光をくれた人のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
マイケル・ファスベンダー演じるトム・シェアボーンが、孤独で過去のある 暗くて真面目な男なので「ハッピーエンドは無さそう」と思いながら観た。切なく悲しい方向に向うがラストははたして、、、
2012年オーストラリアで出版されたM.L.ステッドマン原作の『The Light Between Oceans(海を照らす光)』の映画化。彼女のデビュー作であり4年後にこの映画が公開。
角田 光代の2007年の小説『八日目の蟬』を彷彿とさせるシーンがあるが時代は第一次世界大戦後で灯台がある島がとても美しい。
色々あってルーシーは実の母親ハナと祖父に少しづつ馴染んで行く、、、、
1950年8月トムはイザベルを看取る。その後は大人になったルーシー・グレースが赤ちゃんのクリストファーを連れてトムたちの元を訪ねてくる。しかしイザベルは既に亡くなっている。亡くなる前にイザベルが書いた手紙をトムが渡してルーシーが読む。
ラストシーンはオープニングと同じ様にThe Light Between Oceans。
光の描写がとても綺麗な映画。中身はない。
主人公のおじさん的には若くて美人な娘から結婚したいと言われて性欲に負けたのでしょうか?たいして知性もないようなイザベルとかいう女性と結婚したのがトムの運の尽き。
バカな嫁の言うことを聞いたのが全ての誤りですね。
普通は警察にすぐ連絡するところを穴を掘り出した時点で、あぁこいつらダメだな、と思いました。
終始自己中なイザベルにはたいした同情もわかない。
産んでもないのに船から拾った子どもを私の娘にすると言い張り、本物の母親に引き渡すとなったら癇癪を起こし泣き喚く。
街で見かけたら母親の前で容赦なく抱き上げて自分の娘かのような顔つきで睨みつける。
本物の母親からしたらとんだ頭のおかしい人である。
レイチェルワイズがただただ可哀想。
自分の子供も懐いてくれないし。そりゃそうだ、変な他人にママは私だと洗脳されて5歳くらいまで育ったのだから。
美談でも何でもなく、ただバカな嫁が暴走する話である。
夫の真意、本物の母親のこと、グレイスの将来のこと、など他人のことを全く考えないで、
ただ自分のわがままだけを突き通す性格に嫌気がさします。
流産を何度も経験して悲しいことと他人の赤ちゃんを奪っても良いことは別物。
光の描写が綺麗なだけで中身は薄っぺらい作品でした。
最後に大きくなったルーシーが出会った頃と同じ歳くらいの赤ちゃんを連れて訪れますが、
何というか、、人生はあっという間にこんな風に光のように時間が過ぎていき、いろんな『光』に照らされつつ儚く散っていくのかなぁと考えさせられた。
たった一度、赦すだけでいい
Blu-rayで観賞。
なんとも切ない物語。
早川書房の原作小説の邦題は「海を照らす光」で、ほぼ原題の直訳。映画の邦題「光をくれた人」は上手いアレンジだと思う。
はたして、登場人物たちに「光」を与えたのは誰だったろうか。
傷心の元軍人トム(マイケル・ファスベンダー)に光を与えたのは、町の名士の娘イザベル(アリシア・ヴィキャンデル)だ。
トムの妻となったイザベルは二度の流産で心身ともに痛手を負う。彼女に光を与えたのは島に流れ着いた赤ん坊だろう。
赤ん坊はイザベルの両親や周囲の人たちにも光を与えたかもしれない。
夫と娘をなくして絶望の淵にあるハナ(レイチェル・ワイズ)に、帰って来た娘は光をくれたのだろうか。
トムは、苦しい選択を迫られる。
妻が赤ん坊を自分達の子供にすると言い出したとき、赤ん坊の実の母親が悲嘆にくれていることを知ったとき、愛する存在への思いと、社会人としての正義感と義務感、そしてエゴイズムが複雑に絡み合う苦悩が彼を襲う。
ファスベンダーは、映画の冒頭から心に傷を持つ男の哀愁を漂わせ、やがて苦悩に至る様を好演している。
情緒的なカットを挿入した静かな演出も上手い。
主演の二人だけでなくキャスト全般がよい。特にハナの役にレイチェル・ワイズを配したことが効果を上げていると思う。
