「興奮冷めやらぬ感想と少し冷静な感想を」アベンジャーズ エンドゲーム cokeman_2さんの映画レビュー(感想・評価)
興奮冷めやらぬ感想と少し冷静な感想を
大阪と名古屋にてIMAX3D字幕版を2度視聴。
感想を簡潔に表すと以下のような感じ。
「この映画は作れたこと自体が奇跡!」
「CGがやばい!演技もやばい!」
「深い配慮とメッセージ性がある」
「いい映画ゆえに問題提起もしたくなる」
ここからはそれぞれ説明を。
『この映画は作れたこと自体が奇跡!』
まずこの映画はマーベルシネマティックユニバース(MCU)という一連の作品の22作品目で一応の完結作ということで、シリーズをどこまで観たかで楽しさがいくらでも変わる。
・アドレナリンが出る→過去作不要
・事態が理解できる→前作のインフィニティウォー
・流れが理解できる→ルッソ兄弟監督作品
・アクションからドラマへ→全MCU作品
・ディテールを楽しむ→コミック
過去作不要でアドレナリンが出るとは言っても、例えば終盤の”Avengers Assemble!”のセリフを聞けた瞬間に分泌される快楽物質量はコミックからのファンとそうでない人とでは桁違いだろう。
よって、できる限りMCU作品を見ておいた方が楽しめる作品なのは間違いない。
また、全編IMAXカメラで撮影されたことからもできるだけIMAXシアターで見るべし。
とにかく今までの21作品が10年の時をかけて、個々のストーリーとは別に、本作の一点に向かって収束し、これ以上にない見事な着地を決めた。
映画史上に残るこの奇跡の裏には、交渉とスケジューリングの鬼がいたに違いない。
監督の違う作品群を整合のとれた脚本にし、役者のスケジュールと収益性の高い公開日とネタバレが起きないような順立てでコンスタントに公開してここまでたどり着いたことは奇跡としか言いようがない。
同じディズニー傘下でもマーベルよりはスターウォーズファンとしてはマーベルファンが心底羨ましい。(スターウォーズの現状……)
『CGがやばい!演技もやばい!』
本作で見落とされがちなものの一つに役者の演技力があると思う。特に表情による感情表現が素晴らしい。
・ナターシャがソウルストーンのために投身する際の「let me go」。
・トニースタークの「I am Ironman」までの溜め。
など各名シーンでの役者の完璧な表情のほか
・量子世界から帰還したスコットが少年に何が起きたのか尋ねた時の振り返った少年の表情
など1カットしか登場しないような役者までもが、唸るような演技を見せてくれる。
またCGの書き込みっぷりには狂気を感じる。所々立体物がテクスチャで済まされている部分が目につくが、ブラックパンサーで散々叩かれたような半端なCGはどこにもない。「映画におけるCGの適切な使い方は、その配分が鍵だ」と言われることもあるが、9割CGでゴリ押していくアクションシーンはもはや視聴する人間の処理限界を超えて圧倒していく。
クライマックスには、ドクター・ストレンジのポータルから大量のCGアニメーターが出てくるのが俺には見えたぜ……。
『深い配慮とメッセージ性がある』
本作は表面的にはヒーロー映画だが、ヒーローを描く上で案外冷静な描写を意識している。言ってしまえば一歩引いた視点から物語を描くことで、視聴者がガチオタク化するのではなく、映画から得た経験を現実に反映できるような余裕を与えてくれる。それは下記のようなプロットに見られる。
・実は一匹のネズミ(ミッキーマウス)の偶然で勝利したこと。この偶然がなければディズニーもアベンジャーズの勝利もなかったわけで、「努力をしても成功するとは限らないけど、成功した人は皆努力している。」的なメッセージは、現実に失敗した人を絶望から立ち上がらせてくれる、楽観的だが救済的なメッセージを秘めている。
・男女差別、LGBTQへの配慮。女性ヒーロー集合シーンだったり、具体的な描写はないけどロキやヴァルキリーはゲイだったり、何気に配慮が細かい。
・自己中だったアイアンマンが他人を救うために自己犠牲し、大義のためだけに生きてきたキャプテンアメリカが恋人一人を愛する人生を選びなおし、国王としての象徴と責務がいつしか鎖になっていたマイティソーが自分自身の選択で自由を得る過程は、「人は変われる」ということを様々な形で教えてくれる。見た人には確実に生きる勇気を与えてくれるのだ。
『いい映画ゆえに問題提起もしたくなる』
この映画が名作なのは間違いないが、小さくない問題を残してしまったように思う。
・宇宙というスケール感の喪失
多くのSFでは宇宙の広がりに対し人間のちっぽけさを描写したり、人間には理解し得ない”higher being”を登場させたりする訳で、実際それが正しい宇宙の描写だと思う。一方で本作では宇宙の命運が地球の何人かのヒーローにゆだねられておりそのスケールの差は違和感しかない。
キャプテンマーベルの「あなた達のようなヒーローがいない星がたくさんあるの」というセリフはその違和感を補完しているようで逆に強調してしまっている。
・科学技術と人間賛美
神の世界でアサルトライフルが猛威を振るったり、サノスの母艦の空爆力が人一人殺せない程度だったり、トニースターク含む人間の科学者がタイムトラベルやらナノ技術やら量子技術やらありとあらゆる科学技術の発明を担ったりと、違和感しかない。
映画におけるこういった描写は小さくない問題だと思う。
子供達には、「人間はなんでもできる」とか思って欲しくないし、宇宙の果てを正しく想像して、そのスケールに胸を締め付けられるような恐怖感を味わってほしいと思っている。
だがこの映画を見た子供達はどういった思想を得るだろうか。この映画が子供達の発想の限界を決めてしまわないだろうか。
本作は”一般人が想像して一番ワクワクできる範囲での”スペクタクル超大作になってしまっており、本来「宇宙の生命の半分が死ぬ」とかいうイベントをガチで描こうと思ったらもっと訳わかんないレベルでハイパーウルトラスペクタクルに描かざるを得ないはずなんだが……。