「笑えるけれど、笑えない」家族はつらいよ2 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
笑えるけれど、笑えない
人間性を封印すると楽しめるけど、人としての矜持を保ちたいと思うと嫌悪感が出てくる。そんな映画はこの映画で2作目。
1作目は『キングスマン』
でも、まあ、『キングスマン』は思春期妄想ムービー。カトゥーン風の映像を実写でできるかとチャレンジした映画。SFというか、あくまで作り物の世界の話として、現実と切り離したところで鑑賞できる。
でも、今作『家族はつらいよ2』は、あくまで現実に根差した物語。
典型的なしょーもないエピソードを凝縮することで、”演劇舞台”の中でのドタバタと割り切れはする。
でもね。基本、現実の生活がベースの作品で、加害・被害が絡む身近な問題を扱っていて、絵空事にしきれないだけに、ムカついてくる。
高齢者の免許。映画で描かれているような運転する人に付与していていいのかと本気で怒りが沸き上がる。
”高齢者”であることが問題なんじゃない。あんな運転をしている自分を客観視して、周りの人々のことを考える現実的な対処・決断ができないところが問題、心が幼児化している。ジャイアンだ。亀の甲より年の功と言われる、高齢者だからこそもてるはずの円熟さと叡智(カッコよさ)なんてものはない。
東京都の交通ルール順守を促すポスターが、子どもむけのものから、高齢者向けのものになったのはいつからだろう。
運動会でも、写真を撮ることに夢中になって、子どもが走るレーンにまで出てくる高齢者。子どもがぶつかったらどうするんだ。注意したら「孫の写真を撮れなかったらどうするんだ」と逆ギレされた。
子どもよりも、たち悪く子ども化した高齢者。馬鹿さを若さと勘違いしている人々。これを笑えって、自虐ネタ?
孤独死についても不満。あれ?1作目と設定が違うという戸惑いはさておき。
自分の葬式に参列してほしい人って誰だろう。私だったら、友人の家族より、同級生。亡くなる直前の”励ます会”に参加した人になんで連絡取らないのか?それで誰も参列してくれなかったら、自分の家族に頼むのじゃないか?
私とポイントがずれている。”人”の生きざまが適当にあしらわれている。そして、最後の銀杏の場面にはげんなりさせられた。あれが、ギャグなのか?小学生はああいう発想大好きだけれどね。
でも、老々介護についてだけは良かった。ぽっと心に灯りがともったようだ。
周造を頂点とする家族の面々は、前作よりこなれてきた。
嫌な役回りを次々に押し付ける様なんか、あるある感満載で、苦笑しつつ爆笑。肩の力が抜けて、老夫婦・長男・長男の嫁・長女・長女の婿・末っ子・末っ子の嫁・孫もある意味典型的なんだけど、それをさらっと演じてくれる。現役貫きたい老人に対して、いつの間にかそっくりになってきた長男とのボス猿世代間交代もさりげなくさらっと描かれ、笑える。
この辺りはうまいなあと唸る。演者の力とともに、脚本・演出の力だろう。何度もリハーサルを繰り返すという。役者も実力を丹念に発揮できて役者冥利につきるんだろうな。
相変わらず、無理に笑わそうとする箇所もあるが、演出過剰で笑えなかった前作に比べて、素直に笑える場面が満載。
演劇としての質は高い。
それでも、鑑賞後、気持ちよくはなれない。
”家族”をテーマにしており、ドタバタを描いているが、家族間の関係性を深めない。周りの社会的なネタを持ち出して、話が進む。
孤独死と離婚した家族、三世代家族を比較して、家族のありがたさを描いているつもりなのか。庄太夫婦が、どういう家族を作っていくのだろうとか、幸之助家族の子どもたちが大きくなるにつれ、どういう展開になるのだろうという興味はある。でも、私から見ると、長男の嫁があまりにも損な立場になっていてかつ報われないから、あの家族の中に入っていく気はない。あくまでご近所さんとして見守るだけだ。
加えて、上記のように、世間で話題になっているネタを織り交ぜるが、上から目線。外側から見たネタを、外側から撮っている。丸田という人の生きざまが描かれるわけではなく、同情してやっているという目線。こうしてやったら喜ぶはずだという押し付け援助。ムカつく。”下流老人””路上生活者”だって、一人ひとりの生きざまがある。終わりの迎え方の希望だって一人ひとり違う。なのに、こうであろうと傍観者が考えている典型例として登場させて死なしてしまった。
これで、社会問題を扱っているつもりなのか。
と、文句ばかり書いているが、
『幸福の黄色いハンカチ』『武士の一分』『小さいおうち』等は好き。橋爪さん他、好きな役者さんもたくさん出演されているし。だから、つい、今度はおもしろいんじゃなかろうかと期待して観てしまう。
「今度こそ」と。