「一期一会」花戦さ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
一期一会
萬斎ワールド全開の映画である。この人の狂言の舞台を見たことがある人なら、映画の演技も舞台の演技と同じであることがすぐわかる。喜怒哀楽を極端に表現することで笑いや涙を誘う演技だ。
この作品では、そこに茶の湯の侘びや寂びも加わるので、間がとても大事になる。ひとつひとつのシーンがゆっくり、ゆっくり進むのだ。それは茶の湯で主人の手元の動きを楽しみながら、茶の出来上がりを待つのに似ている。急いてもいけないし、気を抜いてもいけない。
ジェットコースターのようにストーリーが進んでいく最近の映画に慣れた目には、面食らうほどのスローペースだが、やがてそのペースが心地よくなってくる。茶の湯の席で流れる時間が、日常の時間から隔絶されているのと同じだ。
茶の湯の要諦は一期一会だ。一服の茶は無造作に飲まれて終わる。しかしその茶室でその一服の茶を飲むに至るためには、それまでの経緯があり、主人との出会いがある。主人にとっても、その客をもてなすに至った経緯がある。来し方を振り返り、行く末を案じる互いの人生の一瞬の重なりを、一服の茶に味わうのが茶の湯だ。
それは、やはり短期で終ってしまう活け花にも通じている。消滅する美を人生の一瞬に重ねて、無限の時間と空間の中でその花を活けるに至った縁起を感じる。花の命と自分の人生が重なったときにだけ、その花を愛でることができるのだ。花は散るから美しい。
この作品にはたくさんの出会いと、たくさんの別れがある。そのすべてが一期一会であり、主人公は出会う人、別れる人に「おおきに」を繰り返す。ひとつひとつの「おおきに」が全部異なるニュアンスで表現されるのは流石に萬斎である。佐藤浩市の利休とのやり取りにある「間」に、侘びと寂びを感じることで、観客はこの作品との一期一会を果たすことになる。