たかが世界の終わり(2016)のレビュー・感想・評価
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居心地の良い不幸より、幸福を選べ。それでも…
全然状況は違うのに、自分の家族を観ているようで、ずっとヒリヒリしていた…
家族の重さ。
恨んだり、妬んだり、怒ったり、でも決して他人にはなれない。そして根本には愛もある。
主人公は窓の外に出て行ったはずなのに、引っ張られるように戻って、そしてまた、、
居心地の良い不幸より幸福を選べ。
そうやって幸福を選んだはずなのに、捨てきれない。
観て良かったですが、とてもつらかった。
いつかこの映画に答えを出せるような人間になりたいものです。。。
弟の理解されない苦しさやお兄ちゃんの認められない苦しさ、お母ちゃん...
弟の理解されない苦しさやお兄ちゃんの認められない苦しさ、お母ちゃんも苦しいし妹も苦しいし奥さんも苦しい。
たかが世界の終わり だけど、ひとりひとりにとっては たかが じゃすまないよなぁ。
戯曲の映画化なんだが・・・
劇作家でゲイのルイ(ギャスパー・ウリエル)は12年ぶりに家族の元を訪れる。
それは、家を出てから初めてのこと。
彼が訪れる理由はひとつ。
自らの死が近いことを家族に告げるため。
しかし、それはなかなか切り出せない・・・
というハナシで、ストレートにいえば、それ以外にハナシはない。
なので、見どころは、12年ぶりの家族との確執が焦点で、母(ナタリー・バイ)、兄(ヴァンサン・カッセル)、兄嫁(マリオン・コティヤール)、妹(レア・セドゥ)という豪華配役がそれを演じている。
なかでもキーパーソンは兄役で、粗野で知識の面でも弟に劣るが、一家を支えているという自負があり、さらに、弟の訪問理由にも気づいている。
そして、家族を傷つけたくないという気持ちもある。
また、ルイの病気は語られないが、劇中で、兄は弟のかつての同性の恋人が死んだことを告げていることから推察するに、たぶんエイズなのだろう。
気づいているからこそ、言葉を荒げて、弟が波風を立てないうちに、自分が損な役回りを引き受けて、弟を追い払おうとする。
とにかく、役として難しい。
そして、思い起こせば、愚兄賢弟の図式は『トム・アット・ザ・ファーム』でもみられたもので、ドランとしてはかなり思い入れのある設定なのだろう。
で、映画はこの兄を中心に進んでいくかと思いきや、なかなかそうはならず、ルイの帰還理由に気づいていない妹、理由そのものはわからないが何らか悪いことがあることを予感している母親、そして、兄同様、ルイの帰還理由に気づいてしまう兄嫁が、ほぼ均等に描かれていく。
それを、同時多発的に交わされる台詞をしゃべる人物の顔のアップを中心にして、描いていく。
この映画には原作戯曲があり、ドランとしては、演劇臭をけしたかったがために、この手法を選んだのだろうが、個人的には、あまり効果的でないと思う。
戯曲を映画化する際、舞台のように引いた画面で延々とみせることは映画を撮る立場としては避けたいところで、逆に、登場人物たちに肉薄しようとしてカメラを寄せてしまうということは多々あること。
過去の映画作品でもよくお目にかかった。
けれど、この撮り方は逆に映画を狭苦しくするだけで、戯曲の良さを損なうことが多い。
まぁ、ドラン監督は、そんなことも百も承知、二百も合点でこの手法を採用して、登場人物の内面に迫りたかったのだろうが、やはり映画として上手くいっていないように感じられて、観ていて苛立ちだけが先立ってしまった。
それに、今回は音楽の入れ方も陳腐。
主人公の心情の代わりに使っているのだろうが、なんだかミュージックビデオのようにそのシーンだけが浮いてしまっている。
どうだ、いいだろう、うまいだろうと自ら言っているようで、悪趣味になりかかっている。
常に私小説ならぬ私映画を撮るドラン監督だが、映画を撮るにあたっては若干の客観性がほしかったところ。
言えない、いや言いたくなくなる。
34本目。
タイミング良く作品が観れるラッキーデイ。
ラスト3本目。
この家族なら、分かる気がする。
面倒臭いし。
タイトルがね、どうなんだ?
