映画 夜空はいつでも最高密度の青色だのレビュー・感想・評価
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劇中劇のような前半が興味深い
ソフィア・コッポラ監督の「ロスト・イン・トランスレーション」のような作品。「ロスト〜」は異国の都会で孤独に直面する物語だ。
対して本作は、もちろん異国ではないし、孤独とも少し違う、
では何が似ているかというと、その場所に馴染めずに浮いた存在になっていることだ。
本作のメインの2人、美香と慎二は、生きることの意義、金銭的にではなく生き方について見失って、いや、見つけられずにいるように見える。
なぜ生きるのか分からなくとも生きなければならないと思い、同時に、誰しもいつかは死んでしまうし、死が突然訪れるかもしれないという思いが無気力さを生む。それが、他人と積極的に関わろうとしない理由でもある。
人は一人では生きられない。一人で生きてると思っている人でもその多くは一人ではない。
裏を返せば、積極的にコミニケーションをとっていかなければ辛い生き方が待っているといえる。
その場所に馴染めていないとは、人の輪に、社会に、溶け込んでいない。溶け込もうとしていないのである。
終盤に、慎二が美香に向かって「何かゴメン」と言う場面から劇的に変化する。
それまでの二人は、当たり障りのないテキストを読み上げているような、演技で言うなら棒読み演技のような言葉を言っていた。つまり「何かゴメン」の前までは心を開いた、心のこもった言葉ではなかったのだ。もっと言うならば、関係ない人に向けた嘘の言葉だったのである。
「何かゴメン」は、今まで壁を作った嘘の心で接していてごめんなさいということなのだ。
嘘の心、嘘の言葉のままで親密な関係になることはできない。
ただ生きて死を待つだけの生き方を、親密になりたいと願う好意が破壊する。
愛する家族と離れて暮らさなければならない者、愛を求めるが中々成就しない者、そういった人よりも美香と慎二は恵まれている。ほんの少し手を伸ばせば共に生きる人を掴めるのだから。
誰か一人でいいから心の繋がった存在を見つける。それがその場所に馴染むことにつながる。
「ロスト〜」は切れた繫がり。本作は繋がった繫がり。その違いはあるが本質的には似た物語だったように思う。
地上波でひな壇芸人のトークやグルメレポートを見るより、金を払ってこの映画みたいな絶望と倦怠と憂鬱と虚無に浸るべきだ!
今生きてる現実は絶望と憂鬱と倦怠に充ちている。誰も大声だしてそれを言わない。この映画の中の人も言わない。でも現実な厳しい。微かな希望(ストリートシンガーがデビューしたみたいに!)を信じて、死ぬまで生きるしかない。傑作!
東京と言うより地方都市感がある
日当七千円だと最低時給でフルタイムより下なんだよね
今は人手不足で清掃でも日当一万円くらいはいくので‥
また酒に煙草に女に、と言うのも今の時代からすると若干ズレている感じ
サブスクやYouTubeやっている人が多くてあんまり飲み会とかないし
仲間が亡くなって葬式を上げるのも?
多分行かない人が多いんじゃないかなぁ
個人の生き方なら尊重は出来るけど、これが東京かと言われるとちょい疑問だなと都民の自分は見てました
まぁそういうことを言いたい映画ではないんだろうけど、孤独を紛らわすものもたくさんあって、恋人いない人も4割超えしているのでね
誰からも無価値とかどうでも良くて、他人に興味ないのが今のスタンダードと思っています
違和感で再確認できたと言う意味では良い映画でした
口に合わなかった
自分とは相性の悪いタイプの作品。
都会での寂しさ、満たされなさ、あるいは若さゆえのもやもやとした感覚。
観ていてイライラした。
こんな女のどこに惚れるのか。
こんな男のどこがいいのか。
うざい者同士がくっついただけにしか見えなかった。
日雇い、孤独死、出稼ぎ労働者など社会的問題も
触れてはいるが、だから何。
死ぬまで生きていくと覚悟か諦観のセリフに受け取れるが
ぬるく感じて自分には相容れず。
それに路上ライブの歌が聴くに耐えなかった。
どう考えても売れると思えない。
昨晩見終わったばかりのはずなのにもう内容があまり頭に残っていない。...
