「指輪の行方は」昼顔 麻布豆ゴハンさんの映画レビュー(感想・評価)
指輪の行方は
ハッキリ判りやすくは描いていませんが、あの最後の最後のエピローグの子は2人の子だと思いました。北野先生が懸命に直した百葉箱、すっかり色褪せて朽ちていましたよね、多分あの日から少なくとも7,8年は経ってますよね。
幻想のシーン(男の子も北野先生に似ているしね)のようでもあり、あくまでも暗示に留めていますが、恐らくそう。
そうで無いとあれだけ指輪に関係するシーンが散りばめられてた意味が無くなるし、子供を授かるというラストからの繋がりも無く、必然性の無いエピローグになってしまう。
紗和及び観客への脚本家からの最後の秘密のプレゼント、そういう風に受け止めました。だから指輪はきっと紗和の元に届くでしょう。。
そう思って私は哀しくても何だか少し幸せな気持ちになって劇場を後にすることができました。
エピローグの男の子たちは北野先生の講演に来てた子供たちと見てる方たちも多いようですね。確かにそうも見えるのですが、そうなると百葉箱の朽ちっぷりと時間軸が合わないんですよね。あの男の子たち中学生になってる筈ですよ(笑)。
誰の目にも判りやすい明らかな救済があると、ポリコレな不倫は許されないな方面にゴチャゴチャ言われるのが目に見えてるので、その辺りわざと紛らわしく作ってあるんじゃないかなと思います。
ドラマも含めて一見不倫は誰も幸せにならない、風なストーリーなんですが、脚本家の方の目線は全然そこには無くて、
有史以来、連綿と正しい解など見つかった試しのない恋愛というこの厄介な代物に「倫理」とか「道徳」とか「法理」で枠をはめようったって、返って要らぬ傷を深めるだけ。それは唯そうなるだけ、唯そうあるだけなんだと。
それはたとえ殺されたって変えようがない、「ただ紗和が好きなんだ」死ぬ間際に北野先生が言った言葉通りに、恋に落ちるという事に正しい理由も理屈もないのだと。失うくらいなら諸共に命も奪ってしまおうと言う乃里子の行動自体もまたそれを証明しています。
今作の一つの軸になってるホタルという存在にもそんな暗喩が含まれていると思うんですが、まぁそんな事を言外に言いたい放題言いまくってる、でも解らない人にはいつまで経っても解らないように作ってある作品。そんな感じがしますね。
愛する人の命を自ら奪った後も、それをも他者のせいにして尚も生き続けなければならない乃里子。愛する人の存在は最悪の形で失ったけれども愛を失う事はなく、その愛の結晶を授かった紗和。さてその後の生き様が幸いであるのはどちらでしょうか、、作者の心情がどちらに寄り添っているのかは自ずと明らかだと思います。