LION ライオン 25年目のただいま : 映画評論・批評
2017年3月28日更新
2017年4月7日よりTOHOシネマズみゆき座ほかにてロードショー
時間の挟み撃ちに遭って七転八倒する主人公を、デヴ・パテルが深い洞察力を以て好演
駅に停車中の列車内に身を潜め、ついつい居眠りしてしまった5歳の少年が、運悪く、その車両が回送列車だったためにノンストップで遙か遠くの町まで運ばれてしまう。さらに運悪く、降り立った町の人々が話す言葉が少年の方言とは異なっていたために、彼は孤児となって都会を流離うことになる。インドから始まる実話を検証する映画は、数多あるホームカミングもののフォーマットを踏襲するかと思いきや、主人公が再び家路を辿るのは何とそれから25年後のこと。そのタイムラグにこそ物語の鍵がある。
その後、オーストラリアのタスマニアで暮らす養父母の元に引き取られ、今はメルボルンの大学で経営学を専攻する主人公のサルーは、近頃、記憶の中に浮かんでは消える故郷の村の残像に苦しんでいる。いったい自分は何者なのか!? 不明瞭な過去に否応なく引き戻されるサルーと、未来に向けて共に時間を紡ごうとする養父母や恋人たちのせめぎ合いは、まるで人生そのもの。今という時間は、過去と未来、その2つの空間に挟まれているからこそ、均衡を保てているという意味で。
サルーが未来はおろか現在与えられたあり余る幸福をも拒絶して自室に閉じ籠もってしまうのは、過去の喪失によって行場を失っているからだ。この一見身勝手にも思える、時間の挟み撃ちに遭って七転八倒する主人公を、デヴ・パテルが深い洞察力を以て好演している。自らもインドにルーツを持ちながら、ロンドンで生まれ育ったパテルが、熱望してサルー役を手に入れたのは、恐らく似た喪失感を味わってきたからではないだろうか。
一方、養母は、自分の思いとは裏腹に手元から離れていこうとする息子に対して、決して、医学的理由や単なる同情から養子縁組に踏み切ったのではないことを、渾身の言葉で伝えようとする。ある日、雷に打たれたように啓示を受けたからだと! そんな生まれながらに神のような女性を、ニコール・キッドマンが演じてパテルと並んで今年のオスカー候補に名を連ねた。恐らくキッドマン自身も、かつて自らも実践したハリウッドセレブによる養子縁組の深層に潜む、真のボランティア精神とは何かを、この役を通して伝えたかったのではないだろうか。
ラストに訪れる25年目のホームカミングが圧倒的な感動と共に語られがちな本作からは、劇中の人物と同じく、自己の証明に真摯に取り組んだ俳優たちの切実な思いが伝わって来るようだ。
(清藤秀人)