ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
全616件中、461~480件目を表示
事前に公式HPで予習した方が楽しめます!
ショートフィルム3本見てからサクッと観に行ってきました。35年前⁉️のオリジナルをリアルタイムで観ている世代ですが、映画の中でも30年経っていてその間に何があったのか予習できてスンナリ冒頭からブレードランナーの世界に浸れました。3時間近い大作で正直最初は観るのにびびってたんですが(笑)皆さんのレビューどおりの内容で大満足。特に音圧高めなので、映画館で絶対見た方良いと思いましたよ^_^
ディストピアアレルギー
SF映画の金字塔、待望の続編
ということで、35年ぶりの映画館には明らかに父親世代の観客ばかりで若者はほとんど見かけなかった
かくいう自分も前作公開時は生まれてもおらず、映画を見たのは小学生ぐらいだっただろうか
ほとんど記憶もない
そんな状態で鑑賞
冒頭のテロップでなんとなくストーリーは追えるようになったが、しっかり復習していればもっと楽しめたのだろうか
終始湿っぽい重く陰鬱な映像に抵抗を感じ
音楽らしい音楽もなく重苦しい不協和音ともとれるSE音に不快感を感じてしまった
そのあたり、「メッセージ」の監督らしさ故なんだろうか…
続編が描く都市部のイメージも前作から引き続いてのディストピア
退廃的なイメージの中に散見される日本らしさを観るとやはり違和感
この映画がなければ(さらには電気羊の原作が無ければ)、描かれる未来はどう変わっていたのか、そんなことを感じた
ストーリーはと言えば、何度も振り回されて予想を裏切るもので後味はいいやら悪いやら…
レプリカントものを見る度に複雑な感情を抱かせるが、この末路も退廃的な未来イメージ同様、定番になってしまっているということか?
結論、この手の映画は自分にフィットしないようだ。
レプリカントに電気羊の夢を見る権利はない
本作を観る前に復習として前作『ブレードランナー』を観た。そして本作でレイチェルの遺骨が見つかった時点でそれ以降の展開はほぼ読めた。
フィリップ・K・ディックの原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と映画『ブレードランナー』は全く方向性の違う作品である。
原作、映画ともにそれぞれの良さがあるが、本作は間違いなく映画『ブレードランナー』の続編である。
原作のリック・デッカードには妻イーランがいて、最後にはアンドロイドを殺すバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)の仕事にも飽き飽きしてしまうからだ。
本作はデッカードとレプリカントのレイチェルの間に子どもが生まれる設定になっている。
裏設定としてレイチェルは生殖機能のないネクサス6型とは違い、生殖機能があるのだとか。
しかし前作の時点でレイチェルが他のネクサス6型とどこが特別なのか明示されてはおらず、本作を展開するための後付けの設定のように思える。
またデッカードの夢の中にユニコーンが登場したり、2人が旅立つシーンでデッカードが折り紙のユニコーンを見つけたりするシーンから、デッカードもレプリカントである含みを持たせているらしいが、リドリー・スコット自身の考えも二転三転して定まっていない。
レイチェルに生殖機能があるなら、デッカードは人間になるのではないか?
むしろデッカードがレプリカントなら彼も生殖機能がある何か特別なレプリカントにしなくてはいけなくなってしまう。
前作で人間とレプリンカントの奇跡の愛を描き、その象徴としてユニコーンを登場させているのだから、その奇跡の結晶が子どもということで前作からの辻褄が合う。
ライアン・ゴズリング演じるKが植え付けられた偽の記憶から木馬を発見するが、この馬は前作の奇跡の象徴であるユニコーンを連想させる。
ただ角が折れた存在が馬と捉えるなら奇跡はもはや期待できない意味を込めているのだろうか?
