンの顔ばかり想像してしまう私的には、ほぼジャッキーって誰?状態で鑑賞した映画でしたが、まあ内容そのものは物凄く感銘を受けたとか、面白かったとか、グッと来たとか、そう言った感情にまでは至らず、ただほんのりとジャッキーことジャクリーン・ケネディがどんな人だったのかを知る映画だったなと・・・正直私レベルではそのぐらいしか感想が出てこない作品でしたかね。
知ってる人が見たらここが凄いとか、いやここは違うとか、またいろいろな感想も出てくるのでしょうが、何せ全く知らない人でしたので(ジョン・F・ケネディ大統領夫人だった以外の知識無し)、あぁこう言う人だったのかと、何の先入観もなしに、とりあえずその存在を何となくではありますが「知る」以上でも以下でもない映画だったかなと。
かなり淡々と描かれていましたので、途中何度か睡魔と格闘しながら見ていたのが正直なところ、それでも何とか落ちずに見れたのは、そこはやはりナタリー・ポートマンが演じていたからにほかなりません。
久々にナタリーをガッツリと堪能できた満足感は、何物にも代えがたい。
しかしナタリーのドアップが相当な割合を占めた映画でしたね、それだけナタリーの演技にかかる比重の大きかった映画だったと言うことでしょうか。
ご本人を知らないので、まるで本人そのもののようと言えないのは悔しいところですが、特徴的な話し方と言い、きっと本人とそっくり完コピレベルの演技だったんだろうなと、勝手に想像して楽しみました、衣装も素敵なものばかりで、それは当時ファッションアイコンとして注目を浴びた存在だったと言われるのも思わず納得の美しさ・華やかさでしたね。
それと私のようにジャッキーを知らない人は数知れずも、ジョン・F・ケネディを知らない人はそう多くないことを考えれば、大統領夫人として夫を伝説化させた、これ以上ない功績を残した人だったんだなと、そこに関してはホント感心しました。
庶民感覚も当然大事ですが、時と場合によっては威厳や品格も大事だったりしますからね、ファーストレディにはこのぐらいの覚悟を持って生きてほしいなと、我々日本のファーストレディに苦言を促す意味では、この時期に公開された意味も大いにあったのではないでしょうか。
また大統領暗殺の悲しみに暮れる余裕もなく、バタバタと引き継ぎ・引っ越し作業や葬儀の準備に明け暮れていた姿も印象的でした、目の前で殺害されたことを考えると、よく頑張った・・・秘書ナンシーの温かさにも救われましたね。
で、あの可愛い子供が、最近まで駐日大使だったキャロライン・ケネディだったんですね、こうなるとキャロラインの半生も気になってきました。
まあ映画的には淡々としすぎて、正直面白かったとは言い難かったですが、ジャッキーと言う存在を知ることができただけでも、見る価値はあった映画だったかなと、でも睡魔には要注意です!
飽きずに鑑賞出来たが...
飽きずに鑑賞出来たので物語の構成は悪くないのではないのかと。
ただ、実在した人物をモデルにした作品にしては印象に残るような言葉だったりシーンが無い。
当時をどれくらい再現したか?
ここが見所になるのか?
館内叔母様が占めていた割合を見ると。
大統領婦人なのか、愛する夫を亡くした未亡人なのか
思い出すことも嫌だと思う出来事を、夫のためなのか、大統領のためなのか回顧する話。結果ケネディ大統領はみんなの記憶に残る大統領になったけど、彼女にとっての生き残る手段だったのかなぁと思う。やっぱり女性は賢く生きなければ、それには自分自身をもっとよく知ることだと思う。
どう見られているか、どう見せたいか?