イザベルは感情を割りと露にし、体調も崩したりする。が、ハナは怒りも悲しみも内に秘めた難しい役どころだ。
ワイズは、眼差しや唇を歪める表情で秘めた感情を想像させる。
実の娘は生きて帰って来たが、その子の心は灯台守夫婦から離れない。やっと再開して、更に辛い現実が訪れる。
家出した娘の命が助かるなら、娘の望む通りにする、と神に誓う。
イザベルに、夫の罪を証言するなら娘を返すと告げる場面、短い場面だがワイズの決意の表情が胸に刺さる。
「八月の蝉」を少し連想した。
幼い自分を愛情込めて育ててくれた母は誘拐犯だった。引き取られた実の母とは心が通じないまま大人へと成長する娘。
だが「光をくれた人」の展開は正反対だ。
あれからハナは、娘をどのようにして育て、その数奇な生い立ちを受け入れさせ感謝の気持ちすら抱かせたのか。知的で思慮深く寛容なハナと家族たちの長い年月の生活を一瞬で想像させる結末。
それらを支えたのは、亡きドイツ人の夫の尊い精神だ。
「たった一度、赦すだけでいい」
登場人物たち皆に光を与えたのは、このドイツ人の夫だった。
余談だが、映画を観終わって少し経って「ルーム」を思い出した。
ブリー・ラーソンが演じた母親は、息子に生い立ちを受け入れさせることができたのだろうか…
身勝手
最初からイザベラが積極的にトムを誘ってた、と思わせる節があったのでなおさら罪の重さに苦悩していたトムを責めるイザベラにイライラ。
周りは島の暮らしが大変でとか好意的だったけど、好きでついていったのだからそこで同情を買うんじゃないと言いたい。ましてやなんでルーシーの父親が死んでたことを証言してあげなかったのか。ひどいじゃないか。
グレースの本当の親をたまたま見かけるというのは出来過ぎだったけど、苦悩し続けたトムはやはり誠実だったと思う。
そしてグレースのお父さんの言葉を思い出してイザベラを赦そうとしたハナは偉いっ。
人生経過によって見方が変わってしまった
主役2人のファンであるにも関わらず、あらすじとレビューだけ読んで「なんだか妻にイライラしそうだな」と思っているうちに、なんとなく観る機会を失ってしまっていた作品でしたが、
観るのが今で良かった。
とても良い映画でした。
ヤヌスという灯台の名前以外はキリスト教的観念が盛り込まれているので、熱心ではないものの幼児洗礼を受けて育った私としては、登場人物達の「罪意識」が胸に染入る気がしました。
そして公開時の私ではなく、今の私は子供を授かれない身なので、イザベルの苦しみは全部ではないけれど理解出来ました。
「当然描いていた普通の幸せ」が得られないと知った時、人は惑い、ごく普通の人でも何かが壊れてしまうんです。
愛する人との子供が欲しいと願う彼女の気持ちは、痛いほどよく分かります。
とはいえ、彼女の行いが許されるものではないのですが、戦争で「罪意識」を背負ったトムが、最後までイザベルに感謝の念だけを抱いていた事が印象的でした。
人を殺した罪人の自分が、イザベルを愛し愛される経験によって、一度神に許されたと感じたのだと思います。
許された事のある人は、必要以上に誰かを責め続けることが出来ない。まさしく聖書的観念だなと思いました。
ハナの夫の「憎むことはずっとその事を考える事、だけど許す事は一度だけ」という言葉も言わずもがな。
聖書を読むとイザベルの様な不妊の女性の話がたんまり出てきます。読みながら「この人達はなんでこんなにいつも悩んでいて不器用なんだろう?」と思ってました。
でも、人間とはこの映画のように答えが分かっていながら、それを選ぶことが出来ない。そういう存在なのでしょうね。
死の床で尚許しを乞い続けるイザベルに「君はもう許されているよ。君も、もう自分を許さなきゃ」と声を掛けたトムの言葉で、涙が止まりませんでした。
人を愛することは時に苦しみを伴うけれど、故に自分は生きていると感じられる。最初のラブレターでもそう書いてましたね。
トムの満足そうな表情が、とても印象的なラストでした。
養子を迎えればいいんじゃないの?