なお本作と前作『ブレードランナー』の30年の空白を埋める3つの映像作品がYouTubeで観られる。
『カウボーイビバップ』で有名な渡辺信一郎が監督したアニメ作品『ブラックアウト2022』、本作でも登場したジャレッド・レト扮するウォレスが主役となる『2036 ネクサス・ドーン』、Kが冒頭で処分するレプリカント、サッパー・モートンが主役の『2048 ノーウェア・トゥ・ラン』である。後者2作品はともにルーク・スコットが監督している。
原作のデッカードの生きるLAは、核戦争後の絶えず放射性降下物が降り積もり動物が殆ど絶滅した死の世界であるが、今回『ブラックアウト2022』においてレプリカントが電磁パルステロで大停電を引き起こすのを描いたことで原作の世界に近付けている。
このテロによって食糧難が起き、レプリカントの製造も禁止されたことになっており、その食料難を遺伝子組み換え作物の大量生産に成功して世界を救ったウォレスが実績を背景にレプリカント製造を解禁させる。
その一端を伺えるのが『2036 ネクサス・ドーン』であり、『2048 ノーウェア・トゥ・ラン』はモートンがLA警察から処分対象になった理由を明かす前日潭である。
本作は原作や前作映画へのオマージュが見受けられる作品でもある。
前作でデッカードの相棒だったガフをKが訪ねる際、彼が電気羊の単語を口にし、折り紙で羊を折るのも、原作のタイトルや本編中の電気羊へのオマージュであり、折り紙もユニコーンの折り紙を連想させる前作へのオマージュに当たるだろう。
LA警察に帰還したKが作業する際に日本語が直接使用されるところは屋台の日本人親父とデッカードの会話へのオマージュであり、コカコーラや「強力わかもと」の電子看板は前作そのままである。
本作の始まりで目のアップと近未来の都市が交互に映し出される映像も前作の完全な焼き直しである。
またレプリカントのブレードランナーであるKという存在そのものが原作へのオマージュである。
「K」という名前自体が原作者フィリップ・K・ディックを連想させるし、原作にはフィル・レッシュというアンドロイドを処分するアンドロイドのバウンティ・ハンターが登場する。
しかもレッシュは偽の記憶を埋め込まれて自分を人間だと思い込んでいる。
原作でもデッカードとレッシュとは共同でアンドロイドを追いつめているので、本作のデッカードとKの協力関係に通じるものがある。
原作のレッシュは一般社会ではアンドロイドと認識されていないこともあってその後の消息がわからないが、Kは彼の化身にも見える。
原作のホバー・カーが前作映画では十分に徹底できず単なる近未来的な車でしかなかったが、本作の縦横無尽に空を駆け巡る「スピナー」は、ディックの意図したものがやっと映像上で実現されたのではないだろうか。
ただ前作映画から継続して1つ残念なことがある。
レプリカントが終始奴隷なことである。
前作と同様に反乱を起こしたり、前日潭でテロを起こしたりという設定も、地球外植民地へ先兵として派遣されることも、どこまで行っても彼らは奴隷階級である。
LA警察内の同僚からも「人もどき」と差別されるKも、ウォレスに忠実で「最高の天使」とおだてられていいように使われているラヴも人間様よりは一段下の存在である。
人間のデッカードとレプリカントのレイチェルの間の子ども、アナ・ステラインが病弱な希望の象徴という設定もなんだか気になる。
デッカードを白人、レイチェルを黒人やインディオなどの実際の奴隷階級にされた人々に読み替えるなら、アナは混血児を象徴していることになる。
実際に中南米のインディオは差別されないために白人(スペイン人)との混血を望み、メスチーソが多く生まれている。
そういう歴史的事実を思い起こさせる設定からは白人の傲慢さが感じられなくもない。
ディックの原作では実は影ではアンドロイドの方が絶大な社会的影響力を持っている反面、核戦争後の死の灰によって人類は体力や思考力の劣る人間に落ちる危険に常に脅かされており、相対的にどちらが上位の存在なのかわからなくなっているし、生理的欲求から肉体関係を結ぶことはあっても、両者がおためごかしに情を通じることもない。