彼女は志半で暗殺された大統領婦人を演じてその後も影響力を持ったんだと思う。
腹落ちできないあなたと私のために。
JACKY。ジャクリーン・ケネディをナタリー・ポートマンが完コピしたと話題の映画である。
菊地成孔にして「今年のアカデミー賞の最優秀賞脚本賞を受賞すべきなのは『ジャッキー』のノア・オッペンハイムだし、最優秀主演女優賞は同じく『ジャッキー』のナタリー・ポートマンである。」とまで言わしめた作品であり、彼のラ・ラ・ランド評が的確であったこともあり、ぽかりと空いたauマンデーに期待に胸ふくらませ凸してきた訳だが……結果激シブ映画だった。
あまりにも分からなくて「俺は馬鹿なんだろうか?」と思った映画は生まれて初めてだし、上映時間の3/4を占めるであろうジャッキーの長い長いセリフの中にある製作者の意図を感じることすら出来なかった。始まりから終わりまでのセリフ全てがうわ滑って自分を肯定するための言い訳にしか聞こえなかったのだ。
ケネディと言えば歴代アメリカ大統領の中でもリンカーンと並ぶ断トツの人気プレジデント。
2人に共通するのは、黒人差別問題に大きく関わっていたこと、志半ばに銃弾で暗殺されたこと、その時に夫人が隣にいたこと、大きな国葬が営まれたことなど誰もが納得できる事柄から、就任が1860年と1960年という100年というキリの良さ、副大統領の名前がジョンソン、それぞれケネディ、リンカーンという秘書がいたなど都市伝説レベルのネタまで様々だ。そんなことを頭に入れつつ、あまりにも分からなかった自分自身に向けて勝手な解釈を組み立ててみようと思う。
こうでもしないと「なぜこの映画を作る必要があったか?」という映画を見続けてきて初めて湧いた疑問に決着がつかないためだ。
推論:ケネディは暗殺されず任期を全うしてたらわりと平凡な大統領だったのではないか?
映画内に時折挟まれる巨額を投じたホワイトハウスの改装の話(一年分の維持費を一月で使い切ったらしい)、豪華な晩餐会でのダンスシーン、シャネルまみれのクローゼットを見るにつけ、名門ケネディ家に嫁いだジャッキーは、人間としてのJFKではなく、彼の持つブランドを愛していたようにも見える。そして、自分の審美眼を完璧にするために、そして自分の妻としての愛や貢献度を世に知らしめるために危険を承知で大きな国葬を営んだのではないかと。
結果ケネディは伝説となり、今でも空港や空母に名が冠される偉大な大統領となった。これがジャッキーの世界に対する承認欲求の結果であり、自分があの時リンカーンになぞらえた国葬を思いつかなければ今のケネディ像は無く、米国民が愛したファースト・レディであるジャッキー像もなかったと断言できる。
つまり、この映画はその伝説を作るためのドキュメンタリーであり、セリフがうわ滑って聞こえるのは、夫のため=自分のためという意図が見え隠れしてしまっているから、と考えると自分の中の違和感に何となく答えが出る。
事実、彼女は結婚直後からのJFKの浮気グセにほとほと嫌気が差していたし、のちの再婚相手のギリシャの海運王アリストテレス・オナシスとはJFK在命中から懇意であったとの噂もある。
キューバ危機で米国民の命、いや第三次世界大戦すらも招きかねないような政治的判断をした「使えない」大統領を、暗殺という稀有の事象を期に「最高の大統領」にしたプロデュース力は賞賛に値するが、その裏側で煙草をふかしながら話す横柄な態度には、JFKに対する愛は一切感じられず、こうなると撃ち抜かれた頭を膝に抱える様子や葬儀におけるジョンJrの敬礼すら、計算され尽くした自己演出に見えてくる。
つまり、ジャクリーン・ケネディを献身的で最高のファースト・レディとしてではなく、単なる承認欲求の固まりに見せるための映画だと考えると、あの気が狂うほど重厚なストリングスのBGMまでもが「今こいつやばいこと言ってる!」ということを気付かせるための演出としてしっくりとはまるのだ。
さらに穿った見方をすると、脚本のノア・オッペンハイムがNBCニュース社長であること、監督が合衆国に翻弄されてきた隣国チリ出身のパブロ・ララインであることから「こんな人たちを愛するアメリカ国民だからトランプが大統領になっちゃうんだよ?」というアイロニカルな視点をJFK生誕100年のメモリアルイヤーにぶつけてきたんだな、と無理矢理自分を納得させることも出来るが、やはり腹落ちには程遠く、ここまで推論した上でも後味がとてもとてもとても悪い映画なのであった。
ジャッキーが成し遂げたこと
今作はケネディー大統領が暗殺された後のジャッキーがメインになっている。そのためジャッキーがどれだけ立派な人で、どれだけ立派なことを成し遂げたのかが少し伝わりにくくなっていると感じた。ジャッキーという人物の知識が全く無い僕にとっては、彼女をここまで取り上げる理由も分からなかった。
ジャッキーがあそこまで大きな葬式にこだわったのは、夫を国民の記憶に残したかったというのもあるのだろうが、それとは別に自分を納得させるためでもあったというのが分かった。言い方は悪いが自己満足的なものだ。
劇中で時々流れる不気味な音楽はとても耳に残るものでこの映画の雰囲気にマッチしていた。
ナタリー・ポートマンは情緒不安定な未亡人を痛々しく、同時に強い女性に演じていた。さすがアカデミー賞女優と言ったところだ。
グレタ・ガーウィグの陰ながらジャッキーを支える姿も素晴らしかった。
今更ながらに汚名挽回したかった?かの恣意が
衝撃名作品『ブラック・スワン』のナタリー・ポートマンから早7年!