昨晩見終わったばかりのはずなのにもう内容があまり頭に残っていない。
強いて言うなら、人はいつでも死と隣り合わせであり、だからこそ少しでも素直に自分の気持ちと向き合い、それを相手に伝えることで、いずれ死ぬ友人や恋人、家族とのお別れをきちんとしてあげることが出来るのではないだろうか、という感想を抱いた。
主人公の男も女もともに一癖どころか五癖くらいある曲者であり、なかなか人に心を開けなさそうな印象が強かった。実際、最後には結婚する二人だが、そこに至るまでお互いに心を許すことなく、壁を数枚挟んで会話をしている様だった。最後の最後もまだ少し壁がある様に感じた。
最初は互いに居場所がない孤独な都会で生きる若者であり、路上ライブをする女の人もあれは売れないね、と女主人公に言われる始末であった。しかし最後には似た部分のある二人がお互いを互いの居場所とし、冒頭で女主人公が一人で見た飛行船を二人で見、路上ライブお姉さんはメジャーデビューを果たした。
物語としては一応ハッピーエンドなのだろうが、男主人公の死んだ友人に焦点を当てるとかなり悲しい気持ちになる。ガールズバーで連絡先を聞いた、惰性なのか本当に少し気になっていたのか知らないが街で数回男主人公と出会い意識しているかのような演出がされていた女主人公と1回デートをしただけなのに、死んだ男主人公の家にはそのデートの際に撮ったと思われる女主人公との2ショット写真が丁寧に額縁に入れて飾られていた。普通だったらよほどの運命を感じていたとしても1回のデートでそこまでするかと思うが、彼にとっては、都会の工事現場で肉体労働者としてこき使われるような男たちにとっては、それだけ居場所がなかったのであろう。現に彼のお葬式には職場の人間と女主人公くらいしか見受けられなかった。この男主人公の死んだ友達こそが、この映画のテーマを伝える上で一番大切な働きをしたのではないかと私は考えている。
アニメ映像を入れたりシーンチェンジの工夫など色々と演出のこだわりは感じたが、これに関しては内容を伝える上でなにか効果があった様には感じ取れず、製作者の自己満足のように見受けられた。テーマ性や役者さんの演技はよかったが、特にこれといって印象の残る作品ではなかったかなということで、星を少し低めに設定させてい頂いた。
青色だ。それに込められているもの
最果タヒさんの同名詩集を基に映画化したものです。
物語は、都会の住む2人の男女がそれぞれに抱えているお互いの苦しみや悩みと向き合いながら生きていく姿を描かれています。
原作が詩集を基にされているので、どこか詩的な要素が多く感じました。
そこにいる自分は、確かなものであるのか?
