たかが世界の終わり(2016)のレビュー・感想・評価
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家族それぞれの噛み合わない思惑と会話の絡み合い
「Mommy 」はそれほど好みではなかったが、やはりグザヴィエ・ドラン監督の作品には気になる何かがあり鑑賞。
オープニングの独特な音楽と、きれいでこれまた独特な雰囲気の車窓からの景色に、これはいいかもと期待値急上昇。特にさりげなく映った赤い風船なんかはとてもおしゃれ。
そしてそこからは、永遠主人公達のアップ中心の撮りで淡々とストーリーが進んでいく。と言うか、ストーリーらしいストーリーもないまま主人公達のあまり噛み合わない思惑と会話だけで進んでいく。
うーん、本作は豪華キャストだからまだ成り立つが、そうでなければ途中棄権してしまいそうになるほど退屈に感じる場面が多いように感じる。とにかく主人公達の想いが分かりにくく、観ていて誰とも共感できないし、ほとんどのシーンが薄暗い室内というのも退屈してしまう。そのあたりが本作の魅力なのかも知れないが、個人的にはもう少し皆の背景がわかるようにしてもらいたかったかな。
でも、本作のタイトルはとてもおしゃれで良いと思う。
家族の剝き出しの感情
ほぼ家の中だけで話が展開する。家族同士の会話で成り立っているような作品で、役者陣は表情での演技がメイン。ドラン監督の作品はいつもそうなんだけど、特にこの作品は登場人物一人一人の感情がダイレクトにこちらにぶつかって来る度合いが高くって、正直観ていて疲れた。兄が他の家族に自分の人生のイライラだったり嫉妬だったりをぶつけて罵倒してる姿はほんと「もうやめて!」って思ったけど、それだけ迫真の演技だったのは間違いない。個人的には、幸せな家族よりもこんな家族の方が世の中には多いんじゃないかと思うので、ウソがない映画だなと思ったし、現実味がある分人間性の本質がよく表現されているなあと思った。最後テーブルの下でつないでいた手は誰と誰の手なのか?座席の配置と兄の顔の向きが合ってないような気がしたんだけど、あれはわざとそういう演出なのだろうか。
家は救いの港じゃない
愛しているのに分かりあうことが上手くできない、そんな家族の物語。
OPカミーユの歌から凄くて、その歌詞もそのまま全てを示唆していました。
また音楽も絶妙で、グザヴィエのセンスの良さがみられます。
とにかくキャストが凄くて、フランスを代表する顔ぶれでしょう。
その家族の内面を覗きにいくようなカットや、溢れて止まらない会話の数々。
あまり意味のないような会話だけど、そこに何かを探っているようなもどかしさもみられました。
そして皆、病というか家族でいられる時間が残り少ない事をわかっているんでしょうね。だから口から出る言葉も何処かむき身。
皆演技が素晴らしく、一番は言葉より雄弁な皆の表情ですね。
手を握った時のあの時間。そのカットに映る皆の顔はすごかったです。
そして最後は自分自身そのままのような小鳥。
家に帰り、傷つけ傷つき、そして果てる。
家は救いの港じゃない…
深く刺さる言葉でした。
映像は綺麗だけど…
何が言いたい映画なのかさっぱりわからなかった。
説明されないまま進んでいき、そのまま終わった。
マリオンコティヤールの表情や声の発し方、ギャスパーウリエルもただずまいがすごいなと思った。
12年前何があったの?
なんでこんなにギクシャクしてるの?
