「「機械の巨人よ、自らの意志で鬼と戦え」」ひるね姫 知らないワタシの物語 sewasiさんの映画レビュー(感想・評価)
「機械の巨人よ、自らの意志で鬼と戦え」
(追記)「鬼」は台頭が目立つ海外の新興メーカーだと書いてましたが、作中ではそのような描写は全くないので改めました。
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パリオリンピックや夏休みの影響か、このタイミングで配信が開始された。今の時代に必要な、メッセージ性が強い作品。配信開始を待っていた。
冒頭から何度も登場する翼のエンブレム。モデルとなった自動車メーカーがあるとすれば、それはT社やN社ではなく、H社だと思われる。H社とハートランド王国のイニシャルは共に「H」。もしT社がモデルだったら、王国はもう少し実験都市っぽいテイストになっていただろう。ちなみにそれで言えば「アイの歌声を聴かせて」という作品がそんな感じで、あれも母親が天才エンジニアという設定だ。
そして、H社のスローガン「The Power of Dreams(夢の力)」には、夢は現実を変える力があるというメッセージが込められている。CMで刷り込まれて覚えている人も多いだろう。
この作品にはロボットやビジネスジェットが登場するが(ビジネスジェットは渡辺のセリフとして出てくる)、これもH社が実際に手掛けてきたことだ。ASIMOやHondaJetがその例だ。ASIMOの開発経緯はよく知らないが、HondaJetの独特且つ意外にも実用的なデザインは、エンジニアの藤野氏が夢の中で思いついて、周囲の反対と外部からの嘲笑にもまれながら実現したものだと言われている。研究開発の世界でおおっぴらな嘲笑なんて実際なかなかない話だが、専門家から見ると相当に奇抜な話だったらしい。
もしかすると、H社がスポンサーなのでは?と疑問に思い調べてみたが、それらしい情報は見つからなかった。よく見るとマツダの車もいい感じでちょくちょく出るのでH社はそれほど関係ないのかもしれない。
仏壇に供えられたキュウリの馬を見て、「お盆には早くない?」とココネが疑問を呈するシーン。この演出には意図が感じられる。父親であるモモタローが、亡くなった妻イクミに対して「今日はお前に話がある。お盆はまだ先だが今年は早く帰ってこい」と語りかけているのだろう。その後、モモタローはタブレットを持って墓に向かう。
もし仮に、こういう場面があったとしたら。映画の最後に、墓前で手を合わせて「無事に片付いたよ」と報告する2人の前に、イクミが精霊として現れて、「約束どおり、ピンチから救うために帰ってきたよ」と言えば、誰もが理解しやすいエンディングになっただろう。つまり、すべての奇跡は、亡くなったはずのイクミの力によるものだったと。ココネが高3の夏になって意味ありげな夢をよく見るようになったのも、天から見守っていたイクミがそうしていたから、と。
しかし、そのような演出がなくてよかったと思う。
種明かしをしないことで、「世の中には不思議なこともある」という、ふんわりと後味の良いエンディングに仕上がっている。そもそも最近の神山監督はリアル志向で、奇跡は否定しないけど、ファンタジーを物語の軸にしない。モリオも不思議な夢を見たこと自体は否定しないが、夢の中ですら「俺はリアリストだから」と言っている。だからこそ奇跡が引き立つ。神山監督は、こういう引き算演出がとてもうまい。
それにしても、緊迫した高層空間を切り裂くように派手に登場したハーツにはビリビリと痺れた。ハーツはモリオの命令を無視して東京に現れ、ココネの命を救った。まるで自分の意志で行動しているかのようだった。「帰れ」と指示されて向かった先がなぜ東京だったのか、それは自由に想像するのがいいと思う。自分なりの合理的な想像はあるが、ここでは書かない。
