たかが世界の終わり(2016)のレビュー・感想・評価
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やはり理解不能でした。
予告編を観た時から嫌な予感はあったがズバリ的中。
この作品をどう解釈すれば傑作だと思えるのか理解不能です。
レア・セドゥとマリオン・コティヤールに敬意を表して各1で計2の評価で精一杯。
世界が終わっても縮まらない距離
エンドロール観ながら、いつの間にか泣いてた。
たかが世界の終わり
されど、この家族は1ミリも変わらない
そんなギャスパー・ウリエルの吐き捨てるようなつぶやきが聞こえてきそうなラストシーン。
なんだか寂しくて、悲しくなった
すごい映画だったなぁ
と思い、監督のグザヴィエ・ドランはまだ27歳。
末恐ろしい
余白のない映像と物語。
余白のない映像と物語。12年ぶりに実家へ帰宅した青年は、ある事実を家族に告げようと思っている。しかし、実際に顔を合わせた家族のやり切れないほどに不器用なやりとりが、この映画で描かれている。ほとんどのシーンが役者のアップで撮られており、物語もほぼセリフで構築された作品。余白のない画面作りと、同じように余白のない物語は、シチュエーションを限定した舞台的な作風だと好意的に解釈することに限界を覚えるほどに閉塞的で、個人的にはやや苦痛に感じられてしまった。その家族が住む家が、例えばどんな家具を配置して、どんな思い出の品を飾り、どんなカーペットを敷き、どんな靴を履き、どうやって生活しているか、などということも、人物を知るうえでまた物語を語る上で重要な要素だとは思うのだけれど、いっそそれらをすべて排除したような演出スタイルを撮ったのは、おそらくはドランの強い意志や意図があってのことだったとしても、私は好みではなかった。物語にも、あえて説明しない部分はあれども、セリフの応酬にも余白の部分がなく、とても窮屈で仕方がなかった。
セリフの多くは主人公のルイ以外の人間が発するように出来ている。ルイは自分のことを話しに来たはずなのに、いつも相手の話を聞く側に回る。「あぁきっと12年前も、こうして相手の言うことを聞くことしかできずに、家を飛び出したのだろうなぁ」と思うような、そんな時間が流れていく。家族だからと言って、分かり合えることばかりではないし、言葉を尽くして尚一層分かり合えなくなってしまうということはあるわけで、そういったもどかしさや、やりきれなさを感じるという意味では、確かに良かったし、そういう意味で内容やテーマが悪いとはまったく思わないのだけれど、ただあまりにも閉塞的な演出と、あまりにも喧々としたセリフの応酬は、聊か疲れを起こさせるものだった(まぁ、それこそがルイがずっと感じていた「疲れ」であり、それを追体験するという意味合いはあるにせよ)。
辛うじて、少しオドオドしたようなマリオン・コティヤールの存在に救いを感じながら、見終わって深い深いため息が出るような作品だった。
室内で繰り広げられる地獄と現実
劇中に流れる音楽の歌詞が字幕で表示される。
この映画が音楽を重視しているのが分かる。
グザヴィエ・ドランの世界観の溢れる映画。
特に大量のハガキをめくるスピードだけ上げているところ。
ゾクゾクした。
そして音楽の使い方と映像美がとにかく印象的。
3つのシーンで音楽メインのシーン有り。
全てを見せず、カーテンの隙間から、ドアの隙間から奥を見せる様がとても美しい。
こんな狭い世界(ほぼ家の室内)で約100分。圧巻です。
最後、時間となり鳥が室内に入り暴れて倒れるまでの1分ちょい?は、
正に主人公ルイそのもの。
80分程地獄を見せられて、ラスト呆気ない演出(鳥)がまたお見事。
正直に言うと、よくわからない
公式サイトや映画.comのストーリー紹介を読むと、───「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ───と書かれてあるので、知らされた家族の愁嘆場があるんだろうなとなんとなく予測しながら観ていたが、そんな場面はついぞ出てこなかった。
観終った感想は、よくわからないというのが正直なところだ。この監督は何のためにこの映画を作ったのか、理解しづらい。ひとつの映画を作るのは大変なエネルギーを要するから、それなりの動機があるのは間違いないが、この映画の監督は、テーマを絞るでもなく、誰に焦点を当てるでもなく、ただ家族それぞれの思惑と感情を、表情と会話、それに音楽で淡々と表現しようとする。わかりやすい映画に慣れてしまった観客は戸惑うばかりだ。
母親は、どうやら理想の家族像みたいなものがあって、美化された思い出とともに、今回の息子の帰郷を楽しく思い出深いものにしたいと思っているようだ。
兄は、人の会話には茶々を入れるくせに、少しでも自分のことに踏みこんで来られると、怒りの感情を爆発させて、あることないこと怒鳴り散らす。何を言っても同じ反応をするので、この男とコミュニケーションをとるのは至難の業であることがわかる。
妹は、自分が好きで、他人の気持ちはお構いなし。タトゥーを入れているのはこの女性が自分を飾り、実物以上に見せたい性格であることを表現しているのかもしれない。
兄嫁はおとなしく、自己主張よりも家族の和を望んでいる女性だが、夫が孤立するのを悲しんでいる。その割に、皆と同じように夫とはまともなコミュニケーションがとれていないようだ。
そして主人公だ。ゲイの住む地区から引っ越したようだが、若い頃は故郷にホモ相手がいたらしきシーンがある。その相手が死んだと聞かされて、庭に立ち尽して泣く。主人公が感情を見せるのは唯一、そのシーンだけだ。
結局、家族の会話は少しも噛みあわず、主人公も言いたいことを伝えられないまま、物語は終了する。家を出て行く前のシーンでは、時間を象徴する鳩時計から鳥が飛び出し、壁にぶつかって死ぬが、これを何かの比喩と考えるべきなのかは微妙なところだ。
時間については、兄嫁が主人公に「いつ?」と聞くシーンがある。フランス語は得意ではないが、多分「Combien temps?」と言っているように聞こえた。「temps」は時間だ。兄嫁が訊きたかったのはデザートを食べにいつ下に降りてくるかということだが、主人公は「いつ?」に反応する。自分はいつ死ぬのか?