やたらアップばっかだし、映像よりかは舞台むきだろ?って思ってたら舞台作品だったか。
納得。
その時にはわからない
ストーリー★☆☆☆☆→★★★★★
演出 ★★★★★
最初くそダルかった!後に…
とりあえず"実家あるある"が続きます。
何がキツイって、
とにかく顔のドアップで、会話、会話、回想、罵倒、笑顔、罵倒、回想、会話、罵倒。顔が近すぎて途中本当に気持ち悪くなったσ^_^;。
内容も何を怒っているのか、わけわからんどうでもいいのが延々と続きますσ^_^;途中から、僕は初めて映画館で座ったまま足を上げ下げして筋トレに集中する時間を設けました。
最初はほんとつまんねー映画だなーと思いました。
(ネタバレします)
しかし奥さんと一緒にずっと考えて気付きました。
主人公はゲイで、12年家に帰らなかった。"田舎町"というのもあって、受け入れられない存在。家族も同僚や仲間達にゲイネタをイジられることもあるだろう。
主人公の昔の"相方"が死んだと兄から告げられる。みんなうすうす病気のことも分かってる。
しかし主人公を否定できない。家族、愛する存在がゲイで否定なんかできるか?しかし家族の気持ちの置き所は?兄の拳の傷の意味は?自分の存在のせい?
とまではいかないにしても確実に彼等の人生に影響はあるはずだ。
最後に悟ります
自分の死なんて自分にとっては"たかが世界の終わり"なんだと
自分自身に"存在の意味"はない、しかし、他人、家族にとっては自分の存在に意味があるんだと。
残される方が厳しいということもある。
自分という存在を抱え続けて生きる家族。
最後のシーンで溢れたのは、いや、最初から溢れていたのは"愛"
良いとか悪いとかじゃなくて、自分の存在が確実にそこにあった!
最後は明るい光の中に出ていく主人公。
実際多くの人はそうだろうと思う。家族がうるさかったり、面倒くさいんだけど、それってその時は気づかないんだよ。無くす時に、離れる時に、ようやく家族という絆を認識できる。
映画館ではわからなかったが、時が経ってようやくわかった結果。怒りの意味が180度全く違うものに変わる、これ人生そのものじゃん!!
最高じゃん。となった。"実家あるある"じゃねーよ。アホか俺。
演出面
やたらと延々とドアップなんだ、ほんとスクリーンに顔だけ!
なんで全員がドアップになるのか、やっぱり12年分の感情を映画的に表現するってことですね。ドアップになることで、しゃべる人の顔以外は映らない。
"周りが見えない"ので映るのは気持ちのみ!ガツんとくる。
そしてアップによる主観的感情移入、圧迫感、切迫感をとことんやることで、彼等の身動きが取れない感じをきわめて映画的表現で観客に伝える。
なんせ12年分の想いをたった99分で魅せるわけです!!
それで僕は気持ち悪くなり、途中から筋トレを始めた。。と
考えれば考えるほど、意味のわからなかった罵倒が、中身のないような怒りが、主人公への"想いの深さ"を感じられる。
手際が良すぎてわからなかった。過去作品も絶対みる。
映画館で泣いてる人、正直バカにしたけど、お母さんからしたら、この息子愛おしいだろうな。。すいません。リテラシー足りませんでした。振り返ってようやくたどりついた。
素晴らしい作品です。
奥さん評価
点数のつけようがない。1回でわからせない。さすがフランス。アップに耐えられる役者ばっかり。
ギャスパー・ウリエルがいい
ドランの作品が好きで、今日映画館へ行ってきました。
確かに「わたしはロランス」や「マイマザー」に比べると・・・という思いはあるのですが、ドランのファンとしてはやはり観に行って良かったです。
ギャスパー・ウリエルは言葉は少ないのだけれど、表現力の凄さを改めて感じました。
マリオン・コティヤールとの会話で見せる「初対面同士ならではの気配り」を演じているシーンなど・・・「ギャスパー、(演技力)負けていないなあ」と思ったのは私だけでしょうか。
観たことあるかも
グザヴィエの映画はそもそも好きだし、カンヌグランプリだし、役者も勢揃い。
音楽も昔の回想シーンもよかった。
だけど、やっぱマミーとロレンスには敵わないなぁというのが感想。
こんな家族なら確かに家出るわと、冒頭10分で納得。あまりにもみんな怒鳴りすぎ。Too much!
