アスファルト : 映画評論・批評
2016年8月30日更新
2016年9月3日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
打ち捨てられた場所に宿る、はっとする美しさを掬いとる群像劇
アスファルトの道路は灰色で、味気なく、人工的だ。でもそんな醜いものでもふと、美しく見えるときがある。たとえばそこに一筋の夕日が注ぐとき。雨上がりの、露に濡れた車道がきらきらと黒光りするさま。汚いと思っていたものにはっとするような美しさを感じたとき、人はどうしようもなくそれが愛おしく感じられるのではないか。
この作品に登場する団地は、アスファルトのように醜い。郊外の人けのないエリアにぽつんと佇む、落書きだらけの建物だ。そんな場所を舞台に、人々の記憶から忘れ去られたような3組の男女の物語が描かれる。空からNASAの宇宙飛行士が不時着して、息子が刑務所にいるアラブ人母の世話になるかと思えば、自分のことしか眼中になかった中年男は孤独な看護婦に恋をし、アル中の落ち目の女優は向かいに住む鍵っ子の若者に助けられる。ありふれた話と突飛なエピソードが交差しつつ、ささやかな交流の物語を紡ぎだす。そこには、ジム・ジャームッシュの詩情とアキ・カウリスマキの哀愁に、調子っぱずれのフランス的なユーモアを混ぜ合わせたような世界が息づいている。
さらにこの寡黙なドラマに一層独特の雰囲気を与えているのが、ときおり響く奇怪な物音だ。住民たちはそれが何の音だかわからない。あるときは子供の鳴き声のように聞こえ、あるときは虎の吠え声のようにも聞こえる。物悲しくもあれば、ちょっと不気味でもあるその音は、ラストのおちで答えが判明するのだが、観る者に豊かなイマジネーションを喚起し、映画に寓話的な広がりをもたらす。
アラブ人母がせっせと作るクスクス料理は、言葉の通じないアメリカ人宇宙飛行士に、家庭のぬくもりと人の情を思い起こさせる。サミュエル・ベンシェトリ監督は、人々のジェスチャー、息づかい、眼差しといったもので、言葉よりも強く繊細に、人間の感情を映し出すのが巧い。寂れたアスファルトの団地が、最後にはなんとも素敵な場所に見えてくるのである。
(佐藤久理子)