孤島で夫以外の助けもなく生活すること、流産後のケアをしてくれる人もないことは人の心を狭くしてしまうのかな~と思いました。
養子を迎えればいいんでないの?突然現れた赤ちゃんと少し過ごせば冷静にもなって、この子を届け出て、できれば養子に、無理なら孤児院で。
かく言う私は猫を愛護団体から引き取ったものの飼うことに不安を感じて返しました。
が、やはりその子を飼いたくてお願いしても断られ、縁ある奇特な方に引き取りを頼むことができました。
書類の作成にこだわる行政お仕事ゆえに、あと2週間待たされ、しかも引き取りはまたゼロから譲渡会に行きなおさなくてはいけないという・・・行政サン特有の融通性のきかなさにうんざりもしました。
人は間違いをすることもある、その体験からしか成長もない。
人に助けを求めることで、人を助けることもできる。
そんなことを作品を通して感じました。
考えてしまう。自分ならどんな選択をしたか。
「夜に生きる」のエンディングと同様に、人生の終焉を迎えようとしている主人公トムの哀愁漂う姿…色々あった人生を反芻し、それでも幾らか穏やかな表情で夕陽を見つめるシーンは、何とも言い難い感動というか、観ているものもやっと安堵するというか。それまでの話をずーっと自問自答しながら、うわぁ〜これ自分ならどうしてただろう…と、それぞれの登場人物の立場に立って考え続けてしまうので…。キリスト教的表現が多いので、深くは理解出来てないかもしれませんが、それでも心に深く刻まれる作品だと思います。ロケーションがとても美しくて、視覚的にも印象深い映画です。原作も読んでみたくなりました。お勧めです。
泣けました。
どこに泣けたかっていうと、キャストたち全ての孤独がとても辛くて悲しかった。
みんながそれぞれに抱えきれないくらいの孤独と数奇な運命と戦っていて、どの人にも感情移入できたし、美しい映像だった。
正式に養子を迎えていたら…とか考えたら映画として成り立たないか。
葛藤
第1次世界大戦後のオーストラリア。孤島ヤヌス・ロックに灯台守として赴任した帰還兵トムは、明るく美しい妻イザベルと幸せな日々を送りはじめる。やがてイザベルはトムの子を身ごもるが、立て続けに流産と死産に見舞われてしまう。そんな矢先、男性の死体と生後間もない赤ん坊を乗せたボートが島に流れ着く。赤ん坊に心を奪われたイザベルは本土に報告しようとするトムを説得し、赤ん坊にルーシーと名付けて我が子として育てはじめる。やがて良心の呵責に耐えきれずトムは真実を明かし投獄されてしまうが本当の両親から罪を軽減される。イザベルが亡くなった後トムのもとに成長したルーシーが赤ん坊を連れて訪ねてくる。ルーシーはイザベルの手紙を渡され、イザベルの気持ちを察することになる。トムに対しルーシーはまた尋ねると言って去ってゆく。トムは海を見ながら感慨にふけるのだった。
タイトルなし(ネタバレ)
100本目‼︎
流産は辛いだろうが
あの女の思いのままの言動行動には
腹立たしさしか無かった
「1度赦すだけでいい...」
響いたな...
そうなれればいいな...
ルーシーグレース
良い子に育って良かった‼︎
ドイツ人の夫がすごいんです。
申し訳ないが、イザベルに始終いらいらしました。
2度の死産、それはとても苦しいでしょう。それはわかります。
そら悲しいよ。私は妊娠したことも死産で子を失ったこともないからさ、
イザベルの気持ちを本当には分かっていないのでしょうけれどもさ。
でも、だからって人の子どもを勝手に自分の子にしていいわけないでしょ。
それを言っちゃあおしまいよ、なのかも知れませんが、
こどもは、というか人はいつか死ぬでしょ。生まれられないこどもも残念ながら
いるのよ。21世紀ならばともかく20世紀前半の離島じゃさ、多少仕方ないじゃない。
そのことは、誰かの大切な娘を自分の子にする言い訳にはならない。
ほんで、夫がさ良心の呵責に耐え切れず、ハナに娘の存在を知らせてしまったことを、いつまでも許せず、ぎゃくにトムを恨むってね、あなた。幼稚すぎやしませんかね。
という感じでイライラしていました。
トムの気持ちは、少し分かるんです。やむを得ず死産を乗り越えられない妻の願いを聞き入れてしまった。その上、ハナが夫と娘グレイスを探し続けていることを知ってしまった。
良心の呵責と、妻を思う気持ちとに引き裂かれるわけですね。
結局良心を選んだわけですが、イザベルは理解しない。まあそのことを責めるつもりもなく、自分だけの罪としようと決めていたところが、トムの美点かなーと思いました。
当然ハナは何も悪くない。グレイスがグレイスとして扱わせてくれない、私はルーシーだもん、おうちに帰りたいといい、家出してしまうあたりつらいな、ハナつらいなーって、胸が苦しくなりながら見ていました。