戯曲だけあって舞台向き。久しぶりに家族が皆が集まって、ものの見事に滅茶苦茶に散っていくあたりは、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツの「8月の家族たち」で既視感あり。本作のほうが愛があるけど。
あと暴力的なお兄ちゃんの登場はどこかでも観たことがある。グザヴィエの「トム・アット・ザ・ファーム」に出てくる家を出られない狂気的なお兄ちゃんと構成が似てるかも。
お兄ちゃんだけでなく、全体的に愛という名の暴力的な映画だった気がする。
「家族」にしがみつく弱きもの。
弱いから家族に縋るんじゃないか?
家族なんだから、助けてくれる。
家族なんだから、私の望みを掬い取ってくれる。
そんなのは幻想ですよ。
人が自分の望みなんてかなえてくれないよ。
そんな風に思いました。
でもそれを夢見るから閉塞した毎日がどうにか生きられる。
母と妹と兄はそんな感じの人。
外の世界を求めて家を飛び出たルイを
どこかで憎みながら、望みをかなえる救世主として希う。
なんと愚かなことよ。でも、それが人というものかもしれない。
鳩時計がルイの来訪と退散の比喩なんだと思う。
午後1時に訪れ、午後4時に去る。
去る前に時計から1匹の鳥が飛び出る。
苦しそうにもがきながら飛ぶ鳥は、飛びたいように飛ぶ事ができず、
やがてルイの足元にふらふらと落ち、死にます。
それはまるで母や妹や兄の末路のように思えました。
恐らくルイは二度と戻らず、家族には知らせずに最後を迎える決意をしてしまったのでしょう。
だって、家族はルイから欲しいものを取り出そうとするだけで、
彼に与える事はしないわけですから。
なので、彼は自分を見せることを、あらためてやめたということです。
ルイは殆ど自分から喋りません。
周りの人が喋ることに翻弄され、発言を遮られ、あきらめる。
そして、母も妹も兄も、直接はルイに自分に対してこうして欲しいとはいわない。
言わない代わりに、他の家族をいたわるようルイに強いる。
本当は自分をいたわって欲しいのに。一番。
その辺のずるいというか、回りくどさが、しんどい家庭のそれらしく、うげーと思いながら、万国共通だなとか。思いました。
時々実家や家族の思い出に浸りつつ進みます。
思い出シーンで「恋のマイアヒ」が大音量で流れ、なんつーダサ懐かしい曲・・・。でもドランが使うとなんかおシャンティ・・・とか思いました。
マイアヒの間にちゅっちゅしてた女の子みたいなかわいい男の子が、
兄の言う「お前のピエール」でしょうね。
若い頃はマリファナっぽいのや、白い粉や、悪さしてたのね、ルイ。
お兄ちゃんに肩車してもらっている海辺のシーンなどもあり、幸せだった時もあったのだな、でも、ルイは家族の中でどうにもならない孤独を抱えて大きくなって、出て行ったのじゃないかなと想像しました。
冒頭の歌の歌詞、エンドロールの歌の歌詞。
それぞれ、家族にまつわる悲哀を歌っています。だよねって感じ。
もうね、家族に意味やら絆を求めちゃだめって思います私は。
結果的にあったならばいいけれど、なければならないっていう呪縛が生き辛さになってるんじゃん?もうやめたら?
血縁で嫌が応もなく、つなげられた人と人なんだから、一旦捨てて、互いが欲した時に改めて構築したらどうよ。そのほうが自由じゃん?
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どアップの多用、その中での各人へのフォーカスの移動、ちょっとした目線の移動なんかで登場人物の気持ちが表現されていたと思います。
マリオンコティヤールが平凡でやぼったい兄の妻役でしたが、うまいなあとおもいました。ちょっと切ないけど、ちょっといらっとするラインでした(褒めてます)。
ヴァンサンカッセルはうざくてうざくて嫌いになりそうでした(褒めてます)。
ギャスパーウリエルは久しぶりに見たなー(ロングエンゲージメント以来?)
大人になったなー、相変わらず片えくぼちゃんやー、と思いました。
レアセドゥの妹も、引きこもりチックなマイルドヤンキーニートが、似合っていて(褒めてます)よかったです。
観やすい類の映画ではないです。結構気合が入ります。アクが強いです。が、いいたい事はよく分かるなと思いました。
にしてもグザヴィエドランは、まさに時代の寵児ですね。
Mommyとは比にならないお客さんの入りでした。
シアターも大きい部屋になっていたしね。すごいね。
上質な戯曲を鑑賞したようなドラン演出の罠!
空白の家族の12年を数時間で再生させる、ドラン演出の妙。冒頭からありえないテンションのキャラクター達!そして、兄の暴君ぶり!!
