わたしは、ダニエル・ブレイクのレビュー・感想・評価
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煩雑な手続きでは人を助けられない
今、コロナウイルスの生活補償や事業補償で、手続きの複雑さなどが取り沙汰されているが、本作はイギリスの福祉制度の矛盾点を赤裸々に暴き出している。医者からは仕事をしてはいけないと言われているが、行政の失業給付金のカウンセラーからは仕事ができると言われて、給付金が貰えない。不服申立てを行おうとしても長時間電話で待たされ、煩雑な手続きのために一向に進まない。失業保険の申請をしようとしたら、職探しをしているエビデンスが必要と言われ、雇われるつもりがないのに面接を受けに行く。ある職場が採用すると申し出てくれても、そもそも主人公は医者に働くなと言われているので断るしかない。
行政の福祉制度が二重、三重に矛盾を抱えて本当に困っている人にお金が行き渡らなくなっている。時間ばかりを浪費して、迅速な対応ができていれば助かる命も助からななくなってしまう。
それでも主人公は人間としての尊厳は失わず、目の前の困っている人を助ける。理由も手続きもなく、困っていたら助け合う、それが人間のはずなのだ。
今そこにあるあるある
社会派で知られる巨匠が引退を撤回して撮った渾身作。そういう説明も間違ってはいないが、それではちとハードルが上がり過ぎる。
むしろ本作は日本人にとっても非常に身近でわかりやすい。役所のたらい回し、なんでもかんでもオンライン化され、問合せの電話をすれば延々と保留中の音楽ばかり聞かされる。知りたい情報はみんなネット上にあるらしくて、アクセスできない情弱は見捨てられ排除されていく。
この映画のダニエル・ブレイクほどネットが苦手じゃない筆者でも、世のシステムが出口の見えない迷宮と化していることはひしひしと感じている。福祉の削減と役所や企業の優しさのない応対はまったくもって他人事じゃない。
社会から見捨てられた貧困層の映画、ではない。われわれの誰もがじわじわと絞め殺されるように滅びへと向かっている。そんな社会システムの映画であり、なおかつ説教や解説でなく、市井の人間の魂や生き様についての映画であることが素晴らしい。
弱者に冷淡な母国に対する、静かな強い怒り
ケン・ローチ監督が引退宣言を撤回してこの映画を作ったのは、英国の福祉制度があまりに官僚的で冷淡で、救うべき弱者を逆に苦しめていることに怒り、声を上げずにはいられなかったからだ。
手当を受けるための申請手続きが煩雑で、理不尽で、非人道的。まるで無間地獄のように、際限なく弱者を消耗させ、追い込んでいく。同情するのは無駄と言わんばかりの役人たちの冷たい態度が、弱者をさらに傷つける。
重く苦しい社会派ドラマだが、主人公のダニエル・ブレイクと、2人の幼児を抱えるシングルマザー・ケイティの交流が救い。困ったときの助け合い、支え合いは人が決して失ってはならないものだ。
出来事を淡々と描く語り口。BGMもほとんどないが、ここぞというところで静かに響く。これがまた効果的だった。
ダニエルにあまり共感できなかった
イギリスの貧困層や失業者、そして冷ややかな役所の対応の実態を、ドキュメンタリータッチで描いている映画。そのためリアリティがあった点は良かった。しかしその分ストーリーは単調な印象で、盛り上がりに欠けて面白くない。
ストーリーは主人公ダニエル・ブレイクが、失業の苦しさにも負けず、人との絆を大切にしながら生きていくというものだが、彼にもあまり共感できなかった。
医療給付を受けられなかったのは冒頭の反抗的な態度が原因だろう。処罰として失業保険を停止されたのも、彼が確かに求職活動を行ったことを証明するための努力を怠った結果そうなっている。窓口の人間が言うように、履歴書の講座で学んだ内容を忠実に実行するべきだった。また、インターネットを覚える努力をして求職サイトを活用することで、求職活動の証拠を残すこともできただろう。老人にそれらの努力を求めるのが酷だという話かもしれないが、だとしても十分な努力をしたと思えない。
さらに、ダニエルがシングルマザーのケイティに風俗を辞めるよう忠告したのも、正直余計なお世話としか思えない。ケイティには子供の生活がかかっているのだし、辞めたところでダニエルが生活を保障してくれる訳でも無いだろう。
アマゾンプライムで高評価だったので期待したが、期待したほどでは無かった。
社会の複雑さ
制度で人が救えるのか、と胸が痛烈に痛くなった。
セーフティーネットとしてあるはずの福祉が、そのルールによって必要とされる人に届かない。