最後の方の「手」は誰のなんだろう。
兄が老けてるから最初は兄じゃなくて父なのかと思ってた。
意味不明な会話や怒鳴り合いの連続で、まだ終わんないのかなーとずーっと思ってた。
ドラン監督はあまり説明してくれない作品が多いけど、
わからなすぎて物語に没頭できなかった。
ぜんぶあっぷです
ヘンな感覚の映画だった。
とりあえず内容を置いても、見え方(撮影方法)からして、顔のアップでずっともっていくので、世界がとらえられなかった。
(常に顔のアップなので)住居や調度や昼夜や体型や姿勢や各々の位置情報や食事の内容がわからない。くわえて単焦点(背景がボケるカメラ)なので、なおさら世界がわからない。
が、わからないのでかえって普遍性があった。普遍性とは、固有の家族を描いている──のではなく、いわゆる「家族」の有り様が描かれている気配──があった。
ところがその家族は全員がさいしょからすさまじいわだかまりをもっていた。
ぎこちなく、疑心暗鬼で、帰省したルイのきもちをさぐっていた。
それが、なぜなのかわからない。ずっとわからなかった。
IMDBの映画の概要をつたえる欄に『末期の作家であるルイ(ギャスパー・ウリエル)は、久しぶりに家に帰り、家族に死にかけていることを伝えました。』とあったので、そうなのか──と思ったが、映画内にはルイが末期であることも、家族に死にかけていることを伝えるばめんもなかった。(と思う。)
映画内には、すさまじいわだかまりを持ってしまった家族が、いがみ合っているところ、しか描かれていなかった。
だが、その様子は、なんとなく滑稽でもあった。
笑える要素はまったくない映画だが、そこはかとないユーモアがあった。
なにより映画はおもしろかった。
日本映画で、技量や社会体験が未熟なため、よくわからない映画がある。その種の暗愚をこの映画には感じなかった。
グザヴィエドランといえば天才肌の監督だった。ここで使っている天才は日本映画界で使われるクオート付の(マスコミ称や自称の)天才とはちがう。ほんものの天才だった。
キャリアのさいしょから母親を描いてきた。J'ai tué ma mère(2009)やMommy(2014)で母親像と家族のなかにいる自分自身を描いてきた。
そのすぐれた観察力を本編でも感じた。母も兄も妹も兄嫁も、ルイにたいして依怙地になっている理由がわからないのに、なぜか家族らしさがあった。
役者の巧さもあった。コティヤールもセドゥもカッセルも迫真だった。ナタリーバイの厚化粧は妖怪人間ベラのようだった。
とくに妹セドゥと兄嫁コティヤールが巧かった。センスのない両肩タトゥも「地元に残った妹」の雰囲気をだしていた。
ルイと妹シュザンヌ(セドゥ)が話しているとき、妹は頻りにたばこを吸っていた。あまり記憶がない幼少のとき出ていった兄、社会で成功した兄──にたいするポーズや照れが現れていた。
ちょっとした気づきだが、そのシーンで単焦点になるところがあった。背景でセドゥが全裸になって着替える。その様子はぼけて見えないが妹は頓着せずに着替えた。
個人てきにこのシーンが気になった。
なぜかというと日本では裸をトクベツなものとしてとらえる。なんとなく撮ったり、たまたま映ったようには撮らない。日本では(女の)裸に神格や娯楽要素を置く。
が、フランス/カナダのグザヴィエドランは大人かつゲイなので、裸をトクベツ視していなかった。
だから「兄のまえで躊躇せずに全裸になって着替える妹」(しかもそれがボケて見えない)の描写は、われわれ(日本人)から想像もできないほどの大人な社会に見えた。のだった。
ただしこのシーンはルイがゲイであり、妹がそれを知っていることを示唆していた。と思われる。ルイの病がHIVだということもなんとなく暗示していた。のではなかろうか。(じっさいのところはわからないが。)
(またルイのゲイはさいしょの兄嫁との会話で「あなたもいずれ子供をもつ」と兄嫁が言ったときに兄アントワーヌ(カッセル)が苛立ったところと、思い出のカットシーンで、なんとなく把捉できる。と思われる。)
映画は、憎しみを前面に押し出していながら、むしろ家族愛を語っていた。
またわれわれ(日本人)の世界にはないアンニュイがあった。