原作の題名であるアンドロイドは電気羊の夢を見るかどうかは実際のところは人間側からの想像であって、彼らアンドロイドにとってはどうでもいいことのように感じられる。
しかし本作の内容ではレプリカントたちはできれば人間になりたい、もしくは同等の差別されない存在になりたいのである。
そう考えると、彼らが人間と同等に電気羊を飼うのはかなわない夢であり、それを夢見る権利すらないように思える。
奴隷の概念のない日本では『鉄腕アトム』に代表されるようにロボットやアンドロイドといえど人類の友達になる。
また前作はディストピア作品でありながら制作当時の時代背景が反映されているせいかそこまで暗い作品には感じないが、本作では監督や俳優たちも未来はバラ色じゃないと感じているせいか全体的な雰囲気が相当に重く暗い。
K役のライアン・ゴズリングの演技は相変わらず素晴らしい。
最近では『ラ・ラ・ランド』で想い起こす人も多いだろうが、筆者はあくまでもデレク・シアンフランス監督作品の『ブルーバレンタイン』や『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』、ニコラス・ウィンディング・レフン監督作品の『ドライブ』や『オンリー・ゴッド』での彼の演技を強く推したい。
また、ゴズリングの監督作品である『ロスト・リバー』も現代におとぎ話を織り交ぜた素晴らしい作品である。
ジャレッド・レトは『スーサイド・スクワッド』の新ジョーカー役とはまた違った味を出しているし、Kのバーチャル恋人ジョイ役のアナ・デ・マルスは最近『スクランブル』で観たばかりである。
そして殺しも厭わない冷徹な女性レプリカント、ラヴを演じたシルヴィア・フークスは本作の役作りのために1日6時間、6ヶ月をかけてトレーニングを積んだらしい。
確かに日本では資金面の問題からトレーニングに時間をかけられない現実もあるのだろうが、本当にほとんどの日本の女優とは覚悟が違う。
フークスはジュゼッペ・トルナトーレ監督作品の『鑑定士と顔のない依頼人』で老人を手玉に取る美女を演じていたが、体作りの成果からかまったく同じ女優に見えないほどだった。
その他、冒頭で処分されるモートン役が『ガーデイアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズで破壊王ドラックスを演じたデイヴ・バウティスタであったり、LA警察のKの上司ジョシは『ワンダーウーマン』ではアマゾネス将軍を演じたロビン・ライトであったりと、奇しくも昨今のヒーローものに出演経験のある役者を起用しているのも面白い。
CGのため多少動きに違和感があるもののレイチェル役のショーン・ヤングの登場も本作の見所の1つである。
本作の音楽を担当したハンス・ジマーも前作のヴァンゲリスを意識した曲作りに徹していたので、エンドロールで流れる曲からは前作を彷彿とさせる感覚を覚えたし、前作でデザインのほぼ全てを担当したシド・ミードもデッカードの潜伏先のラスベガスの造形に関与していたりと前作を観た者には懐かしい想いがこみ上げて来るものがあるだろう。
そして根底のところで首を傾げるところはあるものの、前作や原作に敬意を払いつつ本作をまとめあげた監督のドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕は見事である。
前作の『メッセージ』からこの監督を意識し始めたが、筆者はそれと知らずに過去にヴィルヌーヴの監督した『灼熱の魂』『複製された男』『プリズナーズ』『ボーダーライン』の4作品を観ていた。
特に『複製された男』と『ボーダーライン』は印象に残っている。
作風としては敵対する二者の間の葛藤を描きつつも、安易にリベラルには流れず距離を置いているように思える。現在はSF小説の金字塔『デューン 砂の惑星』の映画化を進めているという。
日本ではハヤカワ文庫から新訳版が刊行されて間もないし、過去にはデヴィッド・リンチの映画化監督作品が駄作と言われているだけに、どのような作品を魅せてくれるのか今から楽しみである。
「問いかけ」に必ずしも「答え」は必要だったか?
