午後8時の訪問者のレビュー・感想・評価
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異色のハードボイルド。
シロウト探偵物というジャンルがあるが、まさかダルデンヌ兄弟がジャンル物にここまで接近してくるとは思いもよらなかった。もちろんダルデンヌらしい現実の社会問題への告発や警鐘は込められているのだが、まず医者であるヒロインが、患者の脈拍の変化から「何か知ってるわね!」と切り込んでいく捜査の仕方が新鮮で面白い。
もうひとつ感じたのは『チャイナタウン』でも『ロンググッドバイ』でも何を引き合いに出してもいいが、これが正統派のハードボイルドミステリーであるということ。
推理にはさほど重きを置かず、あくまでも主人公があっちにフラフラこっちにフラフラと動き回るうちに、怪しい人物が次々と現れ、やがて真相にたどり着く硬質な迷宮めぐり。孤独な暮らしをしているらしいこと以外背景がわからないヒロイン像も、ゴツゴツとしたハードボイルドの触感にぴったりだった。
一介の市民の目線で紡ぐダルテンヌ流サスペンス
人生は“もしもこうしていたなら”という後悔で満ちている。本作のヒロインである女医のジェニーも「あの時、ドアを開けなかったこと」にとらわれ続け、遺体となって発見された少女の名前を知ろうと、事件の渦中へと飛び込んで行くことに。名匠ダルテンヌ兄弟の手にかかると、かくも警察などの捜査関係者とは全く違う一人の女性の視点で事件の追究が展開され、また彼女が出会う人々の証言からは、その地に根ざした貧困や移民、犯罪、医療、または親子や家族間の関係性といった様々な様相が垣間見えてくる。その誰もがそれぞれのレベルの「あの時こうしていたら」という思いを抱えて生きていることも印象深い。初めは事件に首をつっこむヒロインの行動が衝動的なもののように思えるのだが、それは106分を通じて「なぜ彼女はこの診療所に居続けるのか」といった命題への答えにも成り得る。本作は周囲を解き明かすことでやがて自分自身の使命感や胸の内にたどり着く映画とも言えるのだろう。
【ダルデンヌ兄弟が、ダルデンヌ・スタイルを貫きながら、貧困、社会的弱者、格差社会という彼らの自家薬籠中であるテーマを根底に置き、揺れ動く人間心理を描いたサスペンスフルな作品。】
■ダルデンヌスタイルとは、今作を観れば分かる通り、主人公を手持ちカメラを多用し只管に追いながら映す、劇伴はほぼなき密着ドキュメンタリーの如き映像と、貧困、社会的弱者、格差社会、移民問題、児童虐待などをテーマにした映画製作スタイルである。
<感想:Caution!内容に触れています。>
・今作でも、小さな診療所で働くアデル・エネル演じる女医・ジェニーは、多くの貧困層の患者を診察している。
・そして、彼女が研修医のジュリアン(オリヴィエ・ボノー)に”上から目線で”指導している時に診療所のドアが叩かれるが、診療時間を越えていた事も在り、そのノックを無視するが、翌朝無人カメラに映っていたその黒人少女が近くの工事現場で遺体で見つかった事で、彼女の良心は”人間として”痛み、警察から貰った黒人少女の写真を携帯に収め、事実を突き止めようとするのである。
・今作が観ていて引き込まれるのは、ジェニーが様々な人に、黒人少女の写真を見せながら彼女の名前を知ろうと懸命に診療の傍ら、行動する姿を短いカットで凄いスピードで追って行くテンポと、徐々に明らかになって行く事実である。
・黒人少女と関係しながら、最初はジェニーに対し嘘を付きつつも、彼女は診察患者であるブライアン少年を往診診察した時に、彼の脈拍が異常に早くなったところから、ドンドン真相に近づいていく姿に観ている側も、映画にドンドン引き込まれて行く。
■ダルデンヌ兄弟の映画は、観る側には優しくない。エンタメ映画であれば、例えば黒人少女が追われて転がり落ちる姿などが映されたりするのだろうが、今作ではそれはない。
更に言えば、故意ではなく少女を転落させたブライアン少年の父(ジェレミー・レニエ)が罪の意識に駆られ、ジェニーの診療所に来て葛藤しながらも彼女に真実を告げてトイレで首を吊ろうとし、失敗した後に自首を勧められ携帯電話を渡された後のシーンは映されない。