なんと切ない話なのか。
なんとも考えさせられる話で、人に尋ねられたら、この作品をオススメすることにしています。
お役所仕事というけれど
事務的な対応は、日本でもどこかで見たことがあるような、身近なものに感じられた。
血の通った人対人のやり取りなのに、とても冷たくて、相手の事情や気持ちは見て見ぬふりされる。
でも、それはなにもダニエル・ブレイク側だけのことではなくて、役所側の人たちも、職を失わないように守らなければならないルールがあって、特別扱い出来ない事情がある。
困っているのに助けてくれないと悪者のように見えてしまうけれど、誰が悪いということではなく、もっと大きな問題なのかなと思った。
イギリスの状況はよく知らないけれど、とても攻めた映画なんだろうなあ。
最後のダニエル・ブレイクの手紙が、タイトルも含め全てを回収していた。
隣人を助けるように、みんなが助け合えたらいいのにね。
考えさせられる映画だったけど、観ていて辛かったので個人的に好みではなかった。
私たちはどこで道を誤ってしまったのか。
冒頭の事務的かつ無機的な質問者の対応からして、ダニエルに対する配慮の心は微塵もない。
申請者に絶望を感じさせるホラーのよう。
弱者をケアするのではなく、できるだけ申請者を排除することが彼らの目的だ。
あらゆる公的サービスが、市場原理によるコスト削減とサービス向上を目的に外部委託され、実際はその目的とは解離し提供価格は高騰するかサービス内容は大きく劣化していく。
デジタル化は市民のサービス向上どころか、障がい者や高齢者など社会的弱者の排除に機能する。高齢者でも利用できるUXUIの改善と、ほんの少しでもまわりがサポートしてあげる心の余裕があれば何かが変わるはずなのに。
新自由主義的システムに塗れた国家は、無関心、無配慮などケアを顧みないことに支配された世界だ。
経済的強者は(「怠け者の経済負担をなぜやらなくてはいけないのか」と)弱者救済を渋り、弱者へのケアを弱者でしか担えない仕組みに押し込んでいる。
マイノリティの基本的人権どころか、尊厳や最低限の生活権も奪われる社会。
なぜこんな社会になってしまったのだろうか。あまりにも過酷すぎて胸が苦しくなり直視できない。しかし日本でもコロナ禍の現実はその深刻さに拍車をかけている。
最後のケイティの朗読から、まだ完全に火が消えないうちにやるべきことはあると微かな希望を感じさせてくれる。
とりあえず、相手の話を聴こうよ。
目の前の人の尊厳を守るためには。
そして、相手の立場にたって、一緒に考えようよ。
頭ごなしにわかったつもりになるんじゃなくて。
マニュアルを押し付けるんじゃなくて。
そんな時間はないと言われそうだが、急がば回れ。
この映画に出てきたような不毛な繰り返しよりは、実のある結果が出そうだけれどもな。
それは、この役所での手続きでの話だけでなく、職場でも、学校でも、家庭でも、重要なこと。
詐欺の話だけは論外だけれど。
相手の話を理解しようとすると、面倒くさくなる。
相手の欲求と、こちらの欲求をすり合わせようとすると、もっと面倒くさくなる。
だから、相手の話を封じ込めて、こちらの言い分を貫き通す。
「常識だろ」「前例がない」「世間とはそういうものだ」「わがままだ」「これがルール」
この役所のみならず、職場で、学校で、家庭で、幾度となく聞かされる言葉。
いちいち聴いていたら面倒くさい。一つの要望を認めれば、次から次へと…。恐ろしい。つい回避したくなるのは人情。
とにかく、世の中は効率を求められ、無駄を省くことが望まれる。
とにかく、より多くの”件数”を捌かなければ。
”有能な人間”の証明。誰だって無能・愚図に思われたくない。
こちらの解決法を指示すれば、頭が良いようにも見えるし、上に立ったかのような気分になる。
新しいことをして失敗するわけにはいかない。
この映画のような、画一的な、杓子定規なお役所仕事なら、AI・ペッパー君で十分なんじゃないかと思ってしまった。
極めて人間臭いはずの仕事の場で行われる、非人間的な処置。
「公平・平等=一律・均一」ではないはず。一人一人、抱えているものは違うし、望むものも違うのだから。
とはいえ、周りは一発触発の状況。へたしたら暴動になりかねない雰囲気。どこにでも出てくる警備員が生々しい。
一人一人に合わせた合理的配慮が、”ひいき・特別扱い・不正”にとられかねない状況もあるからこそ、マニュアル対応が横行せざるを得ないのだろう。
対岸の火事のようにも見えるが、
明日は我が身と身につまされる。