時々映る自動運転のナビゲーション画面をよく見ると面白い。デバッグ表示になっており、プログラミングコードがそのまま背面に映し出されている。ファームウェアのバージョンを見ると、ハードウェアとの連携の模索を200回近く繰り返したことが伺える。
エンシェンがジョイに初めて魔法をかけるシーンでは、タブレットのコードをよく見ると、緯度経度を基に動かそうとしていることがわかる。ちなみにエンシェンが入力しているのは普通の文章であるプロンプト文で、それを解釈してプログラミングコードを生成している感じになっている。生成AIといえば2022年秋のChatGPTが初めてだが、この作品は2017年の春だ。神山監督の想像力がヤバい。
「奴らが狙っているのはオリジナルのコードだ」という話が何度か出てくるが、これはプログラマーでないと分かりにくいかもしれない。コンパイルされた実行ファイルは簡単にコピーして使えるけど、設定で対応できる車種が限られている。新開発の車でも動作するようにパラメータを追加して修正するにはオリジナルのコードが必要。隠していたわけではなく、プログラムコードというのはそういうもの。
だったらモモタローに相談してコードをコピーさせてもらえばいいが、そもそも会社を乗っ取ろうとしている渡辺は田舎町のエンジニアなんかに意図を知られたくない。コードだけでなくドキュメントも大量に保存されているだろうし、本人のメールのやりとり履歴も参考になるだろうから、タブレットごと欲しい。頭が悪い悪党が考えそうなことだ。
「鬼」は、慢性的な停滞が目につく日本企業に対する、世間の厳しい声の象徴だ。日本企業はハードウェアには絶対の自信を持っていたが、このままだと淘汰され、旧車マニアにしか見向きされなくなる。考え方が古すぎるのだ。
鬼を煽るように、ベワン(渡辺)が呪文のようなものを送りつける。電線を伝ってるイメージなのでインターネットか。鬼の勢いはさらに激しさを増す。
巨大ロボ「エンジンヘッド」も、外見は最新鋭なのに、中では旧日本海軍のような軍服を着たパイロットが複数人で必死にペダルを漕いでいる。パイロットは自分の意志では戦えず、指揮官の指示がないと歩くことすらできない。その指揮官の指示だって、伝声管なんて古いものを使ってる。そして左足を動かすチームと右足を動かすチームが別々だ。
指示を出して「了解しました!」とか言ってる間に鬼の攻撃を受ける。そりゃそうだ。
「JTC」・・・企業の大小に関係なくしぶとく残る、日本独特の古い組織体質を皮肉った演出だ。
普遍的な値打ちを持つよいモノは古くてもいいが、企業である以上、守るべきものは守らなきゃいけない。真に守るべきものを守れてなくないか?企業には、関わる人の人生を預かる重い責任がある。
イクミが主張していたのは、単に「新しいか古いか」の問題ではなく、目指すべきものは変わらなくても、あり方は時代に合わせて変えていく必要があるということだ。車を作る側も、車に乗る側も、多くの人々の生活がかかっている。時代とともに変わる人々の生活に、古いものをそのまま愛する余裕のある人は少ない。そして、そのような人々もいずれは高齢になり、どれほど車が好きでも、思うように運転できなくなるだろう。人も時代も変わっていく。車を必要とする人のために車を作り続けていくには、変わり続けていく必要がある。
イクミは、そんな「鬼」に対して、作り手としての「ココロネ」を示したいという強い思いを持っていた。それは父親である「一心」から受け継いだものであり、娘には「心羽」という名前をつけた。「ココネ」と読む。
ココロネひとつで人は空も飛べる。
最近のH社のイメージCMを見てると、そんな気がしないか?