だが、次のシーンを見て観る側は、そのシーンを思い浮かべる事が出来るのである。
<今作で一番恐ろしいのは、ジェニーが謎の男二人に、車を運転中に”これ以上、写真を見せ回るな!”と恫喝されるシーンの後、警察署で刑事から”あの娘の名前が分かったよ。セレナ・エヌドゥングだ。”と聞かされるシーンで、”漸く・・、”と思ったら、最初はジャニーに嘘を付いていた黒人女性が、死んだ少女の姉だと涙ながらに告げ、”妹の名はフェリシ・・。”と言うシーンである。
勿論、警察が、不法移民と思われる黒人少女の死亡事件をろくに捜査もせずに、勝手に終わらせようとしていた事が分かるからである。
今作は、ダルデンヌ兄弟が、ダルデンヌ・スタイルを貫きながら、貧困、社会的弱者、格差社会という彼らの自家薬籠中であるテーマを根底に置き、揺れ動く人間心理を描いたサスペンスフルな作品なのである。
ジェレミー・レニエ、オリヴィエ・グルメというダルデンヌ兄弟の作品の常連且つ今や名優達が、確かなる演技で作品のクオリティを保っている作品でもある。>
少女の存在をなかったことにさせない
ダルデンヌ兄弟は移民とか貧困層、つまりダルデンヌ兄弟が考える恵まれない人を主人公に据えることが多い。彼らに寄り添って彼らの中にある人間らしさを描くのだ。
しかし本作の主人公ジェニーは違う。恵まれない立場にいない。
恵まれない人を直接的に描くのではなく、アプローチを変えてジェニーと触れ合うことで間接的に描いた。
割とシンプルな脚本になることが多いダルデンヌ兄弟にしては珍しいのではないかと思う。近年の作品はまぁまぁ凝った脚本だったりもするので、ダルデンヌ兄弟が変わったとみることもできるけれど。
あるアフリカ系移民の少女の死。これに対してジェニーは向き合おうとした。ちょっとした心のゆとりのなさからきた失敗が少女の死を引き起こしたと責任を感じているところもあるだろう。
しかし、必死に少女の身元を探ろうとするジェニーの行動は明らかに過剰だ。少し気に病む程度が普通だろう。
ジェニーが行動することで、少女に近しい人物や事件の真相に近い人物と接触することになる。
過剰に行動するジェニーの姿を見ることで、周りの人々に変化が訪れる。
一人の少女の死に多くの人が向き合わず、やり過ごそうとしていた。もうなかったことにしようとするように。しかしそれは亡くなった少女の存在もなかったことにすることと同義だ。
誰にも気に留められることもない移民の少女が確かに存在したとジェニーは証明したかったに違いない。
ドキュメンタリー出身の監督だけあって、手持ちカメラによるドキュメンタリーのような作風は物語の単調さを生みやすいが、サスペンス的な要素を含む本作は「娯楽性」という意味で過去一番だったかもしれない。
ダルデンヌ兄弟だから絶対に事件の真相は明らかにならないと思っていたけれど、それが判明するだけでミステリーやサスペンスの要件を満たしているのだから、今までと違って面白い。
まじめなキャラクター
海外の報道でPortrait de la jeune fille en feu(2019)が絶賛されている。英語タイトルがPortrait of a Lady on Fireとなっている。rottentomatoesが98%、imdbが8.2。いちばん見たい映画だが、順当にこっちへ来てくれるか解らない。
フランスのアカデミー賞=セザール賞に部門ノミネートがあがったが、ポランスキーの「J'accuse」が作品賞を受賞したことに腹を立てたアデルエネルおよび監督のCéline Sciammaらが式から退席したと報道されていた。
報道にあることしか知らないが、ポランスキーは過去の未成年者への性的暴行罪で起訴され、その後にも告発によって、幾つかの被害立件の渦中にあるという。
そんな彼の映画が作品賞に選ばれたことに反発し、自身も性被害のサバイバーで、フランスのミートゥー運動を牽引するアデルエネルが「ブラボー!ペドフィリア!」と叫んで会場から去った──とのことである。
ポランスキーの作品賞受賞はフランス市民の反感を買いデモにまで発展した。これらは、つい先月(2020/02)の話だそうだ。