ジャクリーン・ケネディ、最も歴史上有名な1stLady。彼女の「実は内助の功でした!」を今更ながらに挽回したかった?かの恣意が見える。誰もが知る清?濁併せもつ悪女・でも実はそれは彼女なりの1stLady像を持っていての強かな生き方って構成なら良かったけど彼女の一生との矛盾は拭えない。改めて思うのはこんな荒廃の人生の中で極めてまっとうな成人を迎えた前駐日大使のキャロラインさんの人生回顧録の映画が観てみたいと。
爆睡した。
ナタリー・ポートマンは好きで見ようと思ったが、映画の進行が単調で合わなかった。
最初のシーンからして、流れてきたBGMでヤバいと感じた。どこで寝てどこで起きたか覚えてないが、何度か起きたものの9割は寝てしまった。
銃声などで何度か起きたときも、全体の流れは変わらないらしく、起きてもシーンがほとんど同じ。またすぐ眠りに落ちる連続だった。
点数は一緒に観た人(寝てない)の評価を足して平均で2。
JFKの功績を後世に伝えた話、というスケール感は感じられない作品で、残念。
私のモヤモヤ
昨年、Huluで「パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間」を観てジャクリーン・ケネディという女性に興味を持ちました。しかし、彼女に関する本を探したけどピンとくるものが見つからず。。そもそもジョン.F.ケネディについてもよく知らなかったので、彼に関する本を2冊読んでみた。そこでまた別に感じたことは「JFKは何故にそこまで愛されたのか?」ということ。彼は志半ばで銃弾に倒れるわけだが、仮にあと5年余りの任期を務めあげたとして、彼は今語られている以上のレジェンドになり得たのだろうか?