観念論的に言えば、世界は認識している者の認識によって存在していることになる。世界の終わりとは認識の消滅に等しい。自分が死ねば、世界が終わるのだ。
この映画の世界の終わり(fin du monde)とは、そういう観念論的な考え方なんだろうなとは思う。哲学と世俗の架け橋を映画のシーンにしようとすると、どうしても噛み合わない会話になるのは避けられない。しかしそこまで考えても、やはりよくわからない映画だった。
先ず彼の他作品鑑賞後観ましょう!
公開初日は立見が出るほど大盛況な大人気なまだ20代のタトゥーバリバリの男前監督グザヴィエドランの「たかが世界の終わり」みてきましたー。
【最後のタグはネタバレ含むので観ようと思っている方は読まないで下さい】
まず、邦題が秀逸。
台詞の中に出てくる言葉の一部を題名にもってきた素晴らしさと“たかが”のセンスよ。
グザヴィエドラン監督の映画とは相性はいい方ではない私なので、期待はせずに観に行った感想としては、途中眠さがやってくる場面があったけど、総合的に好きな作品でした。(隣の人も寝息たてて少しの間寝てたw)
ただ世間的にはこれはまっぷたつに分かれる評価でしょうきっと。
「なんじゃこりゃ?クソつまんねぇ」と思うか
「よかった。。(しんみり‥)」と思うかはズバリ貴方次第です(キリッ)
ドランは音楽がつくづく好きなんだなぁと思った。序盤の「家には何にもない」みたいな歌詞の曲も入り方もめちゃ好き。誰かしらんけど。
気になったのはカット割り。顔顔顔顔‥とにかく首から上くらいのやたらどアップのカットが多い(ほぼそれ)あれは誰かの視線という意味なんだろうか?一番最初も飛行機に乗っている後ろの席の小さな男の子の視点からのカットで始まっている。
きっとドランの頭の中には明確なものがあってそれを映像化するとこのモヤモヤした空回りのもどかしく進まない葛藤や掛け違いになったみたいな、話の筋だてを描くのではなく想いを形にしたような映画だった様に思う。
ドランはインタビューで「不完全なものに魅力を感じる」と答えている。つまりそういう事だ。その通りに映画は終わりを迎える。
「ディストラクションベイビーズ」を観た時の様な1番好きではないけれど後を引く忘れられない感覚の映画でした。
#しかしあえて言わせていただこう#うすうす途中から気づいてたけど#言わへんのかーい❗️#タバコどこまで買いに行っとんねん#マイヤヒーマエヤハーが頭から離れないw
息づかいが聞こえる
スクリーンから呼吸が聞こえた。
僕はもうすぐ死ぬ… 12年も疎遠だった家族にそれを伝えるための帰郷。
この家、家族に何があったのか…全ての感情さえも観客に委ねる映像のつくり。好きです。
薄い布地のカーテンが風で揺れている向こう側の世界、汗で首筋に張り付いている髪が気持ちまでねっとりしてるようだし、タバコを吸う行動で耐え難い苛立ちも感じる。否応なしにそこにある感情を覗きたくなる。ぼやけた映像の先にあるものが知りたくなる。
嫌なことに、ふと目を閉じるかのようにドアを閉める…それも家族。答えなんてなくったっていい。
勝手にドランが自分自身を切り売りしてるような気分になり切なくなった。
最後まで気まずい家族団欒で賞
結局何が悪いのか、
何がよくなかったのか、
何があったのかも分からず。
まあこの終わり方は好きだが、
さすがに分からなすぎる。
前に住んでた家にも行かず
出て行ったキッカケも分からず
ゲイ設定はいるのか?