アデルエネルはいまのフランスの代表的な女優だが、日本のわたしには馴染みがうすい。見た作品もすくない。これがもっとも印象的だったが、ほかはあまり記憶がない。
ただyoutubeに遍在している彼女のインタビュー動画を見たことがある。
演技上にない素のアデルエネルは、見たこともないほど天然な感じの人である。
対談や会見の最中、彼女は、絶え間なくキョロつく。
眼球と頭がつねに動いて、意識が散漫にほかへ移る。まるで動画にでてくる赤ん坊のように、たえずどこか/なにかを触り、忙しなく好奇心の方向が変わる。
その一方で熱く語ったりもする。
その、素のファンキーな感じがクリステンスチュワート以上なのであって、とうぜん、そんな人はおらず、まして女優ならなおさらである。
ゆえに、もしアデルエネルがこの天然のまま映画に収まったら──と思うほど魅力的な「素」だが、ただし、あまりに動きが止まらないので、トゥレットとか多動性とかの障害を思わせもする。
しかし、障害ととらえてしまうなら、午後8時の訪問者の彼女はどう説明するのか。
ジェニーは、小さな診療所で熱心にはたらく医師。
落ち着きがあり、どこまでもまじめな人である。
ダルデンヌ兄弟のほかの作品に出てくる人物像と共有するものがあるが、にんげん、ふつうだったら、どこかで妥協して、流れに任せるのだが、ジェニーはぜったいにあきらめない。まじめに、信念をつらぬく。
ただし、信念をつらぬく──とはいえ、どこかの新聞記者とちがって勘違いやポーズをしない。つねに相手を思い遣り、みずからの範囲において最善を尽くそうとする。
いったいどこの映画人がまじめに生きる市井の人を描くだろう?まじめな人を描くなら、誰だってエンタメに寄せて感動に祭る。サンドラ(の週末)やジェニーのように、一途に貫いて、とりわけ大きな成果もない事象を映画にしようとは思わない。が、だからこそ、ダルデンヌ兄弟には無類の価値がある。
Portrait de la jeune fille en feuは同性愛が描かれているらしい。かつアデルエネルは監督のCéline Sciammaとその関係にあるそうだ。
天然とゲイとアデルのキーワードがアブデラティフケシシュの映画につながってしまうのだが、午後8時を見返しながら、炎の貴婦人がなんとかぶじに輸入されてほしいと思った。
やっぱり苦手かなぁぁ……
フランス映画って基本苦手なんだけど、作品としては良かったです。
ドアベルを無視したことで少女が死んでしまったんだと自責の念に駆られた女医が、無縁仏にならない様に 少女の痕跡を辿りながら少女の名前を知ると同時に 事件にも迫って行く。
そして、少女を救えなかっただけではなく、自分の言動によって医師を諦めると言い始めた研修医のことも、なんとか救いたいと彼女なりに一所懸命彼にアプローチして行く姿も良かった。
ただ、やっぱり雰囲気が…雰囲気が苦手で、観終わった後…疲れた(笑)。
スッキリしない部分もあるし、少々消化不良気味なのは否めない。
BGMもなく、基本台詞も少なく、無表情で向き合うシーンが多かったり…。
あの「間」が疲れた(笑)。
「下級労働者」の群像劇
この映画のテーマはやはり「下級労働者」だ。だが、この作品がダルデンヌ兄弟の作品のうちで異色なものになっている。理由は二点だ。まず、一人ではなく複数の「下級労働者」に焦点を当てる点。次に、カメラが下級労働者の側ではない、非当事者である点だ。つまり、これらは今までのダルデンヌ兄弟の作品とはまったく真逆の構成になっている。
たしかに、探偵物チックになっている。しかし、あくまで見させるためであって、重要ではない。
ダルデンヌ兄弟は、自身のテーマを今までの作品でより深く考えてきた。そして、「それがより普遍的なことである」と伝えるために、群像劇という普遍性のある視野の広い映画にしたのではないか。病弱、移民、介護、そして彼らはみな下級労働者だ。問題はより複雑だし、多面的だと再認識させられる。
ミステリーだけど、深い人間ドラマ
非常にリアルな日中を淡々と描く映画、やや退屈だったけど、この静かさこそ今作の魅力だと思う。事件を調べていく過程で、いろいろと苦労をし、オチの真実を知っても終わらぬ苦しい心中もエンディングの静かさに反映されてると思う。
