スウィート17モンスターのレビュー・感想・評価
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オトナが心して観るべき油断のならない映画
もしかしたら、今年前半の『掘り出し物』部門、あるいは『おもわぬ拾い物』部門のNo.1かもしれません。
極めて個人的な感想ですが、思春期の女性が主人公の物語なのに、同世代の若者へのメッセージよりも、今のオトナ達に対する切実な訴え(非難かもしれない)を受け取りました。
多くの若者にとって、今の社会は〝多様な居場所〟を提供できていないのではないか、ということです。資本主義とか経済成長とかグローバル化という大義名分の下に、コスパばかり優先し、結果として、勝ち組負け組とか、格差問題とかが学校社会にまで浸透してる状況を作ってしまいました。作ったのは我々オトナ達です。
ここに出てくる教師の対処法は進学率を上げるという面では極めて非効率です。1人のそれ程成績の良くなさそうな生徒にサービス残業までして時間をかけているのですから。
でも、友人関係や家庭の中に居場所がなくなったと思い込んでいる生徒にとっては、貴重で大切な《居てもいい場所》を、精神的にも物理的にも与えてくれました。
今の世の中のシステムに、イジメ被害者や弱っている人、助けを求めている人が一時的にせよ、ここにいてもいいんだ、と思える場所や社会的な環境が整っていない気がします。行政とか福祉とかの仕組みのことでなく、我々の社会的な合意(一見ムダに見えることでも必要なことは誰かが無報酬で請け負うということです、この先生のように)という意味で。
見方を変えれば、うざい、とかキモい、というのも、その友人関係の中では、コストパフォーマンスが低いヤツ(役に立たないヤツ)という子供達なりのコスパ解釈なのかもしれません。今のオトナ達が親なのだから、子供達を責めることはできませんよね。
居場所、という意味では『この世界の片隅に』にも通じる普遍的なテーマを扱っている、実は、油断のならない映画だと思います。
痛いけど憎めない、笑って泣ける青春映画
青春映画がヒットする理由はなんだろうか。我々にとって登場人物は身近な存在でありながら、我々が夢見るような冒険であったり、そのような壮大な物語を展開するからというのが理由のひとつに挙げられると思う。
では、本作の場合はどうか。主人公ネイディーンは自分のことを“悲劇のヒロイン”だと思っている。そのせいか、周囲に対して少し浮いた発言や返答をしてしまう。
また、唯一の親友だと思っていたクリスタとも関係が悪化してしまう。
この関係が悪化してしまったのは、ネイディーンのせいでもあるのだ。
ネイディーンの性格は、この世に住んでいるほとんどの学生全てを表現しているといっても過言ではない。すこし大げさではあるが、そのような性格が、観客に好意を抱かせる。
ネイディーンをみていると、憎い、ムカつくというシーンもある。だが、なぜか全体としては憎めないのだ。
この絶妙なキャラクターを見事に演じ切ったヘイリーには開いた口が塞がらないほどだ。
タイトルにもある、“モンスター”という言葉にも意味がある。この場合、ネイディーンは自分が悲劇のヒロインだと思い込んでいる。
その思い込み、または自分だけではないということに気づかない。その痛さ。これこそが最も恐ろしい“モンスター”である。
甘い恋愛をしたり、自分の好きなことを出来る17歳。だが、その17歳にはモンスターが潜んでいることも忘れてはいけない。
アメリカの自由で美しい雰囲気、また挿入歌。これが見事に映画の世界観にマッチしているのも、本作の魅力の一つだ。
ヘイリーの周辺は全てがアメリカらしい。アメリカの習慣を象徴している全体像が観客をワクワクさせる。それぞれのシーンに合った曲も、話のテンポを良くする。
これが、ヘイリーを主人公とした映画に融合し、作品そのものに魅了される。
ただ、ヘイリーが自分だけ不幸だと思っているが、兄は実際不幸な出来事があまり起こっておらず、そう思うのも無理がないと思ってしまった。セリフ中に「自分だけが不幸だと?」というセリフがあるため兄も苦労をしているのだろうが、はっきりと分からなかった。
映画において、主人公に対して好意を持てることはとても重要なことだと思う。本作では主人公の痛さに好意が持てる。そんな愛すべきネイディーンを是非劇場で。
キラキラ女子になれないこじらせ女子
この映画最高だった!