確かにみんな不器用で大雑把だけど、
家族ってこんなものでは?
確かに兄は変な人だったけど、、、
感動があるわけでもなく、
何もない、、、。
俳優たちの演技はよかった。
映像の撮り方も相変わらずいい。
感情移入もできたが、、、
伝えたかったことは何だろう?
時間とお金を返せ!ってほどじゃないけど、見なくてもよかったかな。
グザドラ新作ってのに期待しすぎたかも。
秀一な映像ながら難しい
冒頭の音と映像の入り方がカッコ良くて、フォーカスやクローズアップを駆使した絵づくりに魅了されるものの、丁寧に内容を伝えようとする意図は全く感じられず、非常に難解。
感情を伝えようとする意志は感じるけれど、その寄るべきところがよく見えず、あらゆる感情が混沌としているだけにしか見えなくなってしまう恐れもあるのでは?とくにドランというアーティストと作品のもとになっているものを全く理解していない観賞者にとってしてみれば意味不明なのではないだろうか。
評価されたアーティストだからこそ作り得た作品だと思う。
評価されているからこそ、難解でも知ろうと努力して懸命に作品を捉えようとする、本来ならどんな作品であってもそうあるべきなんだろうけれど、まぁいろんな面で難しいだろうし、何より疲れる…
映像自体素晴らしいから、それに群がるものも多いんだろう。自分もその一部であることは間違いない。
リアルな狂気
家族だからこそ気を使わなくて言える言葉が度を過ぎて行き、気付いた時には家が気持ちの悪い空間に成り下がっているというどこの家庭にもあり得るリアルな部分を緻密に表現している。誰しもが見て見ぬ振りをしたくなるような所を上手く切り取っているのではないかと思う。この映画は許容できる人と出来ない人に別れると思います。
遠回しすぎ
一見、才能がある次男とそうではない家族とが理解し合えない話のようだが、実は全く違うのだと思う。
これはゲイが世の中で生きていくのがどれだけ大変で、どれだけ家族からも理解してもらえないかを描いているのだと思う。
最後の小鳥が落ちるシーンは主人公の状態を表しているのだろう。何度も壁にぶち当たり、結果的に息をするのもやっとの状態になるのは、まさにこの映画での主人公である。
何を伝えたいのかは何となくわかるのだが、表現が遠回しすぎるし、世界観があまりにも自分とはかけ離れすぎていて、全くと言っていいほど感情移入ができなかった。
ヴァンサン・カセルの最後の家族にぶちまける魂の叫びはかなりのインパクトだった。
色んな意味で、一生自分の中から消えることないくらい物凄く印象的だった。
ドランは本当に不器用なんだろうなと思う
その証拠に
わたしたちにも
キャラクターの感情が
ハッキリとは伝わらない
彼らがなにを思い
その行動をとるのか。
それにしても
あの4人が待ってる家ってのは凄いな
ノマノマでママに付き合う
レアセドゥが最高に可愛かったです
みんな上手だったなあ
ところどころMVを見てるような
気分になった
今回初めての映画館だったけど
めっちゃ雰囲気良かった!
椅子はまあおいといて
近くて遠い 家族
話していても、相手を見ないような一方通行の会話が延々と続く。
憎み合っているわけではないのに、愛しているのに、わからない、話せない、くつろげない… 家族という幻想、思い込み?に振り回されているように思った。
どうしてわざわざ不幸になりたがる?としか思えない。それぞれの俳優さんたちに存在感があり、重く暗い話の中で、感情を揺さぶられた。
いい映画を見ると何日か茫然とさせられることがあるけど、 この作品は...
いい映画を見ると何日か茫然とさせられることがあるけど、
この作品はその1つ。
打ちのめされること覚悟で。
久しぶりに家族の一員が帰宅して、再会を喜ぶどころか、
ねじれてしまう。
温かい家族を装おうとみんな努力するけど、
積年のぎこちなさが凄まじいエネルギーをもって噴出してしまう。登場人物の誰が悪いというわけでもない。
家族と他人の違いって何。
家族って何。
家族に違和感を感じてる、そんな人にはどこかしら共感できる映画だと思う。
マリオンコティヤールの落ち着きのない演技が秀逸。また、監督は、冗長になりかねない会話劇を、映像と音楽で効果的に演出している。さらには天気の使い方がうまかった。
好き嫌いが分かれる映画だろうけど、この映画を理解できない人はある意味幸せだなぁと。
自己中家族
主人公が何しに帰って来たのかは既知で、どんな展開があるのかと期待してみたが、全員が終始自分勝手なことばかりでまともな会話にならない状況での会話劇。
しかも場面が切り替わっても大した変化もなく、殆どがムダな会話と演説。
そりゃ帰らないよ。
不協和音とムダな会話に意味があるのはわかるが10分や15分で終わるショートムービーならまだしも、この内容で99分は冗長なだけ。
こんな家族別に珍しくもなんともないし、小鳥もどうでも良く白けるわ。
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