たかが世界の終わり(2016)のレビュー・感想・評価
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面白い!
登場人物の立体的な描き方が素晴らしい。見る角度によって、解釈が広がる。
美貌と知性と気品に恵まれ、性格も優しく、才能も花開き、誰からも愛される弟。
だけど、角度を変えて見ると、残した家族への無関心はハンパなく、家族に対してかなり冷たい。
出て行った後、絵葉書だけは送っていたようだけど、通り一遍な言葉しか書いていない。
「マイアヒ〜」の回想シーンは、陽の光でいっぱいだけど、あくまで「自分」の子ども時代に思いを寄せただけ。
ベッドマットを懐かしむのも、恋人と過ごした「自分」への憐憫。
兄と車の中で、互いの近況を語らうでもなく、自分の今朝の空港の話。家族への無関心とその無自覚に、兄は怒りのデスロード。
苦痛と不満がありながら、それでいてその状況から抜け出せない人間は、些細なことにもいちいちイライラする。「たかが」なんて思えない。
それに引き換え、自由にカッコ良く生きる人間は自分の死すら「たかが」?
よほどのことがない限り、家に帰る気なんてサラサラない彼が帰って来たのだ。母と兄には想像がついている。
告白なんか聞きたくない!それを聞いて、オレたちは感情をどう処理すりゃいいんだ!言うな!帰れ!
鳩時計(家庭)から飛び出した小鳥は、好き勝手に飛び回り、あっけなく命を落とした。
私の中のどこかに、主人公より、家族の気持ちのほうに、潜在的傾斜を認めた。そこが、この映画のすごいところ!
コミュ障家族の悲しみ
最初から最後まですれ違う家族関係を描く映画は、しんどいものではあるのですが、深く考えさせられるため観応えがあります。本作も観応えはあったし、鑑賞後はいろいろ考えることができて面白かったと言えるのですが、鑑賞中はとにかく観心地の悪い作品でした。
その理由は、最初から最後まで演者をアップで撮るという演出にあります。
演じ手と観手の距離がほとんどなくなり、観客は演者の情動をダイレクトに感じさせられてしまう。しかもこの作品は登場人物たちが怒鳴りっぱなしなので、ずっと刺々しい感情を浴びせられる。観ている側としては圧迫されてゆとりがなくなり、息苦しくなりました。
おそらく主人公ルイが体験している感覚はこのようなものなのだと思います。グザビエ・ドランの狙いは、この感覚を観客にも直接体験させたい、といったものかもしれないし、もしそうであるならばそれなりに成功していると感じましたが、やっぱりシンドいので個人的には趣味に合わなかったです。
一方、内容は興味深かったです。この家族はマリオン・コティヤール演じる兄嫁以外、話を聞いたり他者の気持ちを受け止めたりする文化が皆無。兄と妹は腹が立ったら怒りをぶちまけてグチャグチャになるといった不毛なコミュニケーションを繰り返し、母親は先回りしてコントロールを試みる。コミュ障という言葉がありますが、彼らこそ真のコミュ障でしょう。
こんなコミュ障家族の中で育てば、温厚なタイプのルイが何も言わない人になるのは自明です。
母親と妹はルイを迎え入れているのですが、ルイの話を聞かないし、彼の気持ちにも無関心。実際に愛はあるのだと感じますが、そんな愛では窒息するだけ。エンディングでは静かに家から去るルイですが、多分12年前も同じパターンだったのだろうと想像しました。
この作品や葛城事件のようなうまくいかない家族の映画を観るたびに、愛があるだけではダメで、相手を想像する力や気持ちの伝え方など、愛を実現させるスキルも不可欠だな、としみじみ思います。
ちゃんと理解は出来てないかもしれないけど・・
勉強せずに観ると
確かに意味がわからない映画。
ただ喧嘩してるだけだといえばそうだし。
でも理解したい知りたいと思った。
原作はエイズで余命幾ばくもないフランスの若き作家が書いた戯曲。
あぁ、自分の世界が終わろうとも
家族にも家族の生活があり
悲しみはせども、きっと変わらない生活が続いて行くのだろう。
たかが、自分の人生が終わる。
ただそれだけのコトだ。
が、私の解釈。
だから
それを悟ったルイは
誰にも告げるコトなく
家族の元を去ったのだと思う。
それは絶望なのか
家族を思ってか
わからないけど。
答えはどこにも書いてないから
グザヴィエ・ドランが込めたメッセージのホントのところはわからない。
でも
観た人がそれぞれの解釈をする
語らない作品は
すっきりしない、心地良い不満感がある。
これはすごい作品かもしれない。
ただ、勉強せずに
理解ができないなら
それは映画としてどうなんだ?