キラキラ女子になれない、こじらせ女子の高校生活。
私もネイディーンと同じく「もっと笑えば良いのに」女子だったから、共感しっぱなしだった
でも、私からしたらネイディーンは羨ましい。
ケンカばかりでも優しいお兄さんがいて、本気で心配してくれる親友がいて、グチを聞いてくれる先生がいて、アーウィンみたいな理解者までいる
そんな優しい人たちに対して素直になれず、こじらせちゃうネイディーンを見ているうちに、あぁ私もそうだった…と思いながら気持ちが一気に高校時代に逆戻りしちゃうすごい映画だった
ネイディーンの口から人を思いやる言葉が出た時、彼女の世界は変わっていく。
それは彼女が本当の居場所を見つけた時。
そうやって人は大人になるんだね。
ほほえましい。若さがうらやましい(笑)
主人公、親友、兄はもちろんだけど普通なら「悪役」で終わっちゃうヤリチン君とかの心理までとてもていねいに描写されていて、登場人物みんなの気持ちに共感できました。お母さん、兄、妹の関係、距離感、思いやりがよく伝わってきて感動した。みんなに観てもらいたい映画。
肥大する自意識と自分とのはざまで
主人公の女子高生ネイディーンは、幼少期を振り返って「この世の中には『勝ち組』と『負け組』の二種類の人間がいて、私はいつも『負け組』だ」と語る。
そんな彼女を見て、観客である私は、こんな風に自分の十代を振り返る。
「世の中の大人には、高校時代を振り返った時に『楽しかったあの頃に戻りたい!』という大人と、『あんな悲惨な時代には戻りたくない!』という大人の二種類がいて、私は後者のタイプだ」……と。
そしてこの映画は、悩める十代のみならず、私のような、かつて不遇の十代を過ごした大人達に向けた映画でもある。
だから、この映画を観て、全く主人公に共感できなくて面白くないと思った人は、皮肉ではなく、ある意味でとても幸せな人なのだと思う。
映画は、昼休みの喧騒の中、17歳の高校生ネイディーン(ヘイリー・スタインフェルド)が、担任教師ブルーナーが一人でランチしているクラスルームに飛び込んで来るところから始まる。ネイディーンは、ブルーナーに突然「今から自殺する!大きな車を狙って飛び出してやる!」と早口でまくしたてだす。そして、ブルーナーと観客は呆然と思う。『いったい、この女の子は何にそんな追い詰められているのだ……?』と。
すると、そんな疑問に応えるかのように、映画は彼女の幼少期から現在に至るまでの人生を回想し始める。
自称「負け組」のネイディーンは、小学生の頃からイジメに遭っていた。そんな孤独な幼少期に出会い、現在まで唯一の親友であるクリスタが、彼女の心の拠り所だった。母親の居ない週末に泥酔し「こんなミジメな私なんて大嫌い!」と愚痴とゲロを吐くネイディーンを、優しく懐抱してくれるクリスタ。
だがそんなクリスタが、ネイディーンの嫌悪する「生まれついての勝ち組」である兄のダリアンと恋に落ちてしまう。これにより、ネイディーンとクリスタの友情にヒビが入り、彼女は唯一の親友を失うという、絶望的な疎外感に襲われる。
そして、そこから自暴自棄になった彼女の奇行が始まる……。
ネイディーンは、他人からすれば、どう見ても嫌な女の子である。自分の事を(実際そんなことないのに)ブスだと思いこんでるし、そのくせ他人をいつも小馬鹿にして蔑んでいる。好きな男の子がいても、遠目に妄想のネタにはするけど、実際目の前にすれば会話すら続かない。
そんなアイタタな女の子だが、私はネイディーンに激しい共感を抱くとともに、かつての自分の恥部をさらけ出されてるような、強烈ないたたまれなさを感じた。
映画の中で彼女のやることなすことは、かつての十代の少年少女たちの、ヤっちまった感満載の、面倒くさいエピソードの集大成のようである。
友達の彼氏がどうしても好きになれず友情を壊してしまう。しゃべり方が早口で一方的すぎて、他人となかなか仲良くなれない。まだ大して親しくもなってない好きな人に、勢いで独りよがりなメールを送ってしまう。人を褒めるのが下手くそすぎて、相手を逆に怒らせてしまう……等々。
ネイディーンは常に自分に苛立っている。それは、どんどん肥大していく自意識と、実際の自分との間にギャップがありすぎて、どうして良いか分からず、苦しいからだ。
観る人によっては「まだ十代なのに、なんでそんなに将来に悲観的なの?」と思うかもしれない。
だけど、彼女の苦しみは十代だからこそ。理想とは遠くかけ離れた、どうしても好きになれない面倒な自分を抱えて、この先何十年も生きていかなければならないなんて。このまま誰にも受け入れて貰えず、一生独りで生きていかなければいけないなんて。
人生の先が長いからこそ、ネイディーンの絶望は深いのだ。
