たかが世界の終わり(2016)のレビュー・感想・評価
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ドランは本当に不器用なんだろうなと思う
その証拠に
わたしたちにも
キャラクターの感情が
ハッキリとは伝わらない
彼らがなにを思い
その行動をとるのか。
それにしても
あの4人が待ってる家ってのは凄いな
ノマノマでママに付き合う
レアセドゥが最高に可愛かったです
みんな上手だったなあ
ところどころMVを見てるような
気分になった
今回初めての映画館だったけど
めっちゃ雰囲気良かった!
椅子はまあおいといて
近くて遠い 家族
話していても、相手を見ないような一方通行の会話が延々と続く。
憎み合っているわけではないのに、愛しているのに、わからない、話せない、くつろげない… 家族という幻想、思い込み?に振り回されているように思った。
どうしてわざわざ不幸になりたがる?としか思えない。それぞれの俳優さんたちに存在感があり、重く暗い話の中で、感情を揺さぶられた。
いい映画を見ると何日か茫然とさせられることがあるけど、 この作品は...
いい映画を見ると何日か茫然とさせられることがあるけど、
この作品はその1つ。
打ちのめされること覚悟で。
久しぶりに家族の一員が帰宅して、再会を喜ぶどころか、
ねじれてしまう。
温かい家族を装おうとみんな努力するけど、
積年のぎこちなさが凄まじいエネルギーをもって噴出してしまう。登場人物の誰が悪いというわけでもない。
家族と他人の違いって何。
家族って何。
家族に違和感を感じてる、そんな人にはどこかしら共感できる映画だと思う。
マリオンコティヤールの落ち着きのない演技が秀逸。また、監督は、冗長になりかねない会話劇を、映像と音楽で効果的に演出している。さらには天気の使い方がうまかった。
好き嫌いが分かれる映画だろうけど、この映画を理解できない人はある意味幸せだなぁと。
自己中家族
主人公が何しに帰って来たのかは既知で、どんな展開があるのかと期待してみたが、全員が終始自分勝手なことばかりでまともな会話にならない状況での会話劇。
しかも場面が切り替わっても大した変化もなく、殆どがムダな会話と演説。
そりゃ帰らないよ。
不協和音とムダな会話に意味があるのはわかるが10分や15分で終わるショートムービーならまだしも、この内容で99分は冗長なだけ。
こんな家族別に珍しくもなんともないし、小鳥もどうでも良く白けるわ。
退屈な討論劇。
この監督は色々な人が様々なところで「類いまれなる才能を有した人物」と喧伝していたので、期待して上映に臨んだのですが。蓋を開けてみると、既視感にあふれた、議論、口喧嘩、それに無駄なおしゃべりに満ちた退屈な作品であり、私は大いに失望し、エンドロールの途中で退席しました。昔、エリザベス・テーラーが主演していた「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」という映画をこの作品を観ている間、思い出したりしました。ほとんどが室内での喚き合い、科白で劇を引っ張る能のなさ、しかも、殆どのセリフが手垢にまみれ、水で薄めたようなものでした。寸鉄人を刺す、かのようなセリフは皆無でした。この映画、先が容易に予想できるものなのです。ドラン監督の能力の限界を見た思いがしました。
カネと時間を返せ!
声を大にして言いたいです!
異常なほどにわかりあえない
ギャグなの?というほどに「わかりあう」ことの難しさ、もっと言ってしまえば不可能さを二時間見せつけられる。
強烈だ。
「愛ゆえにひとは苦しまなければならない。愛ゆえひとは悲しまなければならない」との南斗最強のお方の名言や、「愛しければ愛しいほど背中合わせになる」との冬の名曲の歌詞を一瞬思い浮かべるものの、この作品で提示されるそれはそもそも「愛」の概念とはかけ離れたもの。もっとドロドロとして、どす黒く渦巻き、汚らわしく、極上に美しい、繊細で、力強い、「何か」を語って見せて(しまって)いる。バタイユの作品を読んでいるような、そんな錯覚に陥った。
ありていの家族愛や想いがどうのというあまっちょろい戯れ言からは程遠い。だから正直みていて楽しくない。きつい。所謂娯楽作品としては評価は低い。
でも、何度もみていろいろと考えてみたくなる、接続端子のたくさんある作品。ぜひ。
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