The NET 網に囚われた男 : 映画評論・批評
2016年12月27日更新
2017年1月7日より新宿シネマカリテほかにてロードショー
南北問題をシニカルに描写。ラストの痛烈なオチでギドクの本領発揮
北朝鮮の寒村に凍てつく朝が訪れ、漁師のナム・チョルは漁に出かける直前の食卓で、愛妻にせがまれて夫婦の営みに勤しんでいる。壁に掛けられた将軍様の写真に見守られながら……。
そんな至福の時間から始まる映画は、やがて、魚網がエンジンに絡まったことから偶発的に国境を越えてしまったナム・チョルが、韓国警察からスパイ容疑を着せられ、執拗に自白を強いられる地獄絵を映し出す。警察側には、未来のない独裁国家から罪のない人々を救出しなければならないという、人道主義の仮面を被った独断と偏見、そして、根深い隣国への憎悪が渦巻いている。独断と偏見の最たるものは、歓楽街に無理矢理ナム・チョルを連れ出し、自由主義国家の繁栄を直視させて亡命を促そうとしたこと。ところが、ナム・チョルがそれまで頑なに閉じていた眼で見たものは、うらぶれた路地裏を下着のまま逃走する金で買われた娼婦の惨めな姿だった。自由とは、何と酷く不公平なものか!?
そもそも、ナム・チョルは独裁国家に何の疑問も持たず、ひたすら家族との再会を願う小市民に過ぎない。そんなイノセントな人間が国家間の勝手な思惑に翻弄される様子を、皮肉たっぷりに描写する監督、キム・ギドクのシニカルなタッチは、しかし、主人公が母国に帰還して以降のラスト数分間で溜め込んでいた本領を発揮する。夢にまで見た故郷でナム・チョルを待っていたのは、要するに韓国警察と何ら変わらない独断と偏見と憎悪と、私欲に弱い北朝鮮当局の実態だった。さらに、ギドクはこの後、痛烈なオチを用意する。
ふくよかな胸を露わにして迫る妻と、久しぶりに彼女を受け容れたナム・チョルには、2度と再び、国境を越えたあの日の朝の、至福のひとときが訪れることはなかった。虫けらの如く扱われ、自尊心を傷つけられた日々を生き抜いた今、あんなにも力強かった夫の体は、精神は、見るも無惨に蝕まれていたのだ。数多ある南北問題を扱った映画の中で、人間の生の肉体にもたらす影響を“布団レベル”で描いた点で、本作はやはり唯一無比のキム・ギドク作品ではないかと思う。
(清藤秀人)