「人間の証明」ブレードランナー 2049 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の証明
リドリー・スコット監督の傑作SF『ブレードランナー』。
その30年ぶりの続編が遂に公開! おまけに、
監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ、主演ライアン・ゴスリング、
製作リドリー・スコット、共演ハリソン・フォードという
ファン垂涎、海老8本入り天婦羅うどん並みの超豪華布陣!
(2つで十分なのに!)
2時間45分という長尺にはやや躊躇したが、実際に観ると
その贅沢な映像世界とエモーショナルなテーマに目が釘付け。
...
とはいえ、最初に不満点から書いてしまおうか。
終盤のアンドロイドの反乱が描かれないのは、
この映画がアンドロイド“K”を巡る私的な物語だ
としてもフラストレーションが溜まる。
盲目の創造主ウォレスのその後が描かれないのも
フラストレーションが溜まる。
オリジナルを知る故、「アクション映画ではない」と
割り切って観てはいたが、それでもカタルシスを
得るには最後の海辺の決闘では物足りず、フラ(以下略)。
あとは、アナが自身の記憶を基にアンドロイドの
記憶を制作していたなら“K”以外のそれにも彼女の
何らかの記憶が埋め込まれていたはずで、ならば
“K”以外のアンドロイド型ブレードランナーの記憶
についても触れてほしかった。登場しなかったが、
部隊名がある以上はたぶん居るよね、“K”以外にも。
...
ここからは気に入った点。
まずはその映像世界について。
オリジナルより30年後が舞台ということで世界は
ますます開発と荒廃と貧富二極化が進んだと見え、
2049年の街並みは電子回路のように無機質で、幾何学的で、
降り続ける雪も相俟って質の悪いエナメルのように灰白い。
猥雑な色合いのネオンと巨大なホログラム広告、
そのきらびやかな内容とは裏腹に、街行く人々の
姿はまるでスラムのように汚れてぼろぼろだ。
で、この荒涼たる退廃美にエレクトロサウンドが加わると
「ほあぁ……もっとずっとこの混沌の未来世界と
ズゥンと腹に響く重低音に浸っていたい……」
となる。ならない? なるんである(断言)。
琥珀色の様式的デザインと波の反射光が美しい
ウォレス社内部や、汚染地域のごみ山のような風景など、
『ブレードランナー』続編としての世界観は見事。
オリジナルを知る人間にはニヤリ&仰天のシーンもあり、
デッカード再登場(罠仕掛けすぎ)は言わずもがな、
ユニコーンおじさん(何だその名前)に加え、
まさかまさかのレイチェルも再登場!
(あれはCGだそうだが、ショーン・ヤング本人も
撮影現場でアドバイザーとして参加したらしい)
...
世界観の継承もだが、テーマの継承も肝要だ。
オリジナルで描かれたテーマは、
生きたい、何かを感じていたいと切望する
アンドロイド達を通し、『人間である』ことの
定義とは何かを問うものだったと解釈している。
『ブレードランナー2049』もそのテーマを継承。
主人公がアンドロイドであることを前提とし
(デッカード=アンドロイド説は明確には
示されていなかったしね、今回までは。)、
魂を否定される主人公が自分は何者かを探る展開、
さらには肉体すら持たないAIの感情をも描くことで、
より具体的に『人間とは、魂とは』を問う内容となっている。
...
ジョイについて。
”ジョー”を愛し続けた人工知能ジョイは大量生産品だった。
”ジョー”への愛情もそうプログラムされていたからに過ぎない。
だがそれでも、巨大なホログラム広告のジョイに接した
”ジョー”は、「これは彼女では無い」と感じた筈だ。
そしてジョイ自身も、自分が”ジョー”へ抱く感情が
偽物だとは考えていなかったと僕は思う。
(それはそのままデッカードとレイチェルの関係でもあるから)
極個人として見れば彼女は”ジョー”を本気で愛していたし、
雨粒を、世界を感じたいと(ロイのように)願っていたし、
肉体を持たない自分でも”ジョー”を悦ばせたいと、
自分の心を殺してあんな哀しい手段を取った。
大量生産された感情は本物では無いか。
そんなまがい物の感情には価値も無いか。
本当にそうだろうか。
言ってしまえば人間も、生まれた時からの好き好みは
遺伝子配列であらかじめ設定された結果かもしれない。
だがその先の、『大切なものの為に何を懸けるか』、
それは自分自身の選択なのではないか。
...
映画の最後、
恋人を失い、自身が特別である事も否定され、それでも
”ジョー”はデッカードを救い、愛する娘と引き合わせた。
なぜ俺の為にそこまで?というデッカードの問いに
”ジョー”は答えない。だけど思うに、理由はきっと、
『俺が人間ならそうするから』
誰かを愛し、それを失う痛みを知る。その痛みを
共有した他の誰かが幸せになる為に、己の命を張る。
こんな美しい不条理を為すのが人間でなくて何だと言うのか?
モートン、アナ、デッカード、そしてジョイとの出逢いを通し、
アンドロイドとして産まれた”K”は”ジョー”となった。
AGTC(遺伝子)でも0/1(コード)でも無い。
生まれでも無ければ製造過程でも無い。
人間であるから人間なのではなく、
人間らしくあろうとするから人間。
己自身が何を想い、何を為すかこそが人間なのだ。
...
どうしてもエンタメとしての見応えを求めてしまう性分ゆえ、
前述のフラストレーションは感じた訳だが、
『ブレードランナー』続編としても
『人間とは』を問う物語としても見応え十分。
大満足の4.0判定で。
<2017.10.28鑑賞>
.
.
.
.
余談:
しっかしオリジナルの舞台が2020年だったから
遂に時代が追い付いちゃった訳ですね。ガッデム。
映画ほど悲惨な未来にまだなっていないのは救いだが、
宇宙開発も、自我を持つアンドロイドやAIも、
もうちょっとだけ先の未来かしらね。
車もしばらく、空を走る予定も無ぁさそうさ。
(どっかで聴いたぞそのフレーズ)
オリジナル版は見たことがないのですが、この作品でも日本語表記が入り乱れてますし、当時から考えての未来(2020年)も日本がクールな存在だったんでしょうか。いろんな映画で近未来の映像を見ますが、街並みはバンコクのような東南アジアのバブリーな感じ、表記はハングルや簡体字もよく見るような。2049年はどうなってますかね。リニアも動いて、車も空を飛ぶのでしょうか。
タカさん、
浮遊きびなごと申します。
直接返信できないのが残念ですが、
コメントありがとうございました!
自分なりの解釈でしたが、そう言って
いただけると嬉しいです。それでは!