あのイメージCMで使われてるのは、洋楽っぽいけど、これもたしか何かのアニメで使われていた音楽だ。飛翔感を感じる、いい歌だ。
心斎橋のガソリンスタンドにいた人たちは実は味方だったが、こそこそと怪しげな振る舞いのため、モリオはハーツを囮にして追跡を振り切った。渡辺はココネの居場所を突き止めるのに四苦八苦していたが、ガソリンスタンドにいた彼らはハーツを通じてココネの動きを正確に把握していたフシがある。
新大阪駅でタブレットを使うシーンは、もう少し説明があればわかりやすかったかもしれない。SNSアプリで「そこにいろ」と投稿したのは渡辺だが、新幹線のチケットを用意したのはかつての仲間たちだ。ココネにとってはまるで魔法のタブレットだ。いっけん分かりにくいけど、「東のエデン」のノブレス携帯を連想するとピンとくる。神山監督ならではの演出と分かって楽しめた。
ココネは徹夜のマージャンに付き合い、「バイト代」をもらったが、それはほとんどガソリン代として消えてしまった。それでも新大阪に向かったノープランぶりがココネらしくて面白い。結局、何とかなったし、美味しいお弁当も食べられた。
ココネは新幹線の中でモリオから説明を受け、初めて祖父の顔を知る。そして東京に到着、祖父である志島一心会長と、公園で偶然に出会う。
こんな偶然の出会いがあるだろうか?
何者かに導かれたような、不思議な力が働いていたと考えるのが楽しい。
会長は、ジョイ(ココネが持っているぬいぐるみ)を見て、彼女が自分の孫であることに気づきつつも、気づかないふりをして昔話を始める。
「人生は短い」
「そうかなあ」
祖父と孫の他愛のない会話。二人が話をするのはこれが初めて。
じんわりと感じるものがある。片方は娘を、片方は母親を失っている。
複雑な思いはあるだろうが、血がつながっている二人が並んでいる。
研究に没頭してなければ死ななかったが、ココネが生まれることもなかった。
ココネは、祖父の長い昔話を聞きながら、いつの間にか寝てしまった笑
この映画は、三世代にわたる親子の物語でもある。
研究に没頭し事故で亡くなった母親。
父親らしいことができてない父親。
そうかもしれないが、この親にしてこの娘あり。
似ているのだ。それでよいではないか。
モモタローは、イクミが書いたコードを、志島自動車だけでなく国内の他メーカーにも解放した。イクミが正式にリリースできなかったコードは世界に委ねられた。なんなら、オープンソースとして公開してもよいかもしれない(話がややこしくなるので省略)
ハーツがベイマックスに似ているのは、デザイナーが同一人物だから。ベイマックスの世界観がつながっているように感じられて面白い。ベイマックスも大好きな作品だ。
高畑充希のネイティブな岡山弁(広島寄り)もよかった。
地方都市の小さな自動車整備工場で、志を持って仕事をしているエンジニアたちが、実際にたくさんいるのだろうと考えると熱い。こうした人々が、自動車に頼らざるを得ない地方都市の高齢者の生活を守るために活躍する時代が、すぐそこまで来ているのかもしれない。
付け足しで、渡辺(ベワン)について。自分の出世のために身内から手柄を奪い取って蹴落とすキャラだけど、現実にそういう人がいるかどうかは別の話。悪党だけど愛嬌たっぷりに描かれているし、物語を面白くするために差し込んだキャラとして見る。渡辺みたいな人が実際いたとしても、あの間抜けな性格なら勝手に自滅する。今の時代、さすがにそこまで腐ってない。
「志島自動車の自動運転車はオリンピックまでに完成しませんでした」
渡辺が最後に発した呪文の正体だ。送信先は誰なんだろう、文春の敏腕記者あたりかか?画面を止めてよく見てみると、呪文の下に、小さな文字で何か書いてある。近寄って見たら、どこかのニュースサイトっぽい掲示板のURLだ。つまりヤフコメの匿名野次投稿みたいなもの。何かすごい呪文かと思っていたが、知恵が足りないせこい男だ。というか神山さん、ここはもう少し分かりやすくてもいいと思うぞ。
ちなみに、今の日本の自動車メーカーは昔とは違うと思っている。最近は認証不正が取り沙汰されているが、あれはまた別の問題。
現実のバリオリンピック2024も無事に閉幕。作品としては、魔法の力で成層圏へ飛び立ったトリコロールカラーの新型マシンヘッドも印象に残っている。いいタイミングで感想を書くことができた。