そうして、家出してしまった後、娘の幸せを願って、断腸の思いでイザベルにいうわけですよ。グレイスのためにはあなたのもとで暮らす方がいいのかもしれないと。
そのハナの決心のもとは、亡くなった夫に由来するとの描写があります。
その夫の考え方が一番素晴らしいな、美しいなと思いました。
第一次世界大戦後、オーストラリアにいながらドイツ人(移民なんでしょうから同胞じゃんよと思いますが)なので、敵国人として執拗に差別される。そんな中でハナと結婚するわけです。
ひどい扱いをされながら、朗らかにある夫に、その理由を聞くと、夫は「一度赦すだけでいいんだよ」といったわけです。
ハナは夫のように、赦そうと決意します。
そのことがイザベルをも動かすわけです。なので、ドイツ人の夫(名前忘れました)がね、すごいんです。
第二次世界大戦後、グレイス・ルーシーとして育った女性が、子供を連れて老いたトムに会いに来ます。育ててくれてありがとう、これからも会いに来ていい?と。
その時にはイザベルはもう死んでいたわけですが、ルーシーへの遺書を残していたのです。
まあ、そこが本来意図された泣きポイントなんでしょうが、私はイザベルの語る愛にはやはり心動かず、グレイス・ルーシーええ子やなー、こうやってトムとイザベルを恨むことなく育ったのは、トムとイザベルの悪口をハナやその親族が言わずに育てたからやわなー多分、と思いました。
君を一生守る。
登場人物のどの立場にも共感枠があり正義云々で語り切れない
感情の渦に巻き込まれる作品。タイトルにある、光をくれた人
というのは人物それぞれに生きる力を与えてくれた人のことを
いっているのだと思う。一概に娘が可哀相だとは言い切れない
難しさがある。流産死産を経験して自暴自棄になっていた妻を
宥めるために仕方なく通報をためらった夫の行動、その後実母
に対してとった行動、正しい行動をすれば報われる訳ではなく、
その後の地獄が待っていることも彼は分かっていたはずである。
夫の告白が正しいことは分かっていながらも彼を恨む妻の行動
や、養母を恋しがる娘に悲しむ実母の行動は辛さの極みだった。
二人の出逢いからあのまま何事も起きなければ…と祈るような
気持ちでいたけれど人生がままならないのは本当。しかし苦難
の先には幸福もあるわけで全てを終わらせるのは命が尽きる時
まで待ってほしいと最後まで観て思った。希望の灯は消えない。
(邦画の灯台守というと「お~いらみ~さきの~♪」ですよねぇ)
苦しく美しい物語
ヤヌス島の美しい情景と、クラシカルで情熱的な音楽に最初から引き込まれました。
物語のあらすじは、、ただただ切ない。でも、納得のいくものでした。
登場人物全員に善良さがあって、ただ、夫婦は妻イザベルの強い愛により「善良」ではない判断をしてしまう。正しくないとは決して言えないけど。
子どもを授かれる人と授かれない人。これは人生の中で最もと言っていいほど高い壁だと思う。きっとイザベルの判断や行動は理解出来ない方も多いのでは。
我が子を宿して失った哀しみって、きっとどうしようもなく母親にしか分かり得ないんですよね。誰も何も言っちゃいけない。
光を失ったら、光を求めるじゃないですか。きっとトムだって、ハナに出会って哀しみを知らなかったらそのまま育てていたんじゃないかなぁ。
ただ、願わくばトムとイザベルに強い絆があってほしいと思っていたので、あの決断があって本当に良かった。
根底に流れている善良さは、ドイツ人の旦那さんの言葉が全てなんじゃないかと思った。赦すこと。手紙を読んだ瞬間、イザベルはその時憎かったトムを赦したんだと思う。
どうしたって苦しい物語ですが、登場人物が美しいなぁと、鑑賞後は暖かい気持ちになれました。
2人の雰囲気がすてき
この映画がきっかけでプライベートでも、というだけあって演技だけではない愛情が伝わってくるような幸せそうな2人。それだけに事態が取り返しのつかない方向に進むのが観ていて辛かった。罪を犯したと単純に責められない部分もあり切ない。レイチェルワイズ演じるハナももっとキツい女性なら灯台守夫婦の味方になってしまうところだか彼女も気の毒でなんともやりきれない。でもハナも愛を知っているからこそ赦すことができたのだろうし、愛は時として道を誤るが、愛した事実はいつか報われるのかもしれない。悲しい結末ながらもわずかの救いを見いだせた気がする。マイケルとアリシアが素敵で風景もとてもすばらしかった。
それぞれの光
当たり前だけど、誘拐は重罪。。でも、命の恩人でもあるのだよね。。
トムにとって、妻は光。
妻にとっては、ルーシーが光。。
ハナにとったら、トムが光をもたらした。。
そして、ルーシーにとっての光は、愛してくれたすべての人達。。
夫婦だから、必ず子供が必要かというと??だが。
結婚は、ただ一緒に、いたいからするのだよね。。
子供がいない夫婦は、不幸なのか??