確かに『ブレードランナー』の続編を今作るならこれ以上ない出来だと思う。でもヴィルヌーヴは生理に合わない。荘厳で重厚で美麗でそして何より「堅実」で…ただ物々しくて鈍重で冗長ともいえる。ロジャー・ディーキンスの撮影の美麗さだけは否定のしようがないが…
俺はフォロワー作品を観てから本家を観た人間やけん『ブレードランナー』を正当に評価できてない自覚はある。だからこそ『2049』をフェアに評価できると思ったんやけど…前作の「問いかけ」に「答え」を出す必要はないと感じた。こういうのは『フォースの覚醒』だけでいいよ(若干ネタバレか?)…
ライアン・ゴズリングは毎度のことながら良かった。あの空虚な表情によって本作が「個人の物語」であり続けることができたというか…事態が大きくなり過ぎないのが『ブレードランナー』だなと思った
音楽は微妙だったな。前作の冒頭の「チャララララン♪」に匹敵するインパクトのある瞬間は皆無だった。ライアンが2回ピアノに触れるんやけど2回目の時の音がプロフェッショナルの「ポーン」とほぼ同じ音で面白かった
しかしドゥニ・ヴィルヌーヴはほんまに合わんな…はっきり言って面白くないんよな。なんでだろう?
前作が好きなら必見
35年前⁇
人類とレプリカントとの間に生まれた奇跡
前作から30年後のロサンゼルスを舞台に描かれています。
ライアンゴズリング演じる新型レプリカントのKはLA市警の警官であり旧型レプリカントの居場所を見つけ解体処分を命じられているブレードランナーという役柄です。
話が進むにつれてKの記憶が呼び起こされ自身の過去が徐々に解明されていくのですが、真相に迫りすぎ逆に追われる身となってしまいます。
中盤すぎから元ブレードランナーのデッカードや旧型レプリカントのレイチェルといった30年前の話と繋がり、果たしてKとはいったい何者なのか誰を守ろうとしてプログラミングされたのか…
やはり見所は独特な荒廃で雑多な世界観は前作ファンならたまらないでしょう。音も最近みたメッセージに似た重厚感があります。話の進行はスローテンポで上映時間も163分間と長いため興味を引かない方には苦痛かもしれません。
やはり前作を復習してから観に行くことをお勧めします。
スコット翁のsoulは何処へ
待ちに待った2049、予習の意味でブレードランナーファイナルカットは先週丸の内ピカデリーで観てきました。昔、ビデオでは何度となく観ては途中ウトウトしてしまい、もしかしたら通して観たのは初めてかも。
さて、2049、監督はドゥニ・ヴィルニーブ、撮影はロジャー・ディーキンス、音楽はヨハン・ヨハンソンと思いきやハンス・ジマー。私的には現在考えられる最強のタッグと言ってもいいかも。それはそれは期待も高まります。
2049のLA、その世界は正しくブレードランナーで描かれた2019の延長でした。但し、街は2019と比べると清浄化されたのか、かなりスッキリした様子。前作であった頽廃して死に逝く街のカタルシスは少しなりを潜めてたような気がします。しかし多くの日本語が聞こえてくる街はやはりブレードランナーの世界。ディーキンスさん、良い仕事しています。また街並みだけでなく、印影に富んだウォレス社、核の影響で死んだ街、頽廃した街の水が海に流れていく様、エルビスの前での銃撃戦、そして全てと対照的な雪景色。ジマーの音楽と相まってとても印象的なシークエンスがいっぱいありました。
SONYの広告はいけ好かないけど。
今度のブレードランナーはレプリカント。前作同様にアンドロイドのsoulとアイデンティティを求めて探す旅。そして奇跡とその奇跡を武器に世界の変貌させようとするレプリカント。Kも最後はAIだけでなく、より人間らしく人としてのアイデンティティを確立して行くのでしょうか。
折り紙の件りは嬉しかったですが、ハリソン君はハン・ソロに見えるし、レイチェルの場面ではローグワンのレイア姫のようにどうしても違和感がありました。
それにしてもJOIちゃんは是非手に入れたいAIです。
さて、スコット翁の近作はエイリアン・コベナント。こちらもアンドロイドが人間と同じ様に生命を生み出すことに取り憑かれて行く話でした。スコット翁のsoulは救われることはあるのか?