このエキセントリックな演出にウンザリしてしまう人も多いかと思いますが… しかしこれがドランの“罠”。
普通に描いてしまえばなんてことのない家族の物語を、演劇的にエキセントリックに描くことで、表面的な狂気をあおりその本質を見えにくくする。
その最たる人物が 兄夫婦!この二人の揺るがない夫婦の絆は伏線のみで、あえて描かず兄を狂気のモンスターに仕立て上げる。
これがドラン“才能”と言うか… 確信犯なのか? 鳥肌が立ちました。
そして今まで家族を守って来た家長である兄だけが、弟ルイの帰省のわけを察し、ルイを心の支えとして生きる母と妹をその宣告から遠ざけようとするが…
それがやがてラストの兄の暴走と涙の意味となり、テーブルの下で結ばれていた妻の手により夫婦の絆を確信させる事で、観客は初めて今まで思い込んでいたキャラクターたちの性格がエキセントリックな演出によりすり込まれていたことに気付かされる。
ここで凄いのが、主人公ルイの目線と観客目線が同化させてあり、兄の言動の真意を観客と共に理解する…
鳩時計《家》から飛び出した小鳥《ルイ》は壁《世間》に打つかり、打つかりして… やがてリビングのカーペットの上《家族元で》で力尽き静かに息を引き取る。
わずか1日足らずの物語で家族の空白の12年を再生させ、ルイに自身の死に場所を確信?願望?させ成長させる、ドランの愛に溢れた演出、映画というより上質な戯曲を鑑賞した後のような心地良さの残る作品でした。
言うまでもなくビジュアルと音楽センスは◎。
グザヴィエ・ドラン、これからもますます目の離せない監督であり俳優です。
圧倒的なクソ映画なので、むしろ見た方がいい。
こういうのをスタイリッシュだと思う層がこの世にはいるんだということが衝撃。暴力を振るう男に正当化の余地はない、恥を知れ。
映画より舞台向きのストーリーかな?と。
血の繋がった家族同士の修羅場が一軒の家を舞台に繰り広げられる。
凄い閉塞感。家族だからこそ、ここまでドロドロにぶつかり罵りあえるのか‥‥。
主人公の次男をあそこまで諦念させてしまった原因はなんだったんだろ?
もともとは舞台作品だったみたいですね。
映画よりは舞台むきの作品かな?と感じた。
人と人がわかり合うことの難しさ、それは家族であっても。みたいなこと...
人と人がわかり合うことの難しさ、それは家族であっても。みたいなことがテーマなのかなって気はしましたが、『こっちは本音でぶつかってるのに、きれいな顔して意味ありげな笑みを浮かべて黙ってる男はムカつく』って話です。
エグッてくるね、震えが来て堪らない。
冒頭、ルイが実家へ帰る道すじ、情熱的なメロディに乗って歌が流れる。
「家は・・・、
なに?
「家は・・・、救いの港ではない。」
えええ~!
そして「ふかくえぐられた傷痕~」と続く。
もう、このあとの家族の再会が修羅場になるんだろうなという想像しかできない。
出迎えた四人の家族。会話から徐々に関係と感情が明らかになってく興奮は、まるで四段重ねのおせち料理の蓋を一枚ずつ開いていくような驚きの連続。(おせちはどうかは置いといて)
家族じゃなかったら誰かが誰かを殺しちゃうんじゃないかって緊張のまま、「食べかけなんだけど!!」って叫んでも否応なしに蓋をされた気分で終幕。
食べ足りなさと、素潜りして顔を上げた後のような呼吸の窮屈さを感じながら、胸がエグられてしまっていることだけは気づいている。
隣家の家族喧嘩を節穴から覗き見して、「え?あの子、何したの?そういえば、泣いて帰ってきたことあったわね。」と、わずかに知っている事情から類推し、当事者でもないのに勝手に想像を膨らませながら、「やだやだ、お隣さん何があったっていうのよ!」と核心のところは何も知らない。もう、そんな気分。
うすく笑いながら、「こわ、こわ、こわ」と心の中でつぶやいた。
書いてる意味が分からない?
いいんだよ、映画自体がそうなんだから。小鳥の暗示は、むしろ親切なくらいだ。
画も音楽もいまいち。 ストーリーふつう。 期待しすぎた自分がバカだ...