日本には、合理的配慮ってものがあるから、行政書士や司法書士・弁護士等専門家の無料相談もいろいろあるから
と、安心しようとしてみたものの、
深夜具合が悪くなったとき、#7119で情報提供された幾つもの病院にたらいまわしされたことを思い出した。
一つ歯車がかみ合わなくなると崩れ落ちる生活。
『自転車泥棒』を思い出してしまう。
こんな様に思いはせると、蟻よりキリギリスの方が得なんじゃないかと思ってしまう。
何のために税金を、何のために社会保険を払っているのだろう。
人としての矜持が、自分を蟻にさせているけれど、その払っている社会保障費分を貯金しておいた方がいいのではなんて、時々頭をかすめる。必要なサービスを買うために。
国の制度に安心できなくて、医療保険やらなんやら契約する。最近は休業補償の保険すらできた。
こんな報われない状況を目の当りにしたら、若者はキリギリスに走りたくなるよなあ。
”国家”なんて当てにしなくなる。
まじめに生きている、そんな人が困らないシステム。そうでなくては、”国家”を信用できなくなる。
結局、国力が落ちるだけだと、政治や社会制度の専門家でもない一市民は思うのだが。
社会保障を当てにして踏ん張れた団塊の世代。
団塊世代に食いつぶされて、先細りする社会保障を当てにできない、国の債権も膨れ上がるだけの状況を生きる、これから大人になる人々は、何を当てにして頑張るのだろう。
ダニエルに関しては、他に収入を手に入れるいくらか手立てがあったと思う(元同僚とか、家具・オブジェ作りとか)。
ケイティみたいな母は身近にいくらでもいる。早すぎる妊娠だけには気を付けてほしいと、切に願う。
それでも、貧乏だけど、人に気持ちを分け与えることができる豊かさ。
母から、ダニエルから、注がれた愛がデイジーに受け継がれる。
『おみおくりの作法』にも通じる作品だった。
【自助、共助、No公助】
ケン・ローチケのデビュー作品「夜空に星のあるように」が、イギリスの戦後の労働党政権が導入した社会保障制度による弊害に翻弄される人々を描いたのに対し、このパルムドールを獲得した「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、保守党サッチャー政権が大胆に推し進めた国有企業の民営化、財政支出の削減、税制改革、社会保障運営の民間委託など規制緩和を背景に翻弄される人々が描かれる。この頃は、労働党政権の母体でもある労働組合が弱体化し、社会の弱者への関心も低くなってしまっていた。
何度も繰り返される委託された企業の担当者とダニエルの会話は象徴的だ。
委託業者には本当の専門家などおらず、全部がマニュアルなのだ。
そのくせ、申請者の口調などには敏感だ。
これは、日本も同じだろう。
日本でも、コロナ禍で支援金を受け取るために、積み重ねたら30センチにもなったという書類の話をニュースの記事で読んだことがある。
それでも受け取れない人が一定数いるのだ。
書類を審査し、質問に受け答えするのは委託業者だ。
質問すると、答えられないという回答。
知らないのか、回答をすることが禁じられているのか。
もし委託業者のスタッフが十分に理解していれば、前半のスクリーニングで、受け取れない人には、書類の手間をかけるまでもなく、支援金は受け取れないと通知できたこともかなりの数に上るようだ。
このシステムは、映画でも描かれるように、サッチャー政権が推し進めたものだが、日本では、竹中平蔵の助言で小泉政権や安倍政権が推し進めた規制緩和の委託の実態だ。
日本も似たようなものなのだ。
サッチャー政権の焼き写しを、さも自分のアイディアのようにふるまう竹中平蔵は、今は、弱者を切り捨てる意図なないとあちこちで躍起になって発言しているが、結果がどうだったのか、コロナは予定外だとか、無責任にも程があるように思う。
さて、映画では、ダニエルは、可能な限り、自分でやり繰りし、デイジー親子も助け、しかし、公的扶助を受けられるはずの面談の最中に倒れる。
悲しいエンディングだ。
往々にして、割を食うのは弱者なのだ。
菅義偉や安倍晋三の大好きな「自助、共助、公助」は、
実は「自助、共助、No公助」なのではないのか。
市井の人々は気高くも、社会システムが腐ってしまっては、社会は成り立たない。
デイシーの弔辞が気高くも悲しく、そして、涙を誘う
宏池会・保守本流の岸田さんが、やっと「分配」について語りだしたが、バラマキとは異なる分配をどのように実現するのか少し見守りたいと思う。
ド直球にケン・ローチらしい弱者の目線からの社会への投げ掛け。 ずっ...