“K” 実存主義 キリスト教
本作はこれまでのSF映画と一線を画しています。
過去のSF映画は親子愛に訴えたもの(インターステラー)や世界危機を人類一団で乗り越えるストーリー(アルマゲドン、インデペンデンス・デイ)が主要でした。しかし、この映画は一味違います。
この物語はほぼ終始“K”を中心に進行します。しかし、それと同時に、彼の存在しない時・場所であっても、起こりうる出来事は着実に起こります。また、世界危機に関係する重大な情報を”K”が入手したとしても(あるいは入手できなかったとしても)、それは”K”という一人の存在にとって同様に意義のある事柄であるとは限りません。
彼の行動範囲はある程度に限定されてます。それは、現実世界での私たちの生活と全く変わりません。私たちの前には物理的であれ、精神的であれ、何かしらの「前提された壁」が佇んでいます。”K”は人間とレプリカントの対立の内に不条理にも漠然と存在し、それでも彼は自らの進むべき道を模索します。
映画観客は”K”を「近く」から見守るような立ち位置にあります。ただし、それは決して彼に同化することのない絶妙な距離です。彼は大衆映画のように遙か遠くにいる理想のヒーローでもなく、日常の風景に溶け込むエキストラでもありません。名を持たない彼”K”は、映画観客一人一人と同じくする一つの存在、どこまでも孤独で不安な存在者として観客の前面に現れます。
そして、映画の幕が閉じるとき、”K”という存在が反射し、私たち自身がこの存在者の「問い」を引き継ぐこととなります。
ところで、”K”の抱える「問い」とは何でしょうか。
「ブレードランナー」の社会において、レプリカントは人間に隷従する労働者として扱われています。そして、人間と違い、レプリカントには自身の存在理由(製造された理由)さえ問う余地がないように思われます。しかし、もし仮に、レプリカントが奉仕すべき対象やその理由を喪失したとすると、人間のように何ものかへの不安を感じ、そしてこのとき、彼らに自身についての問いが生じるのではないでしょうか。
他方、レプリカントの順従な行為を「他者への奉仕」と表現した場合、彼らは人間とさして変わらないように思われます。人間は他者を必要とする存在です。そして、他者への奉仕や慈悲といったものは「人間らしさ」の重要な要素でもあります。
こうして見ると、「人間らしさとは何か?」だとか「レプリカントに心はあるのか?」といった枠組みを超えて、一人の存在者として、「私は何者か?」「私は何を為すべきか?」という普遍的な問いに至ります。そして、”K”の選択はこれに一つの答えを提示しているように思われます。
”K”が最後に見出した「自由」は、不条理に抵抗して獲得するものでなく、寧ろ現前する不条理の中の一筋の道を「使命」として受け入れることで得られたものでした。これは愛・運命・奇跡などを絶対的な概念とする神秘主義や人類団結の正義を謳った全体主義などの決して到達できなかった実存主義的な領域です。
また、「天命」という観点から、本作をキリスト教的とも表現できるでしょう。しかし、この映画は「マトリックス」ほど都合良くはありません。少なくとも、”K”の出した結論は決して「神」に近い存在、特別な存在者ではなく、寧ろ彼の、あるいはこの世界の、第三の審級の不在に気づけたことが、彼の「自由」と「使命」の原点だったのではないでしょうか。
この映画は一見すると説明不足、あるいは中途半端な印象を観客に与えるかもしれません。しかし、それは、”K”の存在がどこまでも私たちの存在に近く、”K”の抱える問題がどこまでも私たちの問題と等しいということを伝えるための、意図的かつ必然的な演出だったのではないかと思われます。
カルト映画の世界へ
良い作品ではあるが、ちと物足りない。
正直な感想としては、良い作品ではあるが、ちと物足りない。
ストーリーや脚本は良いと思うが、美術が雑なのが減点。
あと、K役のライアンゴズリングの負担が大き過ぎる。
もう少し、他のキャラクターに振らないと。
前作は作品に深みを持たせるキャラクターとして、ロイバッティを演じるルトガーハウアーがいたが、本作品では、前日譚にあたる2036 ネクサス・ドーンで存在感を発揮していた、ニアンダー・ウォレス役のジャレッド・レトがその役割を果たしてくれると期待していたのだが、本編ではやたら落ち着き払っており、残虐性だけが変に印象に残ってしまった。ハリソンフォードは、もはやデッカードとハンソロが同居しているように思えてしまったし、結局、デッカードとロイバッティの両方のキャラクターをライアン・ゴズリングが一人で演じている気がして、魅力的なキャラクターが沢山出演しているのに、何だか勿体無いというか、ちょっと物足りない感じがしてしまった。出番は少ないが、デビッド・バウティスタは非常に印象に残る良い演技をしていた。また、アナ・デ・アルマスは男性の心をこの作品で鷲づかみにしたであろうし、ラブ役のシルヴィアフークスも良い働きをしていた。
もっとも残念なのは、美術だ。
特に、3体のレプリカントフッカーがKに近寄るシーンだが、かなり大事なシーンであるにもかかわらず、Kが食事をしている場所が、チープな作りの立ち食いフードコートに見えるし、廃品置き場のシーンも雑然としており、やたら汚さが目立つし、撮影の際の光の当て方とか、もうちょっと工夫が欲しかった。街全体のシーンの撮り方は良いと思うが、近くのシーン、細かい美術にもう少し気配りが欲しかった。前作は、その辺りが芸術の域だったので。リドリーも任せすぎは良くなかったのでは?