この年(2016)のカンヌで、パルムドール(第一位)はケンローチのわたしは、ダニエル・ブレイクへ行ったがグランプリ(第二位)をこれがとった。
なおルイ役ギャスパー・ウリエルは夭逝した。
『2022年1月18日、フランス・サヴォワ県のスキー場でスキー中の衝突事故に遭いグルノーブルの病院に搬送されたが、翌19日に死去。37歳没。』
(ウィキペディア、ギャスパー・ウリエルより)
【初見時にはグザヴィエ・ドランは、難解な領域に足を踏み込んだなと思ってしまった作品。だが、その後見返すと見事なる家族の葛藤を描いた作品であると思った作品である。】
ー グザヴィエ・ドラン監督が「家族」をテーマに新境地を開いた濃密な会話劇。フランスを代表する実力派スターが共演し、感情を激しくぶつけあう演技合戦を繰り広げる。ー
■「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷した人気作家のルイ(ギャスパー・ウリエリ)。
彼の長きに亘る不在に慣れていた家族の戸惑いと喜びと怒りを、長兄アントワーヌを演じるヴァンサン・カッセル、その妻カトリーヌを演じるマリオン・コティヤール、妹シュザンヌを演じるレア・セドゥが、夫々の立場で、ルイに対する想いを表明する。
久しぶりに家族で食卓を囲みながらも、ひたすら続く意味のない会話。
ルイはデザートの頃には自身の境遇を打ち明けようと決意するが、兄アントワーヌの激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる。
◆感想
・初見時には、豪華絢爛なスターが集まりながらも、散漫なイメージがあった。
・だが、「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」が公開される前に今作を見返すと、そのイメージは覆った。
・家族の中で、ゲイとして名を上げながら音信普通だった男が久方ぶりに実家に帰ってきた時の家族それぞれの想いがキチンと描かれていたからである。
・特に、長兄を演じたヴァンサン・カッセルの苛立ち振り、妻を演じたマリオン・コティヤールの抑制した演技。素直に兄の帰還を喜ぶ妹シュザンヌを演じるレア・セドゥの姿は見事である。
<母、マルティーヌの息子が久方ぶりに帰ってきた理由を問わずとも、その哀しき意味合いを理解する態度。
ルイが、最後まで自身の境遇を言い出せずに、実家を長兄から追われるように出る姿。
これは、私見であるが長兄アントワーヌは、ルイが久方振りに戻って来た理由を母と共に、薄々感じていたのではないか・・。
そして、その事実を受け入れ難いために、敢えてルイに対し、粗暴な言葉で追い出そうとしたのではないか・・、と思った作品である。
ルイ=グザヴィエ・ドラン監督に見えてしまったのは、私だけであろうか・・。>
家族葛藤の設定はわかるけど
ここまで延々と描く必要あるのだろうか?象徴的なシーンで伝えるのが監督や俳優の力量だと思う。賞を取ったから自分にとっても価値ある映画だ、とは限らないといういい教訓になりました。
まぁ、そんな単純な話ではないよね
あまり人と言い争いをしたくないので、見ててちょっとしんどくなりました。まぁ、けどそんな単純な話ではないよね。これが現実よね。って。言いたいことを言わずにいるのもだめやし、言いすぎるのもだめだし。人間って不器用だなぁと思いました。
字幕を延々読まされる二時間。
言いたいけど言わないレイザーラモンRG劇場版。
要は仲の悪い家族を描く為に敷き詰められた大量の無意味な台詞の字幕を延々読まされる二時間。
もう少し口数の少ない家族でこのテーマを撮って欲しかった。
即ちつまらぬ。
私の世界の終わり
私の世界は終わります
でも、周りの人の世界は続いていき
過去から未来へと継続される流れは、変えたくてもなかなか変わらない
人生の転機をきっかけに話して理解を得たいが
話すことすら難しいそんな家族の関係性で
結局話せずに終わる
話せていたらお互いにもっと理解し労り合う事ができたのかもしれないが
現実は無情でそれを許さない
関係性を描くのに会話にちょっと頼りすぎかな?