と、いつも考えてしまう。。
重く見えて軽い作品
この作品で何度も台詞に出てくる「赦し」とは、人間の態度ではおそらく最強だと思っています。
しかし、個人的な感情を越えないとその境地には至れない。最強なだけあり最難関でもあります。簡単に赦せるのであれば、とっくの昔に世界平和は訪れているでしょう。
本作品は赦しをテーマしとして描いており、その点は素晴らしいと思います。しかし、描ききれているとは到底思えなかった。物語はとても魅力的でしたが、語り口に関しては大いに不満でした。
特に気になる部分は、ハナの赦しに至るプロセスがあまりにも簡潔に描かれていること、そしてイザベラの苦悩の表現があまりにも軽すぎることです。
ドイツ人の夫はこの話の隠れ最重要人物ですが、その真価が発揮されるのは一場面のみ。ドイツ人の夫とハナの物語を掘っていかなかった結果、ハナの偉大なる転回がただの書割にしか見えなかった。勿体無いとも思ったし、誠実じゃないようにも思った。難しい着地点だからこそ、そこに至る物語を丁寧に紡いでいく必要があるのだと思います。
イザベラの苦悩も同じで、犯した罪への後悔は、最後の最後でちょろっと出ただけ。確かに、物語の中では長い時間が経過しているが、それを省略しているため伝わって来ない。特にイザベラは当初から未熟で身勝手な人物として描かれていたため、省略されてしまった時間こそがイザベラの成長であり、彼女の真の物語だったと思います。
ラストのルーシーの訪問は、幼少期に辛すぎる体験をした彼女を軽く扱いすぎていると感じた。ここに至るまでルーシーは何度も苦しみを超えて来たんだろうな、なんて思いを馳せたが、やっぱり、それが見たいんだよね。ルーシーの物語までやると三部作とかになるからしょうがないけど、登場人物たちへのリスペクトがどこか感じられないように思えてしまった。
クラシカルで美しい映像や壮大な音楽は雰囲気抜群。だからこそ、なんか雰囲気で騙してきてるな、と思えてならないです。
重厚に見えるが軽薄。赦しって言葉を連発してたけど、言葉が軽い。年を食っても美しくセクシーなレイチェル・ワイズを観れたのが、唯一よかったとこです。
*6/11 追記
先日、ライムスター宇多丸の映画批評を拝聴。そこで、本作の監督・シアンフランスが省略話法を得意としていることをはじめて知りました。
今回は監督の特色がかなり大きく裏目に出たのかな、と感じた次第です。
たまらんかった
子どもが実の親だと思ってなついてくれているのに離れ離れになるなんてまるっきり他人事ではなく、つらすぎる。子どもがとても楽しいかわいい子で、あんなふうに育って欲しい。最近の映画で見た子どものなかで一番かわいかった。もうちょっと出番を増やして欲しかった。そんな子が、引き離されて本当のママに会いたいとつらそうにしているのがかわいそうで胸が裂けるかと思った。もちろん実親さんもつらい。
このような映画でいつも思うのは実親さん家で家政婦みたいな立場で一緒に暮らせないものだろうか。近所でもいいけど、とにかく会えない状況は子どもが一番かわいそうだ。
(追記)
東京新聞のすくすくで連載中の『里親映画の世界』で取り上げたため、再鑑賞した。やっぱり素晴らしかった。今、うちの子がルーシーと同じ4歳になっているため、なおの事実感度合いが倍増してたまらなかった。実母さんが「今度会えたら彼女の希望を全て叶えます」と祈っていたのが痛切だった。
全27件中、1~20件目を表示