画も音楽もいまいち。
ストーリーふつう。
期待しすぎた自分がバカだった。
観客をこんなにグッタリさせるなんて
かなりドSな監督さんなんだなと。
ルイおまえよぉ。。。
ドランは大好きなのでこれからも次回作が楽しみですが、今回は分からなかった。ルイを通して自分を顧みるような感覚で観ていたので、兄貴に対してよりルイに対してイライラしてました。「おまえは何も分かってねーな!おまえが相手を受け入れることも相手に与えることもしてなけりゃ、相手もお前を受け入れられないし与えられないんだよ!」と始終思っていました。最後もルイが何も言わないから、むしろ兄貴はルイを救おうとしたんじゃないかとさえ思います。妹との会話で「もう終わりだ」と言ったり、最後の涙があったり、そういうところからは兄貴分かってんじゃないのかな?とさえ思いますが、考えすぎなのかな。
それでも始終不器用さ全開で雰囲気自体にイライラしてたので、おもしろかったとか良かったとかいう感想は持てませんでした。なので星3つ。でも皆さん書かれてるように、余韻や観終わってからの膨らみ方は自分でもこっから楽しみです。イライラはしたんですが、そのぎこちなさ不器用さはこの映画が表現しているものの一つだと思うので、それによってイライラさせられたなら作品として質が高いということなんだと思います。マイマザーを観た時から思ってるんですが、ドランは登場人物の屈折した気持ちや消化出来ていない気持ちをそのまま出してきますよね。そうやって生のままぶつけてくれるところ、そしてそれがアバンギャルドなやったもん勝ち的手法ではなく作品としてまとめてくれるところが好きです。この作品はストーリーがこれなので、それを小綺麗でつまらないものにせずに出すとこうなのかな、と思いました。
初めて観たドラン作品がこれやったら絶対イヤになりますよね笑。自分がそうやったのもあるけど、ロランスから入ってみてはどうですか?
映画らしい映画
美しい映画です。次の世代に刺激を与える作品を名作と呼ぶのなら、この作品は名作です。家族という概念を問う作品は古今東西多くあるけれど、結局は自分で答えを出さないといけないと改めて思いました。色んな解釈が成り立つ、懐の深い映画です。
観た直後はポカーンやったけど
1日置いてゆっくり考えてたら、なんとなくわかってきた。
家族って近すぎたら傷付けるし遠すぎたら気まずいし、でも近いとそれだけ思いやり合えるし遠いとそれだけ自分ひとりで気楽やし、距離感が難しい。思い知らされる映画。
ルイの 結局告げない って決断の理由は、傷つけまいという思いやりなのか?でも有名人なら家族は記事か何かで死んだ後に知ることになると思うねんけど…
最後の小鳥の死、鳩時計(実家)から飛び出して好きなように足掻いてみたけど結局死ぬ自分を皮肉ってるのかな…
そして、それぞれの出番は短いけどさすがの演技力を披露する豪華俳優たち。確かにあの短い上映時間内で全て表現するには、あれぐらいの面子でないと役不足やわ。
特にヴァンサンカッセルがあんなに演技できるとは。空気を乱す嫌なやつやなあと思ってたら、最後わめきながら泣きながら感情が爆発するシーン、観てるこっちまで泣きたくなった。
あとレアセドゥーの愛らしさ。精一杯受け入れようとするけどヴァンサンカッセルに邪魔されて怒るのがもう、愛らしい。
ギャスパーウリエルの役は無口な分難しかったやろうな…と思う。ただ彼が何故家を出たのかわかる気がする。
思い出したらもっぺん観たくなってきた〜
マイアヒが頭から離れません。
自分の終わりは世界の終わり
最後までアングルはほぼほぼ演者のアップです。話も家族間のヒリヒリするすれ違いの内容だし好みが別れそう。大きい動きはなく登場人物の心情を追う内容なので退屈な人には退屈だと思います。個人的には好きでした。主人公のナイーブな空気や作品の雰囲気が好きだったのでそれだけでもけっこう見れるなと。自分も家を出て暮らしてるので久しぶりに家族が帰ってきた何とも言えない微妙な空気や変な緊張感に後半はかなり感情移入してしまい主人公や妹やお母さん家族皆がとても愛しく思えてきました。でもお兄ちゃんだけは理解不能。立場とか感情とか色々あるんだろうけど劇中に『俺を怪物みたいに扱いやがって』と言う台詞がありましたが、明らかにモンスターだろ、お前と思わず心の中で叫んでいました。
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