ド直球にケン・ローチらしい弱者の目線からの社会への投げ掛け。
ずっしりと重たく、一方で優しく。
惨めさや、汚さや、怒りや、やり切れなさを描き、けれど、絶対に誇りは失わない。
許せない物には屈するな。と言ってのけるケン・ローチ80歳。
居た堪れない現実をハートフルに描く
どこの国も一緒なんだなと…鑑賞日近くでは『護られなかった者たちへ』で日本の生活保護について描かれていたが、イギリスでも同じようにお役所の保身と杓子定規の対応や、制度の狭間で苦しむ人たちがいるという現実を知ることができる。
それが人の生死を左右してしまうのはあってはならないことだし変えていかなければいけない。
ただ政治もこっちを立てればあっちが立たずで、どこかで基準を設けないとそれこそ不公平になってしまう。難しい問題だ。
税金では解決できないことがある。最後の救いになるのは、人と人の支え合いなんだろう。
タイトルの意味が分かったとき胸に突き刺さる。そして最後の手紙に涙する。
(強いて言えばシーン変わりのブラックフェードインアウトが少し長めで気持ちを途切れさせてしまうかもと感じた。)
腐れるのは組織そのものではなく、構成員である人である‼️❓
私は、事実関係を知り得る立場なので、コメントが難しい。
国、場所、に関係なく、その組織で強い立場の人がカスだと、こんなケースが出てくる。
組織の5%でもカスがいると、全てが悲劇。
例えば、イギリス、我が国では、大阪、京都。
何か、被害を受けると、戦わないと、泣き寝入り。
それは、行政、民間、同じですが。
まず、行政で不自然なことが有れば、情報公開を請求すること。
わかりましたか、皆さん、行動すれば、助ける人は必ずいます。
行政の大部分は良心で満たされています。
情報公開請求を、是非。
冷たい制度と人間の尊厳
ユーロ圏といえば言わずと知れた「レ・ミゼラブル」がある。
ほうふつとさせるまさに今、現代の貧困と人間の尊厳の物語。
そんなイギリスの社会制度が日本とどこか似通っていることもあり、
主人公の抱く苛立ちや愚弄されているとしか思えない屈辱感が
とても良く伝わった。
むしろこれ、日本じゃないのかと思えるほどに。
その中で、だからこそ尊厳を失えやしない主人公は、
捨てさせ飼いならそうとする社会としばしば対立する。
勝てるはずもないならジワジワ窮地へ追い込まれてゆくことで、
「落ちぶれる」のではなく、
シンプルに「貧しい者」となってゆくことの恐怖と残酷さはホラー並みだった。
間違ったことは何ひとつしていないというのに、
むしろ正しいからこそ噛み合わないという不条理。
弱者だからこそ救済されるべきだというのに、
強くないから打たれ、説教される自己責任論。
人間味のかけた、誰もが一番恐れる「社会」の冷たさが淡々と描かれ続ける本作。
そのどれもが「あるある」だからこそ、
これらに憤れるほど本当に他人事とは思えない作品だった。
ロシア映画に「裁かれるは善人ばかり」という映画はあったが、
そちらもなんとなく思い出している。
「人をなんだと思ってんだ」という映画
イギリス北部、考えられないくらい優しい周りの人々と、杓子定規で融通の効かない役所仕事・制度の冷たさ。
2人の子供を抱えながら給付金がもらえず悪戦苦闘するシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)が、極貧の中でもしっかり両手で我が子へを愛おしむそぶり、先行きが見えない不安に暗い表情を晒しながら必死に生きる母親姿が涙を誘う。
ケン・ローチ監督作品 パルムドール受賞
なにこのカスみたいな制度
イギリスのお役所って本当にこんなところなんだろうか。
こんな扱いされたら、怒りのあまり健康な人でも心臓発作起こしそう。
「理不尽」が貫く映画だけど、ダニエルがいろんな世代とフラットに付き合うのがとても素敵。
インターネットなんかわからん、と放り出すのではなく、そこら辺にいる若い人をつかまえて、頼って、クリアする。
私もこんな年の取り方したい。
あーーーそれにしても腹立つ(アホみたいなシステムに)。
こわいこわい
辛い映画でした。
イギリスの貧困がここまで逼迫してるとは知らなかった。
日本はどうなんだろう?
ハローワークや役所でムカつくことはあるが、
ここまで官僚的ではないように思う。
それは私がまだ恵まれているだけで、
生活保護申請の現場ではこんな感じなのか?
福祉って誰のためにあるのよ。
国家って何よ。
制度がそれを運用する側の都合のいいように扱われている。
人のすることってそうなりがちだ。
なかなかダークな気分にさせられる映画でした。
淡々と進むのに全く飽きない。 役者の表情は素晴らしいし 単に行政を...
淡々と進むのに全く飽きない。
役者の表情は素晴らしいし
単に行政を悪 弱者を善とはせず優しいスタッフもいるしフードバンクのシーンや万引きをみつけた警備員もとても優しかった。
助けられ、寄り添いあいながらもどうにもならない現実はとても重く
ダニエルが人間の尊厳を訴え
I Daniel Blake と書き殴るシーンはとても良かった。
魚のモビールと本棚がとても美しい。
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