沈黙 サイレンスのレビュー・感想・評価
全328件中、141~160件目を表示
棄教する弱きものこそ
西欧のエリートが異文化の辺境で使命を捨て変貌したという知らせに若者が真相を探る探求の旅に出る。コッポラの「地獄の黙示録」その原作ジョーゼフ・コンラッドの「闇の奥」を思い出す。
では「沈黙」はスコセッシ版「地獄の黙示録」なのかというと「沈黙」の元になったのは1700年代の実話なのだからそれは違う。
「地獄の黙示録」のカーツ大佐、原作「闇の奥」のクルツは辺境で神と崇められるが、フェレイラは信仰を棄て日本人になったと言うのだから全く正反対。
west meets east。西欧人が異文化に接してアイデンティティが崩壊したのは日本でもアフリカでも起きていた事だ。
信仰=個人のアイデンティティという「沈黙」の時代と「闇の奥」「地獄の黙示録」の時代とは、全く異なる。
「闇の奥」で西欧人が直面したのは未開のアフリカ文化、「地獄の黙示録」でカーツが直面したのは欧米人に予防接種されたベトナム人の子どもの腕を切断したアジア人の西欧への不信と敵対心。
しかし「地獄の黙示録」はベトナム人に取材していない。アメリカ側の混乱の再現だからアメリカ人が考えた「理解不能なアジア人」という定型に陥っている事を割り引かなければならない。
それに比べれば「沈黙」は日本人をよく描けていると思う。一揆を防ぐ為の切支丹抑圧。ある時は仲間に犠牲を強いる隠れ切支丹の身勝手さすらリアリティを持って描かれている。そして映画では触れられていないが宣教師たちに棄教を迫るイノウエと通辞は二人とも元キリスト教徒なのだった。日本の宗教とキリスト教の神の違いを知り尽くした彼等に宣教師たちは手も足も出ない。
「日本は一神教が根付かない沼なのだ。あなた達の神は何をしてくれた?沈黙しているだけではないか?
逆さ吊りにあっているあの信徒達の苦しみを救うことができるのは、ロドリゴ師。あなただけだ。あなたが転べば、彼等は救われる。あなたが信仰を貫けば彼等は苦しみ抜いて死ぬ。あなたの信仰は誰も救うことが出来ない。簡単な事だ。形だけのことだ。少し脚を乗せるだけのことだ」老獪なイッセー尾形、にこやかな言葉と裏腹な浅野忠信が恐ろしい。
好むと好まざると関わらず「西欧文明の尖兵」という役割を持っていたキリスト教を徹底的に弾圧した事で、日本は植民地化されなかったが科学文明に接する機会も失った。
だがそれは後世の後知恵。今の基準で「欧米拒否した日本素晴らしい」なんて称揚するのも短絡的。
世界の果てで相容れない文化に敗北したキリスト教。しかし神は信仰をたやすく捨てる弱き者にこそ寄り添う伴奏者として顕現する。
その微かな小さな声に、感動してしまう自分がいる。この弱いものに寄り添う神は旧約聖書の厳しい神ではなく、マグダラのマリアを守るキリストだ。
イスカリオテのユダを思わせるキチジローと言う、弱い弱い人物が出てくる。生き延びる為、裏切り、ロドリゴを売り渡し、何度も踏み絵を踏む。後悔しては懺悔をするの繰り返し。
ユダや、キチジローをも許す神、弱い者と共に苦しむ神。信仰を棄てた者こそ救われなければならない者ではないかという逆説。
原作が発表された当時、カトリックからは猛烈な批判があった。信仰を棄てたものは神の敵とみなす様な批判。
いかにも西欧諸国のキリスト教の批判だ。自己を、きびしく律する事こそ神への道、そしてその自己規律から生まれた資本主義精神は弱きをくじき強くあらねばならぬと奮い立つのだ。
監督マーティン・スコセッシはカトリックの司教から原作を紹介されたそうだ。カトリックも今は遠藤周作さんの「弱き者に寄り添うイエス」を認めているのだろう。
さて、この映画の時代から600年。異文化を拒絶するアメリカ大統領、ヘジャブを禁ずるフランス、難民を拒む日本。異文化を拒む偏狭さは何も変わらない。
キリストコスプレ大集合
主人公が日本のキリシタン達を応援しに日本にやってくる。
主人公ともに日本に渡るのはスターウォーズ新新三部作のカイロ・レン君である。
そして、冒頭で日本政府に滅茶苦茶いじめられるスターウォーズ新三部作のクワイ・ガン・ジン。
そしてそして。だいたいのシーンを半裸で褌振り乱しながらはしる窪塚洋介。
想像して欲しい。
3人とも長髪がボッサボサで、
髭も伸び散らかってボッサボサで、
ものすごい汚れた着物がはだけてほとんどローマ人みたいな格好をしている。
そう。3人とも渾身のキリストコスプレなのだ。
そんななか、日本政府にやっぱり滅茶苦茶いじめられる主人公。
もうやだー!
主よー!
もうやだー!
ってなった主人公の前に、
パードレー!
告解してー!
告解してパードレー!!