映画の後半、ある人がネイディーンに「すべては時間が解決してくれる」と慰めてくれる。
その言葉の意味を、その場で彼女は理解できなかっただろうと思う。けれど、もし私がその場にいても、きっと似たような言葉をかけたはずだ。
たとえ自分が好きになれなくても、どんなに自分が面倒くさくても、失敗しながら、人はそんな自分と折り合いをつける術を学んでいく。今ネイディーンが苦しいのは、その過程でもがいているから。そして実際、もがき苦しんでいるのはあなただけじゃないのだ……。
そして映画のラストで、ネイディーンは自分の視野の狭さに気づき、行動し始める。だから、彼女はきっと生き抜いていけるだろう。
2017年のいま、もし悩める十代の人がいて、この映画に出会う事ができたのなら、その人はラッキーだと思う。
振り返ってみると、そういえば私が十代の頃には『ゴーストワールド』という素晴らしい映画との出会いがあった。
自分と上手く付き合えない、未来の十代の為に、これからも『スウィート17モンスター』や『ゴーストワールド』のような青春映画が、数年おきに世の中に生まれてほしい。かつて17歳の女の子だった私は、そう願っている。
笑いあり涙あり。
素直になりたいけど、どこか強がってしまう、ネイディーン
ネイディーンの行動や言動に自分を照らし合わせながらも、客観的にネイディーンの成長を観ることができました。
思春期を過ぎた大人が観ても共感できる内容ですが、大人になる直前のティーンエイジャーに是非観てもらいたい。
また、先生役のウディハレルソンは理想の先生像。あんな先生に出会いたかった………
隣のダメっ娘を覗き見してるよう
かっこよく見られたいのは誰しも一緒。
劣等感を鎧で覆い隠し
いつも戦闘体勢をとっていたら
周りに誰もいなくなってた…
誰かとつながりたいのに
素直につながれない
そのじたばたっぷりが実にリアル。
誰もが共感できそうな日常を切り取った脚本と
へイリーの素なのかと思わせる演技に
今どきの青春を堪能させていただいた。
17歳の時に観たかった
映画com初レビューです。
「はじまりのうた」「トゥルーグリット」での記憶が新しいヘイリー・スタインフェルド
今作では17歳の女の子を演じており演技がとてもよかったです!
リア充 非リア充
自分がどちらの人間かなんて薄々気づいていて後者だと自分を認めたくない
それでも自分が変わろうとしないから人も目の前の現実も変わらない
だからいつまで経っても現状は最悪のまま、そしてそれは自分自身が引き起こしていると気づく
そしてこの作品に教えられる
17歳の時にこの作品と出会えていたら何を感じただろう。たぶん少しでも勇気になったと思う。
とても心地よい作品でした。
80's オマージュ?
米版予告で「ジョン・ヒューズ再来」とあったが、まさしくそれ!!
脚本主線は、はっきり言って何もない。自分を見い出せない自己中娘の葛藤を殆どアドリブの様に突っ走るのみ。このネイディーン役に見事ヘイリー・スタインフェルドが嵌っている。
「すてきな片想い」「プリティ・イン・ピンク」のモリー・リングウォルドまんまなんである。おじさんは懐かしさ満開で大満足です!ウッディ・ハレルソンもなんでココに持ってくるか?と思ったけど、いい先生味を出してました。(ヒューズ版ではハリーディーンスタントンとか使ってたな・・)笑いはある程度アメリカカルチュアーを理解してないと、全然笑えませんし、共感できるかと言うと底辺にある「おやじ好き」と理解してないと、今風の演出はなく古風なんで展開に飽きると思います。半数がエンドタイトルでソソクサ退場したんで、観る人を選びます。
に、してもキーラ・セジウィックのオバ様化にはビックリ(苦汗)でも捨身で母役を好演してました。で、この役にモリー・リングウォルドなんか持ってきたら(確か現役のハズ)5点以上あげちゃうんですけどね(笑)。
ゴールデングローブには主演ノミネートされてましたが、ヘイリーは上手いです。「ララ」のエマなら、絶対シガラミ抜きなら彼女の方が濃厚でしたねぇ。5年後迄には大きく飛躍してるでしょうが・・・
軽薄そうで実は深い映画です。輸入BL注文して何度か観直します。好作です。
こじらせ女の子…
とは言いつつも、ティーンの女の子皆んなに共感ができるようにちゃんとキャラ設定されてて、おじさんでも見やすいようになったました。
物語はなんてことないんですが、あの年代の女の子がドタバタ走って騒いでるだけでも映画は楽しく見れるんだな、と改めて思える作品…スタインフェルドさんの魅力たっぷりの映画でした
MESSED UPな17歳のリアルな青春に笑い泣き。