とも思ったりする。
初グザビエドラン。
何故怒っていたっけ?
グザヴィエ・ドランらしさ
前作マザーに見られるアスペクト比1:1のような視覚トリックに近いものは今作にはない。
しかし、人の性格やオーラ、空気感を捉える日常の流れや、交錯する人間関係は、グザヴィエドラン監督の「らしさ」としか言いようがない。
主人公の柔和で全てを受け入れる体制、家族から飛び出たくなる、誰にも見せられない奥底の部分、
兄の自我を前面に出してしまう性格、弟に対する劣等感や嫉妬、自分だけが理解されないという念、
母の開けっぴろげな性格の奥にある愛、包容力、
妹の自由を渇望するのに縛られている感覚
誰もが登場人物の全てに想いを馳せることができる監督の観察眼に魅せられた
感情のぶつかり合い
家族の感情のぶつかり合いが激しく
とても疲れます。悪い意味ではありません。
カメラワークが早く、たぶん短いスパンで撮影、それを編集してるんだと思います。流れがいいですね。元カノと思い出のシーンは意味不明でしたが...
主人公のお兄さん役にイライラするかもしれませんが、たぶん兄は弟が怖かったんだと思います。
ギャスパーのセリフは少ないのですが
あれほどの気持ちを表現するなんて圧巻です。
好みが分かれますが、私は好きです。
なんも言えねぇ。
なんとも言えない嫌な気分になることが多い作品なのだが、
所変われば様々な家族の愛のカタチがあるのだということ
もよく分かる。12年ぶりに帰郷した次男を待つ家族の愛憎。
あ~これこそが我が家だ、と思ったに違いない彼の苦笑い。
嫌な気分というのには二通りあって、まるで我が家を見る
ように思うのと、こんな家族は見たことも味わったことも
ないのに分かれるだろう。自身は前者の方でまぁ今作ほど
酷くはないが、大声で罵り合う父母なんてのは日常茶飯事。
なぜ我が家はよその親みたいに穏やかで物静かな話し方が
できないんだろうと思ったものだった。家族の罵り合いは
喧嘩というより愛憎に近く、本当は愛しているのに素直に
それを表現できないもどかしさが強調されている。次男は
まさに「なんも言えねぇ」状態に置かれる。口を挟む隙も
そもそもの帰郷の理由すらも言い出せない。あ~可哀相(^^;
と思うのだが、彼がジッと見入る聞き入る家族の肖像こそ
彼が家に帰ってきた証。12年も家を空ければ自分はすでに
お客様の立場に置かれ、家族の愚痴や不満やアンタが留守
の間に色々あって私たちは…みたいな告白の渦に巻かれる。
唯一他者目線で長男の嫁を演じたマリオンがいかに外側の
人間かがよく分かる。この家族内での彼女の苦労は計り知
れないが、慈愛の目で兄弟を見守る演技が素晴らしかった。
「なんも言えねぇ」まま、静かに家をあとにする主人公の
表情から、自身の死など「たかが一つの終わり」であって、
家族の愛情は終わらないことの確信が持てたように感じた。
(憎まれ兄役のヴァンサンがお見事!あんな兄貴嫌だけど~)
観る人を選ぶ作品
2度目はないけれど、長く印象に残る
はまりませんでした。 役者は大変良かったと思うのですが… 主人公の...