と、元気一杯で走り寄ってくる窪塚洋介。
そんな窪塚洋介が一番キリストコスプレが板についてる。
そんな恐ろしい作品だったし、
拷問シーンに次ぐ拷問シーンという苦しい内容の割には結構みれたけど、
すきじゃなかったな。
あと長いし。
重く長かった
理想的な日米合作
江戸時代初期、キリスト教の布教を目的とし日本の長崎にて司祭として使命を果たしていたフェレイラ神父が棄教したとの報せを受けた2人の弟子がその真意を確かめようと日本に渡った様子を描いた歴史大作。
観る前に原作を読んでみたが非常に重い内容だった。
そしていざ観てみると割と忠実にそれが再現されていた。
字面から想像していた映像が実際に俳優の表情や演出をもってより生々しくリアルに描かれていた。
演出といってもBGMは静かな波音以外ほぼなし。それが余計に処罰の生々しさを引き立てて、穴吊や磔のシーンなんて眼を背けてしまうほどの表現だった。
表現はもちろん凄まじかったが眼を見張るのが配役。巨匠スコセッシの映画にしてこんなにも日本人俳優が。
主要キャストはさすがにハリウッド俳優だが準主役陣やチョイ役陣も日本人俳優が至る所に出演していた。
ハリウッド常連浅野忠信、いよいよ本格ハリウッドデビューか窪塚洋介、この作品の一つ前の出演作が僕明日だというとんでもないギャップの小松菜奈笑、そしてどこに出ていたEXILE AKIRAと全員が壮絶な演技を披露。
舞台が日本なだけに彼らの存在に違和感があるわけもなく、むしろあの風景に馴染んでたアンドリューガーフィールドやアダムドライバーの方が凄いわけだが日米合作としては稀に見る理想的なバランスで成り立っている。
去年の作品、スポットライトのときも思ったが自分は信仰がないため、絶対的な存在がない。ましてや姿形が見えないような存在のために命をかける、会ったことも見たこともない存在を描いた絵すら踏むことすら断固としてしない、人間の気持ちがわからない。
それをこの作品は描いている。容赦ない描写で。
教科書1ページで済まされてしまうような出来事を2時間半強に詰めリアルに描いた傑作。
タイミング的にも内容的にも監督本人的にもアカデミーを狙った会心の出来のはずが、撮影賞にしかノミネートされなかった。
アカデミーは癖があって相変わらず読めない。テーマが重すぎたのだろうか。残念。
大事なのは神か、人間か
スコセッジ監督にやられっぱなし
高校時代にスコッセッジ監督のタクシードライバーに感動してからのファンです。やはりその物語の再現性、ドラマティックな躍動感、タクシードライバーでは社会の矛盾に生きる人間の無力さを描き、この映画でも人間の自己矛盾の弱さ、それが故に神にすがる姿を見事に描ききった感動作です。
往々にしてこうした欧米の映画では、日本も含めたアジア人を滑稽に描きがちですが、この映画では当時の幕府の事情や、日本の仏教感についても好意的に描かれ好感が持てます。
それにしても殉教を尊いものとされる西洋の種々の宗教に対してどうにも共感できません。多くの宗教対立が現在もテロとなって世の中を脅かしていることをどう理解すれば良いのでしょうか?「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」の親鸞の教えの通り、自分も阿弥陀仏が掬い取ってくれることを望みます。
フェアな描写が生む説得力
疑問は解けないまま…
クリスチャン同士で分かり合ってるような映画
原作を読んでから映画鑑賞。
ちなみに自分は母親がクリスチャンだった(洗礼も受けたが後に棄教)ため、少年時代に教会には10年近く通ったが、現在は無神論者。
そういう立場での鑑賞。
このテーマ、原作者の遠藤周作がクリスチャンで監督のスコセッシも当然クリスチャンということで、何やらクリスチャン同士で分かり合ってるようなムードがある。
例えば、原作ではロドリゴはラストで「棄教はしたが自分の信仰は揺らいでいない」と独白するが、映画ではそれを視覚的に見せる、と言った具合。他にも原作ではなかったセリフなども多々あるが、ほぼ原作を補強するような内容になっている。
なので無神論者、特にキリスト教に一度は触れて、そこに欺瞞を感じた者の疑問に応えるようなものは見せてはくれず(応える義理もないのだろうが)、むしろ「欺瞞の核」を見た思い。
ロドリゴもキチジローも遠藤もスコセッシも、真摯で善良な人間であることは疑えないし、ロドリゴの辿り着いた境地を否定する気もない。
作中人物では井上に最も共感(というより同調)したが、井上も多分同じだったと思う。
うーん。
宗教と信仰
キリスト教という宗教の欺瞞を洗脳的に見せながら、信仰自体は自らの心の中に見いだすものだということを上手く描いてると思う。
キリスト教は日本人の宗教観とは相容れないけど、それすら自分たちの好みに変容させる民衆を幕府は恐れ間違ってるとしたんではないかなあ。
ロドリゴやフェレイラの棄教はそこに気がついたからだと信じたい。沈黙する神に真理を見いだすのはまさに仏教で言うところの悟りではないかと。
それは決してキリスト教を否定してるわけではないと思う。
何を信じるのかという見た目の表現が違うだけで、信仰とは個人の心の中にあるものであり、それは宗教とは違うものではないかと強く思った。
深い、ただ深い
信仰
全328件中、141~160件目を表示