魂に触れる
奇跡を見たという男
その奇跡は希望
従順な作り物に響く希望
自分は何なのか
自分は記憶なのか
音と映像と物語、全て良かった。
ただし、アクション映画とは思えない。
この監督の映画を5本くらい見ていることに、今気づいた。自分は何、を揺さぶり掘り下げる映画が多い。
12月1日 再見
特別な存在でない事を知った後、主人公はデッカードを殺せという指示に従わず、身を呈して助ける。それは彼が自分の頭で考えた事だ。
音楽と風景、心象がシンクロしている。
前作をある意味超えている。
映画を見終わった直後から余韻がじわじわと来る作品だと思った。ライアン・ゴズリング(K)が探しているのは男の子ではなく、実際は女の子であることが終盤で判る。
TOHOシネマズ伊丹で映画「ブレードランナー 2049」
(Blade Runner 2049)を見た。
監督のドゥニ・ビルヌーブは実力を高く評価されている人で、
監督作品としては自分は「メッセージ」(2017年公開)と「ボーダーライン」(2015)を見たことがある。
ロビン・ライトさんは元ショーン・ペンさんの奥さんだが、個人的には「フォレスト・ガンプ一期一会」(1995年公開)が好きな作品。
ワンダーウーマン(2017年公開)にも出ていたが、実年齢よりも老けて見えてしまう。
映倫区分がPG12なのは残酷な殺人の場面が複数あるからかもしれない。
作品に出てくる未来の車がかっこいい。
未来の車には偵察用のドローンが付属している。
細部もよく作りこまれていると思った。
ストーリーは細部にわかりにくい部分もある。
注意深く見たほうがいいかもしれない。
ライアン・ゴズリング(K)が探しているのは男の子ではなく、実際は女の子であることが終盤で判る。
ハリソン・フォードの存在感が大きい。ハリソン・フォードは実年齢(75歳)よりも若々しく見える。
「スター・ウォーズ フォースの覚醒」でキャリー・フィッシャーが実年齢よりも老けて見えたのとは対照的だった。
映画を見終わった直後から余韻がじわじわと来る作品だと思った。
上映時間は163分。
少し眠くなる瞬間もあったが、実際の上映時間ほどの長さは感じなかった。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
スローペースな映画
面白いと聞いて鑑賞。
ストーリーのながれがスローペースで、
シーンの切り替わりが多く
淡々としていたこともあって
登場人物に感情移入しづらかった。
所々ウトウトしながら観ていたせいもありますが(笑)、
・主人公のオリジナルになんで出会えたの?とか
・序盤どうして主人公が母親の亡骸を偶然発見できたの?とか
・孤児院で情報が抜き取られてたのにどうやって自分の素性がわかったの?とか
色々疑問が残されててスローペースな割に話の流れが雑な気がしました。
あとハリソンフォードと主人公の親子愛が
盛り込めたりしたら感情移入できたかなあ、とも。
前作の方が面白かったと聞いたので
テイストは変わらないみたいですが、
せっかくなので観たいと思います(^^)
若干多めの4
全616件中、461~480件目を表示