って少し思った
キャストは悪いと思えないので脚本がもうちょっとだった感じがする
タイトルは色んな事を想起させて面白かったんだけどな
タイトルなし
フランスの豪華キャストが出演するが、死を告げるために久々に故郷に帰ってきたが母、兄夫婦、妹はいがみ合い、まともな会話ができず、ラスト迄言い出せない。そのもどかしさがあまり特徴的に表現されておらず、いがみ合いだけがうるさく残った。
オープニングの歌が全て
観終わったあと、オープニングの歌詞が響く
「 家は救いの港じゃない
家は望みの港じゃない
家には眠りにつく棺もない
家、それは深くえぐられた傷痕 」
他人なら捨て去ることもできるけれど、
捨てたくても捨てきれずどこか期待してしまったり…
家族の関係がこじれた時は厄介だ。
理解されず去って行った者にも
ただ取り残された者にも傷はあるということか。
好きな映画
評価はとても別れる作品。
でも豪華キャストの中で、其々持ち味を出させる演出はドランゆえ。
好きですね、この作品。Amazonで何故配信されないのか。
ギャスパー亡くなったと本日知らされる。若くて有望な人なのに残念。御冥福をお祈りします。
自分の事ばっかりの家族
すぐに怒りの沸点に到達する兄と妹。
引っ込み思案の兄の奥さん。
同じ話しを何度もする母。
今まで家族に無関心だった主人公。
物語は主人公ルイが自分の死期が近くなり長年会ってない家族に会いにいくが、中々話せずに他愛もない話しや感情のままに怒り狂うケンカに発展したりと死期が話せない。
そりゃそうでしょ。ずっと無関心だったくせにいきなり帰ってきたなら、何かあるだろうと勘繰るのが普通。
喋らせまいと残された家族も必死にもなります。
ルイも優しそうな雰囲気だが、実家のマットで思うのは昔の彼女と自分の事。家族の思い出は?
そんな家族無関心男がいきなり帰ってくるんだから、兄は怒りのボルテージマックスでしょう。
ルイとアントワネーヌのドライブはルイが家に到着前の空港の話しをするけど、アントワーヌには響かず。
今まで家族をほっといて今朝の話しをされても怒りの沸点低いアントワーヌにはグツグツに煮えたぎった怒りをぶちまけるだけ。
その後の家族の前でのアントワーヌの思いの吐露。
そして、色んな壁にぶち当たり1人孤独に死にそうな小鳥。主人公は自分と重ねたのかと思います。
いやぁ、演技合戦がすごいですね。
名優揃いで特にアントワーヌ演じるヴァンサンカッセルはすごかったなぁ。
あんな扱いづらい人にみえますもんね。
全編を通して顔のアップも多く、演者さんの表情、特に目で何かをメッセージを残してるような演技は皆さん素晴らしいですね。
重たい映画で見終わった後にはズーンとなったりしますが一見の価値ありです。
Juste la fin du monde
「愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて」
12年ぶりに帰省をする主人公・ルイ。その帰省は間も無く訪れる自らの「死」を家族へ告げるためでもあり、『僕という存在の幻想を、他者にそして自分に遺していく』ための「旅」でもあった。「作家」という設定を背負ったルイらしい決意だと感じた。
ルイ役のギャスパー・ウリエルがDVDの特典映像のインタビューで語っているように、この映画のテーマは「思っていることをはっきりと伝えない、人間の意思疎通の物語」であるのと同時に、私は「絶え間なく流れる"時間"がもたらす変化」でもあるのだと思う。劇中に登場する鳩時計や、移ろう太陽の光、そして"12年ぶり"の帰省がその象徴だろう。