それは、ふとっ思う部分でもあるのかな。
周りいる自分と合わせ生きていると、自分という存在を忘れ、気づくと無性に死にたくなる事がある。
また、苦しんで、悲しんで、
また、笑って、喜んで
そんな事を永遠と繰り返しながらも生きていく。
やっぱり希望は、捨てたくない。
どこかで幸せがあるだろうと。
主人公達ののやり取りの中でそんな事を感じました。
とても味わい深い作品だなと感じました。
言葉にはなんの力もない
言葉ってなんの意味も持っていないんだなと思った。言葉を見たり聞いたりした人が受け取ったところで、ようやく言葉に意味を持ってエネルギーを持つんだろうな。
色々な情報が飛び交う中で、その情報を全部知った気でいないといけなくて、それがおかしいということに気づいているのに、気づいていないと思って居なきゃいけなくて、それが気持ち悪くて喋っている。不安だから。
今に不信感をもったり人に不信感を抱いて過ごしているなら、自分の予感を大切に生きていこうと思った。
日常の捉え方
世界に何も期待していない2人。
でも何か起こる度に一喜一憂する。
東京とゆう孤独な世界に紛れ、沈んでいく人達の物語。
いつ何が起こってもおかしくないなら、
とてつもなく良いことが起こるかもしれかい。
陰と陽を行ったり来たり。
この世の中の大半はこのような生活をしていると思う。
日常が当たり前であり、おはようと言える幸せ。
現代の日本社会
映画の中の空気感に引き込まれました。
東京で暮らす人々の日常、現代の閉塞感や孤独感、突然の死、上手く言い表せないけど凄く伝わってくる。
登場人物達の語りや言葉は胸に残るものがあった。苦しい時、辛い時は思い出すようにしたい。
君がどこかにいる。心臓を鳴らしている。それだけで皆、元気そうだと安心をする。お元気ですか。生きていますか。
幸か不幸か俺は生きてる。お前も生きてる。こんな生活だけど生きてる。恋だってしてる。
ざまぁみやがれ。
何が起きてもおかしくないなら、やっぱりとてつもなく良いことが起こるかもしれない。
朝起きたらおはようって言おう。ご飯食べる前はいただきますって言おう。
最後の慎二と美香のシーン、エンディングの音楽には希望があった。日々の生活に生きづらさを感じている人、失敗して落ち込んでいる人に是非観て欲しいです。
新自由主義全盛の現代日本の息苦しさを生活者視点で描き、無視できない映画!!
新自由主義全盛の現代日本から逃げられない、生活者の息苦しさを描いていて無視できない映画でした。女と過ごすのが、ささやかな幸せになっていて好みでした。ポエムや歌ありBGMはやりすぎると鼻に付きます。オールタイム理屈っぽい美香より玲の方が可愛いですが、玲は繋ぎ留めるのが難しい気がします。主人公の男性の片目が見えないのも、他者より幸せの感度が高いと思うので好みでした。フィリピン人男性が、このような暗黒日本に見切りをつけて帰国したので安心しました。みんな何でこうなっているのか分からず亡霊のようですが、時代を記録した貴重な映画だと思います。
「愛」とか「恋」とか軽い言葉ではなく・・・・
DVDで観賞。
この映画では、愛とか恋とか言葉の軽さを示し、大事なのはそこじゃないということを伝えたいのだと思いました。
そういう言葉があるから、人は恋したり愛したりするのではない。
自分の思う恋と、相手が思う恋は違うであろう。
人類がそういう言葉を持つ前から、人は同じようなことをしていたはずである。
言葉を持たない動物でも、同じようなことをするであろう。
主人公の二人を結び付けているのは、もっと直感的なもの。単にビジュアルだけでなく、醸し出す雰囲気、匂いかも知れない。
「ひとめぼれ」の延長線ともいえるが、言葉で伝えるものではなく、その直感が大事な事なのだと思います。最後の場面で、鉢から開いたい一輪の花を同じように喜べること。
それが大事なんだと。
なんだよ、この映画
東京オリンピック前の東京で、日雇い人夫で毎日をなんとか暮らしている男たちの話。
なんだよ、この映画。東京の、日本の、人生の、嫌なことばかり描く。これでもか、これでもかと描く。なのに、なんで希望を感じて終わってんだろう。いいことなんて、ほとんど起きなかったのに。サボテンに花が咲いた、それに二人は気がついた、ってだけなのに…