家族はつらいよ
主人公ルイは自分の死期が近い事を伝えるため12年ぶりに実家に帰郷する。だが久しぶりに顔を合わせた家族は噛み合わず、会話が互いを傷つけ合うことに…。
大仰な性格の母、威圧的な兄、怯えるその妻、ナイーブな妹…主人公を迎える家族は最初ぎこちなく歓迎するが、主人公の12年の別離は家族にとって長すぎ、徐々に家族団欒の雰囲気は不穏になっていき、不協和音を立て家族同士で傷つけ合う。そんな中主人公は自分の死期について言い出す機会を失っていく。
とにかく俳優陣が豪華で、主人公はギャスパー・ウリエル、兄役にヴァンサン・カッセル、兄の妻役にマリオン・コティヤール、妹役にレア・セドゥというフランス映画界のトップ俳優ばかりの顔ぶれ。そんな名優達が不協和音を立てる家族を演じ、自らの感情をぶつけ合う様が壮絶だった…。
この映画にはいわゆる「大きな物語」がなくて、ひたすら家族の会話劇的なシーンが続くんだけど、言葉は必ずしもそのキャラクターの本心を伝えない。それだけにこのキャラクターは本当は何を恐れ怒り戸惑っているのか、感覚を鋭敏にして観なければならない、緊張感のある映画だった…。
カメラワークやカット、音楽の使い方や照明、映画としての各要素のレベルはかなり高いんだけど、原作がもともと会話劇だからか、全体的に芝居が大仰で、しかもみんなフランス映画界のトップ俳優ばかりだから、それぞれの存在感がありすぎる気がした。原作の舞台版はどうなのか、観てみたくなった…。
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家族の愛
マリオン・コティヤール見たさに観ました。
しかし実際にこの映画を観るとマリオン演じるカトリーヌよりも、マルティーヌとアントワーヌの高い演技力に目が引き付けられっぱなしでした。主役のルイも良かったですが、この二人の強さに少し霞んでしまった印象です。
ストーリーは、12年間帰省しなかったルイが直に死んでしまうことを家族に告げる為に帰省するというもの。
既に家の中に居場所がなくなってしまったルイの孤独さを、自分と重ね合わせて感じてしまい、ただただ観ていて辛かったです。
何も知らず、ひたすら明るく喋り立てる母マルティーヌがたまに見せる愛情深い母の部分に涙せずにはいられませんでした。「あなたのことが理解できない。でも愛してる。この愛は誰にも奪えない。」名台詞だと思います。この香りどう?と、ルイに対して明るく自然にハグを誘う姿にも母の深い愛を感じ泣けました。
そして、終始憎まれ口を叩く兄のアントワーヌ。その憎まれ口も結局は愛情の裏返しだと後々に気付かされます。彼も家族のことを心から愛しているのだと思います。それ故に、家族全員で過ごした、この日曜日を素晴らしい一日で終わらせようとする。ラストシーンで憎まれ役を買って出てまでもルイを帰そうとしたのはそういう意図があってのことでしょう。
壮絶な終盤の大喧嘩の後の、マルティーヌの「次は大丈夫だから」という台詞と優しい表情に涙が止まりませんでした。マルティーヌもシュザンヌもどこかでこれが最後だと感じ取っていたのでしょう。
全員が部屋を出て行った後、ルイはそっと一人で家を去る。非常に美しいラストでした。
大変素晴らしい映画でしたが、途中に挿入されている歌が浮いていて耳障りな印象を受けました。また、カトリーヌの役は、外側の人間という心理的にルイと近い存在としての意味があったのかなとは思いますが、あまり必要性を感じませんでした。マリオン・コティヤール見たさに観たので少し残念な気持ちはありましたが、この映画自体は家族について、愛について考えさせられる素晴らしい映画です。
やられた
感情の濁流の中にいるようだった。
家族だからこそのむき出しの感情のぶつけ合いは正直見ていて辛かった
時計から出て来て家の中を荒らしまわって息絶えるあの小鳥がルイから見た自分だったんだろう
思ったけど「たかが世界の終わり」って結局どういう意味だったんだろうと思って
(実際It's only the end of the worldの訳は'まさに世界の終わり'だと思っていたくらいだし)
ずっと考えていたらフライヤーの裏にもうそれはそれはストーンと落ちるフレーズが
「愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて」
12年ぶりの帰郷でどこかぎこちないルイと家族
分かり合えない恐怖から様々な反応をする兄妹母義妹
それでも根底にあるのは他でもない愛でありどれだけムカつく兄でも喧嘩ばかりの母と妹でも絶対に他人にはなれないものだと
そういう描写だと思った
ルイの人生は終わってしまうけれど、残された家族の愛はきっと終わりが来ない
ルイは到着後は電話口で「話したら帰る」「誰も涙を流さないかも」と言っていたけれど 過ごした短い週末で根底にある愛を悟った
だからそれが途絶えてしまわないように自分の人生が終わってしまうことを伝えなかった
家族の愛がなくなってしまうことに比べたらルイの世界が終わるのは「たかが」の出来事だったのだと
以上が私の見解です
フライヤーに完敗しました
ドラン監督の作品全て見ようと思います
とても良い作品でした
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