過敏な罪悪感と良心を持つ若い女医
社会問題(舞台はフランス?)、特に移民問題を内包したミステリーというか。
劇伴もなく盛り上げ演出や凝ったカメラワークもないのでなかなか退屈。
無愛想というか顔に表情が出ないせいで人を苛立たせてしまう真面目な女医さん。
些末な事に囚われ過ぎというか損な性格というかクソ真面目というか。
友達もいなさそう。煙草が友達。
飛び出したジュリアンが引っ掛けて誤って殺してしまったんだと思ったらアララ…な事に。親父の性欲見ちゃうと息子も胃荒れるわな。
直訳原題:未知の少女
自分の感情を抑えないと
映画「午後8時の訪問者」
(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督)から。
私の感性が試され、撃沈した感じの作品だった気がする。
作品がサスペンスであれ、有名な兄弟監督の作品であれ、
淡々と進むストーリーや、少ない台詞に対して、
どう評価してよいのか、分からないまま観終わった。
気になったのは、作品冒頭に流れる、
主人公の女医・ジェニーと研修医との会話。
「あなた、研修医よね、一つだけ見直すべき点を言うわ」と
アドバイスを送ったのにも関わらず、
振り向きもせずPC操作する研修医に我慢出来ず
「手を止めて」と語気を強めた後、冷静さを装い、
「診断の下し方よ、患者の痛みに反応しすぎるの」と言う。
なのに研修医は「直りません」の一言で片付けてしまう。
そこで最後に「自分の感情を抑えないと」と、
自分に言い聞かせるようなフレーズを口にするシーン。
そのあとの続く、いろいろな憶測に「反応しすぎ」だと思うし、
「自分の感情を抑えている」とは思えない行動が続いていた。
刑事でもなんでもない若い女医が、大勢の診察などをしながら、
関連情報を集め、事件を解決していく、と言うことなのか。
兄弟監督は、この作品を通して、何を伝えたかったのだろう、
やはり、私の理解度不足かな? (フランス映画は難かしいなぁ)
後にも先にも、判断は一瞬に。
午後8時。診療所の受付時間は1時間もすぎているのにドアのベルが一度鳴いた。彼女が応じなかったそのベルは翌日遺体で発見された身元不明の少女の助けを求めたときのものだった。
とても静か。だからこそ、些細な生活音や静寂を断ち切るベルの音が印象に残る。
前半はの淡々とした感じに飲まれて少しうとうとしてしまいました…悔しい。ただ、後半は物語に飲まれてあっという間でした。
誰も性根から悪だくみをしている人がいないから胸が締め付けられることもあり、正直に生きても嘘をついてもどちらにしても辛い面を持ち合わせている。
窓を開けて煙草を吸うシーンの温かなオレンジがとても目に焼きつく一作でした。
救いを求めるとか罪を償うでもなく
ミステリーやサスペンス作品を観ているというより、多忙な医者の日常を追っているモキュメンタリを観ているような気分。
ジェニーがしたかった事は探偵の真似事をして死の真相を暴く事等ではなく、名前も身元も全く不明のまま市営墓地に埋葬された女の子のただ『名前を知る事』。
なのであれやこれや調べて真相に迫っていくという展開ではないのに、糸を手繰り寄せるように真実に近づいていく過程に緊張する。
患者の脈拍数から「何か知ってるわね?」と迫るのはカッコよかった。
相手の心を動かし、罪悪感を刺激し意図的でないにしろぽろぽろと情報を零させる手法が新鮮。
ジェニーの日常に寄り添い、静かに進んでいく物語だけど退屈さは感じなかった。
というか、医者ってこんなに忙しいのか とか、研修医こんな生意気なのかよ とか、フランスの男って女を威嚇しようとしすぎじゃね?ダサくね?とかふむふむ思いながら観ててそれが今思うと面白かった。
コーヒー飲む?サンドイッチ食べる?みたいな誘いを全部イエスで答えるジェニーが可愛くて。無愛想なのにw
フランス人ってああいうとき、イエス派なのかな。ハリウッド映画って大抵No,thankyouだよねw
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