という訳で、自分はけっこう気にいった映画でした。
以下は、中盤に語られるフレーズだけれど、この映画、もしかしたらこのフレーズだけから生まれたんじゃないかな、と思いました。
「きみがどこかにいる。それだけで安心する。お元気ですか。生きていますか」
夜空はいつでも最高密度の青空、か。たしかに、晴天を次から次へと詰め込んでいったら、真っ黒になるのかもしれないね。観終わって、そんな風に感じられる映画でした。
池松さん、石橋さん、松田さん、ポールさん、みんな少し変な人たちを上手に演じてくれました。そんな中で、自分には田中さんの役柄が一番印象に残ったかな。最初から最後まで、何にもいいことないし、全く魅力もないんだけれど、監督が伝えたかったのは、もしかすると田中さんの生き方だったんじゃないかな。
観てよかった。ありがとう、キネカ大森。
おまけ
恋愛映画として好きなシーンは、「女子寮だから、入れません」かな。あんなに走って走って走ったのに…
最高にじんわりと沁みた
大勢の人が目を背けながら生きている日本社会の現実を愚直なでに見せつけながらも、観たあとに心がじんわりと晴れやかになる映画でした。
セリフ一つ一つがストレートなまでに心に突き刺さり、間も、映像の映し方や切り取り方、全てにおいて無駄な所がなかった。鳥肌が立つくらいに。
工事現場で雨が降ってきて、資材をブルーシートで覆うシーンは、今の見たくない現実を覆っているように感じた。
美香:半分しか見えないんでしょ。
慎二:うん。
美香:世界が半分しか見えないんだ。
慎二:うん、変だろ。
美香:でも半分見えれば上出来なんじゃない?普通半分も見えないから。
半分も見えていない人の方が多いのだろうな。半分見える人の方が、純粋だからこそ生きづらさを感じるこの世界。
現実に幻滅し嫌悪感さえ感じるからこそ、「愛している」という言葉が薄っぺらく感じる。本当は純粋に信じたいのに。信じられたらどんなにいいか。
でも、生きづらいこの世の中で、慎二と美香のように同じ事を感じている人同士が出会えたなら、こんな世界でも明日がどんなに明るくなるだろうか。
生きづらさを感じている人に、そんな中でも明日を生きる力を、この映画から得て欲しいなと思いました。
出演:石橋静河 池松壮亮 松田龍平
監督:石井裕也、原作:最果タヒ、脚本:石井裕也
池松も石橋も若くてとてもいい。 自転車置き場のシーンとか、バス...
池松も石橋も若くてとてもいい。
自転車置き場のシーンとか、バス停とか映像がいい。
田中哲司の複層的な感じも。この監督は複層的なところがいい。
最後の花のシーンも。
彼女のお父さんが笑顔で彼を迎えるところ。
妹の頓珍漢な感じ。
世界への胸騒ぎ的な不安と、いいことが起こるかもという感情。
池松は日雇で左目が見えず、変だけど、彼女との世界は豊かで優しい。彼女を捨てた男がリラックスするとき君は饒舌になると言って、石橋がイラッとするところが好き。石橋のカバンの持ち方が好き。
努力は必ず報われる
常に「死」が身近にある若い男女が出会う設定なので、全体的に暗い印象の物語。さらに退職や母国に帰る仕事仲間たちとの「別れ」もそれに拍車をかけている。
唯一希望が持てるのは、誰も聞いてないのに、ひたすら演奏するストリートミュージシャンの存在。何度か登場するが、結局メジャーデビューするという展開になる。地道でもこつこつ努力すれば報われると信じたい。
このストリートミュージシャン、「深夜食堂」で、警官が好きで、出前したあと食べ終わるまでずっと待っているちょっと知恵遅れのような女の子に似ている。
あと、腰痛持ちの同僚が、「恋してるんだ、ざまぁ見やがれ」とよく言っているのが面白い。
詩の朗読や、なにげない会話が印象に残る。特に最後、「地震で多くの人が死んだら」→「とりあえず募金しよう」、「朝起きたらおはようと言おう」「ご飯食べる前はいただきますと言おう」「そういうことだよね」→彼が彼女の頭に手を添える。
緩い
石井裕也はまたも弛い。
衛生的で最適量の孤独を維持し、特段虐げらぬ有能らしき男女が詩的語彙力で当節を語り、結局付き合うトレンディ映画 。
路上ギター女を野垂れ死にさせぬ弛さ。