「人間の意思疎通」に着目してみる。劇中で登場人物によって交わされる言葉は、どこか意味ありげで、ストレートさに欠ける。そういった台詞は、役者陣の陰影ある表情と共に語られ、この映画の持つ雰囲気を最大限に演出するのに一役買ってもいるのだが、やはりルイの12年もの不在の間に、残された家族にもたらされた様々な「変化」によって、より現実味を帯びたものになっているのではないだろうか。淡々と交わされる言葉に抵抗を覚える観客も居るだろうが、この映画が描きたいのは分かりやすい家族像ではなく、監督・グザヴィエ・ドランが語るように、よりリアルな「不完全な人間模様」なのではないだろうか。
次に「絶え間なく流れる"時間"がもたらす変化」に着目してみる。劇中でルイの母・マルティーヌが昔話を楽しそうに話す場面がある。しかしそれを拒むかのように話を遮る長男・アントワーヌと長女・シュザンヌ。加えて死を目前にしたルイのかつての恋人との回想と、昔住んでいた家を訪れたいという台詞が挿入されている。過去を忘れたい子供達と、過去を大切にしたい母。今となっては、お互いの向いている方向が食い違う。幸せだった日々を思い出すことで、現在との違いが明確になるならば、目を背けたくもなるだろう。アントワーヌの妻・カトリーヌは、ルイが家族に無関心だと言う。取り留めのない絵葉書を送るだけで、12年の間に家族に何が起きていたのか知っていたのだろうか。母・マルティーヌはルイに語りかける。「シュザンヌは家を出たいの」「アントワーヌは自由が欲しい」12年もの間、確実に時は流れ、家族にも変化が起きていたのだ。そんな折、ルイは自らの死を伝えに帰省するも、今の家族を目の当たりにしては伝えるに伝えられないのも頷ける。決して「家は救いの港ではない」のだったから。
ラスト20分。一家はデザートのため再び食卓を囲む。ついにルイが口を開き「もう帰らないと」と言う。12年も不在にした挙句、残された家族の気持ちなど知ることもなく突如帰省し、重大なことを伝えにきたルイに拳をあげるアントワーヌ。兄や母にはルイが何のために帰省したのか分かっていたのだろう。次にいつ会えるかわからないから、二言三言では足りないと言うマルティーヌ。全てを察しているからかルイの話を遮るアントワーヌ。皆の横顔が差し込む夕陽で橙に染まる。時計の振り子の音が、残された時間が僅かであることを強調する。カトリーヌの潤んだ瞳は、何を映しているのか。眩しく輝く玄関に一人残されたルイの足元に、一羽の鳥が墜ちる。この鳥がもう「家」に帰ることはないのだ。
時間が流れるのと並行して、様々な要因があって人間の心情も変化する。その「時間」は一体どこに向かって流れるのだろうか。人は生まれながらにして「死」へ向かうと言う。家族にとって愛すべきルイが12年ぶりに帰省して、母や妹はルイと過ごせる時間を止めたいと思ったに違いない。しかし皮肉にも止まることのない時が、きっとあの家には今も流れ続けている。私は、残された者が過ごす時間に想いを馳せる。
この映画理解できる人すごい…
ただでさえフランス語、字幕のボンヤリした和訳に必死に付いていくので精一杯なのに、意味わからない雑談の応酬(笑)。他のレビューを読んで、ようやく色んな仕込みを理解できました。
ドラン作品はこれで三作目だけど、もう卒業かな。天才イケメン監督として過大評価されてないかな。結局自伝みたいなノリ、どうせならドラン主演で観たかったわ。
家族という舞台
ルイが主役の話、と思って観ていたら、なかなか呑み込みきれない部分も多かったですが、
「次男坊が12年間不在にしていた家族」が舞台の話、として解釈したら、切なく、痛く、愛の溢れた話になりました。
「ルイの不在を哀しみながらも生活していた家族」なら、当の本人ルイは、その舞台を乱す闖入者になる。
ルイの帰郷を張り切って迎え入れる、という役割を演じた母だが、
それまで「家族を支える」という役割を演じていた兄は、弟を素直に迎えられずに反発する。
ルイの存在をほぼ覚えてなかった妹ちゃんは、家族の舞台に巻き込まれた感じかな?