この映画は、これらの「私のモヤモヤ」を腑に落とさせてくれました。成仏されたわw
ただナタリー・ポートマンを楽しむ作品
もう伝記ジャンルは重箱の隅を楊枝でほじくるのが、当たり前になっている。よく知られた事件なので、新展開があるわけでもない。
アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた、主演のナタリー・ポートマンを楽しむ作品である。ジャクリーン本人を研究しつくした、圧巻の演技が見られる。おそらく出演は、「ブラック・スワン」(2011)のダーレン・アロノフスキー監督による製作だからだろう。
なぜ今なのかというと、たぶんJFK(出生1917年)の生誕100周年だからだろう。日本におけるJFKは、本格的に"テレビ放送"で伝えられた最初の大統領であり、ケネディ暗殺事件が、"初のテレビ衛星中継"の最初のニュースだった。
その衝撃の瞬間映像が再現される。よりクローズアップされた、追尾空撮カメラになっていて、そのリアリティも見どころ。
ある世代以上の日本人にとって、ケネディは特別である。それはライシャワー駐日米大使の起用をはじめとする親日政策や、実弟のロバート・ケネディ司法長官の来日など、"日米は対等"を意識させてくれた初めての大統領だったから。本作でも、ロバート氏はジャクリーンに寄り添う、"いい人"で出てくる。
国葬シーンのあと、子供の棺が2つ出てくる。これは事件と同じ1963年に生後3日で亡くなったパトリック・ケネディ(次男)と、1956年に死産していたアラベラ・ケネディ(と命名されるはずだった長女)のものである。ジャクリーンは、若くして家族を3人も亡くした悲劇の人なのである。
この映画では描かれない、その後のジャクリーンも波乱万丈で、十分に映画的だと思う。
(2017/3/31 /ユナイテッドシネマ豊洲/シネスコ/字幕:松浦美奈)
最後の使命
ケネディ大統領の暗殺を発端としたストーリーのため、全体として暗い雰囲気だが、ナタリーポートマンの演技は賞賛に値する。映画「ブラックスワン」に似たホラー的な演技もある。米国の歴史が好きな人や、実際にケネディが大統領だった頃を知る人にはお勧めできるのではないか。また、彼女の娘が最近まで日本大使館に居たことなど、関心高い映画である。
硬いタッチだけど、観応え充分
ジャクリーン・ケネディ=ナタリー・ポートマンたった一人のための映画。壮大な葬列も見事な夕焼けも、全ては大統領を失ったファーストレディが、愛する夫を亡くした妻へ戻るために還元される。血を浴びたドレスと傍らに置かれた赤い花、葬列に臨むジャッキーを覆う黒いヴェール。ピノチェト3部作の手腕を遺憾なく発揮する時代の再現性。そして彼女の悲しみなど他人に分かるわけがないと言わんばかりに感情移入を拒絶するナタリー・ポートマンの堅い演技とミカ・レヴィの歪んだ劇伴。
偉人でも聖女でもない。覚醒した女の強さ。
伝記映画となると、どうしても対象人物を美化しようとしたり、あるいはその人物の半生の「あらすじ」を追いかけるのに終始して映画としての面白味を見出せないような作品も少なくない中で、この映画が良いと思うのは、ジャクリーン・ケネディをこの映画ならではの切り口で見つめ描いているところ。そしてそれは確かに「ブラック・スワン」でバレリーナという美しい職業を鋭く抉り取ったのにも通じるところがある。ダーレン・アロノフスキー製作、ナタリー・ポートマン主演の「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」も、ファーストレディという高尚な立場にいる女の生身を鋭く抉り出していた。
まるでサスペンスかスリラーであるかのような緊迫感が全編に漂い、その緊張の糸を時々爪弾いて音を鳴らし、こちらの神経を逆撫でするようなシーンが続く。決して快適ではない。ただ、ともすると呼吸を忘れてしまいそうなほどに見入ってしまう。ありふれた伝記映画では感じることのない映画体験だった。
暗殺前のテレビ出演のシーンと、暗殺前後の騒然と混沌の中のシーン、そして記者のインタビューに答えるシーンと・・・、という具合に、いくつかの時間軸を往復しながら映画は展開するが、それらの断片的なシーンがいつしかコラージュのようにドラマを導き出し、気が付くとカタルシスにまで到達していた。
この映画に映るジャッキーは、偉人でも聖女でもない。ひたすら強かで強靭でそしてファーストレディだった。夫を殺されたその瞬間から、ジャッキーに迫られる決断と選択と意志が、いかにして芽吹き、いかにして揺らぎ、いかにして実現したか、そしてその裏で彼女が何を思い、何を信じ、何を築き上げたかが映画の中でしっかり考察されている。アメリカ大統領である夫を伝説に変えるためのわずか数日の出来事。夫の死後、まるで何かに目覚めたかのように動き出すジャッキーの一挙手一投足に目が釘付けになった。この役を、全く以ってジャッキーに似ていないナタリー・ポートマンが演じたのも良かった。悲劇と混乱の中、狂気的なまでに覚醒する女をドラマティックに演じていて、物真似ではない「演技」を堪能できた。
ジャクリーン・ケネディという女が、いい意味でも悪い意味でも「人間」であり、いい意味でも悪い意味でも「ファーストレディ」だった、というのが強く感じる映画だった。
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