松田龍平の配役だけは買う。
大都市東京の喧騒に埋もれた若い男女の吐息を視覚化した詩的コラージュ
最果タヒ原作の詩集にインスパイアされた石井裕也監督が創作したラブストーリーを、ドラマというより映像のコラージュで表現したユニークで斬新な映像作品。最近の日本映画を殆ど観ていない立場で云うのも僭越ながら、映像の吸引力を感じる才気溢れる演出を楽しむのは稀有なこと。
看護師をしながら夜はガールズ・バーで働き実家に仕送りをする美香という女性と、左目が不自由ながら建設現場で日雇い労働者として働く慎二という男性の偶然の出逢いと慈しむ姿を見詰めた愛の物語だが、通常の説明的表現を最小限に抑えて、二人以外の登場人物も東京という概念の背景にしたイメージ優位の表現方法で、ふたりの感情を映像に焼き付ける。大都市東京の喧騒の中に埋もれた、その女と男の吐息や悩みを優しく拾う作者の演出技巧は、これ見よがしにせず遊び心を持ってコントロールされている。仕事に追われた疲れをアンニュイな表情に見せるも、確かな生きている意思を秘めた美香を熱演する石橋静河、その熱量が作品を生かす。演技派池松壮亮の誠実な演技姿勢も慎二になり切っていて自然だ。フィリピンからきた出稼ぎ労働者アンドレスが、今の東京を客観視する設定もいい。観る者の想像力に語り掛ける映画の詩的な試みが地味ながら光る良作だと思う。
「繊細さん」こそ、濁らぬ眼を持っている
闇夜に二人乗りの自転車が灯す、小さな灯り。
希望を象徴する光。
決して太陽のような絶対的な輝きではないけれど。
臆病で、確かなものが欲しいけれど、どこにも見当たらない。そんな生を、どうやって、たった一人で生きていけばいいんだ?そんなあまりにも真っ当なギモンに、誰も答えてはくれない。
気付いてしまったら、正気ではいられないか、もしくは悟りが必要になるから。
多くの人はそもそも気付かず、気付いてもあいまいに、うまく誤魔化して、目をそらして向き合わないように生きる。自分にも他人にも。
えてして、世間的成功や穏便な暮らしというものを手に入れるには、ごまかしに無頓着になるしかない。
そのことにギモンを感じないくらい鈍感に生きられる人間と、それを繊細にキャッチし誤魔化しきれない人間と、世の中には両方混在している。一人の中にも、両方の部分がある。せめぎ合いながら、漂流しています。
でも繊細で生きづらくても、孤独でも、小さな灯りをともし続けていこうとする人はいます。ましてや、モヤモヤするとき、自分と一緒に考えようとしてくれる人がいればそれだけで、生きるのがどれだけマシになることか。
正解がわからなくても、絶対でも、ずっとじゃなくてもいい(そもそもそんなものは無い)。
自分以外にも「モヤっとした何か」をわかる人は、どこかに生息している。しかし実際出会わないと、なかなかその存在を信じられない。自分だけがこんな思いをしていると錯覚し、寂しさと焦りで鬱屈する。
でも本当は、出会っている。
その辺に、時々いる。
ただ気付かず通り過ぎることのほうが多い。それはそれぞれが殻を作って、自分を守っているから。
主人公の二人が、臆病さに震えながら、互いの傷つきやすい柔らかな部分に触れ合おうと、無表情の下で必死にもがきます。おっかなびっくり、ひなと親鳥が卵の殻の内と外から、互いに突つき合うように。
不器用でも、お互い働きかけて、やっと殻から出られる。そしてやっと細い細い何かが繋がり、灯りがともる。こんなめんどくさいこと、人の中で減っていくのは仕方のないことかもしれません。でも人類には大事なめんどくささです。池松さん演じる青年の小さな成長が、大きく歯車を動かしました。
よくぞ、リアリティをもって最後までピントがブレずに描いてくれたなぁと、見終わって心から拍手...脚本、監督さん、役者さん、なかなか言葉では語りにくいテーマを、映画にしてくれました。ありがとう。見事な調和。カタルシス...
石橋静河さんは、ザ・映画女優ですね。TVドラマには、はまらない。でも器用になる必要はない。どうかこのまま進んでいって欲しいと思わせる魅力を感じました。
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