そんなルイが「これからはもっと長文かくよ!」「家においでよ」なんて言い出したから、これまで何十年と兄の役割を演じ続けていた兄は激昂。
弟を追い出すという形で、その舞台から引きずり下ろす。
ラストシーンの時計の音は、終演を告げるベルか。
度々出ていた、終わりを予感させていた兄の言葉は、余命わずかなルイの死や、「ルイが帰れば元の家族にもどる」の、どっちにもとれると感じました。
家族なのに、闖入者になるって辛いなぁ、って気持ちと、そこまでして家族の形を守ろうとしただろう、兄の気持ちを思うと壮絶でした。
「家族」という舞台だと解釈して観てみたら、気持ちを知るにはアップのシーンが頼りで、目が離せなかった。
解釈のひとつとして書き残します。
*
追記
ラストシーン、目に涙を目一杯ためて怒鳴り付けるシーンは、
「こんなにおれは苦労したのに、お前はそんな見え透いた嘘で家族の関心を全部かっさらっていくのか!くやしい!さびしい!」
っていう気持ちにも見えたし、直前の、「わからないから美しく見える」
というセリフから、兄は弟に憧れてる部分がもしかしたらあって、それなのに全うなことを言い出す弟が怖くなったりもしたのかな?と思いました。
どちらにせよ、言葉が足らない兄弟は哀しい。
あと、最近知ったのですが、戯曲バージョンはルイが兄なんですね。設定変えた理由が気になる...
(20181104)
グザヴィエ・ドランの作品で一番好き
グザヴィエ・ドランの監督作は本作で全部見終わった。個人的には「マミー」を超えて彼の作品で一番好きな作品となった。
ストーリーは寿命が残り短いゲイの息子が帰還しての家族の様子を描いたもの。
グザヴィエ・ドランは他の作品でも"不器用で少し変わった人たちの不器用なコミュニケーション"を描いている。本作はそれを彼の演出の力で見事に表現したように思える。
しかしながら、セリフから読み取れる部分よりもセリフの行間や表情から鑑賞者が推量しなければいけない部分も多い。したがって、曖昧な描写も多く、好き嫌いが分かれる作品であることは間違いない。そして、解釈も人によって変わってくるであろう。キャラクターの表情のクローズアップを撮っているシーンがやけに多い。これは表情からキャラクターの感情を読み取ってほしいという意図だと思うが、俳優陣の演技が素晴らしいため、それが実現できている。音楽も滑らかに映像とマッチしていた。
自分も正直、本作の全てを理解できた自信は無いが非常に興味深い作品で、完全に作品の世界にのめり込んでしまった。また改めてもう一度鑑賞してみたいと思う。
大切なことは言葉にしなきゃいけない
終始家族がイライラしていて、、恐らく家族関係の崩壊・彼の苦悩を描いているのかな?伝えたいことが分かりづらいです。
会話の中で時折垣間見える言葉…本当は家族も彼の伝えたいことを分かっているのか…告げられたくないのか…それさえもうやむやで終わってしまう。。
世界観は悪くないのに・・結局彼は言いたいことも伝えられないまま、観ていて不完全燃焼の残念な感じでした。。
意味が分かれば、本当は深く心に響く作品なのだろうけど…私には難しくて評価しづらいです。
みなさんのレビューを拝見させて頂きましたが、理解力の素晴らしさに感服致します。とても分かりやすく納得させられます。
家族だからこそうまくいかないナイーブな人達
エキセントリックな家系。
皆隠れ喫煙者。
攻撃的で毒舌なDV疑惑のある長兄
両腕入墨がっつり末っ子長女
ケバケバメイクの未亡人ママ
次兄のゲイ志向が理解出来ずどう扱っていいのか持て余し気味。
本人もどうしていいのか分からず12年間実家には寄りつかずいつの間にか家も変わってたぐらい。
長兄の嫁さんが終始オタオタ。
それにしても豪華キャストの競演。
次兄は結局何も言わずじまいやったけどやっぱりHIVで余命僅かってことなんかね。あんな狭いとこで小鳥飛んだらぶつかって死んでまうがな、と思ったらほんまにひっくり返って終わった。
夏の午前中から夕陽が差し込む夕方までの話。
流行曲をチョイスしたのは意外。
イライラしてる時に車の運転させちゃダメね、怖い。
血の繋がりを煩わしいと思っている人が見れば絶賛するはず。
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