惨めで悲惨でめちゃくちゃ(messed up)な青春。だけど、同時にとても痛快で気持ちのいい青春ストーリー。よく練られた脚本と、ヒロインのユニークで魅力的なキャラクター、そして活き活きとしていてユーモアで溢れたセリフは、「17才の少女の成長の物語」なんて単純な言葉では表現しきれないくらいに青春の痛ましさや苦しさなんかをリアルに描き切っていて、大人が観ても思わず共感してしまったり感心してしまったりしながら楽しめる鮮やかなコメディ映画だった。
何しろ、ヒロインであるナディーンの放つユーモアと機知に富んだ軽妙な語り口は、かつてエレン・ペイジが見せた『ジュノ』を彷彿させるくらいに快哉。音楽活動にも従事している主演のヘイリー・スタインフェルドはリズム感や音感の良さが活かされているのか、セリフ回しが絶妙でさり気ないセリフで「クスッ」と笑わせてくる。しかし、そんなナディーンの軽妙でウィットに富んだ語り口の裏には、いつも自己卑下と自己防衛が潜んでいて、美人でもなく(いや、ヘイリー・スタインフェルドは本来十分に美人だけれど)、モテもせず、学園カーストの最下層にいる自分を常に卑下し、そしてそんな自分を守るために、言い訳を繰り返しながら必死でもがいている。そうやって放たれる言葉が、時に人を遠ざけたり傷つけたりするのに、ナディーンはそうやって自己卑下と自己防衛を交互に繰り返すしかできない。そんな様が、痛ましくも可笑しくて、やっぱり共感できてしまう。
ナディーンがこの映画を通じてたどり着く結論は、ごくごく当たり前のことかもしれないし、考えるまでもない程ありきたりなものかも知れない。だけど、自分を主人公にした自分の世界を変えることができるのは自分しかいないのだと、彼女は不器用にも大きな遠回りをしながら学んでいく。その都度しくじって、すってん転んでmessed upな状態に陥りながら。その不器用さがなんとも愛おしくやっぱり可笑しくて思わず笑い泣き。ちっとも爽やかじゃない。少しもロマンティックじゃない。でも、だからこそ誠実でヴィヴィッドな青春映画の佳作だと思った。
主演のヘイリー・スタインフェルドの健康的な佇まいは、惨めな学園生活をいじけて過ごすだけではない強さを感じさせて(ちょっとした下ネタくらい余裕で撥ねつける爽快さも含めて)とても良かった。ほとんど出ずっぱりの状態でどんどん観客を引き込んでいく吸引力もあった。そしてナディーンの第2の父親の象徴として君臨するウディ・ハレルソンの気の利いた存在感もとても良かった。
自己中なのに憎めない愛らしさ!?
主要人物がネイディーンに振り回され呆れている感じが微笑ましい。
自分中心に回っているからこそ上手く行かないと相手に対しての敵対心が凄い捻くれ具合い。
とにかく性格も悪くてタチが悪い生意気ティーンなのにネイディーンのキャラが可愛らしくて嫌いにはなれない。
「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」でのバカで全く共感できなかった兄貴のダリアンが一家でたった一人の男としての立場に涙腺が緩みそうに。
ネイディーンに想いを寄せる韓国人?の彼の素朴さが良かった。
とってもSweeeeet💛な青春!
これは、かなり笑えた!!
キャラクターが魅力的でスキ💛
娘に対するママの態度は、自分に重ね合わせ、苦笑いでした。
どこにでもありそうな、家庭の中の騒動に、
ちょっぴりきゅん!となった。
あの先生、かなり笑えた!
こんな感じの先生にこそ、救われるかも!
へんに熱血だと、リアリティないかもしれない。
17歳!って、本当に面倒な時期!
まだまだみんな自信もなく、他人を思いやる余裕もないかもしれない。自分だけが、惨めで孤独なんだと思いがち!!笑
でも過ぎ去ると、きっと全てがほろ苦いステキな思い出になる。。。(╹◡╹)
とてもよかった
主人公が嫌な女の子なのだが他人とは思えない。自分が女でアメリカで高校生なら彼女みたいになっているに違いない。だからこそ、パーティんなんかに行かないで欲しかったし、好きな彼の車になんかのこのこ乗って欲しくなかった。心配していたほどひどいことにならなくて安心した。もっとひどい『キャリー』みたいになるんじゃないかとハラハラした。くれぐれもパーティなんか二度と行かないで欲しい。そこには更なる孤独しないことは痛感している。行ったとしても10分くらいで帰るのが一番だ。映画や本や一人が好きな人間が行っていい場所じゃないのだ。
ウッディ・ハレルソンが優しくてよかった。
ただ、自分がもし高校生の時にこの映画を見たら、大嫌いだったかもしれない。
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