光(大森立嗣監督) : 映画評論・批評
2017年11月21日更新
2017年11月25日より新宿武蔵野館、有楽町スバル座ほかにてロードショー
この抜き差しならない悲劇は、不可解な問いかけとして観る者の内部に深く沈殿する
大森立嗣監督が描く男たちの関係は奇妙にエロティックである。むしろはっきりと〈ホモソーシャル〉な、と形容すべきだろうか。過去に何度か映画化している作家・三浦しをんの「光」を今回、原作に選んだ理由の一つにはある無意識が作用しているに相違ない。
東京の離島・三浜島の中学生・信之は付き合っている同級生美花が森の中で男に犯される光景を見て、美花にうながされるように男を殺害する。目撃者は信之に懐いている輔(たすく)だけ。翌日、島を天災が襲い、津波で壊滅状態になったことから、三人は島を離れバラバラとなる。そして二十五年後、信之(井浦新)は妻子と平穏に暮らす勤め人となり、美花(長谷川京子)は一切の過去を封印し、華やかな芸能界で脚光を浴びている。そんな二人の前に過去の亡霊のように輔(瑛太)が現れ、二十五年前の秘密をばらすと脅かす――。
映画は冒頭からジェフ・ミルズのノイジーなテクノ・ミュージックが耳をつんざくように鳴り響き、そして時おり、島の象徴である巨大な老樹が、現在の無機質な都市景観のなかに、裂け目を突き破るような不協和なイメージとして立ち現れる。
輔は信之の妻(橋本マナミ)を安アパート(このアパートは後半、抽象的かつ神話的な空間に変貌する)に連れ込み、性愛に耽るのだが、執拗に女の足指を舐める行為が印象的だ。それは幼少時、輔が寺社の階段で見つめていた信之と美花の猥らな行為の模倣にほかならないからだ。さらに輔はかつて虐待を繰り返した父親(平田満)を殺害しようとするも、裸で寝入っている父親の露わになった臀部に思わず視線をはわしてしまうのである。
主人公たちはそれぞれが島の記憶、アニミズム信仰にも似た野生の思考の呪縛から逃れない宿命を背負っているかに見える。その意味で、この映画は中上健次原作・柳町光男監督の「火まつり」を否応なく想起させる。つまり、ここで起こる抜き差しならない悲劇は、犯罪物にありがちな因果関係という連鎖からもっとも遠く、それゆえにいっそう不可解な問いかけとして観る者の内部に深く沈殿することになるのだ。
(高崎俊夫)